最強賢者、転生後はスライムに負けたい。

雅ルミ

第1章 ディーヌ・ビヨンドハックの出立

第1話 余裕で転生

 千年ぶりに太陽を見た。

 いや、違うな。

 室内灯だ。

 その周りに広がるのは青い空ではなく、茶色の木製天井ではないか。


「だぁ」


 手製の棺に閉じこもったあの時から、千年もの間意識を保ってしまったのである。

 転生魔術にまさかそのような重大な欠陥があるとは、さしもの彼も知らなかった。

 当然である。

 予てより理論としては確立されていたが、かつて誰一人としてそれを行使した者は居ないとされており、成功後どのような意識状態で来世に記憶を受け継がれるのかが不明だったのだ。


「産まれた……産まれたぞ!」


 壮年の男性が狂喜乱舞しながら部屋を出た。

 おそらくだが、あれが今世での父であろう。

 見た目からして三十代後半から四十代前半と見た。

 そう若くないのに、あの落ち着きの無さは我が父ながら頼りない。


「ふぅ……ふぅ、ありがとう、ありがとうね」


 俺を抱く女性は苦しそうだ。

 ゆっくり呼吸を整えようとしている。

 父と比べて若く見える。

 二十代前半だろうか。

 とすれば、相当の歳の差がある夫婦だ。

 やるな、親父。


「申し訳ございません、奥様!」


 バタバタと大きな足音を立て、親父と銀髪の若い少年が部屋に駆け込んできた。


「わぁ……実に可愛らしいですね。ご主人様によく似たウンディーネのような青髪に、奥様によく似たアメジストのような瞳。きっとに育つことでしょう」


 ウンディーネ、懐かしい名だ。

 この世界には十の精霊が居り、その中の一柱、水を司る精霊だ。

 清楚な女性の姿で言い伝えられていたが、実際には筋肉ムキムキの男性の姿をしていたからガッカリしたのを覚えている。


「きっと君のように、様々な男性から言い寄られるのだろうね」

「もう、口が上手なんだから」


 ん?

 今、何かおかしなことを言わなかったか?


 そうだ、確かに言った。

 その前だってそうだ。

 執事服の少年が、俺の将来を美人になると予想した。


 股間部に視線を送ろうと思ったが、首が据わっていないからそれは叶わなかった。

 だがその必要も無かった。

 本来そこにあるはずの物が無いのだ、その違和感は感覚で分かる。


 俺の前世の名は、アトレ・ザングスカ。

 旅商一族ザングスカ家の長男として生まれ、生まれながら身体が弱かったせいで両親のように外の世界を歩くのは難しかった。

 そんな俺が興味を示したのは魔術だった。

 幼少期も外で遊ぶほどの体力も無く、いつも宿に引きこもり本を読んでいた。

 不幸中の幸いと言えようか、身体が貧弱な代わりに、生まれ持った魔力の総量は常人のそれを超越していた。

 興味、才能、その二つが重なり、俺は魔術の実力をめきめきと伸ばしていった。

 多くの民が学校に通い始める七つの頃には、五属性の魔法をマスターしていた。

 在学中、身体の弱さを克服する魔術理論を八歳で完成させ、普通レベルの運動能力を手にした俺は剣術の師と出会った。

 卒業後は晴れて冒険者となり、十の精霊と主従契約を結んだり魔の王に逆プロポーズされたり、神と呼ばれる種族に奴隷として扱われていた獣人族を解放したり、他にも語り尽くせないほどの、まあそれは最強の称号に相応しい活躍をしたのだが、その話は置いておくとして。


 ただ一つ言えることは、俺の前世は間違いようもなく男だった。


 ようやく確信を持てた。

 俺は最難にして禁忌とされていた転生魔術を成功させたのだ。

 決め手となったのが股間部の違和感というのは些か不本意ではあるが、それは些細な問題であろう。

 大切なのは、俺がかつての退屈な人生をリセットすることに成功し、こうして新たな人生を始めることが出来たというその一点に尽きるのだ。


「あぁ、ディーヌ……私の可愛い娘」


 ディーヌ。

 それが今世での俺の名前らしい。

 青髪にディーヌ、なんとなくウンディーネを想起させられる。

 アイツの祝福を受けている家系なのかもしれないな。


「ディーヌが大きくなるまでは僕も仕事を休むことにしたんだ」

「そんな、大丈夫よ。フェリークも居るんだから」


 フェリーク……?

 知っている名前だ。

 知っているどころの話じゃない。

 アトレ・ザングスカの人生、そして世界さえ大きく振り回すこととなったと同じ名前なのだ。


 しかし目前の、フェリークと呼ばれる少年はまさしく男。

 中性的な見た目をしてはいるものの、女性にしては低い声だ。

 魔族の平均寿命は五百年前後と言われていた。

 俺が数えていた限り、今は前世から千年後の世界。

 俺の知るフェリークがいくら規格外の力を持った魔の王だったとはいえ、今も生き永らえているはずが無いのだ。

 というか性別違うしな、偶然の一致だろうな。


「僕だって親だよ。例えフェリーク君が居るとはいえ、僕にもディーヌの世話をさせてほしいんだ」

「でも貴方、子を育てるにもお金は必要だわ」

「大丈夫さ。実は魔剣を売ったんだ」

「だぁ!?」


 魔剣を売っただと!?


 そもそもだ。

 なんでこんな一般人が魔剣を持っているんだ。

 魔剣とは世界に八振りしか存在しない宝剣だぞ。

 一振りで山を消し飛ばす力を持っている物もあれば、持っているだけであらゆる魔術を無効化する物、かつての伝説の剣聖の魂を宿し自ら戦うなんて物もある。

 言ってしまえば、魔剣とは一振り所持しているだけで国を治められるほどの代物なのだ。

 前世の俺がその八振りを全て所持していたのだが、それらが何者かの手に渡り世界の平和が脅かされるのを危惧し、転生魔術を行使する前に信用の置ける宮廷魔術士に頼んで封印してもらった。

 それが民の手に渡っていることも驚きだし、そんな至宝を子育ての為に売り払うなんて愚行をはたらく親父の浅はかさにも驚きだ。


「これで向こう三十年の生活費はまかなえるし、仮にディーヌが王立学校に通いたいと言い出しても、一括で入学金を支払えるだけの貯蓄だってあるよ」

「そう、なら安心ね」


 安心なものか!

 魔剣一振りが三十年分の生活費程度の価値なはずがあるものか!

 とんだあくどい商人に騙されているし、得てしてそういう奴は自らの欲に任せて悪人に簡単に売り渡してしまう大馬鹿者と決まっている。

 いくら俺が前世の記憶を持っているとはいえ、首も据わっていなければ一人で歩くことも出来ないような身体では世界を救うことなんて出来やしない。


 あぁ、転生したばかりだというのに今にも今世に希望を持てなくなりそうだ……。


「ディーヌ、パパだよ。分かるかい?」


 親父が顔を覗き込ませ手を振ってきた。

 まったく、気楽な奴だ。

 しかしこれでも俺の転生を手伝った男とも言える。

 それにある程度育ちあがるまでは世話にならねばならないのも事実。

 ここは愛想よく振舞っておいてやるか。


「だだぁ?」

「聞いたかいスリティー! 今パパって! パパって言ったよね!」

「ふふっ……ええ、そうね。きっと言ったわ」

「驚いた、まさか生まれて間もないというのにパパだなんて! ディーヌはきっと賢い子になるよ!」


 当たり前だろ、転生者だぞ。

 生後五秒でこの世界の魔術体系のほとんどを理解しているんだ。

 そこらの神童と一緒にしないでほしい。


「奥様、もうおやすみになられては?」

「ありがとう、フェリーク」

「今すぐ替えの毛布を持って来るよ!」


 親父が慌ただしく部屋を出て行った。


「もう、本当にベンドって人は……」

「きっと嬉しいのでしょう。奥様、ディーヌ様をゆりかごに移しますね」

「ええ、お願い」


 俺はフェリークに抱き上げられ、おふくろが寝ているベッドの隣にあるゆりかごへと移し替えられた。

 あたたかく、やわらかい。

 おふくろの腕の中の方が安心出来たが、こっちも寝床としては最上の環境と言って差し支えないだろう。


「おまたせ!」

「しっ! 奥様は眠られました」

「す、すまないね……。……おつかれさま、スリティー。今はゆっくりおやすみ」


 目の前で両親のキスを見せつけられ、どことなく居心地の悪さを感じた。

 しかし、仲睦まじい夫婦とは良いものだ。

 前世の記憶を手繰る限り、夫婦というものに良い思い出が無い。

 今世ではその思い出を払拭できそうな気がして、そういう意味では二人のキスシーンも悪くない、そう思えた。


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