第28話

 エルは暇を持て余していた。

 研究発表の内容は完成していて、目新しいことも何もない。気晴らしにルーファスやカミーユたちのところに行くのも仕事の邪魔をするようで気が引ける。何かないかと研究棟の倉庫を漁ったりして、古い魔術具などを見つけてきたはいいけれど、使い方がよくわからない。シェリーと話すのはたいてい夜だし、シェリーも干魃の対応や村の魔術師としての仕事に忙しいだろうから気軽に昼日中から話しかけることもできない。

 だから最近はよく王都を散策して暇を潰していた。

 夏で暑かったが乾燥している気候だから現代日本のような不愉快な暑さではないのでまだ耐えられる。午前中から散歩をして、お昼は市場に行って屋台で買い食いをしてお腹を満たし、また王都の探検に向かう。

 そんな生活をしていた。

 王都は広いから2、3日で探検し尽くせるほどのものではないが、北に王宮があって、東は住宅街、西が商業地区で、南が市場などの庶民の生活を支える区画と明確に分かれているので、散策すると言ってもドリンのようにごちゃごちゃしていないので、だいたいどこに行けば何があるのかはわかる。

 ドリンならば見知らぬ路地に入れば見たこともない店や場所に行き当たって、探検するのも楽しかったが、王都ではきちんと整備された街並みだからそういうワクワク感とは無縁だった。

 1週間もする頃には飽きてしまって、散策して暇潰しをするのも退屈になってきた。

 それでも晴れた日はなるべく外に出て、何か暇潰しになるようなことでも思い浮かばないかと考えながら王都を歩いていく。

 人や馬車の往来が多い、南北を貫く目抜き通りをただなんとなく歩いていたエルは、通ってきた馬車を避けて端に寄った。

 馬車なんて使う人間は限られている。貴族かお金持ちの商人などで、わざわざ歩かなくてもいい人種だ。そういう人間とはあまり関わりたくないから、避けてからすぐに何かやることはないかと考えながら歩き始めたとき、通り過ぎたはずの馬車が止まって、中からエルと同い年くらいの簡素なドレスを着た女性が出てきた。

「あの、もし」

 まさか自分に話しかけられているとは思っていないエルはそのまま気付かず、歩いていこうとする。

「あの! エル・ギルフォード様ではありませんか?」

「はい?」

 突然名前を呼ばれて振り向くと、淡い青色の髪をした女性がこちらに向かって小走りにやってくるところだった。

 呼ばれたからには無視するわけにもいかない。待っているとその女性はやってきて、エルの前で丁寧にお辞儀をした。

「エル・ギルフォード様で間違いございませんよね?」

「はい、そうですけど、何か?」

「お嬢様があなたを見かけられて是非お話をしたいとおっしゃっています。どうかご同行願えませんでしょうか?」

 「お嬢様」と言う単語にあまりいい予感はしない。断るのは簡単だが、もし貴族の令嬢だったりでもしたら、パーティで貴族と少なからず付き合いのできたエルにとってはあまりよろしくない展開になるかもしれない。

 断るのも無理、ついていくのは面倒くさい。

 しかし、メリットデメリットを比べるとついていったほうがまだ我慢できる。貴族の令嬢ならばそう無体なことはしないだろうから、ついていったほうがまだマシだ。

「それは構いませんけど、どちらさまで?」

「申し遅れました。わたしはウィルソン家に仕える侍女でフローラと申します」

 ウィルソン家? 今までのパーティでは聞いたことがない気がする。

 何故そんな家柄のお嬢様がエルのことを知っているのか疑問に思ったが、ついていかないほうのデメリットのほうが大きいと判断していたエルは仕方なく自己紹介する。

「やはりエル様でいらっしゃったのですね。お嬢様がお待ちです。どうぞこちらへ」

「はぁ」

 言われるままについていくとつい今し方通り過ぎた馬車に案内される。馬車はぱっと見は簡素なものだったが、所々に手の込んだ細工が施されていて、それなりに高級なものだろうと想像がつく。

 こんな馬車に乗っているお嬢様というのがどういう人物かはわからないが、馬車から伺うについていくことに決めたのは正解だったと思う。

 フローラに連れられ、馬車の中に案内されると中はとても豪華で天鵞絨調のふかふかの椅子は座り心地はよさそうで、内装も凝っている。外からではわからなかったが、相当お金持ちの貴族か商人の馬車なのだろう。

 中にはルーファスと同じ見事な長い金髪を編み上げたエルより年下らしい若い女性が座っていて、扇を開いて口元を隠していた。口元が隠れているのでわからないが、目を見る限り嫌な雰囲気はせず、むしろ笑っているように見えたのでそんなに悪いことにはならなさそうだと思う。

「宮廷魔術師のエル・ギルフォード様ですね? わたくしはウィルソン家のウルスラと申します」

「これはご丁寧に。エル・ギルフォードと言います」

「あなたの噂はかねがね。是非一度お話をしたいと思っていましたの。こんなところで見かけるなんて偶然に感謝ですわ」

「はぁ」

 どんな噂だろう? あまりいい噂ではなさそうな気はするのだが、曲がりなりにもエルは宮廷魔術師である。国が手厚く遇している魔術師相手にそんなとんでもないことをするような人間はそうはいないだろう。

「さぁ座ってちょうだい。--ではフローラ、屋敷のほうへ」

「畏まりました」

 フローラは馬車についている小窓から御者に指示を出して馬車をゆっくり走らせる。

 ウルスラの見た目は薄いピンクのドレス姿で、若い女性にはとても似合っている。ネックレスや指輪など、装飾品も華美になりすぎないシンプルなものだったが、嵌まっている宝石は大粒で相当いいところのお嬢様なのだろうと想像がつく。

「あの、ところでどうして私がエル・ギルフォードだとわかったんですか?」

 まずは会ったことも聞いたこともない家柄のお嬢様が何故自分のことを知っていたのか気になったので尋ねてみる。

「あら、ご存じありませんのね。とても大人には見えない可愛らしい宮廷魔術師がいると言うのは社交界では専らの噂でしてよ」

 うげ、そんなことになっていたのか。

 ルーファスについてパーティについていったのがそんな噂になっているとは思ってもみなかった。

「それでウルスラ様は私のことを知っていた、と。でもどうしてわざわざ馬車に招くようなことを?」

「グランバートル家の御曹司であるルーファス様が度々パーティに連れてくると言うから一度お会いしたいと思っていましたの。わたくし、あいにくとまだ15歳なので社交界にはあまり出入りしていませんの。父についていくことはありますけど、それくらいで社交界デビューもまだなのでエル様の噂を耳にして一度お話をしたいと前々から思っていましたの」

「はぁ。でも私はただの宮廷魔術師ですよ?」

「あら、そんなことはありませんわ。こんなに小柄でキュートな宮廷魔術師なんて今まで見たことも聞いたこともありませんわ」

「そうですか」

 うーん、どうやらエルの噂を聞いて興味本位で声をかけてきたようだ。確かにエルほどの見た目の宮廷魔術師なんて過去にも例はないだろう。しかも社交界で噂になるほどなのだから、生演奏目当てでルーファスについてパーティに出たのが裏目に出たようだ。

「ところでエル様はどうしてこんな時間から街を歩いていらっしゃったのですか?」

「えーっと、研究が一段落したので気分転換がてら街を散策していたんです」

「そうなのね。研究というと研究職なのかしら?」

「えぇ」

「見た目はキュートなのに頭はいいんですのね。宮廷魔術師で研究職を任されるなんてよほど頭脳明晰でない限り、就けないと聞いたことがありますわ」

「そんなことはないですよ。ただ異動希望を出したら通っただけで」

「でも優秀な魔術師揃いの宮廷魔術師の中でも研究職を任されるのだからやはり優秀なのですわ。わたくしは魔術については一般的なことくらいしか知りませんけど、エル様はどのような魔術が得意なので?」

「特に得意不得意はありません。満遍なくできますし、色々と興味があることを勉強したり、調べたりしています」

「まぁ。どの魔術も優秀だなんてすごいわ」

 いや、単に得意分野もなければ不得意な分野もないと言うだけなのだが。

 要するに器用貧乏と言ったほうがいいくらいなのだが、ウルスラにはそうは見えなかったようで目を輝かせている。

「今は何の研究をなされているので?」

「今は効率よく魔術を行使できるためにはどうすればいいかを研究しています。具体的には治癒魔術と風の魔術の応用ですね」

「それはどんな効果があるの?」

「そうですね。例えば魔物との戦闘で大勢ケガをした人がいたとして、個別にヒールをかけるのは効率がよくありません。それを風のマナを使って広範囲にヒールをかける魔術の研究をしています」

 実はもう終わったとは言えないので話を合わせる。

「とても面白い研究ね。実現したらどんなことになるのかしら?」

「今は魔力消費を抑える研究もしているので、魔力の少ない魔術師でも大勢のケガ人を治療できる魔術にしようと思っています。そうすれば大勢のケガ人が出ても魔力の強弱を気にせず、一気に大勢の人を治療することができます」

「さすがに研究職の宮廷魔術師は考えることが違うわね。実現したらきっと多くの魔術師にとって有用な魔術になりでしょうね」

「まぁそのための研究ですから」

「他には何かないのかしら?」

「学生時代は色々と試したり、調べたりしました。魔術具を作ったり、古代魔術のことを調べたり。知らない魔術があって、そのことを調べるのは楽しかったものですから」

「まぁ、そんなものにまで造詣が深いなんて素晴らしいわ」

「いえ、そんな大したことじゃ……」

 言ったとおり、知らない魔術を知るのが楽しかったから調べただけだし、魔術具に至ってはシェリーと話がしたいと言うごくごく個人的な動機だ。

 それをこうまで感心されるとむずがゆい。

 そんな話をしていると不意に馬車が止まった。

「お嬢様、お屋敷につきました」

 今までエルとウルスラの話を邪魔しないように黙っていたフローラが割って入ってきた。

「あら、残念。もっとエル様とお話ししていたかったのに」

「そうは参りません。今日は礼儀作法とダンスのレッスンが待っています。お話はこれくらいにしてお屋敷に戻りませんと」

「えー、つまらないわ。ねぇ、エル様、わたくしの用事が終わるまで屋敷で待っていてはくれませんか?」

「えーっと、さすがにそれは……。研究の合間に息抜きをしに出てきただけですので、そろそろ戻らないと」

「そうですの……」

 子供みたいにしゅんとするウルスラに少し気の毒になる。暇だから出掛けていただけなので時間はたっぷりある。だが、あまりよく知らない貴族らしきご令嬢と長話をするのも避けたい。

「では、今度お時間のあるときにでもわたくしのお茶会に誘ってもよろしいかしら? ね? ね? いいでしょう?」

「まぁ正式なご招待なら研究室を離れても文句は言われないでしょうから」

「じゃぁ近いうちに是非招待するわね。--名残惜しいけど、今日はこれで失礼させていただきますわ。お話が聞けてとても楽しかったですわ」

「はぁ」

 話した限り悪い人ではなさそうだ。ウィルソン家というのがどういう家柄か知らないが、少なくともこのウルスラという若い女の子はエルとお近づきになりたいと純粋に思ってくれているようだ。

 フローラに手を引かれてウルスラは馬車を降りる。続いてエルもフローラに促されて馬車を降りたのだが、そこで見た光景に驚いた。

 馬車を降りた屋敷の前庭であろう場所は、途轍もなく広く、屋敷も王都に家を構えるにしては大きすぎたのだ。

 ウィルソン家がどういう家柄なのかはわからないが、王都にこれだけの敷地を保有することを許される貴族などそう多くはないだろう。

 もしかしてとんでもない相手に目をつけられた!?

 エルは大きな屋敷を見上げて軽く後悔した。


 ウルスラと出会ってから1週間。相変わらずエルは暇な日々を過ごしていた。

 倉庫で見つけた魔術具にマナを送ってどんな魔術具なのかを試してみたり、実践用の水晶玉を壊さないですむような反発力を使った魔術の構文を考えたり、そのときそのときで思い付くことを試して時間を潰していた。

 まだ5月だから研究発表の時期まで4ヶ月もある。

 もっと効率のいい構文を考えてはどうかとも思ったが、考え得る限りのことは試したのでこれ以上効率のいい構文は思い付かない。

 シェルザールにいた頃のようにまた魔術具や古代魔術について調べて時間でも潰そうかを思っていた頃、エルに手紙が届いた。

 研究事務の職員が届けてくれたそれを見ると、手紙の裏には「ウルスラ・ウィルソン」の名前が書いてある。手紙の封をする蝋には家紋が押されていたが、そもそも貴族の家紋なんかに詳しくないエルにどんな相手なのかを想像することはできない。

 ただあの大きな屋敷を見る限りでは相当位の高い貴族なのではないかと想像できるくらいだった。

 ペーパーナイフで手紙を開けてみると、内容はお茶会のお誘いだった。

 「手の早いことで」と思いつつも、相手がそれなりの貴族の子女ならば断るわけにもいかない。

 丁寧に洗濯してしまっておいたドレスを取り出し、これを着てお茶会に出向けば失礼には当たらないだろうと思う。

 お茶会の日取りは3日後の午後。

 おそらくはアフターヌーンティーでも楽しみながらお喋りを楽しみたい、と言う趣旨だろう。

 ウルスラの印象は悪くなかったし、年下と言うことで前世やこの世界、シェリーなどの相手で年下の相手は手慣れている。最低限失礼のないように気をつけていれば大事にはならないだろうと軽い気持ちで行くことにした。

 そうして3日後、研究事務の職員に用向きを伝えてウルスラの屋敷に出掛けたエルは、やはり大きすぎる屋敷に気後れする。

 正門には立派な鎧を着た衛士が立っているし、門から見える前庭も屋敷もかなり立派だ。

 じろじろ見てくる衛士に用向きを伝えると、話は通っていたのか、すぐに中に入り、しばらくすると黒いスーツ姿の老紳士がやってきた。

「お待ちしておりました、エル・ギルフォード様。どうぞこちらへ」

 老紳士に案内されて前庭を通って、屋敷の右手に向かうと見事な中庭に入った。現代日本のガーデニングもこれほどの規模にできればさぞかし丹精のしがいがあるだろうと思えるくらいで、所々に天蓋のついた四阿が見えた。

 その四阿のひとつに案内されると、夏らしい青色のドレスを着たウルスラが待っていた。

「ようこそおいでくださいました、エル様。どうぞこちらへ」

 にこやかにウルスラに促され、四阿に置かれていた椅子に座る。丸く白い意匠の凝らしたテーブルにはティーセットが置かれ、やはりアフターヌーンティーだったようでサンドウィッチやスコーン、小さなケーキが並べられたケースが置かれていた。

 ウルスラの側に控えていたフローラがふたり分の紅茶を淹れてその場を退出し、ウルスラとふたりっきりになった。

「来ていただけて本当に嬉しいですわ。短い時間ですが是非とも楽しんでいただければ喜ばしい限りです」

「はぁ」

 いったい何を話せと言うのかわからないまま、とりあえず紅茶に手をつける。

 さすがにいい家柄だけあって紅茶はおいしかった。

「エル様はシェルザールの出身とお聞きしましたが、シェルザールではどのような勉強や暮らしをなされていたので?」

 幸いウルスラが話題を振ってきてくれたのでそれに答える。

 シェルザールでの講義のことやシェリーのこと、寮暮らしのことなどなど、訊かれるままに答えているとウルスラは興味深そうに相槌を打ったり、驚いたりしていた。

「そうなんですのね。とても充実した学生生活を送っていらっしゃったようで羨ましいですわ」

「羨ましいと言うと?」

「わたくし、学校というものに通ったことがありませんの。勉強や作法は全て家庭教師がついて教えてくれたので、学校生活と言うものに憧れがあるのですわ」

「それも善し悪しだと思いますよ。私の場合はシェリーと言う親友ができたおかげで、毎日が楽しい学校生活だったですけど、気の合わない人とルームメイトにでもなったら1年間気まずい雰囲気で暮らすことになりかねませんから」

「でもエル様はご友人には恵まれていたのでしょう? そういう学校生活をわたくしも送ってみたかったですわ」

「それはまぁ概ね友人関係には恵まれましたね」

「家庭教師は勉強には問題ありませんけど、友人を作る、と言うことに関してはやはり同い年の生徒に囲まれた学校というのに憧れてしまいますわ。社交界は堅苦しいばかりで友人と呼べる相手なんてなかなか作れませんし」

「貴族も大変なんですねぇ」

 これだけの規模の屋敷を持てるくらいの貴族なのだから、エルには想像もつかないような苦労があるに違いない。

「そうなんですのよ。まともに友人も作れないうちから第二王子との婚約話まで持ち上がっていてうんざりですわ。わたくしにも魔力があればエル様のように魔術師を目指して、憧れの学校生活を送れたかもしれませんのに」

「婚約!? まだ16歳にもなっていないのに!?」

「えぇ。成人すればもう婚約するとまで話が進んでいますの。ほとんど会ったこともない第二王子との婚約なんて断りたいくらいですわ」

「はー」

 これには言葉も出ない。

 現代日本では婚約者なんて絶滅危惧種だと言うのに、この世界の貴族社会ではやはり当たり前のようだ。貴族と言えばルーファスしか身近にいないし、ルーファスに婚約の話があるとはついぞ聞いたことがない。だが、ウルスラほどの貴族になると王子との婚約なんて話になってしまうのだろう。

「何か理由をつけて断ることはできないんですか?」

「さすがにお父様の立場を考えるとそうも行かなくて……」

「お父上は何をなされているのですか?」

「この国の宰相ですわ」

「ぶっ」

 紅茶を吹き出しそうになった。

 宰相と言えば国王に次ぐ国のナンバー2ではないか。いいとこの貴族だとは思っていたが、まさか宰相の娘だとは思わなかった。

「けほっ、けほっ……」

「だ、大丈夫ですか、エル様?」

「あ、はい。ちょっとむせただけですから」

「それならいいんですけど」

「でもお父上の立場を考えるとしっかりした理由もないのに断るわけにはいきませんね。せめて婚約はしても結婚を先延ばしできるような何かがあればいいんですけど」

「そうなんですのよ。本当は体よく断りたいのですが、お父様のことを考えるとそれもできませんし、よく知らない相手と結婚なんてイヤですわ。もちろん家のこともあるので諦めている面もないわけではないんですけど、それでも愛のない冷え切った夫婦になるなんてイヤですわ」

「確かにそうですね。女を子供を産む道具としか見れない相手なんて私もダメだと思います」

「エル様は話が早くて助かりますわ。それに第二王子はあまりいい噂を聞きませんの。ワガママで自分勝手。使用人に手をかけるようなろくでもない王子だと。王族として恥ずかしいと国王陛下が嘆かれているとお父様から聞いたくらいですもの」

「むっ、それは許せませんね。女性に手を上げるなんてもってのほかです」

 これでも現代日本での常識に染まった前世があるから、元男として女性に乱暴を働くようなろくでなしと無理矢理結婚させられるなど許しがたい。

 だが、一介の宮廷魔術師にできることなどほとんどない。それにルーファスと違ってエルは貴族でもないのだからウルスラの力になろうと思っても、できることと言えば魔術くらいしかないのである。

 待てよ?

 魔術しか使えないのであればその魔術でどうにかすればいい。

「じゃぁこういうのはどうでしょう? 私がウルスラ様の身を守れる魔術具を作ってきましょう。もし婚約して第二王子に何かされそうになっても、その魔術具があればウルスラ様の身を守ってくれます。望まぬ結婚なんですから、それくらいの自衛手段があってもいいのではないですか?」

「いいんですの?」

「私は魔術師です。ウルスラ様にできることと言えば魔術くらいしかありません。もしそれが役に立つと言うのであれば是非とも協力させてください」

「エル様はなんてお優しいのでしょう。わたくしからもお願いいたしますわ。もしよければ何かあったときには第二王子にお灸を据えることのできる魔術がいいですわ」

「む、それは難しいですね。ひとつの道具にふたつの魔術を定着させるのは困難です。せめてふたつくらいないと」

「それなら心配いりませんわ。装飾品の類いは余るほどありますもの」

「なら身を守るための魔術と、簡単な攻撃魔術を付与した魔術具を作ることにしましょう。それくらいならおそらく簡単にできます」

「さすがエル様ですわ! 会って間もないわたくしのためにそこまでしてくださるなんて、どうお礼を言っていいやら」

「私も女です。そんな女の敵のような相手に容赦はいりません」

「ふふ、まるでエル様のほうが男性のようですわ」

「一応女なんですけど」

 元男だけど。

「ともあれ、研究の合間を縫って魔術具の製作には取り掛かります。できるようになったら連絡しますので、魔術を付与したい道具を送ってください。それを魔術具にしてお渡ししますから」

「えぇ、お願いいたしますわ」

 ウルスラは満足そうに笑って冷めかけた紅茶に手をつけた。

 そういえばお喋りばっかりでケーキなどにも手をつけていないし、最初に紅茶を一口飲んだだけだ。

 エルももうほとんど冷めてしまった紅茶を飲みつつ、小腹が空いたタイミングだったのでケーキなども摘まむ。

 思いがけない方向に話が行ってしまったが、乱暴者の王子と婚約なんて聞いたらとてもではないが黙っていられなかったのだ。

 その後も他愛ないお喋りをして時間を過ごし、日が傾きかけたところでお茶会はお開きになった。

「エル様、今日はとても楽しゅうございましたわ。是非またお茶会に誘ってもよろしいかしら?」

「はい。私でよければ」

 宰相という大貴族の娘でありながら気取ったところがなく、根が素直な感じのするウルスラにエルは好感を持っていた。だから魔術具の話も出したし、再会も約束することができた。

 しかし、帰ろうと言う頃になってもウルスラはもじもじしたまま、お別れの挨拶を切り出さない。

 どうしたんだろう? と思って待っていると思いがけないことを言われた。

「あの、エル様? もうひとつお願いしてもよろしいでしょうか?」

「はい、何でしょう?」

「わたくしとお友達になってくださいませんか!?」

「はい?」

 一瞬何を言われたのかわからなかった。

 宰相なんて大貴族の娘と友達なんて何を考えているのだろうと本気で思った。

「ダメでしょうか……?」

「いえ、ダメではありませんけど、私はただの宮廷魔術師で平民ですよ?」

「そんなの関係ありませんわ! 前回馬車でお話をさせていただいて、今日お話をさせていただいて、わたくしが是非ともエル様とお友達になりたいと思ったのです!」

「そこまでおっしゃるのでしたら私は構いませんけど、私みたいなのが友達とか、社交界でなんと言われるか……」

「どうせ第二王子と婚約すれば腫れ物に触るような扱いをされるのは目に見えていますわ。それなら今のうちにエル様のようなお友達がいたほうが何かと心強いですわ」

 どうやらウルスラの決心は固いようだ。

 まぁこれも何かの縁だ。ウルスラが望むのであればこちらとしても断る理由がない。それにこうも思い詰めた様子で頼まれて、嫌だととはとても言えなかった。

「わかりました。ではこれからはお友達としてお茶会に誘ってください」

「いいのですか!? よかったですわ……」

 心底ホッとしたようにウルスラは胸に手を当てる。

 これまでまともな友達ひとり作れなかったウルスラだ。最初は噂のエルを見て、話がしたいと言うきっかけだったとしても、こうして縁が結ばれたのであればそれを無碍にする必要はない。

 そうして友達としての証として握手を交わしてエルは屋敷を去った。

 それにしても、シェリーと言い、ウルスラと言い、チート級の魔力の他に年下に好かれやすいと言う属性でも備わって生まれ変わったのかとエルは本気で思った。

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