【コミカライズ&書籍化決定】WEB版◆愛しい婚約者が悪女だなんて馬鹿げてる〜全てのフラグは俺が折る!

群青こちか

1. はじめての夢



「もうこれまでだ、信じようとしていたのに、無理だ……」


結婚式前日、屋敷内にある庭園でお茶の時間が始まろうとしていた時のこと。


一人の執事がテーブルに近づき、一通の手紙と宝飾品の入った箱をレイナードに手渡した。

箱を受け取ったレイナードはゆっくりと蓋を開け、中に入っていた胸飾りを震える手で取り出したかと思うと、絞り出すような声でそうつぶやいた。


婚約者であるリリアナは、その姿を正面に座ったまま不思議そうな顔で見つめている。


「なにがあったの?」


リリアナが質問すると同時に、レイナードは右手に持っていた胸飾りを地面に投げつけた。

胸飾りは芝の上で微かに跳ね、リリアナの足元に留まった。


「今までずっと我慢してきたが、もう限界だ!婚約解消だ! 二度と私の前に現れないでくれ!」


レイナードは唇を震わせながら立ち上がり、何かを言いかけたリリアナとは目を合わせようともせず、そのまま門に向かって歩き出した。


「待ってください、おにい……レイナード様!」


同席していたリリアナの妹であるミレイアが、慌てて追いかけ、レイナードの左腕をつかんだ。

レイナードはその腕をやさしく引き寄せ、ミレイアも身を預けるように寄り添った。

そのまま二人は振り返らずに庭園を横切り、門外に停めていた馬車に向かってまっすぐに進んでいく。


まったく意味が分からないという表情で、呆然と立ち尽くすリリアナ。

馬車へと向かう二人の後ろ姿に、ハッと我に返り、レイナードと妹を追いかけた。


「待ってレイ、説明して! 一体どういうことなの?婚約解消だなんて意味が分からない!」


やっとのことで追いつき、右腕をつかもうとした瞬間、レイナードは手加減もせず大きく振り払った。


「やめろ! レイなんて呼ぶな! 汚らわしい!」


ーークスッ 小さな笑い声が聞こえた気がした。


「汚らわしい? 何の説明もなく、汚らわしいだなんて、いったいどういうこと?」


リリアナが正面に立ちはだかる。

少し乱れた榛色の美しい髪、涙をたたえた深緑の瞳、小さな唇が震えている。

あんなにも愛おしかった彼女の顔をレイナードは見ようともせず歩き続ける。


「一方的に言われるのは納得ができません、きちんとお話してくださいませ!」


リリアナはそう言って、無視をして歩き続ける二人を追い越し、門の外にある馬車へと駆け出した。

泣きそうな顔で涙を堪え、馬車を出さないようにと、必死で御者に話しかけている。

従者はどうしたらよいかわからず、後ろから歩いてくるレイナードとリリアナの顔を交互に見ていた。


その時、激しい風が吹いた。

庭園の砂が舞う。


美しい榛色の髪が舞い上がり、バランスを崩したリリアナの体は、御者の横に居る馬車馬に倒れかかるようによろけ、細い肘が馬の腹部をたたいた。

その瞬間、突然の出来事に驚いた馬は、上半身を上げて高く嘶き、リリアナめがけて前脚を振り下ろした。


「きゃーーーーーーーーーーーーー」


ドサッという鈍い音と叫び声が、庭園中に響き渡る。


そこには、御者に支えられたリリアナの横で、馬の前脚に踏みつけられるレイナードの姿があった。

リリアナが馬に襲われそうになった瞬間、駆け付けたレイナードがリリアナを突き飛ばして助けたのだ。


「いやぁぁぁーーレイーーーーー」


リリアナは御者の手を振りほどいて助けに入ろうとするが、御者は腕を離さない。駆け付けたもう一人の御者は、必死で手綱を引きながら、馬体をレイナードから離そうと試みている。

それでも興奮した馬は、激しくレイナードの体を踏みつけ続けた。

倒れているレイナードの体から、大量の血が流れ始めた。


「いやぁぁぁーーーーー」


リリアナの声が空に響く。


ーーやだ、こんなの、困ったわ…… 

どこかからまた声が聞こえた気がした。



* * *



ゆっくりと目を開ける、いつもの天井が見えた。

枕が冷たく感じるほど汗をかいている。

慌てて体を確認するが、どこにも怪我は無い。


「夢……なのか?」


ゆっくりと体を起こしながら考える。

今日はいったい何日だ、結婚式前日だったはずだが、それが夢か?

馬に踏みつけられた痛みがよみがえり、思わず体をさする。


そしてリリアナの裏切り、え、裏切り?

突然胸が締め付けられるように苦しくなる、あれが夢?

あーもう! ちょっと待て、いま何が現実かわからないくらい混乱している。

頭を抱えていると、部屋の扉をノックする音が聞こえた。


「レイナード様失礼いたします、お目覚めはいかかでしょうか」


背の高い細身の男が入ってきた、執事のクロードだ。

体の弱かった母のかわりに彼の母親が乳母になり、物心つく前から一緒に育ってきた兄弟のような存在。

相変わらずのすかしたような顔と、銀フレームのメガネがとても懐かしく感じる。


「今日の予定は特にはございませんが、二日後に開催されるリリアナ様の妹君であるミレイア様のお誕生パ……」

「ちょっと、待ってくれ」


クロードが顔を動かさず、目だけでこちらを見た。


「クロード、ちょっと聞いてほしい話があるんだ」

「何でございましょう」

「いや、執事の仕事はいいから、友達として聞いてほしいんだよ」


扉の前で立っているクロードの瞳を見つめながら、ベッドの横にある椅子の座面をポンポンと叩いた。

クロードは首を傾げ、小さな溜息をつきながらこちらに近づき、眼鏡をポケットに入れて椅子に座った。


「なんだよレイ、朝は忙しいんだぞ、怖い夢でも見たのか? それとも添い寝がご所望か?」

「うーん、どっちも当たってなくもないが、それより今日って何日だ?」

「添い寝は俺が嫌だよ、で、今日はノヴァン月の20日だ。まだ寝ぼけて……ってレイ、お前凄く震えてるじゃないか」


クロードは席を立ち、俺の肩と顔に手を置いたあと、慌ててワードローブに向かった。

言われて気づいた、俺すっごくガタガタしてる、そして肌寒い。


「あぁ悪い、とても……とても怖い夢を見たんだ」

「夢でそこまで震えるか、しかも水でも被ったみたいに濡れているじゃないか! いいから着替えろ、風邪ひいたら困るだろ」


差し出された大判のタオルに体を包み、言われるがまま全身を拭き、汗で濡れた服を着替える。


「本当だ、死ぬ夢を見た……いや、死んだと思った、痛みも覚えてる」


目を丸くしたクロードが、なんともいえない表情でこちらを見つめる。


「そんな顔するな、現実だと思ったんだよ、本当に怖くて……夢の中では結婚式前日だった。ちょうど三カ月後か、なぜか俺がリリアナに婚約破棄を告げるんだ、追いかけてくる彼女を無視して、彼女の妹のミレイアと……」

「ミレイア?」

「そうだ、なぜかミレイアと一緒にリリアナを無視してその場を去ろうとする、そのあと色々あって、馬に踏まれて死ぬって内容だ」


少しの間があって、クロードがプッと吹き出した。


「何だよ、その夢」

「笑うなよ、本当に怖かったんだから」

「悪い悪い、んーそれは多分、婚姻前不安症候群ってやつじゃないか」

「婚姻前不安症候群……」

「そうだよ、子供の頃から好きだったリリアナとの結婚が決まったから、もし破棄されたらどうしよう! なーんて、お前が不安になってるんだろ」


不安……? 

何も言えず黙っていると、クロードに肩からブランケットを掛けられ、そのままちょんっと額をつつかれた。


「いいかレイ、幼馴染で初恋のリリアナ。現在は生物学、特に植物学では専門家達が舌を巻くほどの研究結果を出す才媛。このまま研究を続けるために結婚はしないのではとの噂の中、あっさりと婚姻の申し込みを承諾され婚約、三カ月後には結婚式。自分でもこんなに早く事が運ぶと思ってなかったんじゃないか?」

「……うん」

「な、嬉しいけど不安、そういうことじゃね?」


クロードはそう言って、ポケットにいれた眼鏡をかけなおし、汗で濡れた寝間着やタオルをまとめながらニッと笑った。


「何かリリアナに不満でもあるのか?」

「いや、何もない」

「だろ?」

「あ、強いて言えば……」

「言えば?」

「婚約しているのに全然会えないことくらいかな、会いたいな」


クロードは大げさにため息をつき、肩をすくめて見せた。


「はいはい、何を真顔で惚気てんだか、そんなこと言えるなら大丈夫だ。悪い夢なんてすぐ忘れちまえ。朝食の準備ができてるからちゃんと食べに来いよ、レイぼっちゃん」


手に持ったタオルで俺の髪をぐしゃっとして、わざとらしいほど恭しい礼をしながら、クロードは部屋を出て行った。


婚姻前不安症候群?

確かにどう考えてもおかしい、多分、いや間違いなく夢だ。

幸せすぎて不安……か。


悪夢にうなされるなんて俺もまだまだ子供だな。

はぁ、明後日はミレイアの誕生会でフォルティス家に行く予定だったな、そんなの待ってられないなあ。

このモヤモヤした気持ちを解消するためには、リリアナの顔を見るのが一番なのに……。


そういえば、明日は大した仕事は入ってなかったはずだ、会いに行っちゃうか。

いや、もう絶対に会いたい!

我慢してまた馬鹿みたいな夢見ちゃ駄目だもんな。

よし、朝食をとったあとクロードに明日の予定を確認してもらおう。

んーーー。

いつも以上に大きく伸びをして、ベッドから出た。



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