第5話 小悪魔編集ちゃんの策略

 というわけで起きて早々、俺はパジャマのまま家を出された。一応、薄めのコートは着ているが死ぬほど寒い……。


「さあ、行きますよっ!!」


 と、咲夜に引っ張られながらアパートの階段をコツコツ下りると目の前に見慣れた河川敷の土手が見える。土手の上ではジョギングをする老人や犬の散歩をする主婦が歩いていた。


 なんというか朝は完全に夢の中にいる俺にとってはひどく懐かしい光景だ。


「さ、寒いんっすけど……」


 それにしてもやっぱり寒い。北風に頬をつつかれて、もはや寒いといよりは痛みを感じる。悲しい表情で咲夜を眺めてみるが、彼女は相変わらず笑顔を浮かべたままだ。


「知ってます。私も寒いです……」


「じゃあわざわざ散歩なんてしなくてもいいだろ……。イジメか?」


「違います。先生の顔色があんまりよくないから散歩をさせているんです」


「俺、そんなに顔色悪いか?」


 まあ確かに不摂生な生活を送っている自信はあるが、そんなにぱっと見でわかるものなのだろうか……。


 俺が首を傾げていると、彼女はにゅっと顔をこちらへと伸ばして俺の顔を観察した。


 朝っぱらから近い……。


「なんとなく全身から負のオーラを感じます」


「いや、それはもう顔色関係ないだろ……」


 何のために俺の顔をじろじろ見たんだよ……。


 彼女は俺から顔を放すとまた笑顔に戻って俺の手を引いて歩き始めた。


「とにかく歩くものは歩くんです。安定して力を発揮するためには規則正しい生活が必要ですよ?」


 というわけで俺たちの朝の散歩が始まった。土手に登ると俺たちは太陽の上がる東の方向へと歩いていく。


じゃりじゃりと砂利の感触を足の裏に感じながら歩いていると、ふと咲夜は足を止めて近くの枯れ木を指さす。


「あ、見てください先生、あそこの枝にスズメさんがいっぱい止まってますよ。可愛いですね」


 よくよく見やると枯れ木の上にはスズメが数羽、枝に乗ってちゅんちゅん鳴いているのが見えた。


「そ、そうっすね……」


 と、返事をして再び歩く。あと、彼女はずっと俺の手を引いたままだけど、彼女は嫌じゃないのか?


 が、まあ彼女は特に気にする様子もなく、俺の手を引いたままどんどん東へ歩いていく。


 眩しい……けど歩いていくうちに徐々に頭が覚醒していくのが分かった。


「少しは目が覚めましたか?」


 と、そんな俺の心が読めるのか、彼女は不意に振り返ると首を傾げた。


「ま、まあな。おかげさまで……」


「それはよかったです。明日からも毎朝こうやって陽の光を浴びて体内時計を調整していきましょう」


「え? 明日もっすか?」


 と、さらっととんでもないことを言う咲夜に目を見開く俺だったが、彼女はそんな俺の声が聞こえてるのか聞こえてないのか「あっ」と砂利道の前方を指さす。


 するとそこには眠そうにあくびをしながらとぼとぼ歩く三毛猫の姿が見えた。


「野良猫さんも先生に挨拶していますよ。挨拶を返しましょう」


「お、おはようございます……」


 なんだこれ……。


 そんな俺の挨拶に野良猫は「シャーっ!!」と俺を威嚇して、そそくさとどこかへと駆けて行った。


 あれが野良猫流の挨拶なのか……。


 そんな俺を見て咲夜は「ま、まあ、そういうこともあります……」と苦笑いを浮かべた。


 結局、俺たちは30分ほど河川敷を歩いてから自宅へと戻った。



※ ※ ※


 自宅へと戻ってくると咲夜はコタツに用意していたらしい朝ごはんを並べ始めた。


 どうやら俺のために朝食まで用意してくれたようだ。久々に見る家庭的な朝食に少し感動していると、彼女は炊飯器からご飯をよそって「はい、じゃあ先生の分です」と茶碗を俺に手渡した。


 そして自分の分の食事も並べると、エプロンを外してこたつの前に座った。


「めっちゃ美味そうじゃん……」


 さすがにこれは絶景だ。実家でしか見ない朝食の光景に俺が呆然としていると、咲夜はクスクスと笑う。


「別に大したことはないですよ。ご飯は炊くだけですし、卵焼きも巻くだけです。それにおみそ汁だって出汁入りみそをといてその中に野菜を入れただけです」


「いや、そうかもしれないけどさ……」


 一人暮らしの男ってもんはその大したことのないことができないから不摂生なんだよ。


 相変わらず感動し続ける俺を見て咲夜はジト目で俺を見やる。


「逆に先生はこれまで朝、何を食べてきたんですか……」


「いや、そもそも食ってない……」


 ってか、午前中は起きてないし……。


 そんな俺の言葉に彼女は「はぁ……」とため息を吐く。


「先生、そんなんじゃ早死にしますよ……。作家だって体が資本なんですから栄養バランスには気をつけてくださいね……」


 どうやらにゃんにゃん文庫の編集は作者の栄養バランスにまで気を遣ってくれるようだ。これで無理難題さえ出さなければ最強の編集なんだけどな……。


 俺は箸を手に取って「いただきます」と頭を下げると、彼女もまた「いただきます」と頭を下げた。


 さっそく茶碗を手に取ると、卵焼きに手を伸ばしご飯の上に乗せて一緒に口へと放り込む。


 どうやらだし巻き卵のようだ。さらには中にはほうれん草も入っており、口の中で米とだし巻き卵がハーモニーを奏でやがる。


「う、うわい(う、うまい)……」


 めちゃくちゃ美味いっ!!


「先生、口の中に物を入れたまま話さないでください。お行儀が悪いですよ……」


 彼女はそんな俺のことを冷めた目で眺めていたが、忠告を無視して箸を置くと味噌汁をすする。味噌汁と一緒に小さくカットされた豆腐と薄揚げが口の中に入ってきて、さっきの米とだし巻き卵と混ざり合い胃袋へと流れていく。


 これだよっ!! これこそが日本人の朝食だよ。


 俺は無我夢中で箸を伸ばす。そんな俺を咲夜はしばらく冷めた目で眺めていたが、不意に「クスクスっ」と何がおかしいのか笑い始めた。


「なんだよ……」


 とそんな彼女に俺が首を傾げると、彼女は「なんでもないです」とまたクスクス笑った。



※ ※ ※



 というわけで朝めしを食い終わった俺は、その後、数年ぶりにテレビの朝のニュースを眺めてから執筆を始めることにした。ノートパソコンを開いて昨日作った雑なプロットを頼りに本文を書いていく。


 本当は詳細なプロットが作りたかったが、俺にはそんな悠長なことをやっている暇はないのだ。


 とにかく書く。書けなくなったときも、とにかく書いて進める。


 そんな気持ちでタイピングを進めていく。そして、タイピングをしながら俺はそこでふと気がつく。


 なんか今朝は頭が冴えているような気がする。


 その事実に驚いていると、ぴったりと俺と身体をくっつけるように正座していた咲夜が俺の顔を覗き込んできた。


「規則正しい生活は大切ですよ?」


 ちょっと自慢げな表情なのは癪だが、悔しいけれど彼女の言葉には一理あるようだ。


 散歩をして日光を浴びて適度に運動し、さらには朝からしっかりバランスの取れた朝食を取った俺の頭は完全に目が覚めた。


「その通りでございます……」


 と、彼女の自慢げな笑みに頭を下げると、彼女は「わかればよろしい」と頭を下げた。


 かくして頭が完全に覚醒した俺はとにかく書いた。書いて書いて書きまくった。


 その間、咲夜はじっとPCモニターを眺めていた。が、時折、なにやらスマホを確認しては何かを入力していた。


 いったい何をやってるんだろう?


 誰かと連絡でもしているのか?


 なんて少し気になりはしたが、そんなことに気にしている場合でもないので、そんな彼女を無視して執筆を続けた。


 そして気がつくと時刻は正午を回ろうとしていた。


「先生、そろそろお昼にしましょうか?」


 と、そこで咲夜は俺に声を掛けてくる。


「そ、そうだな。さすがにそろそろ疲れてきた」


 なんだかんだで三時間以上ぶっ通しで執筆を続けたのだ。それなりに文字数は稼げたが、さすがに集中力が落ちてきたところだ。


 執筆ソフトの保存ボタンを押すと「ふぅ……」と一息つく。


「先生、お疲れ様です」


「おう……咲夜の方こそずっと俺のそばでじっとしていて疲れただろ?」


「いえ、私は大丈夫ですよ。それよりも先生、肩が凝ったんじゃないですか?」


 と、指摘された瞬間、俺は肩から首にかけて筋肉がガチガチに固まっていることに気がついた。首をもみほぐしながら「まあな」と答えると、彼女はじっと俺を見つめた。


「先生、年下の女の子に肩揉みでもさせたいですか?」


「いや、揉んでほしいけど、その聞き方されるとすげえ自分が悪人みたいで頼みづらいわ」


 なんで普通の提案にスパイスを効かせてくるんだこの子は……。


 が、彼女は困惑する俺を見てクスクス笑うと立ち上がって俺の後ろへと回ると肩を揉んでくれた。


 が、


「い、いてててっ!!」


 彼女が俺のツボを的確に指圧してくるせいで肩に激痛が走る。


「我慢してください」


「いや、痛すぎだろっ!!」


「すぐに楽になりますから」


 そうだな。ショック死してすぐに楽になりそうなぐらい痛いわ……。


 彼女はしばらく俺の肩に激痛をもたらすと満足したように肩から手を放した。


 そして俺の顔を覗き込むと「どうですか? 少しは肩が軽くなりましたか?」と尋ねてくる?


「え? ……おおっ!!」


 こいつの指はゴッドフィンガーなのか? と尋ねたくなるほどに肩は軽くなった。このまま肩だけ空でも飛べそうだ。


 俺が腕をぐるぐる回して肩の軽さを実感していると「ところで先生」と彼女が俺を呼ぶ。


「なんですか? 木花指圧師」


「実は今朝から先生の執筆スピードを計っていたんですが、やっぱり時間が経つにつれて執筆のスピードが落ちているみたいですね」


 そう言って彼女は俺にスマホの画面を見せた。そこにはスマホのメモ帳が表示されており、一時間ごとの執筆文字数が入力されていた。


 なるほど、さっき咲夜がスマホを弄っていたのはこれを入力するためだったようだ。


「前半はかなり良いペースで執筆できていたみたいですが、徐々に注意力が散漫になり始めていたようで、私の胸のチラ見も後半は倍増していましたよ?」


「いや、最後の情報はいらないです……」


「まあそれは私が我慢すればいいとしても、執筆ペースが落ちるのはマズいです」


「って言っても、さすがにぶっ通しで執筆してりゃペースが落ちるのはしょうがねえだろ」


 人間なんてのはそう言うものだ。今の俺は短距離走をずっと走り続けているようなものなのだ。いくらオリンピックのスプリンターだってずっとダッシュを続けるのは厳しい。


「先生、午後は私のやり方で執筆をしてみてもらってもいいですか?」


「咲夜のやり方?」


「はい、ポモドーロテクニックというのを先生に実践してもらいます。聞いたことないですか?」


 と、そこで彼女は首を傾げる。


「な、なんか聞いたことがある気がするぞ……」


 そのへんてこな名前を俺はどこかで耳にしたような気がした。けど、それをどこで聞いたのかは今一つ思い出せない。


 俺が頭を悩ませていると、咲夜は優しく微笑んだ。


「まあ知らないのであれば大丈夫です。それよりもお昼にしましょう」


 ということで俺たちは昼食のインターバルを取ることにした。

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