10-2 闇の中の恐怖を前に

     ◆


 青年を集落があった場所へ連れて行くと、酷いもんだ、という感想を漏らしていた。

 サリーンがまずやってきて、ちょっと驚いた顔をした後に、にんまりという風に笑った。

「どこから男を拾ってきたわけ? セラ」

 青年が不思議そうに私とサリーンを見比べる。私が無視したこともあるだろう。

「上で猟をしていて、猪が一頭、あるんだけど、一緒に食べませんか? というか、俺と父をここで休ませてもらえませんか?」

 途端に礼儀正しい青年に、サリーンは上品さを競うわけでもないだろうが、口元を手で隠しながら答えた。目だって笑っている。

「誰の許可もいりませんよ、廃墟なんですから」

「それでも助かります。父を呼んできます」

「猪を忘れずに。男手が必要?」

 サリーンの冗談に青年は声を上げて笑い、大丈夫です、と森の中へ戻っていった。

 二人きりになるとサリーンがいやに嬉しそうに言う。

「あなたも隅に置けないわね、セラ」

 私は黙ったまま、彼女に水の入った甕を投げつけた。大きいし、重いし、勢いも付いていたけど、サリーンはしっかり受け止めて見せた。

「ちょっと山に入ってくる」

「え? ちょっと、いきなりどうしたの?」

「日暮れ前には戻る」

 それだけ言って、私もやはり森の中へ戻った。

 おおよその見当は付いていたけれど、やっぱり時間の流れというのは侮れない、記憶の中にあったうっすらとした道筋は、完全に消えていた。

 方向だけは見失わないように、元の集落へ戻れるように、と思いながら、私は先へ進んだ。途中で剣を抜いて、邪魔な草や細い木を切り払って前進していく。

 この剣は、ナロフが持っていた剣だ。手入れをして、ずっと使っている。

 折れるどころか歪むこともなく、刃が欠けたりもしない。当然、切れ味も落ちない。

 どういう出自の剣か、不思議に思うこともあったが、どんな出自であろうと、剣は剣だ。

 切れればいい。

 敵を倒せればいい。

 それが剣の存在意義だ。

 傭兵もまた同じ。敵を倒し、目的を果たす。それだけが求められ、それができなければ、それまでになる。

 剣を振りながら斜面を上がる作業は意外に体力を消費した。腰にある水筒から水を飲んだ。振り返ると、さっきまで私が進んできた道筋が見えるはずが、まったく見えなかった。

 こんなところで遭難とは、ゾッとしない。

 しかしまだ目的地にはたどり着いていない。

 先へ進もう。

 鳥の鳴き声が遠くでする。低いうなり声は風が渦巻いた音で、波濤のような響きは枝葉が擦れ合う音。

 急に目の前に草がなくなった。

 着いた。

 目の前には朽ちかけた大木があり、その周りだけ不思議と下草が生えていないのは前のままだ。

 頭上を振り仰いでも、繁茂する枝葉に隠されて空はほとんど見えない。細かな光の点がチカチカと瞬き、それは止まることはない。

 息を吐き、私は大木に近づいた。

 記憶の中そのままに、何かの石像が置いてる場所がある。ただ、石像は私の頭の中にあるものと少し違う気もした。

 周囲をもう一度、ぐるりと見回す。

 動物の気配さえも遠く、生命の匂いというものがあるとすれば、ここに満ちているこの空気こそがそう呼ばれる匂いをはらんでいると思える。

 剣を鞘から抜いて私は掲げてみた。

 瞬間、世界が闇に閉ざされた。

 慌てることはない。

 決着をつけに来たのだ。

 剣は自分の手にある。真っ暗闇の中でも、剣も、私自身も見えるのだ。

 何かが這いずる音。

 闇から滲み出すように、巨大なムカデが出現し、私の周囲を這い始める。

 怖気が背筋を震わせたのも一瞬、私は呼吸を乱すこともなかった。

 すぐ足音から、ムカデが私に巻きつき、這い上がってくる。

 頭が目と鼻の先まで来た時、その口が開き、唾液なのか、粘ついた液体が吐き散らされる。

 私はただそれを見ていた。

 今の私はあの頃とは違う。

 ナロフの薫陶を受けた時とは、何もかもが変わってしまった。

 集落が燃えた日。

 ナロフが自らが流した血の中で息絶えた時。

 傭兵として、多くの人を刃にかけてきた日々。

 短くも長くもないが、私は変わった。

 ムカデが威嚇するように吠えた気がした。

 それさえも遠くの出来事。

 これは夢だ。幻だ。

 私は夢の中でも、幻を前にしても、心を動かさなかった。

 急に光が瞬き、私は反射的に目をかばっていた。

 風が吹き、私の髪を揺らす。

 そこは森の中にある、大木の前だった。私は立ち尽くしていて、片手には抜き身の剣を持っていた。

 誰もいない。

 幻覚は、私を解放したようだ。

 一つ、私の背負う重荷を下ろせたような気もする。

 息を吐き、私は大木に背中を向けた。

 集落へ戻りながら、いつかあの大木も倒れるのだろうか、ということを意味もなく考えた。

 大木はどこか、クエリスタ王国に似ている。大きく成長し、周囲を圧倒したが、結局は朽ちていく。朽ちない木はないのだ。どんな大木でも、どんな大国でも、いつかは倒れ、滅び、後には何も残さない。

 人間はどうだろう。

 例えば、ナロフは私に剣を教え、生き方さえも提示したようなところがある。もっとも、彼が地面に倒れたあの時、私が別の選択をする可能性はあった。

 剣を取ることではなく、ただ怯え、震え、泣きじゃくる、弱い人間でいることもできた。

 私の生き方は、ナロフが残したもので、私はそれを追っているのだろうか。

 戦って生きていく。剣を取って生きていく。

 人間の一生は短い。身につける技も、伝える技も、儚い。

 結局、この世界では全てがいつかは失われてしまうのか。

 邪魔になる植物を乱暴に切り払って進むうちに、少しずつ気持ちは楽になった。

 もうここへ戻ってくる必要はないのだ。私は故郷から自由になり、過去からも自由になった。

 遠い道のりを経て、故郷へ帰り、そしてまた世界へ出て行くのだ。

 約束通りの時間に帰れるか不安だったが、周囲が薄暗くなる頃に私は集落へ戻った。途中から肉が焼かれる匂いがしていて、空腹が刺激されていた。

 森を抜けると匂いは一層濃くなり、ナロフの家だった廃屋の方へ行ってみると、外で盛大に火が燃やされ、肉の塊が焼かれている。例の青年がその面倒を見ており、すぐ横にサリーンが立って何か話している。

 ランサは別の倒壊した建物の一部の材木に腰掛けている。

 三人ともが私に気づき、それぞれの反応をする。

「遭難したら探さないといけないな、って話していたところだよ」

 サリーンの言葉に、私はただ頷いた。

「何かあったか?」

 これはランサの鋭い観察眼を示す指摘だったが、私は「別に」としか答えたなかった。

 青年に、父親という人物はどうしたか、と聞くと、家にいれさせてもらった、と返事があった。

 挨拶の必要があるだろうと家の中に入ろうとしたが、奥から人影が出てきた。

 もっと老人を想像していたが、四十代程度に見える若々しい男性だった。しかしよく見れば顔には深いシワが刻まれていた。その顔に笑みが浮かぶ。

「世話になるな。ガラッグというものだ。お嬢さんは?」

「セラ」

 答えてから、青年の名前を聞いていないの気づいた。彼の方を振り返ると父親とどこか似た笑顔で「クラグだよ」という返事があった。

 こうして奇妙な五人組で、夜空の下、焚火を囲むことになった。



(続く)

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