南の海に抱かれて ― Into the Turquoise Blue Ocean ―

スイートミモザブックス

■01 今度こそ、一人前に!

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今度こそ一人前のキャリアウーマンに!

そう心に誓いつつ南国の島マルルに降り立ったステフを出迎えたのは、超ハンサムな王太子だった。


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「うわぁ、きれい!」

 ステファニー(ステフ)・ハートは思わず声を上げた。

 眼下に広がるターコイズブルーの海。真っ白な砂浜。海のところどころに、濃い絵の具を垂らしたように見える箇所があるが、あれは珊瑚礁だろうか。そのまま絵はがきになりそうな風景だ。ほんの数時間前まで滞在していたハワイの海も充分に美しかったが、ここはそれを遙かに上まわっている。

「ね、すごくきれいじゃない? ミズ・DD?」

 ステフは隣の席にいる女性に顔を向けた。

 DDはほんの少しだけ身を乗りだし、眼下の景色にちらりと目をやったものの、すぐにからだをもとの位置に戻した。

「そうですね」と、にこりともせずに応じる。

 ステフはかすかに肩をすくめた。

「みなさま、当機はまもなくマルル空港に到着いたします――」

 いよいよね!

 ステフは、はやる気持ちを抑えるかのように両手を胸に当て、近づいてくる美しい海岸線をうっとりと見つめた。


「ようこそマルル島へ!」

「殿下! こんにちは!」

 ステフはぺこりと頭を下げた。

「直々にお出迎えいただき、恐縮です、殿下」

 DDはすっと背筋をのばしたあと、きっちり角度90度のお辞儀をした。

「お待ちしていました。さあ、どうぞこちらへ。宮殿にご案内します。ゲストルームの準備もできていますよ」

 殿下と呼ばれたのは、南太平洋に浮かぶこのマルル王国の王太子、ノア・クーパー・カレオだ。

 ステフは案内に立つノアの横顔をまじまじと見つめた。

 オンライン会議で何度か顔を合わせてはいたが、実物は画面越しに見るよりずっとハンサムだ。

 黒っぽい茶色の髪。しゃれたメガネの奥できらめく茶色の瞳。肌は思っていたほど浅黒くない。たしか現国王の奥方、つまりノアの母である王妃には、ヨーロッパの血が流れているとか。

 口から出てくるのは、イギリス仕込みの気品と知性にあふれた英語。この島では英語は公用語のひとつになっているとはいえ、昨年まで3年ほど留学していたと聞くだけのことはある。ハワイのアロハにも似たカジュアルなシャツとスラックスを身につけたノアは、カリフォルニアのどこにでもいそうなイケメン男子だった。

 いえ、ちがう。ステフは心のなかで訂正した。

 カリフォルニアでも、めったに見かけないレベルのイケメン男子!

 ステフの視線を感じたのか、ノアがふり向いてにこりとほほえみかけてきた。ステフも満面の笑みで応えた。ノアの目がわずかにきらめいた。

 そう、わたしがにっこりほほえみかければ、男の人はたいていこういう目つきになる……。

 隣を歩くDDの聞こえよがしのせき払いに、ステフははっとわれに返った。

 いけない、いけない。また、お遊び気分が抜けないと叱られてしまう。

 今度こそ、両親に、きょうだいに、わたしの力量を認めてもらわなければ!


 ステフがはたらく〈ザ・ハート ホテル&リゾーツ〉は、アメリカのカリフォルニアを拠点に、全世界でリゾート開発事業を展開する老舗ホテル・チェーンだ。創業したのはステフの祖父母で、現在は父エドワードと母エリザベスに加え、6人いるきょうだいのうち4人が社員としてはたらく、一族経営の企業である。

 とはいえ、30歳になる次女のステフがザ・ハートの一員に加わったのは、ほんの2年前のことだった。金髪碧眼で元気はつらつ、いつもニコニコと愛想のいい健康美人そのもののステフは、幼いころから老若男女すべてに愛される人気者だった。

 もちろん、男性にもモテモテだ。裕福な家庭に生まれたこともあり、つねにちやほやされ、人に嫌われるということを知らなかった。もともと甘えっ子だったためか、ほかのきょうだいのように本気で勉学に打ちこむこともなく、自身の美貌と愛され体質を活かして女優になろう、と単純に考え、大学では演劇を専攻した。

 しかし、当然ながらそんな心持ちの人間が厳しい芸能界で成功するはずもなく、大学卒業後にモデルやCMの仕事を数年ほどこなしたあと、やる気を失ってしまった。なにより、仲間を蹴落としてまでなにかの役を手に入れようとする厳しい世界が、自分に合っているとは思えなかった。

 みんなと仲よく、平和に過ごしたい。それがステフの願いだった。

 そのあとは親に頼んでザ・ハートに迎え入れてもらい、1年半ほど軽い下積み生活を送ったのち、海が大好きだからという理由で、ビーチリゾート開発部長の座に落ち着いたのだった。

 以来、ステフなりに一生懸命はたらいてきたつもりだ。しかしいつまでたっても一人前とは認められず、優秀なミズ・DDという「サポート役」が、けっきょくは仕事をうまくまとめてしまうのだった。表向きはステフの業績ということにはなるのだが、自分の出る幕がないまま仕事が片づいていくことを、ステフ本人はいやというほど感じていた。

 このマルル王国のリゾート開発というビッグな仕事が舞いこんできたのは、そんなときだった。

 今度こそ、ミズ・DDに牛耳られることなく、自分なりの力で仕事をまとめてみせる!

 ステフはそう心に誓っていた。

 DDは、年齢的にはステフとさほど変わらないはずなのだが、大手IT企業から両親が引き抜いただけあって、群を抜いて優秀なキャリアウーマンだった。おまけに、超がつくほどの堅物だ。いつもピシッとスーツに身を包み、髪を引っ詰めにまとめている。顔には、礼を失しない程度の薄化粧と黒縁のスクエア型メガネ。足もとは、歩行に支障をきたさない高さの黒ヒール。

 常夏の島マルルに来たというのに、そのスタイルはみじんも変わっていなかった。

 あそこまで女っ気を消してしまって、人生を楽しめるのかしら?

 ステフは常日頃からそう思いながらも、余計なことを口にするほど愚かではなかった。


 ノアに案内されたマルルの宮殿は、けっして大きくはないものの、南国らしい開放感と、歴史を感じさせる重厚感が混在し、ステフはすぐさま好感を抱いた。

 黒塗りの鉄門を抜けて青々と茂った芝生を抜けた先に、石造りの白い建物がどっしり構えている。訪れるものを歓迎するかのように、周囲には色鮮やかな南国の花々が咲き乱れていた。青や黄色や緑に彩られた鳥が、かわいらしい鳴き声を上げつつ飛び去っていく。


「ようこそわがマルルへ」

 ハアノハ国王がにこやかにいった。

「このたびは、お招きいただきありがとうございます」

 ステフもにこやかに応じた。

 肌の色はいくぶん濃いものの、国王の端整な顔立ちと知的な目もとは息子とよく似ていた。

「いやいや、担当者にじっさい足を運んでもらわないことには、話にならんからな」

「恐れ入ります」

 DDは、ステフの一歩うしろに慎ましく控えていた。

 国王がノアに顔を向けた。

「それにしても、こんなに魅力的なお嬢さんが担当者とは、驚いたよ」

 ノアが顔をしかめた。

「父上、そういういい方は、西欧諸国では認められません。セクハラに当たります」

「ほう、あちらではほんとうのことを口にしてはいかんのかね? ほんとうに魅力的なお嬢さんだから、そういったまでだが?」

「父上!」

「いえ、どうぞお気になさらず。お褒めにあずかり、恐縮です」

 ステフはくすりと笑った。

 しかしDDにきっとにらまれたような気がして、即座に話題を変えることにした。

「ところで、お話はあらかじめうかがっていましたが、観光地としてこんなにすばらしい可能性を秘めた場所が、いままで手つかずだったなんて、ほんとうに驚きです」

「ああ、そうなんだ」

 国王が少し困った顔でいった。

「わが父上、つまり前国王は、西欧諸国、というか、先進的な文明をあまり信用していなかった」

「そうですか……でも、そういうお考えもよくわかります。なにしろ、リゾート開発イコール自然破壊、と考える人は多いですから。開発反対運動を派手にくり広げる人たちもいますし」

「そうだな。父上は伝統にもこだわる人だった」

「でもザ・ハートは、自然を破壊することなく、地域のみなさんにとってプラスになるリゾート開発にかけては、自信を持っています。そうよね、ミズ・DD?」

 ステフは、マルルに来るにあたって両親から念を押された会社の理念を口にした。

 DDはステフの問いかけに答えるというより、国王に向かって説明した。

「弊社はこれまでも数々のリゾート開発を手がけてまいりましたが、どの地域でも歓迎され、よろこばれてまいりました。弊社のモットーは、地域の方々を第一に考え、その生活を向上させ、地域の方々によろこんでいただくことです」

「もちろん、そうした点にこだわるという評判を聞いたからこそ、あなた方を選んだのです」とノアがいった。

「過去の仕事ぶりを拝見したうえでの依頼ですよ」と、ステフに向かってほほえみかける。

「ありがとうございます」

 ステフとDDは、揃って国王とノアに深々と頭を下げた。

 ステフは内心ほっとしていた。

 こんなふうにいってもらえるからには、今回の訪問で本契約にこぎつけることは、ほぼまちがいない。

 これでわたしも、一人前と認めてもらえるはず!

 ステフは国王にも自慢のスマイルを向けた。国王は、まるで愛娘を見るような目で見つめ返してきた。

「わがマルルは、豊かな自然と心穏やかな民に恵まれている。けっして裕福ではないが、貧困に苦しんでいるわけでもない。だから、いまのままでいいじゃないか、という意見もないではない。しかし――」

 国王はコホンとせきをしてから先をつづけた。

「――いまのままでは、成長もない。ここ数年、多くの若者がイギリスやアメリカに留学を希望している。それはそれで結構なことだ。しかしこの島には、そうした若者を後押しするだけの教育システムが整っていない。わたしはそれが、いちばんの問題だと思っている」

「だから観光業で島の経済を活性化させ、教育のための予算を捻出したいと考えているんです」とノアが話を引き継いだ。

「ごもっともです。教育はなにより大切ですもの」

 ステフはしたり顔でうなずいた。だからぜひ、本契約を!

「よろしく頼む」

 国王が立ち上がり、ステフに手を差しだした。

 ステフもあわてて立ち上がり、その手を握りしめた。

「おまかせください」

「じゃあ、そろそろ現地に案内しましょう」

 ノアも立ち上がり、車を用意するよう侍従に告げた。

 順調だわ。うまくいきそう!

 ステフはすっかり自信を深めていた。

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