12 探偵の正体

探偵の正体

 仙月様の頭から何かが外れた。

 それが髪を結った形のままのカツラだと気づいた時、観衆の間からどよめきが起こった。首を振ると、流れるような黒髪がほつれながら現れる。これが本来の髪なのだろう。艶やかな地毛はカツラよりもよほど美しい。


「髪だけでなく、声も偽物です。今からそれを証明しましょう」


 仙月様はカツラを皆に見せ終わると、近づいてきた李光さんに渡した。代わりに受け取った短刀を自分の首筋に当てる。


 何をするのだろう。観衆が緊張して見守る中で、仙月様は首筋に巻いた布の間に刃を滑りこませ、ぷつっと切った。ハラリと落ちる布と一緒に鈍く光る物が見える。

 床に落ちた時、それはカランと高い音を立てた。


「これが、本来の私の声です」

 その声は明らかに今までとは違っていた。

 朗々とした美しい声だが、さっきまでと比べるとずいぶんと低い。


「まさか……男ダッタのですか?」

 夏貴妃様の漏らした声が、静まりかえった室内に響いた。

 驚きのせいか、異国なまりのアクセントが、いつもよりも極端に感じられる。


「はい、夏貴妃様。それに他の貴妃様たちも。これをご覧ください」

 仙月様は立つ位置を変えながら、自分の喉の中心をを指さして見せた。

 もうとっくに陽は落ちたが、無数に灯されたロウソクのせいで室内は昼間のように明るい。目を凝らして見ると、その部分には女性にはないはずの喉仏があった。


「このような真似をして申し訳ありません。後宮は男子禁制なので、やむなく女性のふりをしていました。もちろん皇帝陛下の許しはいただいております」


 突然、皇帝が大声で笑い出した。

「はっはっは。皆、騙されたであろう。わしも前から、女装させてみれば面白いとは思っていたが、これほどの芸達者とは知らなかった。あれを男だと見抜ける者は、この中華にもそうはいまい」


 全く気づかなかった。

 仙月様が男性だったなんて……。あの美しいお顔、声。そして麗しい仕草は、文月にとっては同性としての憧れだった。勝手に、姉のようにさえ思っていた。


 でも、男性だとするとこの方は誰なのだろう。

 皇帝陛下のご親任が厚いことは間違いない。いま思えば、皇后様もご存じの様子だった。同性でも気づかないほど美しく。その上、事件の解決を任されるほどの優秀な人物……。


「さあ、もう良いであろう。皆に名乗ってやるがいい」


「はい、仰せとあれば」

 さっきまで仙月様だった人物が一瞬、チラリと文月を見たような気がした。


 ドキリ。心臓が跳ねる。

 だが、すぐに文月は首を振った。ダメだ。自分には趙良様がいる。生涯をかけて慕い続けると誓った方だ。いくら素敵でも、他の男性に恋するなんてありえない。


「私は以前、ペテン師だとさげすまれていたことがあります。中華を手に入れる方法がある。そう公言していたからです。またある時は、愚か者と笑われたことがあります。父の遺産をはたいて本を買い、食にさえこと欠く暮らしをしていたからです。

 それが十四の時でした。私の運命を変えたのは、天に向かって大きく羽ばたくおおとりでした。私はその鴻に魅入られているうちに、いつしか軍師と呼ばれるようになっていました」


 趙良様だ……。


 文月はその言葉の意味に、すぐに気づいた。

 これは趙良様が皇帝陛下に見出されるまでのエピソードを、セリフとしてアレンジしたものだ。もちろん文月は完璧に記憶している。これを聞いてわからなければ趙良様のファンを語る資格はない。


 趙良様はニコリと笑った。


 ああ、ああ、ああ。ああぁぁぁ。

 見た。今度こそ、間違いなくコッチを見た。

 死んでもいい。いや、もう死んでいるのかも……。


「私の本当の名前は趙良です。軍師というものは戦乱の世でこそ役に立ちますが、平和な時代には無用の長物です。もう二度と再び表舞台に上がることはないと思っていました」


「ふん、またくだらぬ戯れ言を。おまえほどの男が、役に立たないことなどあるものか。ただ、俗世から離れて楽がしたいだけであろう。宰相がいつも嘆いているぞ」


「宰相殿は不平を言うのが趣味なのです。文句を言う相手がいなくなれば残念に思うでしょう。これも友人としての気づかいです。……さて。それでは私は、男の服に着替えて参ります。しばしの間お待ちください」


 趙良様が退場すると、室内が一気に騒がしくなった。

 驚きがあまりに大きいと、何かを話さなければならない気持ちになるらしい。貴妃様だけでなく、侍女や衛兵も。もちろん文月も同じだった。


「天佑さん、どうしよう。こんなことがあるなんて信じられない」


「そうですか。私は最初から、あの方こそ趙良様ではないかと疑っていましたが……」


「えっ、どうして。私でもわからなかったのに」


「人間は何かを失うと、物事を単純に考えるようになるようです。私は宦官になった時、全てを受け入れる覚悟をしました。

 私の知る限り、あれだけ頭の切れる人間は中華でもあの方だけです。お会いしたことこそありませんが敵であった時にその恐ろしさは嫌ほど味わってきました。どうせ引導を渡されるのなら、その相手が趙良様で良かったと思っています」


「で、でも。趙良様はお優しい方です。それに天佑さんを信頼していました。趙良様ならならきっと天佑さんを助けてくれます」


「果たしてそうでしょうか。私の知っている趙良様は敵も味方もたくさん殺しています。敵を誘うため、わざと味方の部隊をおとりにしたこともあります。犠牲を考えずに成り立つ軍略など、この世にはありません」


 春貴妃様のお屋敷で聞いた仙月様の言葉が蘇った。


 政治は綺麗事だけでは済まないわ。それを功績と考えるか、罪と考えるかは受け取る相手次第よ。あなたは、あなたの立場で判断なさい。


「それでも私は趙良様を信じます」


「私が信じるのは、誓いを交わした人との信義だけです。文月殿のおかげでおとことして死ぬことができる。それだけで私は満足です」

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