女傭兵セラと乱世の七人の女

和泉茉樹

第一部 傭兵は来たれり

1-1 傭兵は来たれり

      ◆


 走ることはできない。

 私は疲れ切っていて、連れているのは老人と子どもだった。

「急げ! 盗賊が来る!」

 二人いる男性のうちの一人が声を張り上げるが、彼自身は片足を引きずり、その大腿に巻かれた布は赤く染まっている。手にある剣も脂に曇っていた。

 もう一人の男性は十人の集団の一番後ろで、剣を構えて動かない。

 私の視界では、彼の背中の向こう、なだらかな丘陵を超えて馬群がやってくるのが見えた。

 ほんの十騎ほどだが、大きすぎる脅威だった。

 私たちもついにここで終わりか。

 諦めてもおかしくない。実際、諦めるようなことを考えていたのだ。

 でも私は動けない老人が載せられた荷車を必死に押していた。もう背後は見ない。見ても怖いだけだ。

 背中を刺し貫かれてもいい。

 ここまで来たんだ。

 一歩でも先へ、進むしかない。

 馬蹄の響きが近づいてくる。喚声もだ。私たちの前にいて励ましていた男が後方へ駆けていく。

 死んでたまるもんか。

 腕に力を込め、腰を落とし、両足を踏ん張る。

 すぐそばで悲鳴がした。

 そして重い音。

 一緒に荷車を押していた女性が倒れこんでいる。右肩に矢が突き立っていた。

 ハッとする間もなく、次々と矢が飛来し、周囲に突き立つ。

 怖かった。

 だから私は全てを拒絶して、荷車を押した。

 しかし均衡が崩れ、ずるりと荷車は地面をえぐって滑る。私も力を殺せず、無様にうつ伏せで地面に投げ出された。

 それだけだった。

 不自然な無音の中に自分がいる気がしたが、違う、激しい音が聴覚を埋め尽くして、逆に何も聞こえていないのだ。

 耳を弄するのが、蹄が地を蹴り立てる音。そして交わされる掛け声。

 顔を上げる。

 目の前に馬がおり、そこにまたがっている人物は、どこか小さく見えた。

 太陽がその人の背後にある、顔は見えない。

「大丈夫か?」

 そっけない声は、涼しげで、どこか鋭い刃を連想させる澄んだ声だった。

 彼女、そう、女性は視線を遠くへ向け、弓を構えた。片手にはすでに矢があり、つがえたと思うと次に射放している。甲高い空気の悲鳴。

 じっと遠くを見ていた彼女の顔をやっと覗くことができた。

 短い髪の毛は真っ黒で、肌は真っ白。まるで神話に天使として出てきそうだった。

 小柄な体が、馬を降りてくる。

 私はそんな彼女をぼんやりと見ていた。

 私に構わず、今も倒れている矢を受けた女性の元へ彼女が歩み寄り、素早く傷口を見た。

「すまないな」

 そんな風に謝罪しながら、彼女は女性の着物の袖を割くと、布地を丸めて噛み締めさせた。

 矢を引き抜くと鏃が体内に残ると判断したのだろう、「耐えろ」という言葉と同時に、女性に突きたっている矢をさらに押し込んだ。

 くぐもった悲鳴とともに、鏃が肩の前に飛び出す。素早く血まみれの鏃が切り落とされ、今度こそ矢が抜かれた。

「連中は逃げて行ったわよ」

 影が差したと思うと、長身の女性が歩み寄ってくるところだった。

 声をかけられた女性は、手当てをするためだろう、呻いている女性の傷口を様子を仔細に見ていた。

「死ぬことはない」

 そんな声の後、すっくと立ち上がるけど、こうして見てみると、彼女は思ったよりも小柄だ。私とそれほど上背は変わらない。子どもに見える。

 そう気付くのと同時に、彼女が最小限の具足を身につけ、腰には剣を吊るしているのにやっと意識が向いた。

 彼女を呼びに来た長身の女性も同じような武装だ。

 普通の女性ではない。兵士、でもないだろう。

 なら、傭兵か。

「サリーン、みんなを呼んで」

 彼女が仲間に声をかける。

「ここで野営。傷や病を診てやれ」

 了解です、とサリーンと呼ばれた女性が離れていく。

 血にまみれた手を黒い小さな布で拭いながら、彼女がやっと私を見た。

「名前は?」

 そっけない、興味なさげな口調だった。

 でもどこか、返事を拒ませない迫力、威圧感がある。

「ナーオと言います」

 私がやっとのことで答えるのに、彼女はわずかに顎を引いた。表情が全く変わらず、感情はいっぺんも含まれていなかった。

「セラだ」

「あの、セラ様、私たちには何も、差し上げるものがありません。銭も少なく……」

「銭は取らない」

 セラはそれだけ言うと、戻ってきたサリーンという女性に幾つか指示を出し、自分は馬の方へ歩いていく。立派な体躯をしている馬は、草を食むでもなく主人を待っており、セラがその首を抱くと甘えるような動作をした。

 こうして私たちは危険を脱したものの、誰一人として安心することはできなかった。

 まだ安住の地にたどり着いたわけではなく、一面の荒野の真ん中にいるのだ。水の確保されも容易ではなく、食料は少ない。銭があっても、私たちにものを売るものはいないはずだ。ものを売らずに、私たちから銭を奪うだけにした方が効率がいい。

 私のすぐ横で、矢を受けた仲間が治療を受けていた。治療しているのは若い男性で、手当の様子には熟練のそれがあった。

 周囲では老人たちが薬を与えられているし、足を負傷していた男も改めて傷を診察されていた。セラの仲間たちは統率が行き届き、それぞれが自分のやるべきことをやっている。

 まるで軍隊のようにも見えた。戦い方、馬の扱い、医術、薬、それらの知識は軍隊にいるものには必須だ。各地の軍隊では、それぞれの指南役を常に求めており、指導できる立場の者は奪い合いになる。また自信のあるものは、各地で自分を売り込みさえする。

 馬の世話をした後、セラが私のそばへやってきた。

 私はまだ事態が飲み込めず、ただ突っ立って、彼女を出迎えた。

「水がくる」

 出迎えたが、彼女は私はそう言うだけで、すぐに仲間の方へ移動していった。ついでに私に話しかけたんだろう。

 しかし水がくるというのは、運ばれてくるということか。ここへ至るまでに小川を幾つか越えたのを私は思い出した。馬で駆ければ、目と鼻の先だろう。

 風が吹く。

 季節は春で、今日はよく晴れていた。

 太陽は少しずつ傾いていく。



(続く)

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