第32話

第32話


 11月の上旬、1年で一番寒いこの時期になってようやくランドルフは諦めたようだった。

 それも当然で、あまりのしつこさにやってきても徹底的に無視したし、ときには忙しいからと言って研究室の中にすら入れなかった。年上の先輩だからと我慢していたが、我慢の限界が来て徹底して「入らない」と言う態度を取っていたおかげで脈なしと判断されたようだった。

 これで面倒な派閥騒ぎも収まって次の研究テーマに取りかかれる。

 次は反発力を使った魔術の効果について発表しようと思っていた。学生のうちは学生らしく、大それたことはしないでおこうと思って黙っていたが、研究者となった今はどんなことを発表しても文句は言われない。むしろ新しい何かを見つけて発表できることのほうが嬉しかった。

 だが、そのためには人事部の異動の発表を待たなければならない。

 去年と違って今年はルーファスを始め、若い研究者とはそれなりに関わりを持ってきたし、人間関係にも気を配ってきた。ランドルフみたいなのがいるとは思わなかったが、あれは特殊なタイプだろう。ともあれ、実戦部隊にいたときのようなことはしていないので、たった1年で異動させられることはないだろうと比較的楽観していた。

 ただ、これくらいの時期になると寒いのでパーティの類いが開かれないのが残念だった。

 いつも同じドレスで屋敷を訪れるエルのために、ウルスラは子供の頃のドレスを何着もくれて、寮のワードローブにはそれなりの数のドレスが溜まっていた。肌寒い日のためのショールなんかもくれたりしたので、これでまた初夏が来てパーティの季節になっても、毎回同じドレスということはなくなっていた。

 それでもやはり生演奏が聴けないというのは寂しい。

 家電製品のないこの世界には当然蓄音機すら発明されていないので、レコードで音楽を聴くこともできない。だから冬のエルの生活は寮と研究室の往復、そしてお誘いがあればウルスラの屋敷で時間を潰す、と言う生活になっていた。

 変わり映えのしない毎日に飽き飽きしていたが、とにかく人事異動で現状維持を勝ち取らなければ次の研究にも取りかかれない。当然異動希望は研究職が第一希望で、第二希望は悩んだ末、研究事務を選んだ。

 ジャネットではないがやはり何らかの形で研究には関わっていたい。色んな研究者がいて、色んな研究をしているからそうした研究を見ていれば、また何か研究したいテーマが見つかるかもしれない。そのためには研究棟に出入りできる研究事務が一番適している。

 本当は助手でもよかったのだが、助手だといらないことを言って成果を横取りされかねないのでやめた。

 とにもかくにも何もない平和と言えば平和、退屈と言えば退屈な日々を過ごしていたので、ウルスラのお誘いはとてもありがたかった。

 当のウルスラも社交界デビューが間近に迫ってきていることもあって、憂鬱な日々を過ごしているらしく、お喋りをしていてもいつもの元気がない。そんなウルスラの様子を見るのは忍びなかったから、極力エルも話題を作っていつもの明るいウルスラを取り戻そうと頑張っていた。

 ウルスラは賢い子だったので、普段は聞き役のエルが一生懸命話題を作ってくれることに気付いて気丈に振る舞っていたようだったし、空元気でも憂鬱な日々を過ごすよりはいい。だからウルスラも頻繁にエルを誘ってくれて、社交界デビューの憂鬱さを紛らわそうとしているようだった。

 そうした冬が過ぎ、春がやってきて1月になった。

 1月の上旬を過ぎる頃には異動の発表がある。ドキドキしながらその通知を待っていたエルは、今年は研究室でその通知が来るのを待った。

 そして通知が人事部の職員から届けられたときには即座に開けて、中を確かめた。

 中身に目を通してエルはホッとした。

 今年も研究職に留まれることになったからだ。

 やはり実戦部隊にいたときとは事情が違う。地味なテーマだったとは言え、きちんと成果は出したし、人間関係にもそこそこ気を遣った。異動させられるようなポカはやらかしていないのだから当然と言えば当然だった。

 これで次の研究テーマに取りかかれる。

 ウキウキと去年の研究資料などを片付けて、いらないものはまとめて廊下に出しておく。こうしておけば去年同様業者がまとめて引き取って処分してくれるので、研究職というのはありがたい身分だった。

 このことをシェリーにもウルスラにも早く伝えたい。

 シェリーは今日の夜にでも話をすればいいだろうが、ウルスラはお誘いがなければ話をすることができない。

 社交界に正式にデビューすることになったウルスラは、今までに増して忙しくなるだろうから、これまでのように頻繁にお誘いがあるわけではないだろう。それはそれで寂しかったが、公爵令嬢なんて家柄の娘なのだから仕方がない。

 それでも時間ができればきっとお誘いはあると信じて待つことにした。


 社交界デビューは春に王族主催のパーティで行われる。

 ウルスラ・ウィルソンも王族主催のパーティにふさわしい華やかなドレスに、何かあったときのためにとエルに作ってもらった魔術具のルビーの装飾品をつけてパーティに挑んだ。

 ウィルソン家の令嬢の社交界デビューと言うことで、他の貴族でもデビューの歳を迎えた子息子女が挨拶に訪れるのでそれににこやかに応対しながら無難な社交界デビューを果たした。

 果たしたはずだった。

 粗暴な第二王子が来るまでは。

 第二王子は今年17歳になる若い王子だったが、取り巻きを連れてパーティ会場に来るなり、貴族の子女たちを値踏みし始めたのだ。今年デビューしたばかりの若い女と見るや人目も憚らずに近づき、じろじろと無遠慮に眺めて合格だの不合格だのと言ってはすぐに別の子女を物色していく。

 そうしてその目は当然ウルスラにも向けられた。

 宰相と同じ金髪と言うことですぐにウィルソン家の子女と察しがついたのだろうが、それでも無遠慮にじろじろ眺めてくる。

「ほぅ、おまえがこのオレ様の婚約者候補か。なかなか見れる顔をしている」

 そう言ってウルスラの顎を掴むと、左右に振り回して顔を値踏みした。

 相手が王子だからとじろじろ見てくるのには我慢したウルスラだったが、これには怒った。いくら何でも顎を掴んで値踏みするとは到底王族とは思えない振る舞いだ。

 パシッと手を払って第二王子を睨み付ける。

「いくら何でも失礼じゃありませんこと? 礼儀のひとつも知らないのですか」

「何だと? このオレ様を誰だと思っている? イアン・トライオ様だぞ?」

「イアン様だろうと何だろうと最低限の礼儀も知らない相手に礼儀を尽くす義理などありません」

「生意気な女だな。少しばかり痛い目でも見たほうがいいようだな……っ!」

 イアンは拳を振り上げるとウルスラに向けて殴りかかろうとした。居合わせた誰もが息を呑む中、ウルスラは冷静に胸元のネックレスに手を添えて「バリア」と唱えた。

 するとウルスラの周囲に白い膜が現れ、イアンの拳はその膜に阻まれてウルスラに届かなかった。

「くそっ! 何をしやがった!」

「あろうことか女性に手を上げるような方に教える義務はありません」

「クソッタレが! このっ! このっ!」

 イアンは何度も拳を振り上げ、ウルスラに殴りかかろうとしたがホワイトバリアの魔術に阻まれ、一度たりとも拳はウルスラに届かなかった。

「はぁ…、はぁ……、てめぇ、覚えてろよ……!」

 いくら殴ろうとしても届かない拳に疲れたのか、イアンは捨て台詞を吐いてパーティ会場を後にした。

 ハラハラしながら事態を見守っていた貴族の子女たちは一斉にウルスラの周囲に集まり、「大丈夫ですか?」と声をかけた。

「えぇ、大丈夫ですわ。わたくしにはとても心強い友人がいますの」

 にっこりと微笑んで声をかけてきた貴族の子女に答えると、誰もが不思議そうな顔をした。

 そして誰もが思っていて、誰もが聞きづらかったことを勇気ある若い男性が尋ねた。

「その友人とはどちらさまですか?」

「エル・ギルフォードというわたくしの一番の友人ですわ」

 エルが貴族であるなら誰かが知っていてもおかしくはないのだろうが、あいにくとエルは貴族ではない。平民出身のただの宮廷魔術師だ。

 誰も知らない名前に、誰もが訝しむ中、ウルスラはディスペルと唱えてホワイトバリアの効果を消した。

 早速役に立ちましたわ、エル。

 ウルスラが心の中で感謝しているとき、その場に居合わせた貴族たちはエル・ギルフォードという人物がどういう人物なのかについて思いを巡らせていた。


 研究職に留まれて、ウキウキしながらどんなマナを使って研究発表の材料にしようかと思いを巡らせていたエルは、ノックもなしに研究室に入ってきたルーファスにびっくりした。

「ど、どうしたの? ルーファス」

「どうしたもこうしたもないよ! エルは貴族じゃないから知らないだろうから報せに来たんだけど、今社交界ではエルがいったい何者なのかと言う話題で持ちきりなんだよ!」

「えぇっ!? い、いったい何があったの!?」

「僕も話を聞いただけだからよくは知らないんだけど……」

 そう前置きして、ルーファスは社交界デビューの場である王族主催のパーティでの顛末をエルに聞かせた。

「うわぁ……、その第二王子、よっぽどろくでもないヤツなんだね……」

「感心するのはそこじゃない! エルは前から社交界でも噂になるような宮廷魔術師だったんだ。そこにウルスラが堂々と一番の友人だと宣言してしまったんだよ!? これがいったい何を意味するのかわからないのかい!?」

「え? でも友達なのは本当なんだし、そんなに大したことなの?」

「大したことだよ! そのうち社交界に慣れていないデビューしたての若い貴族たちにもエルがどういう人物なのか知られるだろう。そうなったとき、エルがどういう風に見られるか想像してみてごらんよ」

 言われて想像はしてみるがいまいちピンと来ない。

「友達だって言ったんでしょ? 何が問題なの?」

「はぁ……。わかってないなぁ。エルはただでさえ社交界でも噂になるくらい有名な宮廷魔術師なんだよ? そこに公爵令嬢の友人だなんて噂が加わったらどうなると思う?」

 そこまで言われてようやく気付く。

「え? もしかして、もしかするの?」

「当然」

「うわー! 恐れてたことが現実になったーーーーーーー!!!!」

「気付くのが遅いよ……。しかも王子の拳を止めたのは君がウルスラのために作った魔術具だってこともバレてる。そんなものを個人的に作って渡すくらい親しい間柄なんだと知られたら君は社交界でも超がつくほどの有名人になる」

「どうしようどうしようどうしよう……。ねぇ、ルーファス、どうすればいい?」

「もう僕にはどうしようもできないよ。僕のところまでもう話が聞こえるくらいなんだ。社交界デビューを果たした若い貴族の子女たちは君に近づきたいと本気で願っているだろうね」

「じゃぁそんな状況で生演奏が聴きたくてパーティになんか出たら……」

「間違いなく、音楽を聴く暇はないだろうね。挨拶責めに遭って、質問攻めに遭って、とてもじゃないけど今までみたいにゆっくり音楽を聴いてる暇なんてない」

「うわー! パーティに出る唯一の楽しみがーーーーーー!!!」

「それならパーティに出なければすむ話だけど、少しでも懇意にしたい貴族は君に秋波を送ってくるだろうね。是非うちに招待したい、なんて話だって出てくるに決まっている」

「お断りします」

「相手の階級が低いならいいだろうけど、伯爵や侯爵くらいの人物だと断れないと思うよ。宮廷魔術師なんだから元々が貴族社会に片足を突っ込んでいるようなものだからね」

「研究で忙しいのでお断りします、っては?」

「一度や二度は通じてもそう何度も通じる言い訳じゃないね」

「なんてことになったんだー! --待てよ? その第二王子が手を出さなければこんなことにはならなかった。全部第二王子が悪い」

「今はもう誰が悪いとか悪くないの話じゃないんだよ。今はまだガザートにはこの話は漏れていないようだけど、そのうち話が来るのは目に見えている。僕がこんなに早く知っているのは貴族だからだ」

「ガザートでも知られるようになったらどうなると思う?」

「そこまでは予想がつかない。おそらくガザートでも君をどう扱うべきかは真剣に議論されるだろうね」

「うわぁ……、いったいどうなるんだろ……」

「もしかしてウルスラ嬢と懇意にしたことを後悔してる?」

「ウルスラと友達になったことを後悔はしないよ。あんないい子と友達だなんて私だって鼻が高いし」

「そうか。--じゃぁ堂々としているのが一番だろうね。ウルスラ嬢と仲がいいですけど何か? って態度で挑めばたいていの貴族は気後れしてしまうだろう」

「じゃぁその線で行く」

「はぁ……。全く、なんてものを作って渡しちゃったんだ……」

「え? だってウルスラから第二王子は粗暴な人間だからって聞いたから、じゃぁ身を守る魔術具を作ってあげるよって作ってあげただけだよ?」

「魔術具は古式派の……って言っても無理か。君は自由だからね」

「どういうこと?」

「何でもないよ。君は今までどおり、派閥の論理に囚われないで研究してていいってことだよ。一応革新派の肩書きは持ってるけど、何でもできる魔術師だってことがわかれば話も落ち着くところに落ち着くだろうし」

「???」

 エルにはルーファスの言っていることがさっぱりだった。

 ただわかることはウルスラという爆弾が盛大に爆発した、と言うことだけだった。


 ウルスラの社交界デビューのパーティから2週間後。ルーファスからことの顛末を聞いてから5日後。エルは暖かな日差しの下でウルスラとお茶をしていた。

 ウルスラはぷりぷりと可愛らしく怒りながらパーティでの顛末を話していた。

 ルーファスから聞いていたから話の内容は知っていたが、エルは「うんうん、大変だったね」と相槌を打ちながら聞いていた。

 きっとウルスラは誰かに、と言うかエルに話を聞いてもらいたいのだろう。エルに聞いてもらってすっきりしたいに違いない。だからエルは事情を知ってはいたが、いちいち相槌を打ったりして話を聞いていた。

「もうっ、あんなに粗野な方だとは思いませんでしたわっ」

「そうですね。そこまでされて怒らないほうがおかしいと思いますよ」

「やっぱりエルもそう思いますわよね? わたくし、何も悪いことはしていませんわよね?」

「してませんしてません。むしろ第二王子の態度が悪すぎます」

 これには完全同意だったのでそう言っておく。

「でしょう!? 女と見れば見境なく近づいて! あんなのが婚約者だなんてお父様に抗議してやろうかと思いましたわ」

「むしろいいことじゃないんですか? ここまで失礼を働かれたのですから、これを口実に婚約の話をなしにしてもらうことはできないんですか?」

「それはそうですわね。今度お父様に相談してみますわ」

「それがいいですよ。ああいう男は絶対に浮気して他に子供を作ったりすると思いますから」

「浮気はその、別にいいんですのよ。愛人のいる貴族なんてたくさんいるんですから、王族に愛妾がいても不思議ではありませんわ。でも女性を殴ろうとするなんてのは許せません! 男性として失格ですわ!!」

「それはそうですね」

 これにも完全同意。

 前世ではフリープログラマーとして働いていたから、家で仕事をしていた。家事も自分でやっていたし、きちんと自炊もしていた。趣味の時間は外せないが、それ以外ではもし結婚したら家にいて時間が自由になる分、もし共働きにでもなったりしたら家事は自分がやろうと思っていたくらいだから、男が女に暴力を振るうなどあり得ない。

「でもエルの作ってくれた魔術具のおかげでケガをせずにすみましたわ。本当に素晴らしいものを作ってくださってお礼を言いたいですわ」

「お礼なんていいですよ。私が作ってあげたいって思ったから作っただけですから。それにそれが役に立ってウルスラにケガがないことのほうがよっぽどか重要です」

「エル……」

 よほど感激したのか、ウルスラは少し上向いて黙った。

「はー、でもエルに聞いてもらえてすっきりしましたわ。こんなことお父様には言えないし、社交界デビューしたばかりでこういう話のできる方なんていませんでしたから」

「愚痴くらいならいつでも付き合いますよ。お友達なんですから、変な遠慮はいりませんよ」

「ありがとう、エル。やっぱりエルはわたくしの一番のお友達ですわ」

 そのお友達発言でこっちはとんでもないことになりそうだと言うことは飲み込んでおく。

「それはそうと、その第二王子以外のことは問題なかったんですか?」

「あ、そうですわね。イアン様のこと以外でしたら問題ありませんでしたわ。皆さん、きちんとマナーを守って挨拶をしてくださいましたし、わたくしもそつなくこなせたと思っていますわ」

「なら第二王子のことを除けば、社交界デビューは上々だったと思ってもいいんじゃないですか?」

「そうですわね……。わたくしったらイアン様のことで頭がいっぱいで、他のことをすっかり忘れていましたわ」

「ウルスラったらもう……。初めての正式な社交界だったんですから、イヤなことはすっぱり忘れて、よかったことを思い出しましょうよ」

「そうですわね。ただやっぱり皆さんわたくしの爵位を気にして、遠慮がちだったのは残念でしたわ。わたくし、エルみたいな友人ができるかもしれないと期待していましたのに」

「そこは仕方がありませんよ。私はウルスラの爵位なんて全然知らないで出会ったんですから。でも社交界に出てくる方はみんなウルスラが公爵家の令嬢だと知っているんですから。これから徐々に社交界に慣れていって、私みたいな友達ができるようになりますよ」

「そう? そうならいいんですけど」

「社交界に歳の近い、同じくらいの爵位の方はいらっしゃらないんですか?」

「あいにくといませんの。わたくしの社交界デビューが一番遅かったものですから、ほとんどが年上の方ばかりで、もうすでに婚約していたり、結婚していたりしている方ばかりですの」

「うーん、それだとみんな遠慮してしまうかもしれませんね」

「そうなんですのよ。わたくしもエルみたいに何でもない話をして楽しい時間を過ごせるお友達がもっと欲しいと思っていますのに……」

「ウルスラのほうからお友達になりたいって気持ちで近づいていったらきっとできますよ。だから今から諦めるなんてことはしなくていいと思いますよ」

「そうでしょうか?」

「そうですよ。私とだってお友達になれたんですから。少し時間はかかるかもしれませんけど、気の置けないお友達はきっとできます」

「エルがそういうのでしたら頑張ってみますわ」

「それがいいです」

「あ、そうそう、それともうひとつお話があるのを思い出しましたわ」

「何ですか?」

「わたくしの社交界デビューを祝って我が家でパーティが開かれますの。エルも是非参加してくださらないかと思いまして」

 パーティ……。

 ウルスラの爆弾発言がなければ喜んで出ていただろうが、今となっては気後れしてしまう。

 だが、出ないと言えばウルスラはとても残念がるだろう。そんなウルスラの顔も見たくはない。

 ジレンマを抱えて逡巡していると、不思議そうにウルスラがこちらを見てくる。

 ええいっ、一時の我慢だ!

 ウルスラの笑顔と面倒くささを天秤にかけて、天秤はウルスラに傾いた。

「わかりました。是非参加させていただきます」

「それはよかったわ! ねぇ、エル、あの赤色のドレスを着て出てくださらない? きっと赤はエルの赤毛にとても似合うと思うわ」

「ウルスラがそういうならそうしますよ。赤と言うと薔薇の刺繍が入ったあれですよね?」

「えぇ、そうですわ。正式な招待状はまた後日送らせていただきますけど、是非他の方にもエルを紹介したいですわ」

「は…ははは……、お手柔らかに……」

 退路を断たれてしまった。

 おそらくこのパーティをきっかけに、エルのことは社交界でも超がつくほどの有名人になってしまうだろう。そうなるとどんな面倒を背負い込むことになるか想像もつかない。

 だが、だからと言ってウルスラの頼みを断ることはできなかった。

 ウルスラは純粋に善意で、お友達だと思っているから招待してくれているのだ。その善意を踏みにじることなどできはしない。

 それにどうせルーファスが言ったように、遅かれ早かれエルのことは社交界でも広まるのだ。それが早くなるか遅くなるかの違いでしかない。

 ならば逆に早めに広まって、面倒なことを先に終わらせてしまえば、後はまた平穏な日常が戻るかもしれないのだ。そうなれば宮廷魔術師としてまた研究に没頭する日々を過ごせばいい。

「あぁ、楽しみですわぁ。わたくしの一番のお友達を紹介できるなんて、こんなに嬉しいことがあるかしら」

 ウルスラは今からエルを紹介したときのことを考えてうっとりしている。

 もうこうなると諦めるしかない。ウルスラのことを知らずに気軽に友達になってしまったのが運の尽きだ。それにもうここまで深く関わってしまったのだから今更でもある。本当に遅かれ早かれ面倒ごとになっていただろうから、むしろ早め早めに終わってしまったほうが気が楽だ。

 面倒なことが来るかもしれないとビクビクしながら待つより、自分から面倒ごとを早く終わらせたほうがストレスも溜まらない。

 そう覚悟を決めたら後は野となれ山となれだ。

 ここに至ってようやく「何でも来い!」と言う気になったエルはうっとりしているウルスラに話題を振って、社交界での出来事の話をもっと聞き出した。


 その頃、エルの故郷の村ジャーナに茶色の髪を蓬髪にした、顔が傷だらけの青年が訪れた。

 ボロボロのローブ姿からはほとんど物乞いにしか見えないが、眼光はギラギラと鋭く、とても普通の人間には見えなかった。

 その青年は村の入り口から無造作に村に入り、その辺を歩いていた中年の女性を呼び止めた。

「なんだい?」

 見るからに胡散臭そうな風貌の青年に、警戒心を丸出しにしつつ中年の女性は尋ねた。

「ここがエル・ギルフォードの故郷の村だと聞いた……。エル・ギルフォードはどこにいる?」

「エルちゃんかい? とてもエルちゃんの知り合いには見えないけど……」

「シェルザールで一緒だった。そこでここがエル・ギルフォードの故郷だと知った」

「あぁ、学校の知り合いかい。エルちゃんなら宮廷魔術師になったから今頃王都で頑張ってるんじゃないかね」

「宮廷魔術師……。そうか……、あいつは宮廷魔術師になったのか……」

「同じ学校だったってのに知らなかったのかい? 本当にあんた、エルちゃんの知り合いかい?」

「あぁ、よく知っているとも。よぉくねぇ……」

 不気味に笑う傷だらけの青年に、中年の女性は空恐ろしいものを感じて逃げるようにしてその場を離れた。

 中年の女性がいなくなって、青年は踵を返した。

 ここから王都まで馬車で3週間だったか。

 路銀などほとんどない。徒歩で行くしか道はない。それにこのジャーナまでも馬車を使わず徒歩でやってきたのだ。今更王都まで徒歩で行ったところで何の苦にもならない。

 待ってろよ、エル・ギルフォード……、今から王都に行っておまえを殺してやる……。

 どす黒い感情を隠しもせず笑った青年は、エルが見ても一目では誰かわからなかっただろう。

 その青年の名はジャクソン・ニコラウス。

 エルを殺害しようと寮の部屋に魔術具を仕掛けて放火した罪でドリンを追放されたシェルザールの元学生だった。

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