2-2 稽古と実戦

      ◆


 私に剣術の稽古をつけている老人はナロフという人物だ。

 この老人はクエリスタ王国の天下統一にまつわる戦闘に繰り返し参加し、生還し、今では長老の一人である。彼と同年輩の男性は一人しかおらず、その男性は片足がない。

 部族の中では随一の使い手だけれど、さすがにもう実戦の場に出ることはない。

 たとえ、国が乱れに乱れても、戦に耐えられないだろう。

 私がそう見ているように彼自身も判断しているのは間違いない。

 ここ数ヶ月、そのナロフは私を徹底的に鍛えていた。

 擦り傷、打撲など当たり前で、体力の限界、もう動けなくなるところまで、彼は平然と相手をする。私が身動きひとつできなくなったところで、彼は稽古をやめるのだ。

 わかってきたことは、彼の武術の完成度は驚くべきもので、なるほど、戦場から帰ってくるのもその技をもってすれば不可能ではないだろう、ということである。

 私の棒は彼を掠めもしない。

 前進しているのか、それとももう十三歳にして打ち止めなのかは、私自身にはわからない。

 ナロフにはどう見えているのだろう?

 稽古を続けるということは、何か、可能性があるのだろうか。

 手のひらにはマメがいくつもでき、破れ、痛みを発する。

 痛みはそこらじゅうで主張を繰り返しているけど、その一つひとつが私をより冷静にさせ、思考させた。

 ナロフに打たれるのは、そこに隙があるからだ。

 まずはそれを補うこと。受けるなり、避けるなり、出来るようになればいい。

 もっともそこまで簡単ではない。体は全てが連動するので、仮に右腕をかばおうとしても、左側に隙ができることもある。上半身だけを考えると、足元を狙われる。

 体の動きと同時に、広い視野が必要だった。

 自分自身を、もしくは相手さえも俯瞰するような。

 季節が春から夏に変わろうかという時、私はひとつの光景を目の当たりにした。

 ほんの数人の盗賊が部族の集落へやってきたのだ。

 私が最初に見たのは四人で、三人は剣を抜き、一人は槍を持っていた。

 彼らは馬と若い女を要求した。

 当然のように彼らの視線は私やサリーン、他の女の子に向けられた。

 恐怖というのは、こういうことなのだと身にしみて感じたのはこの時だ。

 でもそれ以上の感情が、この後にやってくるのである。

 男たちの前に進み出たのはナロフだった。

 片手に古い剣を下げ、柄に手がかかっていた。

 男の一人がたぶん「引っ込んでいろ」とでも言おうとしたと思う。

 しかし、「ひ」しか言葉にならなかった。

 一瞬で間合いを消したナロフの抜きうちが、男の首をはねていた。

 本当に一瞬で、まるでおとぎ話の魔法のように、ナロフの動きは早かった。

 男たち三人は呆然とし、動く前にもう一人が胴を輪切りにされて二つになった。

 残りの二人は戦わずに逃げ出した。

「弓だ」

 ナロフの言葉に、今や恐怖の上に恐怖を塗り重ねられた私たちがほとんど動けなかった中で、ランサが進み出て自分の弓を渡し、矢を差し出した。

 なんでもないようにナロフが弓に矢をつがえ、射放す。

 甲高い音は一瞬で消え、逃げようとしていた男の一人がつんのめって倒れ、動かなくなった。その後頭部には矢が生えていた。

 次の矢が最後の一人を射抜くことで、脅威は取り除かれた。

 だけど部族の者たちは皆、守護者として賞賛されるべきナロフを遠巻きにして見ていた。

 ナロフ自身は何でもないことのように弓をランサに返却し、ゆっくりとした歩調で自分が一人で生活している家へと去っていった。

 大人たちは後に残された死体の片付けをしながら、盗賊の仲間が襲ってくるのではないか、ということを真っ青な顔で話していた。

 誰もが、殺しなどせず、馬でも人でも差し出せば安全だった、と言いたげだった。

 私はその気配を感じて、自分が生きている世界の常識というものを思い知った。

 暴力を振るうものは確かにおり、その暴力によって全てを奪われるものがいる。

 盗賊はその剣で私たちを自由にできた。

 現実では、ナロフという一人の老人の暴力が、盗賊たちの命、彼らの全てを奪ったと言える。

 暴力こそが、大切なのか。

 大人を遠巻きにする子どもたちは、ナロフのこと、ナロフの剣術について話していた。素人の、それも子どもの会話なので、実際的な内容には届かない。

 強かった、とか、速かった、とか、あれなら十人が相手でも負けないだろう、とか、そんな他愛のない部分に終始していた。

 盗賊の仲間はいなかったのか、翌日からは部族の生活は元に戻った。

 私もナロフの稽古を受けた。

 何度も棒で打たれ、突かれ、引きずり倒され、跳ね飛ばされ、いつも通りだ。

 ただ、稽古の後、ナロフはその場に残った。

「セラよ、私が恐ろしくないのか」

 久しぶりに聞くナロフの声だった。彼は稽古の間、一言も口をきかない。

「恐ろしいとは、どういうことでしょうか」

 息を整えながら質問を返す私に、ナロフはわずかに目を細めた。

「自分が殺されると、想像することはないか、ということだ」

 おかしなことを言うものだ、というのが第一感だったけど、そんな無礼なことは言えない。

「これは稽古です」

 どうにか言葉を選んだけど、ナロフに変化はない。

「稽古でも死ぬことはある。少なくとも私はお前を殺してもいいと思っている」

 意外、想定外の言葉で、返すべき言葉がうまく選び取れなかった。

 殺してもいい?

 でも私はこうして、生きている。

 どういうことだろう。

 稽古と実戦の間にある、見えない境界線がかろうじて機能しているのだろうか、と想像したけど、あまりにも荒唐無稽だった。やっぱりナロフは稽古として私に対している、と勝手に納得することにした。

 だって、そうでなければ、私はとっくに死んでいるはずだ。

「セラ、何故、剣術を修めようとする? 馬もそう、弓もそうだ。何故、それを身につけようとする?」

「それは……」

 この部族を守りたい。

 私は周囲にそう公言していた。サリーンなどには頻繁にからかわれるし、少年たちにも、無理だ、時間の無駄だ、と言われるけど、私は堂々と応じていた。

 でも、ナロフを前にすると、その普段は何の抵抗もなく口にできる言葉が、どうしても出てこなかった。

 そもそもナロフに稽古をつけてもらう時も、剣術を教えてください、という簡単な一言で、彼は私の相手をしてくれたのだ。

 こうなってみると、逆に私の方から、何故、私を弟子にしてくれたのか、それを訊ねてみたかった。みたかったけど、この時に問いかけられたのは私で、私が答える番だ。

「強く、なりたいからです」

「誰のために? この部族のためか? それとも母上のためか」

 母。

 母を守ることは、どうしても無視できない要素だった。

 この部族を守ることが、母を守ることで、部族を守るには戦う技術が必要で……。

 でも母は、それを望んでいるだろうか。

 この狭い集落で、ひっそりと、穏やかに、武器も取らず、血を流さずに生きることを、望んでいるのではないか。

 今まで考えることを先延ばしにしていたことを、今、私は目の前に突きつけられていた。

 私の剣が、どれだけを守れるのか。それが問われているようだった。

「明日の朝、家に来なさい」

 私が答えを口にする前に、ナロフはそう言って背を向けた。

 私は座り込んだまま、彼の背中を見送り、ちょうどこちらへやってくるサリーンがぎょっとしたようにナロフに一礼する。ナロフは反応しなかった。

「どうしたの? ナロフさん、すごい怖い顔していたけど」

 いつものように水筒とタオルを持ってきたサリーンが、本気で怯えている顔で言ったけど、私はナロフさんのその顔を見ていなかった。

 機嫌が悪いみたい、とだけ、私は応じて、差し出された水筒を受け取った。




(続く)

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