形ある夢が_アソート

背向ヤタラ

第一話 常識ある社会が

 こんにちは。空気がまだ肌寒く感じます。冷たい風が身と心の間を吹き抜けます。まったく、私を裂き殺したいのでしょうか。

 しかし、今の私はそんな寒さをも許せます。

 それは私が優しいからでしょうか。すでに裂き殺された後だからでしょうか。日の光が暖かいからでしょうか。

 いいえ、どれでもありません。

 私を裂き殺さむとする風が、春風であるからです。

 私は今日から二年三組の辛見ツラミクラなのです。

 そして、その二年三組にはヒーちゃんが居るのです。


 『ヒーちゃん』こと鬼怒川キヌガワヒカルさん。私はこの人のことを詳しく知りません。

 ヒーちゃんは大抵、読書をしています。学級朝会の後や授業間の十五分。きっと、朝会の前も読んでいたはずですし、昼食の後も読むつもりです。したい事がない時、ヒーちゃんは本を読むそうです。

「それで読書を好きな事と言えるのであれば、その解釈で構いません」

 「好き」ってなんなのでしょうね。

 まあ。その話はまたの機会に、ということで。


 私がヒーちゃんに出会ったのは去年の事です。しかし、ヒーちゃんはその事を覚えていませんでした。私のことを忘れていました。

 仕方がない事と言えば、仕方がない事です。会っていたのは随分前の事ですし、長く一緒に居た訳でもありませんから。加えて、ヒーちゃんは人の識別が得意でないそうです。ならば、仕方ありません。

 でも、だから、今日、私たちは初めて出会ったのです。「はじめまして」を交わしたのです。

 それでよいのです。


 お昼休み。私はヒーちゃんの席へ向かいました。

「ヒーちゃん、お昼ですよ!」

 二秒間、沈黙。

 ヒーちゃんは訝しげに首を傾げました。

「どちら様でしたっけ?」

 この子、マジか!


 今日は空気がまだ肌寒く感じます。冷たい風が身と心の間を吹き抜けます。まったく、私を裂き殺したいのでしょうか。



 まさか半日で存在ごと忘れられているとは。さすが、ヒーちゃんです。

 …と、感心している場合ではありません。私のことを思い出してもらわねば。

「私です。辛見伖です。今朝も会ったじゃないですか」

 私の訴えを聞き、ヒーちゃんは「ああ」と小さく零しました。思い出してくれたようです。

「確かに。今日、私は人と話しました」

 いや、別に占いをやっている訳じゃないので。「なんでわかったんですか?」みたいな顔をしないでください。悲しくなるじゃないですか。その「人」というのが私だったんですよ。

「まあ、いいです」

 そして、私は改めて宣誓します。そうせねばならぬのです。

「私、辛見伖は、ヒーちゃんに何度忘れられようとも、ヒーちゃんを『ヒーちゃん』と呼び続けますから」

「そう言えば、そうでしたね」

 ヒーちゃんの表情は少し暗くなりました。

 おそらく、ヒーちゃんは私を煩わしく感じているのでしょう。ヒーちゃんは独りでいるほうが楽なのでしょう。私のことも「忘れていた」のでなく、「覚えていなかった」のでしょう。

 それでも私は構いません。ヒーちゃんが嫌がっても気にしません。私はヒーちゃんの話を聴きたいのです。

 一種の贖罪かもしれません。あるいは、罪を重ねているのかもしれません。いずれにせよ、私はヒーちゃんを知りたいのです。いずれにせよ、私は永劫罪人なのです。


 私は近くの椅子を拝借しました。すると、ヒーちゃんの声が聴こえてきました。心なし低い声でした。

「何をする気ですか?」

「お昼、一緒に食べませんか?」

「…どうしてですか?」

「いやー。私、独りで食べるのは寂しくって」

 ダウト。

「寂しいにしたって、もっと別な人がいるでしょう。私ではないでしょう」

 ヒーちゃんは渋りつつも、最後に言ってくれました。

「別に、私は一人でも寂しくないのですが…」

 いや、まあ。私だって寂しい訳ではなかったのですが。


 もちろん、『独り』は『誰かと一緒』より寂しいです。けれど、誰かと一緒に居る息苦しさは、独りで居る寂しさに勝るんですよね。

 『誰かと一緒』は『独り』より禁則事項が多いなって。マナー、常識、道徳、暗黙の了解、場の空気。それらは「楽しく過ごすための決まり事」と云われています。

 しかし、決まり事に縛られることが楽しい事なのでしょうか。人類皆、Mなんですか?

 …すみません。冗談です。

 縛り事を決めるのは、きっと、「誰かと過ごすことは絶対的に楽しい」という前提があるのです。絶対的に、です。何を差し措いても、『誰かと一緒』を優先したいのでしょう。

 私はそこまでしたくありませんでした。不自由さを我慢するくらいなら、私は『独り』を選びます。

 それとも、みんないとっては大した縛りでもないのでしょうか。「こんくらいの決まりは守れよ」ということなのでしょうか。

 いえ、そうなのでしょう。みんな、善と悪の境界がはっきりと見えているのでしょう。

 知ってます。あれですよね。『慣れ』ですよね。


 ヒーちゃんは座っていた椅子を少し左にずらしてくれました。私から逃がしてくれました。

「ありがとうございます」

 私はヒーちゃんの机にお弁当箱を置かせてもらいました。



「いただきます」

「いただきます」

 『善と悪』というワードが出てきましたが、その話はまたの機会に。私が始めたいのは『慣れ』の話です。善と悪の境界に関する話です。


 例えば、現在、ヒーちゃんは一切私を気にしていません。黙ってサンドイッチを食しています。

 私はこれを悪い事だと言いません。言えません。むしろ、仰ぎます。ルカットゥー・ヒーちゃん、です。

 おそらく、ヒーちゃんの態度は先の禁則事項を全て踏まえています。静かに、綺麗に、丁寧に。ヒーちゃんの所作は一種の模範なりうるでしょう。誰かと食事する際のマナー、常識、暗黙の了解は問題なしと思われます。

 場の空気というお作法もクリアしているはずです。空気は凍らせておけばよいですものね。

 もちろん、いい意味です。

 誰にとっても快適な空気というものはありませんが、不快な空気は一致します。凍った空気と淀んだ空気です。ただ、淀んだ空気は不快感が一致しているだけで、感じ方自体は各々バラバラです。

 対し、凍った空気は全会一致! 冷寒!

 高温には際限がありませんが、低温には限界が存在します。絶対零度です。原子すら活動を止める温度です。温度を下げ続ければ、いつか場の空気は一つになります。

 凍らせておくというのは、凍らせ続けるというのは、素晴らしい方法です。

 さて、禁則事項はカバーしました。過剰なまでに。

 これで人類の皆さんは「楽しく過ごせる」のでしょう?


 次の例、私。私は朝、遅刻ギリギリで登校しています。授業中は顔を伏せています。

 …休み時間も伏せていますが、それは措いといてください。

 とにかく、私の行いは褒められたものでありません。

 でも、所詮「褒められない」に過ぎません。中途半端です。何が目的かわかりません。個性の評価ができません。


 つまり、私が何を言いたいのか、ヒーちゃんに言ってみます。

「ヒーちゃんって優等生ですよね」

 ヒーちゃんはモグモグと呑み込み、答えてくれました。

「皮肉ですか?」

 脈絡がなさすぎました。

「すみません」

 …冗談です。

 私が謝ると、ヒーちゃんは首を傾げました。そして、再び前を向き、サンドイッチを咥えました。


 Q:『優等生』ってなんだと思いますか?

 A:優等な生徒、児童。

 Q:では、『優等』ってなんだと思いますか?

 A:学業優秀にして品行方正。

 Q:では、『優等』の基準は?

 A:他生徒。あるいは、生徒たちの実例に基づいて設けられたボーダー。


 『基準』と言えば、私、「道徳的ですね」と言ってもらったことがあるんです。その話は、私もヒーちゃんから聴きたいので、またの機会に。


 私、学業優秀ではありません。品行方正でもありません。なので、私が『優等生』について語るのは変かもしれません。

 が、言います。一部の優等生は境界を知らないのです。


 君子、危うきに近寄らず。

 さらば、生来の君子は危うきを見ないまま大人になります。危うきの度合も知らぬまま、危うきを避け続けます。

 獅子搏兎。

 ライオンさんはウサギさん相手にも全力を出すそうです。必要もなく全力を出す様は『バカ正直』と称するそうです。ここでの『バカ』は、学業や品行が優れないという意味でなく、度合を知らないという意味です。


 現在、ヒーちゃんは誰かと一緒に過ごす上での禁則事項をカバーしています。過剰なまでに。度を越して。バカです。

 もっとも、ヒーちゃんは楽しく過ごそうともしていませんが。

 しかし、楽しく過ごそうとしても、ヒーちゃんにできる事はないでしょう。


 私は優等生でも君子でも獅子でもありません。

 それでも、高校生になるまで、遅刻ギリギリなんて稀でした。授業中に顔を伏せるなど、以ての外でした。

 毎日休まず登校することが正しい事だと信じていました。授業は真面目に受けて然りと信じていました。それ以外の正しさなど知ろうと思わなかったのです。見向きもしなかったのです。自分は自分のまま変わらないと信じていたのです。

 バカです。


 私は、善と悪の境界も知らぬまま、のうのうと生きてきちゃったみたいです。

 知らなかった事はこれから知っていこうと思います。ですが、他の人たちに追い付くことは無理でしょう。『慣れ』が違います。他の人が難なく通る道を、私は今さら、せっせこ藻掻いていくのです。

 …藻掻いていくのでしょうか。

 全速前進しかできず、そのくせ、どうしたって追い付けないと思い込んでいる。それでいてなお、藻掻くのでしょうか。

 あ。でも、私、一時停止もできるんですよ? すごくないですか?

 …すみません。冗談です。


「あの。大丈夫ですか?」

 顔を上げると、ヒーちゃんが私に視線を向けていました。私があまりに考え込んでいたので、心配してくれたのでしょう。

 そうです。ヒーちゃんは優しい人なのです。ヒーちゃんはすごい人なのです。きっと、誰かと楽しく過ごそうと思えば、楽しく過ごすこともできるのです。私と一緒にしてはダメだったのです。

「ダメですよ」

 ヒーちゃんは顔を顰めて言いました。

「食べ物は美味しそうに、感謝の心を持って頂かなくては」

 訂正。ヒーちゃんは優しくて、すごくて、そして素敵な人なのです。

 私はヒーちゃんのことを全然知らないようです。



 放課後。再び、私はヒーちゃんの席へ向かいます。

「ヒーちゃん、帰りましょ!」

 ヒーちゃんは私の顔を見ました。凝視。

「…ああ。お昼の」

 存在は覚えてもらえていました。嬉しいです。とても嬉しいです。すごく嬉しいです。

 しかし、ヒーちゃんと接する際、こんな事で一喜一憂してはいけません。別に、ヒーちゃんは私を覚えていた訳ではありません。

 私の顔を覚えている風でしたが、おそらくフェイクです。顔を眺める事で、「覚えている」の信憑性を一証分増したかったのでしょう。『覚えている』と思わせられれば、『覚えさせられる』の過程を省けますからね。

 でも、顔という部位だけで個々を識別できる人って、人間鑑定士か何かなのでしょうか。

 顔はさて措き、私の名前に至っては記憶の端にも残っていません。間違いありません。前例があります。なんのための記号だか。我が名前ながら情けない。

 踏まえまして、私はもう一度名乗ります。本日三度目です。

「そうです。私です。辛見伖です」

 …いえ、五度目でしたね。

 ヒーちゃんは一瞬きして、手元に視線を戻しました。

「ごめんなさい。私、支度に時間が掛かるので。先に帰っていただけないでしょうか」

「いえ、大丈夫です。待ちますよ」

 ヒーちゃんは一瞬だけ手を止めました。

「…そうですか」

 私が言うのもなんですが、ヒーちゃんは本当に優しい人です。


 教室には秒針のカチッコチッという音が響いています。校庭の方からは運動部の掛け声が伸びてきています。長閑な放課後です。

「ヒーちゃん、ヒーちゃん。質問してもいいですか?」

「答えるかどうかは別としまして、訊く分には頓着しません」

「ヒーちゃん、今まで友達いました?」

 ヒーちゃんの支度は本当に長かったです。終わる頃、この教室には私とヒーちゃんしか残っていませんでした。

 さらに、支度が済んだ後、ヒーちゃんは机から本を一冊取り出しました。そして、おもむろにそれを読み始めました。私と一緒には帰りたくないというサインなのでしょうか。

 私もついに、近くの椅子を借りてしまいました。そのまま、ぼーっと時計の動きを眺めていた次第であります。


「友達ですか…」

 ヒーちゃんはページを捲りながら、私の質問に答えてくれました。

「いたかもしれません」

「そうですか」

「いなかったかもしれません」

「…そうですか」

「覚えていません」

「ヒーちゃん、人を識別するの、得意じゃなかったですもんね」

 ヒーちゃんは何も答えませんでした。またページを捲りました。

 ふと、私は自分の言った事に違和感を覚えました。

「ヒーちゃん、ヒーちゃん。質問です」

「…なんでしょうか」

「ヒーちゃん、『最初の友達』ってなんでした?」

 ヒーちゃんは本から目を離し、私に顔を向けました。

「どういう意味ですか?」

 私もヒーちゃんに顔を向けました。

「いえ。深い意味はないのですが。『最初の友達』ってフレーズ、よく聞くじゃないですか。もちろん、それが人間の場合もありますけど、小さい頃からそばにあった物を『最初の友達』って表現することあるじゃないですか。犬だったり、ぬいぐるみだったり、お化けだったり、イマジナリーフレンドだったり」

「確かに聞きますね。私自身の『最初の友達』がなんだったかは、記憶にありませんが」

「そうですか…」

 ヒーちゃんは本に目を戻しました。しかし、そのまま、ヒーちゃんは話を続けてくれました。

「でも、『最初の友達』が出てくる話って、大概、あれじゃないですか?」

「あれ? あれってどれですか?」

 ヒーちゃんは本をパタンといわせました。

「大概、バッドエンドじゃないですか?」

「そうなんですか?」

 私はわくわくしてきました。ヒーちゃんが偏見や決め付けで話を進めようとしているのです。新鮮です。

 …嘘です。ヒーちゃんは人間を一概に好んでいませんでした。ヒーちゃんは生粋の偏執ちゃんでした。

 まあ、いいじゃないですか。理由はなんであれ、私はヒーちゃんの話が聴きたいのです。

 ヒーちゃんは読んでいた本を鞄に仕舞い、立ち上がりました。

「お待たせしました。それでは、帰りましょうか」

「あ。本はもういいんですか?」

「はい。続きは帰ってからにします」

 私も腰を上げました。それから、一度、大きく伸びをしました。

 ヒーちゃんは本来独りでした。速度さて措き、もっとゆっくりと支度ができているはずでした。本も、学校で読むにせよ帰ってから読むにせよ、他の誰かを気にせず読めていたはずです。私が現れなければ、朝会の後も読めていたはずです。昼食もさっさと済まし、その後は読書のつもりだったでしょう。

 私はヒーちゃんの独りで居る時間を奪っていたのです。今も変わらず邪魔になっているのです。

 こういう点も私の悪いところなのでしょうね。


 今日この頃、だいぶ日も長くなってきました。夏ほど長くもありませんが、冬ほど短くもありません。

 教室を出てすぐ、ヒーちゃんは私に疑問符を手渡しました。

「ところで、バッドエンドのこと、どう思いますか?」

 女子学生っぽい切り出し方ですね。自分も女子学生なんだなって思えます。仄嬉しいです。自己は他者が居ることに始まり、自己認知は他者認知に基づき、自己認識は他己評価に影響されます。…と、私は思っています。

 その話はまたの機会に。今は『バッドエンド』の話です。

 さて。「どう?」と訊かれた時って、どう答えるのが正解なんでしょうね。

 私の回答。

「バッドエンドは悪い終わり、だと思います」

「そうですね」

 ヒーちゃんは笑ってくれました。案外、自然な笑顔でした。

「まあ、そうとも訳せますよね。私でしたら『エンド』は『端』と訳しますけどね」

 ヒーちゃんは「なんと訊けばよいのですかね」と零しました。

 ヒーちゃんの問い直し。

「バッドエンドな物語とハッピーエンドな物語、どちらに興味を持ちますか? どちらを見聞きしたいですか?」

 ハッピーエンドを見聞きしたいです。でも…。

「「バッドエンドかハッピーエンドか」でなく、「バッドエンドな物語かハッピーエンドな物語か」ですか」

「はい。エンドだけではありません。起承転結。喜怒哀楽。それ以上の全てもセットです」

「…難しいですね」

 私がそう答えると、ヒーちゃんは意地悪く微笑みました。


 ヒーちゃんは『エンド』を『端』と訳すそうです。

 明確な終始のない世界から取り出された一部分、それが物語。幸を終端にすればハッピーエンドな物語。不幸を終端にすればバッドエンドな物語。

 前者、ハッピーエンドな物語。幸を端とした物語。あなたに幸福感を提供いたします。

 ハッピーエンドはみんなの好物らしいです。でも、区切る所が違っていれば、ハッピーエンドはバッドエンドへの兆しになっていたかもしれません。

 また、物語には語り手が居るものです。語り手が無理にでもハッピーエンドにすると云うなら、何を選んでもハッピーエンドにされてしまうのであれば、その過程は無駄な事なのでしょうか。出来レースですか? ムキになっても、みっともないだけですか?

 後者、バッドエンドな物語。不幸を端とした物語。あなたの悪感情を頂戴。

 「がんばった。けど、ダメだった」「がんばろうとした。けど、それすらできなかった」「うまくいった。けど、こんなラストは望んでいなかった」などなど。そんな物語を読んで、観て、聞いて、あなたはどう感じますか? 「あの子はあんなにがんばっていたのに」「あの子は十分にがんばっていたと思う」「あの子は確かに成し遂げたのに」とかですか? それとも「いやいや。あの子はもっとがんばれたはずだ」「あの時のあれが原因だ。ざまないな」とかですか?

 いずれにせよ、成した事は評価されていますよね?

 バッドエンドな物語は一種の不幸話です。

 人間は長所より短所を見つけるほうが得意なのです。人の目には悪い点のほうがはっきりと映るのです。不幸話を聞いている時のほうが、情景を思い描きやすいのです。悪感情を抱えている時のほうが、世界を鮮明に見うるのです。


「まあ。ハッピーエンドかバッドエンドか、その二択でもありませんけどね。むしろ、明白な終わり方のほうが稀ではないでしょうか」

 ヒーちゃんは別の疑問符を取り出しました。

「ところで、デッドエンドのことはどう思いますか?」

 バッドエンドの一種。「判明。不幸とは死のことでした」 バッドエンドが不幸への過程を照らすならば、デッドエンドは死への過程を照らします。つまり、この上なく『生』を照らし出します。

「でも、それは少し違いませんか?」

 私がそう言うと、ヒーちゃんは首を傾げました。

「どこら辺が、でしょうか」

 あ、ダメ。

 しかし、ヒーちゃんは微笑を浮かべていました。ちょっと安心です。

 気を取り直しまして。

「バッドエンドやハッピーエンドと違って、デッドエンドは終端が固定されていますよね。終端は絶対、人生の終わりになりますよね。それだと、聞き手は何もできないと思います。「生きていたんだね」ってしか云えないと思います」

「きっと、「生きていたんだね」とだけ云ってもらいたかった物語もあるんですよ」

 ヒーちゃんは前を向いていました。

「あるいは、デッドエンドの後も何かは続いているでしょうから」

 そう言い、冗談っぽく笑いました。



「しかし、友達ですか…」

 ヒーちゃんは視線を下げました。

「学校って友達のいることを善としますよね。

 集団行動や対人活動を身に付けさせるため、班やクラスで活動させるのは理解できます。ですが、だったら、特定の誰かと仲よくあることは、むしろ避けるべきだと思うのですが」

 ヒーちゃん、友達いなかったんですかね。もしくは、『友達』に関して、何か嫌な思い出でもあるのでしょうか。

 確かに、依怙や不公平は悪と云われますよね。クラス替えは教授の効率化と共に、交友関係の攪拌も行われています。ヒーちゃんの言い分は、あながち間違いとも言えないのでしょう。

「じゃあ、目的が違ったんじゃないですか? 身に付けさせたかった事は、集団行動や対人活動じゃなかったんですよ。きっと」

「では、なんのために?」

「思うに、友達づくりは情報共有の一環なのですよ」

「情報共有ですか…」

 ヒーちゃんは私の方を見ていました。私の言葉に関心を持ってくれているようです。

「その情報というのは、学校からの連絡事項ですか? それとも、『人間』に関する情報ですか?」

「学校からの連絡事項はもっと確実な伝達手段がたくさんあります。プリントとして配布したり、先生が直接全体に知らせたり。

 『人間』に関する情報はクラス活動とかでも与えられるはずです。ヒーちゃんの言う通り、わざわざ友達をつくらせる必要はないと思います」

 私はしたり顔をヒーちゃんに向けました。

「友達づくりから得られる情報とは、『社会』に関する情報だったのですよ」

「それって集団行動や対人活動と何か違うんですか?」

 落差というやつでしょうか。期待外れというやつでしょうか。ヒーちゃんの表情はいくらか曇っていました。

「違います。違います。…いえ、まったく違う訳でもないのですが」

 なんと言うべきでしょうか。何を言うべきでしょうか。

「集団行動はマナーや道徳、対人活動は暗黙の了解や場の空気、社会に関する情報は常識、です」

 ヒーちゃんの表情は大して変わりませんでした。口数を増やしましょう。どこかでヒットするはずです。

「その…、常識ってのは厄介なのです。

 常識はマナーや道徳のように善悪の分別を求めます。ですが、マナーや道徳と違って、確かな正解はありません。集団に含まれる人々個々によって、意味合いが大きく変わります。

 常識は暗黙の了解に近いものかもしれません。ですが、暗黙の了解より普遍的で、それゆえ、身に付けていることをより強く求められます。

 常識は場の空気を総集したものだと思います。こういう空気の時はこうする、ああいう空気の時はああする。それらを引っ括めたものが常識です」

 ヒーちゃんは顔を正面に向けていました。若干俯いています。

 まだダメでしょうか!

「あの…、常識って人工品じゃないですか。

 生物が生きていく上で必要な情報は、本能として蓄えられてきました。本能にさえ従っていれば、生物は生物として『生』を全うできるんです。本能は先天的な決まり事です」

 …生物を殺す本能もなくはないですが。その話はまたの機会に。

「対し、常識は後天的な決まり事です。決め事です。生きていく中で得る情報です。そんな常識の中には本能を縛るものもあります。常識同士で縛り合っているものもあります。

 もちろん、常識に従わなければ、人間は人間として死ねません。社会で生きるに常識は必須です。不可欠です。

 ですが、常識は誰かが作ったもので、本来的に備わっているものではないのです」

 ダメ? まだダメですか?

 ヒーちゃんは一度頷き、私の方へ向きました。

 伝わりましたか?

「確かに、人は一人で生きていけませんものね」

 伝わってません? どっち?

「まあ。この話はまたの機会に、ということで」

 気付くと、私たちは昇降口に着いていました。

「それでは、さようなら」

「あ…、はい。さようなら」

 ヒーちゃんは上履きを下履きに履き替え、去っていきました。

「「またの機会に」ですか」

 きっと、悪い意味ではないですよね。


 今日は空気がまだ肌寒かったです。冷たい風が身と心の間を吹き抜けていきます。まったく、私を裂き殺したいのでしょうか。

 しかし、今の私はそんな寒さをも許せます。

 それは私が優しいからでしょうか。すでに裂き殺された後だからでしょうか。日の光が暖かかったからでしょうか。

 いいえ、どれでもありません。

 私を裂き殺さむとした風が、春風だったからです。



 ところで、社会だ常識だと言えば、『郷に入っては郷に従え』という言葉がありましたね。その場の常識に従うことが最も利口な生き方だ、という意味です。

 対し、『奇を衒う』という言葉があります。わざと普通でない事をして注意を引く、という意味です。

 私は、常識を知ることや普通を行うことが難しい事だと思っています。

 常識に従っていれば、常識を知ることができるのでしょうか。あるいは、常識に従い続けることが常識を知っていることとなるのでしょうか。

 わざと普通でない事をするには、普通を行える必要があるはずです。そうでなければ「わざと」という副詞は付けられないはずです。したがって、『奇を衒う』という行為は、私よりも大いに高等な行いと言えます。

 ですが、「わざと」ってどう判断されるもでしょうか。


 今さら、私は郷に従おうとも奇を衒おうとも思いません。と言うか、できなさそうです。

 できるなら郷に従いたかったです。しかし、できないならば、もう、私は私の思うままに過ごしてみたいのです。周りより出遅れていることを、引け目に感じることはあっても、後悔する必要はないかなと思ってみます。


 この話もまたの機会に、ということで。

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