第2話 小悪魔編集ちゃんは心の隙間に土足で入ってくる

 とりあえず俺には木花咲夜きのはなさくやを迎え入れる以外の選択肢はないようだ。


 なにせ俺はこのにゃんにゃん文庫の新人賞でデビューして以来、あの編集長兼社長、高崎美々たかさきみみがいかに破天荒な女なのかを熟知している。


 多分、俺が今回の依頼を蹴れば、彼女は本気で編集ちゃんを使って俺を性犯罪者に仕立て上げてくるはずだ。


 そのことを知っている俺は「とりあえず、狭い部屋だけど」と彼女の荷物を玄関に置いて、新担当編集ちゃんを自室に上げた。そんな俺の言葉に彼女はほっと小柄ながら大きな胸を撫で下ろした。


「はぁ……よかったです。社長から部屋に外カギを付けられてたんですよね。先生が上げてくれなければホームレスになるところだったんですよ」


「あんたんとこの社長、ホント鬼だな……」


 俺の言葉に編集は「えへへっ……」と苦笑いを浮かべると、ピンク色のコートを脱いだのでコートを受け取りハンガーに掛けてやった。どうでもいいけどこのコートなんだか甘い匂いがする。


 コートを壁に掛けてちゃぶ台の前に座ると、スーツ姿の彼女は膝丈のスカートの膝裏部分を押さえて、俺のすぐ隣にちょこんと正座した。


 どうでもいいけど距離感近いな……。


 なんというか彼女は人懐っこさの鬼のような少女だ。いくら素性を知っているとはいえ初対面の男の家に、よくもまあここまでのこのこと上がれるものだ。


「ってか、いいのかよ……」


 思わずそう尋ねてしまう。そんな俺の言葉に彼女は小首を傾げた。


「いいって……何がですか?」


「いや、俺んちに居座ることだよ。初対面の男の家で生活するとか怖くないのか?」


 そう尋ねると編集は俺をじっと見つめると「先生には私に怖いことをする勇気があるんですか?」と尋ねた。


「い、いや……ないけど……」


 と、挑発的な尋ね方に女性慣れしていない返答をすると彼女はクスクスと笑う。


「ならば問題はないです。それに編集長も先生には女を押し倒すような度胸はないとおっしゃってました」


「おうおう酷い言いようだな……」


 まあ編集がそれでいいならそれでいい。俺は諦めてスリープモードのノートPCを起動する。すると、画面いっぱいにさっきまでプレイしていたエロゲのプレイ画面が表示される。


 あ、終わったわ……。


 しかもよりにもよって真っ最中のところで止まってやがる……。


 とりあえず俺は慌ててEscをクリックしてホーム画面を表示する。そして、ちらっと隣の編集を見てみた。彼女は相変わらず機嫌よさそうににこにこと笑みを浮かべながら、それでいてしっかりとパソコンの画面を眺めていた。


「み、見たか?」


「見たってエロゲのことですか?」


「…………」


「なにか言及したほうがよかったでしょうか?」


「い、いや、大丈夫です……」


 ばっちり見られていたようだ。が、彼女は特にその事実に恥じらったり気まずさを見せる様子もなく相変わらず笑みを浮かべている。


 逆に気まずいわ……。が、まあ今のはなかったことにしよう。


「で、具体的に俺は何をやればいいんだ?」


 俺は何もなかったかのように彼女に尋ねる。そもそも新作を作るにしても俺には企画書もなければ、アイデアもないのだ。自慢ではないが俺はもうかれこれ2年近く新作を書いていない。


 幸いなことに全開完結させたシリーズはにゃんにゃん文庫では唯一アニメ化もされ、原作も売れに売れた。


 自分でいうのもなんだけど俺はにゃんにゃん文庫の看板作家だ。


 そして三毛猫出版の売り上げがここ2年綺麗に右肩下がりなのも、おそらく唯一売り上げがそれなりに見込める俺が新作を出していないからだ。


 まあ社長が力づくで俺に新作を書かせようという気持ちはわからないでもない。


 とにかく今の俺にはヒット作を生み出せるような企画もアイデアもない。


「先生にはにゃんにゃん文庫が用意した企画書に沿って新作を書いていただきます」


 が、そんな俺の疑問に編集はあっさりとそう答えた。


「ほうほう企画はそっちが考えるのね……」


 どうやら社長も俺のスランプを理解しているようで、その辺は抜かりがないようだ。


「はい、具体的なのをお見せしますね」


 そう言うと彼女は「ちょっとパソコンをお借りしますね」と言って俺の目の前に身を乗り出すとパソコンを操作し始める。


 あー近い近い……。


 目の前に現れた彼女の背中とボブカットの黒髪に目のやり場にこまっていると彼女は「こういうのです」と元の位置に戻ってパソコンを指さした。


 そこにはにゃんにゃん文庫のトップページが表示されていた。そしてトップページにはデカデカと『五月晴れ先生の最新シリーズ幕開けっ!! 怒涛の12ヶ月連続刊行っ!!』という文字とともに見たことのないラノベの表紙が表示されていた。


 いや待て、


「これ表紙じゃねえかよ。それに挿絵まですでに用意されてるし……」


「はい、先生はスランプ状態と伺いましたので、こちらで全てお膳立てすることにしました」


 と、そこでその勝手に作られた表紙のイラストを見て、あることに気がつく。


 この透明感のある健康的でかつ色気のある美少女のイラスト……。


「おい、ちょっと待て……この絵って……」


「はいカラメル先生の絵です」


 やっぱり……。


 カラメル先生というのは現在アニメ第三期も放映されている、雷鳴文庫の大人気ラブコメシリーズのイラストを担当しているイラストレーターだ。


「よくそんな大物ブッキングできたな……まさか先生も脅したのか?」


「え? どうしてそれをっ!?」


 いや、本当に脅したのかよ……。


「実はカラメル先生去年のにゃんにゃん文庫のパーティで、羽目を外して編集長の胸を鷲づかみしたそうなんです。あ、これがその時の画像です」


 そう言って彼女はスマホを取り出すと、俺に画面を向けた。


 そこには酒に酔って顔を真っ赤にしたおっさんが、編集長の巨乳を揉みしだく姿がばっちり映っていた。


 いや、酷い絵面だな……。


「この画像を先生に送ったところ、快諾してくれました」


 まあそりゃそうだよな。こんなもんが世間にバレたら下手したら打ち切りまである。


 そして多分だけど、これはあの極悪編集長の仕掛けたハニートラップだ。あの女なら本気でやりかねん……。


 明日は我が身……。


 と、そこで彼女はスマホをポケットにしまうと、こんどはキャリーケースを開けると、中からクリアファイルを取り出した。


「というわけで、これが一巻の挿絵です」


「いや、なんでまだ本文も書いてないのに挿絵がもうできてるんだよ……」


 そう言って彼女はクリアファイルから数枚の挿絵の描かれたイラストを取り出した。


 なるほど、あんなエロじじいだが絵のクオリティはさすがは人気イラストレーターだ。


「この挿絵に合うように本分を書き上げてください」


「いや、無茶ぶりがすぎないか?」


「ですが、先生がやらなければ社員5人全員が路頭に迷ってしまいます……。社長は先月、新車のローンも組んだらしいですし、かなりマズいです」


 いやマズいのはこの状況下で新車を買った社長のお花畑脳だろ。


「…………」


 正直なところ自信はない。さっきも言ったが俺はスランプ真っ最中だ。トンネルの出口が見えない中、いくらお膳立てされているとはいえこの短期間で完成させられる自信なんてない。


 俺が答えあぐねていると、不意にすぐ隣に座る編集は俺の顔を覗き込んだ。


 彼女は俺の目の前まで顔を寄せると、首を傾げた。


「そ、それとも何かご褒美が必要ですか?」


「は?」


 突然の言葉にぽかんと口を開けていると、彼女は悪戯な笑みを浮かべると挑発的な目で俺を見つめた。


「先生……。私って先生好みの女の子ですよね? 顔も少し幼い感じですし、そのくせ胸もそれなりに大きいですよ」


「別にそんなことは……」


「私、これでも先生の担当編集ですよ? 先生の著作は全て目を通しています。先生って幼くて胸の大きなヒロインをよく書かれますよね?」


「…………」


 正直なところ彼女の指摘は的確だった。確かに俺の書くヒロインは童顔で胸の大きな女の子が多い。だけど、創作と現実は……。


「8回」


 と、そこで彼女はわけのわからん数字を口にした。


「8回?」


「私がここに来てから先生が私の胸の谷間をチラ見した回数です」


「っ……」


 なんという観察力……。


「先生ってホントわかりやすい方ですよね? 悔しいけれど可愛いとか思っていませんか?」


「う、うるせえ……」


 その完全に人の心を掌握してくる小悪魔編集にかろうじてそう返すと彼女はクスクス可笑しそうに笑った。


「もしも先生が期限までに原稿を書き上げることができれば、私、先生の言うこと何でも聞きます」


「な、なんでも?」


「はい、なんでも聞きますっ」


 この美少女が俺のためになんでも言うことを聞く……。


 悔しいけれど、そんな彼女の提案に不覚にも俺の心はわずかに乱される。


 が、綺麗なバラには棘があるのだ。


「い、いや、そんな手には乗らねえぞ。それを脅しにして次の仕事を引き受けさせるつもりなのはバレバレだ」


 そう答えると彼女は少しムッとした表情を浮かべると「ちっ」と舌打ちをした。


 いや、本当にそのつもりだったのかよ……。


「まあなんでもっていうのは冗談ですが、これから私は先生が執筆に集中できるように身の回りのお世話はします」


「ほう……じゃあ俺が執筆に集中できるようにまずはお帰りいただこうか?」


 そう返してやると彼女は再び俺の顔を覗き込むと、何やら真剣な顔で俺を見つめてきた。


「それ? 本心で言ってますか?」


「ど、どういうことだよ……」


「本当はそばで原稿の応援してくれる可愛い女の子がいたらなぁ……なんて思ってるんじゃないんですか? 別に見栄なんて張らなくてもいいんですよ?」


 そんな彼女の言葉に俺は何も返せなかった。


 蛇に睨まれた蛙のように固まっていると彼女は不意に笑みを浮かべる。


「なーんちゃって。冗談ですよ……冗談っ!! でも悲しいので帰れなんて言わないでください。寂しいじゃないですか。こう見えて私、料理には少し自信があるんですよ。先生が食べたいものをリクエストしてくれればなんでも作ります」


 そう言うと彼女は二の腕を上げると、小さな力こぶを俺に見せた。


 そんな彼女を眺めながら俺は思った。


 もしかしたら俺はとんでもない女を家に招き入れてしまったかもしれないと。

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