目的の第3話

 「やくん…。壮也くん」


 「え、あっ、岸田さん」


 図書館の本棚でボーっとしていると、後ろから女の子の声が聞こえた。


 振り返ると、岸田玲羅が、今日もにっこりと笑みを浮かべていた。


 「レイラでいいよ~。私の方が年下だし~」


 女の子の下の名前を呼ぶのはいつ以来だろうか。小5くらいか。いや、中学の時

だ。あの日まで…。


 「じゃ、じゃあ…。レイラ…さん」


 「レイラでいいのに~」


 「じゃあ…、レイラ…」


 むふふ、とにっこりとした笑顔をさらに緩める。童顔で、まんまるとしたかわいら

しい女の子だった。


 明るい色で、背中の真ん中あたりまで伸びているつややかな髪。


 海のように青い瞳。


 今朝の大きな不幸と同じくらいのインパクトで胸が高鳴る。


 しかし、この緊張感は、まったく嫌というわけではなく、むしろ、良いと思える気

持ちの方が強くて…。


 「本を借りに来たの…って、ええ、ちょっと」


 急に手首をつかまれたと思いきや、レイラは僕を引っ張って図書館を後にした。


 で。


 例の部屋で、例のごとく『搾取』された。


 「急にどうしたんだよ」


 と、今日の『不幸』がすべて消え去り、すがすがしい気持ちで僕は彼女に問う。


 「今日も飲みたかったから~、壮也くんの『不幸』~」


 「そうなんだ…」


 「ありがとね~」


 「いやいや、こちらこそ」


 僕の方こそ、図書館でレイラに会わずにそのまま帰っていたら、どれだけ落ち込ん

だ気分で帰ってしまっただろうか。


 「私ね。ケータイ持ってないから、図書館に行けば壮也くんに会えるかな~、って

思って」


 なんの恥じらいもなく男子に会いたいと言いのける思春期の女の子。


 僕は男子として認定されていないのだろうか。まあいいや、今は気分がいいし、許

す許す。許したる。


 そのあとは、一階にある美亜さんの喫茶店でホットミルクをごちそうになった。


 「今日もありがとね」


 店の玄関まで見送ってくれる美亜さんに気遣いながら、


 「いえいえ、僕も助かりました」


 「それはよかった」


 レイラのいとこである彼女もまた、笑った顔がきれいだ。


 「また、来てくれる?」


 「ええと、はい。僕は頻繁に不幸な目に逢いがちなので、ぜひっ!」


 我ながらに情けない自虐である。


 「一日でも多く会ってくれると嬉しいな…」


 「え?」


 「ああ、ごめんなさいね。壮也君の都合もあるでしょうし、忙しいときは無理しな

くていいのよ。…でもね、レイラが『不幸』を吸った直後も、『幸せな状態』を保っ

ていたから、つい」


 「それって…」


 「ううん。今のは忘れて。単純にあなたのことが気に入っているだけだと思う。ち

なみに私もあなたのことが好きよ。…ああ、異性としてじゃなくて、人間としてね。

間違えないでね」


 「言い方もっとどうにかなりませんかね…」


 最後は冗談を交わして、帰路を歩く。後ろをたびたび振り返ると美亜さんはご親切

に僕が角を曲がるまで見送ってくれた。


 レイラが『幸せな状態』を保っていた。


 美亜さんの言った、意味ありげな言葉を思い返す。


 今まで吸ってきた相手は、吸った直後に態度が変わっていたのだろうか。


 そしてそれが、レイラが家出をするきっかけになったのだろうか。


 「…まあいいや」


 複雑な疑問を投げ出してしまうほど、少なくとも今の僕は幸せすぎる状態だった。


 しかし、僕の目的、のようなものは決まっていた。


 「僕もまた、会いたいな」


 彼女が僕の『邪』を欲しがるのなら、僕はこれから不幸になろう。今までの消極的

な生活にアクションを起こし、上田達に徹底的にマークされて、不幸になろう。


 来週には、クラスマッチがある。


 好き放題出しゃばって、体育会の奴らの標的になってしまおう。もっと強い不幸を

持って行けば、彼女は少しは喜ぶだろうか。


 なんてことを、楽観的に考えた。

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