Elenarze Continente Historia

羽鳥(眞城白歌)

First〈邂逅〉

[0-1]死線


 もう一歩だろうと進めそうになかった。足がもつれ、受け身も取れず、倒れた地面の硬さにうめく。すがる気分で柔らかな草葉に顔を押しつけた。傷口からあふれる生ぬるい血液が、湿った腐葉土ふようどに吸われて地面を染めてゆく。

 逃げなければ。

 奴らに追いつかれることはないだろうが、ここが安全とも言えない。せめて身を隠せるどこかへ、――でもどこへ?

 かすんだ視界に映る景色は、木がまばらに生えた平地に見えた。運を天に任せた割には、ましな場所かもしれない。地面に爪を立て、何とか上体を起こそうともがく。腕と足が折れていないのは幸運だった。


「うっ、ぐうぅ」


 起きようとして腹に力をいれたからか、全身がきしんだ。痛みを逃そうと声を漏らしながら、必死の思いで顔を上げたと同時、背後に物音を感じて心臓が冷える。

 痛みをこらえつつ振り向き見た。ぶれる視界に青が差す。恐怖を押し殺して目をらせば、息を飲む気配がした。


「あなた、魔族ジェマ……!?」


 まっすぐ流した髪と広げられた翼は、晴天から抜け出したようなそら色。驚いたように見開かれた両目も空色で、じっとこちらを見ている。灌木かんぼくの間に立っていたのは、まだ幼さが残る翼族ザナリールの少女だった。

 一瞬、痛みも忘れ、少女の姿に見惚みとれる。遅れて、何か言わねばと理性が認識に追いつく。が、吐き出した息は言葉を形造る前に、苦しげな喘鳴ぜいめいとなって地面に落ちていった。


「やっ、あなた、ひどい怪我だわ! まってて、今ひとを呼んでくるから」

「……っあ、まっ」


 待ってという言葉は届かず、彼女の姿が視界から消えると同時に張り詰めていた心もぷつりと切れた。こうしてはいられないのに。翼族ザナリールが、それも年端のいかない少女が一人で散策する場所、ならばここは人間族フェルヴァーの国家だ。

 早く逃げないと殺される。追い詰められ、押さえつけられ、死ぬまで殴られて。さっきは何とか声を出せて詠唱できたから逃げられたが、次に見つかれば今度こそ確実に。


「ヴェルク、こっちなの」

「待て、フェリア。それ以上いくな、俺が


 必死の思い程度で力尽きた身体が動くはずもなく、少女と男性の会話が絶望の響きをまとって耳に届く。草地を踏み分けやってきた大柄な姿を見て、ついに死を覚悟した。

 背が高く――少女と並ぶと大人と子供のようだ――肌の色が濃い、黒髪の男性だった。予想に違わぬ人間族フェルヴァーの剣士。彼が手に持つ大剣を一振りすれば、死にかけの命など易々やすやすと刈り取れるに違いない。その後ろに隠れるようにして翼族ザナリールの少女がついてくる。

 いずってでも逃げられれば、そうしただろう。だがやはり身体はもう一歩も進まなかった。呼吸が乱れ、咳が出る。人間の剣士は遠慮も躊躇ためらいもなく側まで来て片膝をつき、たくましい腕を伸ばした。


「さて、おまえは……だよ?」


 ぐいとあごを掴まれ上向かせられる。間近で見た彼の顔は存外若かった。鋭い目は深い紫水晶アメジストで、精悍せいかんながら端正な相貌そうぼうが長い前髪に半ば隠されている。褐色の肌は大陸であまり見ない特徴だが、ここは本当にどこなのだろうか。

 向こうがじっと見つめてくる間、無意識にそこまで観察していた自分に気づき可笑おかしく思う。それというのも、彼の目に思ったほど殺意が無かったからかもしれない。


「……シロだな。よし、フェリア、来てもいいぜ」

「うん。ねぇヴェルク、このひとひどく殴られているみたいなの」

「事情を聞くのは後だ。おまえは俺の剣を持ってくれ」

「わかったわ。ちょっとこれ、すごく重いのだけど!」


 剣士の人間族フェルヴァーはヴェルク、翼族ザナリールの少女はフェリアという名前らしい。二人の意図がわからず萎縮いしゅくしていると、身体にヴェルクの腕が回された。まるで女の子にするかのように軽々と抱えられる。

 どこへ連れて行かれるのだろう、何をされるのだろう。ぎった恐怖が瞳に映ったのかもしれない。ヴェルクは視線だけをこちらに向け、口の端をわずかにつりあげた。


「安心しろ。おまえは、ってねぇようだから。――助けてやる」




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