第一話 ~『巻き込まれたデスゲーム』~


 夢なのに意識がある。不思議な感覚に身を任せながら、桜が瞼を擦ると、住宅街の中にいた。アスファルトで舗装された道が続いている。


(ここはどこでしょうか……)


 知らない場所に困惑していると、通行人のお爺さんが歩いてくる。だが彼は普通ではない。マネキンのように目と口がなかったのだ。


 驚きで声が漏れる。夢の世界だと分かっていても恐怖を感じずにはいられなかった。


「誰かぁ~、誰かいませんかぁ~」


 周囲に呼びかけると、声に反応するように蝙蝠が飛んでくる。アニメのようにデフォルメされたデザインは、ここが夢の中である証拠だった。


「可愛い蝙蝠さんですね♪」

「可愛いのは当然さ」

「話せるのですか⁉」

「僕はクロウ。《格ゲー世界》のゲームマスターだからね。お話もできる万能マスコットなんだ」

「ゲームマスターさんですか……へぇ、可愛いのに凄いのですね」


 聞きなれない単語だが、役職持ちなら凄いのだろうと感想を伝える。褒められたのが嬉しいのかクロウはパタパタと羽を動かした。


「君はプレイキャラに選ばれたんだ。これから深夜零時に、この世界に招待され、戦ってもらうことになったよ」

「あの眠気はあなたの……いえ、それよりも戦うとは? ゲームでもするのですか?」


 プレイキャラやゲームマスターという単語から推測した質問だ。だがクロウは首を横に振る。


「君にはこれから殴り合いをしてもらうんだ」

「な、殴り合いですか?」

「ここはプレイキャラ同士が勝敗を決する格闘ゲームの世界だからね。勝負は相手を降参させるか、気絶させるか、殺せば勝ちだよ。決着がつかなくても時間制限による判定があるから、引き分けはないから安心してね」


 殺すという言葉に、桜は眩暈を覚える。人を殴ったこともなければ口喧嘩すらしたことがないのだ。対戦相手を気絶させたり、殺したりできるはずがない。


「私には無理です!」

「君の意思は関係ないさ。格ゲーを想像してよ。ゲームを始めるときに、キャラクターに意思確認をするかい?」

「それは……」

「ゲームから抜け出したいなら、戦って勝つことだね。おっと、噂をすれば影。対戦相手がやってきたね」


 クロウの視線の先に人影が姿を現す。ライダースーツに身を纏い、サングラスをかけている三十前後の女性だ。高い身長とカラフルな髪色は相手を威嚇しているかのようだ。


(私があの人と殴り合うなんて、絶対に無理です!)


 恐怖で手が震える。そんな彼女を無視して、クロウは進行を続ける。


「役者は揃ったね。では両者を紹介するよ。赤コーナー、ホストに騙され多額の借金を背負った悲運の女。二勝三敗の崖っぷち――山田杏子!」


 三敗しているからと、桜は安心などできない。むしろ逆。五回も殴り合っている怖い人だと認識する。


「青コーナー、千年に一人の美女は誇張ではない。振った男の数も千を超える学園のアイドル――霧島桜!」


 教えたはずのない個人情報を知られている。やっぱりこれは夢なのだ。そう思い込んで恐怖を振り払おうとするが、手の震えは止まってくれない。


「両者ともにプレイヤーはなし――さぁ、正々堂々、試合開始だよ!」


 闘いの幕がクロウによって下ろされる。


 先に動いたのは杏子だ。桜に近づき、力任せに腹部に拳をねじ込んだ。


「い、いだいっ」


 親にも殴られたことのない桜が、生涯で初めて受けた暴力だった。そのまま膝を折り、その場で倒れ込む。


「あ、あの、無理です。降参します!」

「あっそう」


 杏子は興味なさそうに降参を受け入れる。クロウは杏子の勝利を宣言した。


「おめでとう、お姉さん。それで特典はどうするの?」

「もちろん金よ。いつもの口座に振り込んでおいて」

「オッケー。次の闘いも期待しているね」

「さてと……あんた、初心者?」


 杏子の問いに、桜は首を何度も縦に振った。


「やっぱりね」

「私、いつの間にか、この世界に連れてこられて、それで……」

「事情は凡その予想が付いているわ。でもラッキーね。初戦の相手が私で」

「そうなのでしょうか……」


 お腹を殴られ、怪我までさせられた。この状況がとても幸運だとは思えない。


「ラッキーよ。このゲームはね、勝者は四つの報酬から一つを選ぶことができるの」

「さっきのお金がそうですか?」

「その通りよ。額は一億円。凄いでしょう?」

「大金ですね」


 宝くじを当てたり、サラリーマンが半生を費やしたりすることで、ようやく稼げる金だ。杏子はたった一瞬で、それだけの大金を稼いだのである。


「でも私、お金はいらないので、このゲームを止めたいです」

「それが二つ目の報酬よ。ゲームに勝つことで、プレイキャラを辞められるの」

「で、でも、私、こんなゲームへの参加を望んでいませんよ⁉」

「知っているわ。あなたは巻き込まれたの。三つ目の報酬――指定した人物を《格ゲー世界》に招待する権利を使われてね」

「な、なぜ、そんな権利が報酬になるのですか⁉」

「そりゃ役に立つからよ。例えば復讐したい奴とか、嫌いな奴をゲームに巻き込める。この世界で殺せば現実でも死ぬの。合法的に抹消したいなら、こんな便利な報酬はないわ」

「でも私、恨まれる覚えがありません」


 人は生きている限り、嫌われることはある。しかし一億円と秤にかけてでも、恨まれる覚えはない。


「知っているわ。あなたはただの被害者よ。四つ目の報酬のターゲットにされたの」

「教えてください⁉ どんな報酬なのですか⁉」

「対戦相手を自分の所有物にする権利よ」

「所有……物?」


 所有物と聞いて、真っ先に思い浮かんだのが、相手を恋人にする権利だ。千人以上の男性からの告白を断ってきた桜だからこそ生まれた発想だった。しかしその考えは杏子によって否定される。


「自由意思を奪われるの。それこそ死ねと命じられれば、意思と無関係に自殺を強要されるほどにね」

「そ、そんなの……あまりに非人道的です!」

「でもそれを望む奴がいるの。あんたが巻き込まれたのも、あんたを自分の物にしたいゲス野郎がいたからよ」

「わ、私を……」


 ゴクリと息を飲む。そんな人がいることを信じられなかった。


「これが勝利報酬のすべてよ。この中で唯一、敗者にとって不利益になるのが四つ目の報酬よ。私はお金にしか興味ないから。あんたはペナルティなしで負けられたの」

「幸運だったのですね、私は……」

「でも次のあんたの対戦相手はヤバイわ」


 杏子がポケットからスマホを取り出すと、その画面を示してくれる。そこには人相の悪いボウズ頭の男が映っていた。


「この人、隣のクラスの金田くんです!」


 知人が相手で助かったと、ほっと息を吐く。知り合いなら、負けても所有権を奪われることはないはずだ。


「考えが甘いわね……きっとあんたを招待したのもこいつよ。現実で気に入った女性をゲームに招待して、無理矢理自分の物にしている有名なクソ野郎だから」

「金田くんが私を……」


 もし杏子の話が真実なら、金田は容赦なく桜の所有権を奪いに来る。収まっていた手の震えが再び起こり始めた。


「あんたにできることは一つだけ。操作してくれるプレイヤーを探すことよ」

「プレイヤーさんですか?」

「この世界は格ゲーと同じ。他の人にあんたの身体の操作を任せることができるの。その操縦者のことをプレイヤーと呼んでいるわ。そしてプレイヤーが登録されていると、ボーナスで能力値が向上する。女でも男に負けない腕力が手に入るのよ」

「それなら私でも勝てるかもですね」

「もちろんリスクはあるわ。プレイヤーが悪意ある人間だと、ワザと負けることもできるからね。だから私はプレイヤー登録なしでやっているの」

「信頼できる人物を探さないといけないのですね」

「あんたも、このゲームを理解してきたようね」


 杏子が背中を叩く。最初の対戦相手が彼女で良かったと、運の良さに感謝する。


「対戦が終わったから、そろそろ夢から覚めるわ。でもこの世界で起きることは現実。起きた時、お腹に感じる痛みで疑いを晴らしなさい」


 そう言い残して、杏子は手を振って去っていく。視界が霞み始め、この夢の世界から目覚めるのだった。


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