第21話

 エルが実験で壊した壁も1ヶ月もする頃には完璧に修繕されていた。

 この頃には2回目の遠征も実施され、今度はコボルトなんて小物ではなく、より強力な魔物であるマンティコアが出没すると言う山脈に出向いて、魔物討伐を行ったりもした。

 さすがに2回目の遠征ともなると1回目の反省が活きて、強力な魔物であるマンティコアも騎士団と協力して倒すことができたし、その成果に学生たちは満足し、ますます自信を深めていた。

 そうして2回目の遠征が終わった後にはすぐに夏休みに入った。

 毎月援助金が出たら手紙を書いているとは言え、紙が貴重品のこの世界で故郷の村からの返事があるわけでもなく、また1ヶ月と短い休みの期間に帰省することもできず、家族とはもう1年以上も離れ離れのままだった。

 全く寂しくないかと言われれば、やはり生まれ変わったとは言え、育ててくれた家族に可愛い弟であるから、一抹の寂しさはある。しかし現代日本と違って日本中どこにいても1日あればどこで暮らしていても帰省できるような環境ではないのだから仕方がない。

 月に一度の手紙で「元気に暮らしているよ」と伝えるだけでも家族は安心するだろうと思って、その月に一度の手紙だけは欠かさなかった。

 それと、ようやくと言っていいくらいのこの時期になって、エルは進路について本格的に悩んでいた。

 魔術師の、いわゆる就職活動は卒業してから行われる。学校を卒業するまでは勉学に励み、魔術の腕を磨いてからでも就職先には困ることがないからだ。セレナくらいの弱い魔力でも村の治療院という職業で食べるのに困らない生活ができるのだから、卒業しさえすればどこにでも就職口はある。

 しかし、エルはどうしようか悩んでいた。

 シェルザールに残って研究者になるのもいいが、純粋に研究だけしている者は稀だ。ほぼ必ず教鞭を執る必要がある。研究者として生きていけるだけなら研究者の道を選ぶのもいいが、研究だけして暮らしていけるわけではない。

 ではシェルザールに残ってもう1年学生生活を続けるか、と言われれば3年も故郷を離れて暮らすのも気が引ける。せめて卒業したからと村に帰って家族に会いたい。シェルザールでの暮らしは2年とだいたいわかっているから、おそらく家族も手紙だけの報告でも安心していられるのだろう。

 ならば宮廷魔術師はどうかと言えばこれも微妙である。まだチート級の魔力に目覚めていない現状で宮廷魔術師になっても、下っ端としてこき使われて生活するのは2年間の会社勤めで懲りている。よしんば我慢して順調に出世できたとしてもそれにかかる年数がどれくらいになるのかわからない。

 教鞭を執るのも面倒だし、シェルザールで学生生活を続けるのも家族に申し訳ない。宮廷魔術師になって下っ端からやり直すのもごめんだ。

 ならばどこかの街の魔術師になって生活するかと言われれば、それも勘弁してもらいたい。セレナのように村の治療院でさえ、それなりに忙しい日々を過ごしていたのだから、街の魔術師でしかもシェルザール卒業の肩書きを持っているとなればあれこれ面倒ごとに巻き込まれるのは必至。

 魔術師になりさえすれば夢や可能性は無限大と期待していた幼い頃とは違って、現実が見えているとどうしても進路をどうするべきか悩んでしまう。

 もうチート級の魔力に目覚めていれば比類なき魔術師として君臨することができるが、長くて20歳まで魔力が成長することを考えると、遅くて卒業して2年は何らかの面倒を背負い込むことになる。

 会社勤めを2年で早々に諦めたくらいなのだから、この世界で2年間我慢しろと言われて我慢できる保証などどこにもない。

 どの道を選んでもチート級の魔力に目覚めるまでは面倒ごとに付き合わなければならないのだから、悩むなと言うほうが無理だった。

 だが、いつかは進路を決めなければならない。

 それなら早いことに超したことはないので、夏休みの期間を利用してすでに進路を決めている寮生たちに色々と訊いて回っていた。

 圧倒的に多いのはやはり宮廷魔術師だった。シェルザールに入学できるだけの魔力を有しているのだから実力は申し分ない。宮仕えで食うにも困らない。うまく行けば出世して部下をこき使うことだってできる。いや、シェルザールの卒業生と言うだけである程度の出世のレールは敷かれているとのこと。会社勤めを苦にしなければエルだって最有力候補の進路だっただろう。

 次に多かったのが街の魔術師だった。ここでもシェルザールの卒業生という肩書きは活きるようで、仕事には困らないらしい。怪我人の治療から街の防衛まで、幅広く魔術師としての活躍の場があると言うことでこの道を選ぶ学生も多かった。

 さらにその次がシェルザールに残って学生生活を送るか、教師兼研究者になる者だった。学究機関としても優遇されているシェルザールは予算も豊富で研究資金には困らない。教鞭を執ると言う面倒を嫌がらなければ最高の環境で研究ができるのだからこの道を選ぶ学生は少なからずいた。

 後の少数はだいたい故郷に帰ってそこで魔術師として生計を立てると言う者で、シェリーがこれに当たる。

 せっかくチート級の魔力があるはずなのに、故郷の村に帰ってセレナの治療院を継ぐのも味気ない。いくら魔力が強くても辺境の田舎の農村の魔術師で終わるなんてもったいない。どうせなら夢のある道へと進みたい。

 だが、訊いて回ってみても、どの道を選んだとしても面倒ごとに巻き込まれるのは確実なのだから決められない。

「うーん……」

 暑いがカラッとして過ごしやすい今年の夏は快適で、ベッドに寝転がって唸る。

「エルはまだ進路のことで悩んでるのー?」

「うん。どの道を選んでもめんどくさいことになりそうだから決めかねてるのよ」

「うーん、そればっかりはエルが決めることだからあたしは協力できそうにないからなー」

「あ、もしかして変に気を遣わせちゃった? だったらごめんだけど」

「ううん、そういうんじゃないから。ただ悩んでて大変だなーって思っただけ」

「そう、ならいいんだけど」

 そう答えたものの、進路の問題は解決していない。

 やはり宮廷魔術師になるのがいいのだろうか。この世界の宮仕えがどのようなものかはわからないが、現代日本での会社勤めのようなことにはならないかもしれない。むしろ研究者気質として研究に没頭できる可能性もないわけではない。そうなれば思う存分魔術の研究に勤しんで暮らすことができる。

「やっぱり他のみんなと同じように宮廷魔術師になるのが一番なのかなぁ」

「エルだったらどこでだってやっていけるよー」

「ありがと、シェリー」

 だが、シェリーは会社勤めを2年で辞めた経験を知らない。確かに我慢すれば宮廷魔術師もこなせるだろうが、いつまで我慢が効くかが問題なのだ。

 いっそ冒険者にでもなるか? とも一瞬考えたが、パーティを組むと余計なしがらみに囚われて身動きが取れなくなると思って即座に却下した。

「どうして好きなように生きられないのかなぁ」

「あたしは好きなように生きるよー。村での生活は大変だけど楽しいしねー」

「シェリーのそういうとこ、尊敬するわ」

「そう? えへへー」

 褒められて照れるシェリー。

 シェリーのようにシェルザールに入る前から故郷に帰って魔術師として暮らす、と言う明確な進路があればこんなに悩まずにすんだとは思うものの、S判定の魔力を持った魔術師が平凡な農村の魔術師で終わるのはやはりもったいないと思ってしまう。

 シェルザールに進路希望の面談なんてものはないが、逆にそうした期限がない分、いつまでも悩んでしまう。そういう意味では進路希望調査と称して早いうちから進路をどうするかを考えさせる現代日本の慣習も悪い側面ばかりではなかったのかもしれないと思う。

 もっとも、現代日本ではプログラマーとしての才能があったからプログラマー以外の道を思い付かなかったので、進路希望調査なんてものは無意味だったが。

 しばらく悩んだ後、もう考えても仕方がないと思えるくらいまで悩んだので、諦めて本を読むことにする。

 せっかくの夏休みだ。宿題はあるとは言ってもせっかくの長期休暇を有意義に使わないのはもったいない。

 シェリーと約束した魔術具の完成もまだだし、やりたいこと、やらなければならないことはいくらでもある。

 そうと決めれば後は早い。勉強机の上に置いてあった本を取ってきて、ベッドに寝転がって読み始めた。


 夏休みのある日のこと。シェリーとふたりで宿題をやっていたエルは、コンコンとドアがノックされる音に気付いた。

「エルちゃん、シェリーちゃん、いるかしら?」

 この声は寮母さんだ。ふたりともいるので、「いますよ」と返事をすると、ドアが開いて寮母さんが入ってきた。

「ふたりとも、今時間いいかしら」

「私はいいですけど、シェリーは?」

「宿題で頭がパンクしそうなので休みたい……」

「大丈夫そうです」

「じゃぁちょっと来てくれるかしら」

「わかりました。シェリー、行くよ」

「はーい」

 エルはベッドから、シェリーは勉強机から、そろぞれ離れて寮母さんに連れられて部屋を出る。

 寮母さんがいったい何の用だろうと思いつつ、廊下を歩き、テラスに向かうとそこには比較的若そうな教師が待っていた。

「連れてきましたよ」

「ありがとうございます。エル・ギルフォードくん、シェルタリテ・ルドソン・シャダーくん、学長がお呼びです」

 それを聞いた瞬間、エルの顔はさっと青ざめた。

 まさかまさかまさかまさか……!

 頭では違うと連呼しても、学長に呼び出される用事なんてひとつしか心当たりがない。

「学長が? なんでだろね、エル」

 シェリーは気付いていないらしく、あっけらかんとそんなことを訊いてくる。

 腕の体毛を引っ張ってシェリーの耳を引き寄せると、エルは小声だが猛然と言った。

「学長なんかに呼ばれるなんてあの夜のことしかないでしょうが!」

「あの夜? あぁ、エルが学校の壁……むぐぐ」

 普通の声量で言い出すものだから慌てて口を塞ぐ。

 どうしようどうしようどうしよう……!

 怒られるだけならまだしも、逃げたとあっては重い処分は免れないだろう。しかも何故今頃になって学長がふたりを呼び出したのかも気になる。もしあの夜にふたりの姿を見かけた誰かがいたとしたら、あれから1ヶ月も経った夏休みに入って呼び出される理由がわからない。

「どうしたんだい?」

 若い教師が怪訝そうに訊いてくるので慌ててかぶりを振る。

「ななな、何でもありません!」

「そうかい? じゃぁついてきて」

「はい……」

 重い口調で返事をすると、先だって歩き出した教師について歩き出す。

 シェリーはことの重大さに気付いていないのか、ニコニコと笑顔でエルと並んで歩き出す。

 まぁ確かに壁をぶち壊したのはエルだし、シェリーはそれを見ていただけだ。罪の重さで言うなら圧倒的にエルのほうが重い。

 どうか退学だけは勘弁してもらえますように……!!

 エルはそれだけを祈って、教師について学生寮を出た。


 シェルザールの学長ラザードは険しい顔で目的の人物が現れるのを、学長室の執務机に座ってじっと待っていた。

 広範囲に渡って実験場近くの壁を破壊した真犯人。その目撃者はあっさり見つかっていた。たまたま実験をしようと実験場に向かっていた教師のひとりが、小柄な体格の誰かを抱いて逃げる大柄な人影を見たからだった。

 小柄と大柄な人物の組み合わせと言うと、学生の間でも有名なあのふたりしか思い浮かばない。

 そして壁を壊した犯人が誰かと言うことも噂になっていることも知っていた。

 だが、噂と言うのは無責任なものであれこれと憶測が飛び交い、半月もする頃には消えていた。修繕工事が始まって順調に壊れた壁も修復されつつあったので、興味が別のところに行ったのだろうし、遠征もあったので噂どころではなかったのだろう。

 それでも真犯人を特定するために、寮生にそれとなく教師に聞き込みをさせたところ、あの日の夜、あのふたりが夜に外出していたことはすぐにわかった。

 そのときにあのふたりを呼び出せばいいのだが、夏休みまで待ったのには理由があった。

 一介の学生があれだけの壁を破壊する魔術をどうやって編み出したのか。

 教師たちは夏休みの終盤に恒例の研究発表の日が迫っているので、その発表をする教師は学生に構ってなどいられない。学生も夏休みの宿題や長期休暇を満喫するために忙しいから真犯人どころではない。

 話の内容によっては口外してはならないことになるかもしれないのだ。

 だから真犯人の目星がついたときではなく、教師も学生も自分のことで手一杯の夏休みに入ってから呼び出したのだった。

「学長、エル・ギルフォードとシェルタリテ・ルドソン・シャダーを連れてきました」

 ドアの外から若い教師の声が聞こえてきた。

「入りなさい」

 そう答えると重厚な両開きのドアが開いて、エルとシェリーが入ってきた。

 エルはおどおどとした様子で、視線を彷徨わせて怯えている様子だし、シェリーは何故呼び出されたのかわかっていないのか、「また褒められるのかなー?」などとエルに話しかけている。

 確かに以前ここに呼び出したときはジャクソンが街で騒ぎを起こしたのを止めたときだったから、そのことを思い出したのだろう。

 だが、今回は事と次第によっては重要な話になるかもしれない。

 手を組んでそこに顎を乗せていたラザードはそれを解いて背筋を伸ばすと、エルとシェリーを見据えた。

「夏休み中にすまないね。だが、どうしても訊いておかなければならない話がある。近くに来なさい」

「はい……」

「はーい」

 ふたりが執務机の前まで来たのを見てから、ラザードは切り出した。どうやって訊くべきか考えたが、やはりここは用件をずばり訊いたほうが話が早い。

「単刀直入に訊こう」


「単刀直入に訊こう」

 学長のラザードにそう言われてエルはビクッと震えた。とうとうこのときがやってきてしまったと恐れたのだ。

「1ヶ月ほど前、実験場の近くの壁が広範囲に渡って破壊される事件が起きた。それはもちろん知っているだろうが、そこでそのことが起きたとき、ある教師が小柄な体格の人物と、大柄な体格の人物が実験場から逃げるように去っていくのを見かけた。君たちで間違いないね?」

 あぁ、やっぱりバレてる……。

 学長の呼び出しと聞いてほぼ確信はしていたものの、やはりはっきりと言われると落ち込む。

「あれ? なんで学長がそのことを知ってるんですかー?」

 事態の重大さを理解していないシェリーはあっけらかんと認めてしまう。

 シェリーが素直なのは美徳だが、こういうときは欠点だ。太腿の体毛を思いっきり引っ張ってやる。

「痛っ! 何するのさ!」

「いいからシェリーは黙ってて」

「ぶー、どうしてさー」

「いいからとにかく私に任せて」

「わかったよー」

 そんなやりとりをラザードは険しい表情を変えずに見守っていた。

 しかし、エルはどう言い訳したものか悩んでいた。シェリーが認めてしまったからには「違います」と言い張ることもできない。仕方なく項垂れてシェリーと同様に認める。

「はい…、あのとき実験場にいたのは私とシェリーです……」

「よろしい。ではあの壁を破壊したのも君たちと考えていいのだね?」

「それは私です。シェリーはただついてきていただけです」

 さすがにシェリーまで同罪にするわけにはいかない。もし退学になるとしても、ここまで頑張っているシェリーを巻き込むのだけは避けなければならない。

「ふむ…。ではエル・ギルフォードくん、君がひとりで魔術を発動させてあれだけの壁を破壊したと言うのかね?」

「そのとおりです」

 もうここまで来たら仕方ないので洗いざらい話すしかない。

「でもシェリーは本当についてきてただけなんです。ちょっと実験したいことがあったから、実験場に行くと言ったらついてきたがったので同行を認めただけで……!」

「それはわかった。エル・ギルフォードくんはシェルタリテ・ルドソン・シャダーくんに非はないと言いたいのだね?」

「私がやったことですから当然です」

「なるほど」

 胆が決まって、エルはしっかりとした口調でシェリーを庇う。姑息な性格ならシェリーも巻き込んで罪を被るところだろうが、エルはそういうタイプの人間ではない。ジャクソンの件でもそうだが、善人でもないが悪人でもない。大事な親友を巻き込んでまで同罪にするほど恥知らずではない。

「ではここからが本題だが、あれだけの壁を破壊した魔術、どのようにして組み上げたのか説明してくれるかね?」

「は?」

 次に来る言葉はてっきりエルの処分に関する言葉だと思っていたエルは、魔術の構成について尋ねられてぽかんとした。

「訊いていなかったのかね? どんな魔術を使えばあんな破壊力のある魔術になったのか尋ねているのだ」

「えっと…それはぁ……」

 ここにはエルとシェリー、ラザードの3人しかいない。シェリーは事情を知っているからいいとして、ラザードにまで話してもいいものか逡巡する。

「言えないような危ないことをしたのかね?」

「そ、そんなことはしてません! ただ、講義で相性の悪いマナ同士は反発すると教わったので、反発するなら相性の悪いマナ同士を組み合わせれば逆に反発する側のマナの力を増大させることができるんじゃないかって考えただけで」

「なるほど。それであの結果かね?」

「ちょっとした実験のつもりだったんです。反発するならどれくらい反発するのかを確かめたくて実験場に行っただけですし、魔術の構文も自分で考えて組み立てました。ただ……」

「ただ?」

「古代魔術のダイダルウェーブを参考にしたのでたぶんあんな結果になったんだろうなぁ、と……」


「古代魔術のダイダルウェーブを参考にしたのでたぶんあんな結果になったんだろうなぁ、と……」

 ダイダルウェーブと聞いてラザードは椅子から転げ落ちそうになった。

 ダイダルウェーブと言えば存在自体は古文書に書かれている大規模な水の魔術だ。まだどのようにしてあれほどの規模の魔術が行使できたのか、シェルザールの古式派の教師でさえ解明できていない。

 それを一介の学生が、しかも独自の構文を組み上げて実現させてみせたということ自体が驚愕に値する。

「な、なるほど……。エル・ギルフォードくんにとってもあの結果は思いがけないことだったと言いたいのだね?」

「もちろんそうです。今も言ったとおり、反発力を試したくて実験してみただけですから、よほど規模が大きくなっても実験場が水浸しになるくらいだと思ってました」

「だが、壁をあれほど破壊してしまったから思わず逃げてしまった、と」

「はい、すいません……」

 椅子から転げ落ちるのは回避したが、ラザードは頭を抱えたくなった。

 確かに相性の悪いマナ同士は反発することがわかっていて、これは割と一般的な事象だ。

 だが、教師たち研究者が考えるのは反発する性質をいかにして効果的に融合させて、組み合わせの問題を解消するかを考える。そのほうが魔術の相性問題をクリアし、例えば治癒魔術ならば火のマナに関係する体温などの熱量に関わる病気の治癒に役立てようと考える。だが、このエルという学生は逆転の発想で、反発するのであればそれを利用して相性の悪いマナの力を増大させようとしたという。

 どういう思考回路をしていれば、そんな発想に至るのか。

 しかも未だに解明されていない古代魔術を完璧ではないにせよ、独自の構文を組み立てて実現してしまったのだからエルたちがいなければ口を開けて呆然としていただろう。

「……事情はわかった。このことは他の学生や教師に話したかね?」

「してません! そんなことをしたらただでさえ目立っているのにさらに悪目立ちしなねませんし、教師になんか言ったらどうやって再現したのかとしつこく尋ねられるのが目に見えています。だからこのことを知ってるのは一緒にいたシェリーだけで、そのシェリーにも誰にも言わないように口止めしています」

 賢明な判断だ。

 古代魔術を再現したと言うだけでも驚きなのに、このことが教師陣の間で広まればエルの扱いは相当敏感にならざるを得ない。特に古式派の教師は食らいついて離さないだろう。

 以前、クルストという教師がしつこくエルにまとわりついていて、そのことをルーファスから聞いてクルストにこれ以上つきまとうのはやめろと注意したのとは比較にならないくらいの大騒ぎになるだろう。

 しかし、ジャクソンの件と言い、今回と言い、どうしてこのエルという学生の周りでは騒ぎが起きるのか。

 確か初めての遠征でもコボルト退治に向かった先で、大規模なホワイトバリアの魔術を使って不意の挟撃から学生たちを守ったとも聞いている。だが、問題なのはただのホワイトバリアを広範囲に使うだけならまだ習っていれば2年生でも使える魔術だが、聞けばコボルトの攻撃を防いだという。

 ならば光と風、そして風のマナと相性の悪いはずの土のマナを組み合わせた、と見ていいだろう。

 それを考えると、このエルという学生はすでに何らかの方法で相性問題をクリアする着想を得ている、と考えていい。

 おそらくは学生だからその成果を誇っていないだけで、もしシェルザールに残って研究者にでもなれば相性問題をクリアする着想を得た研究者として魔術界に名を残すほどの研究者になるだろう。

 そうなれば革新派が黙ってはいない。

 新たな可能性を広げる発想を持つ研究者として、必ず革新派は自分たちの勢力に引き入れようとあの手この手を使ってくるだろうことは想像に難くない。

 もちろん、2年生ともなれば派閥を意識して教師を選ぶ学生も少なくはない。だが、ラザードが考えることは学生のうちはまだ派閥に染まるべきではない、と言うことだった。エルのように反発すると言う性質から、逆転の発想で相性の悪いマナの力を増幅させると言う着眼点を見出したように、学生には伸び伸びと勉学に励み、遊び、自由な発想や着眼点を身に付けてほしいと思っているからだ。

 派閥を意識して古式派、革新派のどちらに属するかは卒業してからでも遅くはない。

 進路によっては派閥を意識することのない街の魔術師になる者だっているのだから、学生のうちから派閥がどうこうと頭を悩ませるのはいいことではない。

 実際、ラザードも学長という立場もあるがどちらの派閥にも属していない魔術師である。

 そうでなければ古式派、革新派と入り乱れる教師陣をまとめることなど出来はしないし、魔術省でもどちらかに肩入れすれば学長としての仕事に支障を来す。

 だが、とにもかくにもエルの処遇を決めなければならない。

 話を聞けば聞くほど公にはできないことをしでかしたのだから、ことをこれ以上大きくしたくはない。

「事情は理解したが、壁を破壊した責任を取らない、と言うわけにはいかない」

「そうですよね……」

「だが、事情が事情だ。特例としてこの件については不問とする」

「え?」

「ただし、今までどおり、学生にも教師にも他言は無用だ。エル・ギルフォードくん、君もこの件で騒がれるのは本意ではないだろう?」

「もちろんです」

「ならばいい。用件はこれで終わりだ。寮に戻って勉強でもしていなさい」

「はい、わかりました。シェリー、行こう」

「うん」

 エルが一礼したので、シェリーも慌てて同じように一礼する。

 そして学長室を退出し、ラザードはひとりきりになった。

 1年生で組み合わせの魔術を使った腕前といい、今回の件といい、エルには魔力では計れない魔術の才能があるのかもしれない。

 だが、どちらにせよ古代魔術を再現したと言う事実はラザードの胸に秘めておかなければならないだろう。シェルザールでの派閥争いに余計な火種を放り込みかねないからだ。

 エル・ギルフォード、いったいどんな魔術師になるのやら……。

 学生のうちは学生のままでいたい、と言うあの気持ちに嘘はないようなので、今回の件をおおっぴらに吹聴して回るようなことはしないだろうことは救いだった。


 学長室のある研究棟から寮に戻る道すがら、シェリーはご機嫌な様子でエルと手を繋いで歩いていた。

 エルはと言うと、学長に呼び出されて戦々恐々としていたみたいだったが、不問となって安心したのか、ぐったりした様子でほとんどシェリーに手を引っ張られる感じでついてきている。

「……シェリーは元気ね……」

「うん! だって何事もなかったんだよー。よかったじゃない」

「それはそうだけど」

 エルと学長の話を聞いていて、これは重大なことになるかもしれないと学長室ではシェリーも戦いていたが、不問にすると聞いて安堵したし、何よりエルがシェリーは無関係だと言うことを貫いてくれていたことが嬉しかった。

 意地の悪い人ならば一緒にいたシェリーも巻き込んで、罪を被せようとするだろうが、エルはそんなことはせず、逆にシェリーは無関係だから責任は自分だけにあると言う態度を取ってくれていたことがご機嫌な理由だった。

「えへへー、エル、大好きー」

 堪らずと言った調子でついてきていたエルを胸に抱き締め、そのまま歩いていく。

「ちょっと、シェリー、恥ずかしいから下ろしてよ」

「やだー。このまま寮に帰るー」

「こら! 離しなさい!」

 ジタバタとエルは暴れるが、小柄で力の弱いエルと、亜人で大柄で力のあるシェリーとでは腕力に差がありすぎる。多少暴れられたところでがっちりと抱き締めたシェリーの腕はびくともせず、しばらくすると諦めたのか、エルは暴れるのをやめた。

「ったく、この甘えん坊め……」

「エルが大好きだから抱き締めたいんだよー。ハグは親愛の証ってねー」

「これはハグじゃなくて抱きかかえてるって言うんでしょうが」

「同じだよー」

「同じじゃないわよ」

 呆れたようにエルは言うが、シェリーに離す気はない。

 改めてエルの優しさを知ったことが嬉しくて、離したくないのだ。

 本当にそのままの格好で寮まで戻ったシェリーとエルは、テラスにいた寮生たちにどこに行っていたのか聞かれたが、エルがうまくはぐらかしたのと、シェリーがエルを抱いたまま歩いてきたのを知って、「いつものことか」と興味を失ってしまった。

 エルにとっては学長室に呼ばれたと知られれば、何故学長室なんかにと追求されるのは目に見えていたのだが、シェリーが抱いていてくれたおかげで追求されずにすんでホッとしていることだろう。

 図らずも仲のよさを見せつけることによって追及の手がなくなったことも、シェリーには嬉しい誤算だった。

 部屋に戻ってからようやくエルを下ろしたシェリーはエルに尋ねた。

「これからどうするー?」

「宿題があるでしょ。シェリーだって同じ宿題を出されてるんだからちゃんとやりなさいよね」

「エルは真面目だなー」

「1年生のときみたいに、夏休み終わり間際になって慌てたりしたくないでしょ? だったらちゃっちゃと宿題をやる」

「はーい」

 仕方なく、学長室に呼ばれる前までやっていた宿題の続きをするために勉強机に座る。

 エルには勉強机は大きすぎるので勉強するときもベッドの上だ。

 だが、紙が貴重品のこの国にあっては勉強は本を読んだりして覚えるのが主だから、勉強机を使えなくても問題はない。

 わからないところがあったらエルに訊こうっと。

 そんなふうに思いながら宿題のために大図書館で借りた本の続きを読み始めた。

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