第3話 戦艦vs飛行機

 神様と呼ばれるベテラン整備員が入念に調整した、国産のそれとは比較にならないくらい信頼性の高い輸入機。

 前席と同様の操縦機構を備えた後席には帝国海軍でも屈指の技量を持つ指導教官が緊張の面持ちで万一に備え控えている。

 だが、そのような存在は伏見宮大将の意識からはとっくの昔に吹き飛んでいた。


 自身が操縦する複葉の機体が大空を自由に飛んでいる。

 とある若手航空士官の雑談を立ち聞きしてからずいぶんと時間を要してしまったが、それでもこれまでの努力が実り、後席に教官が乗ることを条件に操縦桿を握ることを許可されたのだ。

 複座機の後席に乗り、初めて空を飛んだ時も確かに興奮した。

 だが、自身が操縦するのと、お客さん扱いで乗せてもらうのとではまったくその興奮度合いが違う。

 飛行機屋の連中がいつ墜落するのかも分からない危険と背中合わせの中にあって、それでもなぜ喜々として大空に上がっていくのか。

 その疑問は自身が操縦桿を握ったことで氷解する。

 脚が大地を離れる時の浮遊感。

 大空を自由に飛べるという万能感にも似た解放感。

 高みから下界を見下ろす際に感じた征服欲を満たすような高揚感。

 横須賀の沖合に停泊する戦艦や巡洋艦など豆粒のごとしだ。


 「こいつは癖になるなあ」


 何もかもが最高だった。

 それとともに名前も顔も知らない若手士官の言葉が脳内に再生される。


 「戦艦も飛行機もしょせんは砲弾や爆弾を敵にぶつけるための運搬手段にしか過ぎない。飛行機が戦艦を破壊できるだけの爆弾なり魚雷なりを装備すればどうなるか」

 「戦艦が飛行機の前に敗北する日がもう目前にまで迫っている」

 「近い将来、海戦は水上打撃艦艇の撃ち合いだけでは済まず、海中や空中の敵とも戦わねばならなくなる。異様な進化を遂げつつある潜水艦と飛行機の現実を見ればそれはもう一目瞭然だ」


 伏見宮大将は今になって初めて若手士官らが語っていた言葉の意味をその身をもって理解する。


 「戦艦に固執していてはダメだ」


 つい先日までバリバリの大艦巨砲主義者だったからこそ分かる。

 戦艦は飛行機に抗しえない、と。

 日本のそれに限らず、戦艦は敵艦を沈めるための主砲や副砲は充実している。

 だが、一方で飛行機を撃ち落とすための兵装は貧弱の極みだ。

 帝国海軍の戦艦の中では最も新しい「長門」や「陸奥」でさえ七・六センチ単装高角砲をわずかに四基装備しているのにしか過ぎない。

 そもそもとして、高速で的が小さくそのうえ自在に三次元機動する飛行機に狙いをつけることが出来る射撃照準装置など無い。

 正確に言えば一応あるにはあるのだが、しかし多数機の同時攻撃をさばけるような性能とはとても言えない。

 もし、「長門」や「陸奥」といった戦艦がまとまった数の一三式艦上攻撃機の攻撃を受ければどうなるのか。


 「試してみないといかんな」


 だいたいの想像はつくが、それでも実際にやってみなければ分からないことも多いはずだ。

 それと、伏見宮大将はもう一つ思いついたことがあった。

 飛行機で潜水艦を捜索、これを攻撃出来るのではないかというアイデアだ。

 潜水艦というのは、いつも海底深く潜航しているのではなく、ふだんはもっぱら海上を航行している。

 用も無いのに潜航してもバッテリーが減るだけだし、それに船体にも無用の水圧がかかってしまうから馬鹿馬鹿しいことこの上ない。

 潜航が必要なのは敵に接近あるいは待ち伏せするための偵察時もしくは襲撃行動時か、そうでなければ敵から逃げるための回避行動時に限定されると言ってもいい。

 そして、飛行機の脚は潜水艦の天敵とされる駆逐艦よりも遥かに速い。

 たとえ急速潜航されても、深度が浅いうちはよほど海が濁っているかうねっていない限りは視認が可能なはずだ。


 「飛行機はあるいは潜水艦の天敵になりうる素質を持っているかもしれん」


 次から次へとあふれてくるアイデアに伏見宮大将は知的興奮を覚える。

 後席の指導教官に短く「降りる」と伝え機首を飛行場へと向ける。

 すでに、彼にとって初飛行の感動は過去のものとなっていた。

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