悪役令嬢の結末

 光の強い希望により、町の大きなパブへとランチに訪れたアビゲイルたち。

 近代以前の英国料理はまずいと評判だが、ここはゲームの世界である。フランス料理に近い、美味しい料理に舌鼓を打ちながら“女子高生”らしくおしゃべりに花を咲かせた。

 そのあとは、なぜか街に詳しい光に先導されながらこれまた“女子高生”らしくショッピングなどに興じる。といいつつ、娯楽などが少ない時代設定のため“貴族様のお忍び下町観光”というほうが近かったのだが。


 動き回ることに慣れていないアビゲイルの体は、あっという間に音を上げた。光とザラに口を揃えて「無理は禁物」と叱られ、目についたインでアフタヌーンティーを頂くことにする。

 アビゲイル愛という共通点を持つ光とザラは、この数時間ですっかり仲良くなっていた。


「いつもの癖っていうかなんていうか……連れ回してごめんね、あーちゃん……」

「配慮に欠けた私の落ち度です。申し訳ございません」


 疲弊しきったアビゲイルを上目で見ながら、肩を落とした光が謝る。続いて、悔しそうなザラも頭を垂れた。

 暗くなってしまったふたりに、心地よい疲労をお茶で癒やしながらアビゲイルが語りかける。


「とても楽しい時間でしたわ。ふたりがそんな顔をしていたら、台無しになってしまいますわよ?」

「はい、」


 お嬢様、と続けかけてザラが口をつぐんだ。その様子にアビゲイルは小さく笑う。

 一方、光は腑に落ちない様子で俯き気味に唸っていた。

 そうかと思えば、何かを思いついたらしく勢いよく顔を上げる。


「そうだ、お詫びにいいこと教えてあげる! 明日のお茶会でね――」




 翌日。

 朝からメイドたちにどこもかしこも磨き上げられたアビゲイルは、ザラを伴い宮殿のテラスに向かっていた。風通しの良いバンフィールド家では、お嬢様の恋路に全使用人が心を寄せているといっても過言ではない。メイドたちはそれはもう、腕によりをかけてアビゲイルを飾り立てたのである。


 光の助言はもちろん、メイドたちに伝えてあった。それに従って支度はしてみたものの、光のいう意図がラッセルに通じるのかどうか。

 通じたら通じたで優しい王太子は困るだけなのでは……と、時間が迫るにつれ不安は膨らんでいく。もう後戻りなど出来ない段階ではあるのだが、思考が勝手に悪い方へ転がっていくのはどうしようもなかった。


「アビゲイル・バンフィールド公爵令嬢、お待ちいたしておりました」


 いつの間にか、目的のテラスに到着していたらしい。王太子付きの従僕が椅子を引いて待っていた。一声掛けて腰を下ろす。

 王族を待たせるわけにはいかないため、5分前には到着できるようアビゲイルは心がけていた。ラッセルはいつも時間ぴったりに現れる。

 いつにも増して落ち着かない5分だった。


「待たせたね、アビゲイル。座ったままでいいよ」

「ご機嫌麗しゅう、ラッセル殿下。お心配りに感謝申し上げますわ」


 対面に着席したラッセルと視線が交差する。心なしか、その頬が赤みを帯びているように思えた。少なくとも悪感情は見て取れない。

 この時ようやくアビゲイルの中に“ラッセルと両想いかもしれない”という可能性が芽吹く。


『明日のお茶会でね、殿下からのプレゼント、赤い方をつけてってあげて! そしたらきっと喜ぶから。……あーちゃんなら花言葉、分かるよね?』


 光の助言が脳裏をよぎった。

 この“ラッセルからのプレゼント”というのは、誕生日に贈られたものに違いない。今年の誕生日は赤い薔薇と青い薔薇を模した、ふたつの髪飾りが届いていた。ドレスに合わせて使い分けられるように、という配慮だろう。

 赤い薔薇の花言葉はいくつか在るが、どれも愛情を示すものばかりだったはず。アビゲイルが正確に思い出せるのは、「あなたを愛しています」という単刀直入なものだ。

 これをラッセルが知っていたのだとしたら。それで頬を染めているのだとしたら。

 そう思うと、アビゲイルの心臓は早鐘を打つ。


 だが、この世界に“花言葉”という概念が根付いているとは思えなかった。教養を重んじる貴族の頂点ともいえる公爵家、その令嬢であるアビゲイルの耳にも入らないのだ。この国には花言葉が広まっていないと考えるのが妥当だろう。

 けれど、光が伝えてくれたとしたら? 夜の乙女の言葉は、こと王族には重く響く。ラッセルがこの赤い薔薇を意味のあるものと受け取ってくれたとしても、おかしくない。


「……今日来てもらったのは、改めてきみと話がしたかったからなんだが」

「はい、殿下」


 考え込みすぎていた。窺うように話し出したラッセルに、罪悪感が募る。赤い薔薇を挿してきた気恥ずかしさも、光の助言がもたらした混乱もすべてが合わさってアビゲイルの心を乱した。

 頬が熱い。ラッセルを直視できない。

 平静を取り戻さねばと、意識してゆっくりと紅茶を口に運んだ。カップを置いてもなお、目は紅茶の水面をなぞってしまう。


「……きみは“花言葉”を知っているのか」

「えっ?」


 小さく放たれたラッセルの言葉に、アビゲイルは思わず声を漏らした。跳ね上げた視線が、意図せずラッセルのそれと絡む。

 短いはずの、長い長い沈黙があった。ラッセルの瞳は不安そうな色をしているように見える。自分はどんな色をしているのだろう、とアビゲイルはぼんやり思った。思考がまるで働かない。


「迂遠な物言いは無粋だな……アビゲイル」

「は、い……殿下」


 緊張で喉がはりついてしまったのかと思った。

 ラッセルの真摯な眼差しがアビゲイルを射抜く。その強い瞳に、いよいよ何も考えられなくなってしまった。


「愛している。婚約者だから言うのではない。きみが、きみ自身が、愛しくてたまらないんだ」


 アビゲイルの頬をあたたかいものが滑り落ちていく。

 鈍くなった脳でラッセルの言葉を理解することは出来なかった。理解するより先に、体が反応してしまったらしい。


「アビゲイル!?」


 ラッセルの驚いた声で、思考が再び回りだした。嗚咽とともに熱い気体が吐き出され、吸い上げられた新鮮な空気が体を巡る。

 そうしてやっと、ラッセルの意味するところが汲み取れた。


「わた、くしも……」


 突然泣き出したアビゲイルを案じて、慌ててその傍らにしゃがみ込んだラッセルに、切れ切れながら言葉を紡ぐ。

 聞き取りづらい音だったろうに、ラッセルはちゃんと拾ってくれたようだ。


「うん」


 短いけれど、優しい声色。アビゲイルが恋したあたたかさが今もここにあった。

 とめどなく頬を濡らす雫を、柔らかな手つきでラッセルが拭う。嗚咽に阻まれながらも言葉を続けようとするアビゲイルを、優しく待ってくれていた。


「ラッセルさまを、あいしていますわ」


 呼吸を整えて囁いた言葉は、甘い笑顔に迎えられる。

 長年のすれ違いを経てやっと想いを通わせたふたりは、引き寄せ合うようにして唇を重ねたのだった。





 そこから続いたのは怒濤の日々である。

 第二大蔵卿の目論見は潰したが、王太子と夜の乙女の婚姻を推し進めようとする輩が消えたわけではない。

 ラッセルの手回しによって卒業パーティーの約三月後、王太子とバンフィールド公爵令嬢の結婚式が行われることになった。

 ただでさえ忙しい式の準備が、期間の短さも相まって地獄の様相を呈する。

 加えて、夜の乙女の婚約式もほぼ同時期に行うことが決まった。忙しくならない道理がない。


「政敵を黙らせて想い人を守るためとはいえ、殿下もよくやったよねぇ」


 メイド・オブ・オーナーを務める光が、入場直前に呟いた。アビゲイルの隣にいる父、ルシアンからも苦笑が漏れる。本当に慌ただしい毎日だった。

 あと少しで結婚式が始まる。式の日取りが決まってからは、なんだかんだ毎日顔を合わせていたせいか、式のために丸一日離れただけでラッセルが恋しかった。


「行くぞ、アビゲイル」


 父に促され、ウエディング・アイルを歩く。道の先にはラッセルが待っていた。三ヶ月前には夢にも思わなかった光景だ。

 ゲームのことを思い出して、少しの不安に襲われた。シナリオは卒業パーティーで崩れている。けれど、その前はしっかりシナリオをなぞっていたではないか……。

 暗い雰囲気を感じ取ったのか、アビゲイルにだけ聞こえる声で光が囁く。


「隠しキャラルートのバッドエンドにね“アビゲイル”が再登場するの。王太子妃になって、正式に社交界入りしたヒロインに辛く当たったんだって。侯爵家の人と婚約するあたし、おんなじルート辿ってるんだよね」


 だから、大丈夫。飲み込まれた最後の一言もアビゲイルにはしっかり伝わっていた。

 エスコートが父からラッセルに代わる。間近で見る想い人は、今までで一番格好良かった。


「綺麗だ、アビゲイル」

「ラッセル様こそ素敵ですわ」


 聖壇までの短い道のりでラッセルが蜜語を口にする。アビゲイルも思うままにこたえを返した。

 聖壇に辿り着くと、司祭が誓いの言葉を述べ始める。ラッセルとアビゲイルがそれぞれ宣誓を終えれば、次には指輪の交換が待っていた。

 それから、最も緊張する“誓いの口づけ”へと式典は進む。


「僕の全力を以てきみを幸せにするよ、アビゲイル」


 口づけの直前、耳朶を震わせたのはラッセルらしい真摯な誓い。

 アビゲイルもまた心の中で、誓いを新たにするのだった。


 ――悪役令嬢は全うできなかったけれど、あなたの妻は全うしてみせますわ――

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