第10話

 古式派と言っても、革新派の技術を使わないわけではない。

 例えば新たに開発された革新派の作った魔術を簡単で扱いやすい構文に研究し直し、魔力の強弱に左右されない汎用性の高い魔術にする、と言ったことも行っている。

 そうして一部の高い魔力しか有さない魔術師しか使えなかった魔術を、汎用性のある魔術にして普及させる活動も古式派の重要な役割のひとつだった。

 もちろん、新たな魔術は国への貢献度が高いと見なされ、古式派は革新派に遅れを取っているわけだが、それでも古式派の意義が失われていると言うわけではない。

 --と言うことを、光のマナの教師であるグランデ・クルトンという老齢の教師から教わったエルは、「なるほど」と思った。

 確かに現代日本でも家電製品は複雑化の一途を辿ってきたが、扱いの簡単なガラケーのような存在も未だに根強い人気がある。スマホほどの多機能はいらないが、電話機能は欲しいと言う機械に詳しくない層にとってはガラケーは扱いが簡単で、必要最小限の機能を有しているから、未だに新機種も発表されている。

 革新派とは多機能高性能を謳うスマホのようなもので、古式派とはガラケーのようなものだと思えば理解が早かった。

 そしてグランデ先生が実は専門にしている分野は光のマナであると同時に、古代魔術というものらしかった。

 そのことをグランデ先生に尋ねると、「歴史などの単元は後期からだったね」と前置きして簡単に説明してくれた。

 トライオ王国では魔術を奨励し、そのことで国を発展、安定させている大国だが、500年以上前はサーヴィア帝国という大陸全土を支配下に置く魔術大国があったそうだ。

 そこでは今は失われて久しい古代魔術というものがあって、ほぼ全ての国民が魔力を有し、魔術を使って今よりもずっと便利な生活をしていたという。

 当然、今の魔術界では実現が不可能とされる強大な魔術も存在していたらしく、そうした古代魔術の発見、解明の研究も古式派の中ではひとつの学問として成り立っているとのことだった。

 古式派の講義は、最初の1ヶ月の講義と同じで汎用性の高い魔術の研究を行うのが主な役割だから、エルにとってはどちらかというと退屈な講義だったが、古代魔術と言うものには大いに興味を引かれた。

 ちょうど1週間が過ぎて、一通りのマナの講義を1回受けたエルは、翌日が休みと言うこともあって大図書館に行って古代魔術について調べてみようと思っていた。

「ねーねー、エルー」

「なぁに、シェリー」

「月末も過ぎて援助金も入ったことだし、明日は休みだし、街に出て遊ばない?」

 ふむ。確かに月末には国から援助金が支給された。ちょうど懐は温かいし、毎日毎日勉強ばかりしていたら腐ってしまう。たまにはシェリーとドリンの街を探索して、色々と遊ぶのも悪くはない。

 大図書館で古代魔術について調べようとは思ったものの、大図書館ならシェルザールの敷地内にあるからいつでも行けるし、お金がないときの暇潰しにもなる。

 急ぐ必要のない用事だったので、シェリーの提案を優先して遊びに行くことにした。


 休日。

 朝はいつもの時間に起きてシェリーを起こし、朝食を食べてから身支度を調える。もう2月も半ばを過ぎて春も深まって暖かくなっていた時期だったので、半袖のワンピースにポシェットを装備、髪は動きやすく絡まりにくいように三つ編みにしてからアップにした。ポシェットには財布やハンカチなどの必要なものを入れて、エルの準備が整ったのでシェリーを見ると、相変わらず寝癖はつきっぱなし、巾着のような小さな袋をひとつ持って、腰布とさらしを巻いただけの簡素な服装だった。

 「はい、ベッドに座る」と強制的に座らせて寝癖だけでも整える。シェリーは「遊びに行くだけだからいいじゃんかー」と文句を言っていたが、曲がりなりにも女の子である。最低限の身支度くらいは調えなければ一緒に行ってあげないと半ば脅すと大人しくなった。

 シェリーのふわふわの髪は櫛で梳かすと綿菓子のようにふんわりとして気持ちよさそうなのだから、体毛までやると時間がかかりすぎるが髪だけでもふわふわにすると毛並みのいい血統書付きの猫のように美人になる。

 「これでよしっ」と肩を叩くと不満そうだった表情もあっという間に変わって、早く行こうとばかりにエルの手を取って急かしてくる。

 玄関を出るときに見かけた寮母さんに「出掛けてきまーす」と一言声をかけてから、シェルザールの敷地を早足で通り抜けていざドリンの街へ。

 入寮してから講義が始まるまでの短い期間に少しはドリンの街を探索したとは言っても、ドリンの街はとても広い。数々の魔術学校に、そうした学校に通う学生、学生たちを相手にした多種多様なお店などなど、とても短い期間では回りきれないくらい大きな街なのだから、行ったことのない道に足を踏み入れればそこには新たな発見が待っている。

 しかも講義までの短い期間で知ったことは、シェリーの方向感覚は途轍もなく鋭い、と言うことだった。一度歩いた道は忘れないし、どこをどう通ってきたのか、どうすれば最短でシェルザールに帰ってこれるのかを即座に判別してしまうくらいだったから、どんな小さな路地に入ったとしても迷子になる心配がない。しかも常に手を繋いでニコニコとしているのではぐれる心配もないから、シェリーと街に遊びに出るのは久しぶりだったが楽しみでもあった。

 援助金が支給されたとは言っても学生寮に住む学生にそこまで多くの額が出るわけではない。それでもこうしてたまに街に出て遊ぶくらいには十分なお金がもらえるので、本の閲覧店では閲覧料を支払ってどんな本があるか見てみたり、ウィンドウショッピングをして冷やかしたり、はたまた制服のローブ以外を嫌がるシェリーに服を見繕ってやったりと、楽しい時間を過ごす。

 人間のエルから見ても、シェリーは美人さんな猫だと思うのできちんとした服を着れば同じ亜人から見ても美人に見えると思うのだが、いかんせん本人が嫌がる。ワンピースのひとつでも着れば、寝癖で跳ねた体毛も隠れていいと思うのに、エルに付き合って入った服屋でシェリーのための服を見繕っても試着すらしようとしない。

 シェリーは大柄でほとんどサイズがないのであまり選び甲斐がないのだが、それでも着せ替え人形にしてみたい気持ちは強い。前世は男で、服装に頓着しなかったのに女に生まれ変わって15年も過ごせばすっかり考え方も女らしくなった。

 まぁ未だに前世で苦手だったことがそのまま残っていることもままあるのだが。

 午前中はそんな風にして遊んで、昼を少し過ぎた辺りで屋台で豚肉の串焼きと飲み物を買って昼食にし、「午後はどこに行こうか?」なんて話をする。

 たった1日ではドリンの街を遊び尽くすには圧倒的に時間が足りないので、気の向くまま、足の向くままに歩いて目についた店を見て回るのもいい。それか魔術学校と言えばシェルザールしか知らないので、他の魔術学校を覗いてみるのも面白いかもしれない。

 豚肉の串焼きを3本ぺろりと平らげたシェリーは早くも動き出しそうにそわそわしている。

「シェリーは行きたいとこってある?」

「特にはないかなー。あ、洋服屋さんだけはもうイヤ」

「シェリーだってちゃんとした服を着れば可愛いと思うのになぁ」

「卒業して村に帰ったらどうせ裸で過ごすんだもん。買っても意味ないよー」

「じゃぁ何かふたりでお揃いのもの買おうか? 服じゃなくて小物とかだったら嵩張らないし、いつまでも持っていられて思い出にもなるでしょ?」

「うーん、なんかもうお別れするって感じがしてイヤだなー」

「じゃぁコップとかは? そういう日用品なら普段使いできて実用的じゃない?」

「それならいいけど、どこかいいとこあるのかなー」

「別に今から探して見つける必要はないよ。もしぶらぶらしてそういうのを売ってるお店があったら探してみる、くらいの気持ちでいいんじゃない?」

「それならいっかー。じゃぁ午後も適当にぶらつく感じで?」

「うん、そうしよう。あんまり使いすぎると後々困るからね」

「うん」

 エルも豚肉の串焼きを食べ終わり、飲み物でさっぱりした後は再び手を繋いで当てもなく歩き始める。

 シェリーの興味は主に食べ物に向いているようで、屋台や店を構えたカフェなんかを見つけると駆け寄ってメニューを眺めたりする。つい今し方お昼を食べたばかりだと言うのに食欲は相変わらず旺盛だなと思いつつも好奇心の赴くままにお店をあっちこっち目移りするシェリーについていく。

 あいにくと歩く先々に雑貨を売るお店は見つからなかったので、お揃いの何かを買う、と言う目的は果たせそうにないまま、お昼も半ばを過ぎてしまっていた。

 シェリーは体力があるほうだからまだ全然疲れた様子を見せていないが、エルのほうは大分歩き疲れていた。こういうとき、この小柄な体格が恨めしい。

「シェリー、ちょっと休憩しない?」

「エル、疲れちゃった? もうだいぶ見て回ったからそろそろ帰ろうか?」

「帰るにしても少し休憩したいわ」

「うーん、どこか座れるような場所ないかなー」

 シェリーが辺りをキョロキョロと見回して、休憩できそうないい場所がないか探してくれる。こういうとき身長の高いシェリーは遠くまで見渡せるからありがたい。

「あ、あそこに屋台があるよ! 椅子もあるみたいだから、飲み物くらいは売ってるんじゃないかなー」

「じゃぁそこで休憩しましょ……」

 「う」と最後の言葉を遮るように、ガシャーンと何かが割れる音が響いてきた。

 それに続いて言い争う声まで聞こえてきて何事かと思う。

「何? シェリー、見える?」

「あ、うん。えっとね、なんか屋台の向こうのほうで男たちが言い争ってるみたいだよ。……んん? あの顔、どっかで見覚えがあるようなー……」

「見覚え? まさかシェルザールの学生じゃないでしょうね?」

「あ! エルをいじめたあいつだ!」

 ジャクソンか。プライドだけは天より高いお坊ちゃまはこんなところでも騒ぎを起こすのか。

 とは言え、相手がジャクソンだとは言っても同じシェルザールの学生。見過ごすわけにはいかない。

「シェリー、とにかく現場に行こう! いざとなったらシェリーが力尽くでいいから止めて」

「わかった!」

 疲れていたけどとにかく現場に向かって走る。シェルザールの学生が街で騒ぎを起こしたなんて知られたらどんなことになるかわかったものではない。

 近づくに連れて言い争いの声もだんだん聞こえてくる。

 どうやらジャクソンと、他の魔術学校の学生のケンカのようだ。「落ちこぼれ」だの、「田舎者」だのというジャクソンの声が聞こえてくる。

 あー、もうっ、ホンットにプライドだけは誰よりも高いんだから!

 どうせ何かの拍子に言い争いになって、ジャクソンがシェルザール以外の魔術学校の学生だとわかって馬鹿にしているのだろう。確かにシェルザールはドリンでも名門中の名門だが、同じ魔術師を志してドリンに来た者同士、馬鹿にしていいはずがない。

 言い争いを見守る群衆の中を掻き分けて当事者の元へ行こうとする。その間にも「警邏のアイオー騎士団はまだか!?」なんて声も聞こえたが、騎士団を待っているなんて悠長なことをしていられない。同じ魔術師同士、こんなところで攻撃魔術なんか使ったら目も当てられない。

 そういう悪い予感は的中するもので、詠唱の声が複数聞こえてきた。

 ジャクソンはせいぜいひとりかふたり、相手は複数人いると見て間違いない。実力の不利を人数で補おうと言うことだろう。

 だが、こんな群衆の見守る中で攻撃魔術なんて使ったらどうなるかわかったものではない。

「シェリー! お願い! 肩車して!」

「何するの!?」

「いいからして!」

 切迫した声にシェリーも何かを悟ったのだろう。それ以上何も言わず、軽々とエルを持ち上げると肩車をした。

 すると言い争いをしているジャクソンたちの姿がよく見える。ジャクソンはひとり、相手は3人。

「おまえらは知らないだろうがシェルザールの制服は実技のために防御魔術を組み込んだ魔術具なんだ。おまえらの程度の低い魔術が効くと思うな!」

 ジャクソンの勝ち誇った声が聞こえてきたがどうでもいい。

「全てを飲み込む深淵たる闇のマナよ……」

 シェルザールでしか構文を学んでいないジャクソンなんかより、無駄のないコード配列で組み上げたエルの詠唱速度が負けるはずがない。

「……あらゆるマナを喰らい、風のマナの疾風をもって覆い尽くせ! ディスペルオール!」

 ジャクソンたちの魔術が完成するよりも早く、エルの詠唱が終わり、漆黒の霧がジャクソンたちを覆っていく。それと同時に詠唱によって集まっていたマナが消え去り、何が起きたのか理解できないジャクソンたちが狼狽える。

 そこでようやく群衆を掻き分けてジャクソンたちの元に辿り着いたシェリーに肩車されたエルは馬鹿なことをしでかしたジャクソンたちを見下ろす。

「こんなところで魔術なんかぶっ放したらどうなるかわかってるの!? あんたたち!!」

「なんだ、てめぇ!」

 3人組のひとりがエルを見上げて気勢を上げる。

 だが、シェリーがいてくれるおかげでそんなことに怯むことはない。

「あんたたちみたいなバカに名乗る名前はないわ! これ以上まだ何かやるってんなら騎士団が来るまで闇の魔術で縛り上げるわよ!」

「邪魔すんな! チビ!」

「言ってもわからない分からず屋は黙ってなさい!」

 すぐさま試験会場で使った闇のマナを用いた魔術を詠唱し、ジャクソンに相対していた3人をすぐさま縛り上げる。

「クソッ! なんだ、この魔術…!」

「う、動けねぇ……!」

 闇のマナの縄に簀巻きにされて倒れた3人を見て、エルはシェリーに下ろしてもらう。

「ちょっとジャクソン!」

「ちっ、なんだよ」

「何があったのかは知らないけど、あんたも悪いんだからね。あんたがこんなところで魔術なんかでこいつらにケガなんかさせたら、同じシェルザールの学生たちが迷惑なのよ! そんなこともわからないバカなの!?」

「うるせぇ! ドチビ!!」

「この分からず屋!!」

 ついでに簀巻きにした3人と同じようにジャクソンも素早い詠唱で簀巻きにする。

「な、何しやがる!」

「言い訳は騎士団にしなさい。どうせ街中で魔術を使ってケンカをしようとしたことは騎士団からシェルザールに伝わるでしょうから、最悪停学くらいは覚悟することね」

「クソッ! こんなもの、ディスペルの魔術で……!」

「おあいにく様。その構文は私独自のものなの。普通の構文じゃ簡単にはディスペルできないわよ」

「そんなことあるわけが!」

「やれるならやってみなさいよ。やってる間に騎士団が来るでしょうけどね」

 そう言っているうちに、ガチャガチャと金属の触れ合う音がいくつも響いてくる。おそらくケンカが始まって警邏の騎士団を呼びに行った誰かが見つけて、駆けつけてきたと言ったところだろう。

「残念でした。詠唱する間もなく騎士団の到着よ。そのまま連行されてこってり絞られてくるといいわ」

「このチビ! 覚えてやがれ!!」

「もう忘れたわ。--行こう、シェリー。騎士団が来たらもうここには用はないわ」

「うん」

 エルはシェリーの手を引いて事態を見守っていた群衆のほうに歩き出す。すると何故かモーゼの逸話のように人混みがすっと道を空けた。

 まぁ無理もない。子供にしか見えないエルが、ケンカの仲裁をしたどころか、簀巻きにして当事者をほっぽり出してしまったのだから。

 これ幸いとばかりに騎士団に掴まる前にその場から逃げるようにして去る。

 エルも小さすぎるし、シェリーは大きすぎるから目立つのだが、それよりも騒ぎを起こした張本人たちのほうが優先されるだろうから逃げられるだろう。

 歩き疲れて、しかも魔術まで使わされて疲れたものの、何とか騎士団とは鉢合わせずにすんでホッとする。

 事情はおそらく掴まったジャクソンたちや、ケンカを最初から見ていた群衆の誰かが説明してくれるだろう。そうなれば遠からずエルにも何らかの影響があるだろうが、やったのはケンカを止めたことだから大事にはならないはず。

 疲れた身体に鞭打って、シェリーの方向感覚を頼りにまっすぐシェルザールに戻る。

 玄関に入ったときに寮母さんに見つかって、「どうかしたの?」と聞かれたが、話す気にはなれなかったので「疲れただけです」と答えてシェリーと一緒に部屋に戻る。

 部屋に戻るなり、エルはベッドに寝転び、疲れを癒やす。

「せっかくの楽しいお出掛けが台無しになったねー」

「そうね。--ったく、ジャクソンったらろくな事をしないんだから」

「エルを3回もいじめたヤツだよね? あいつ、あたしがとっちめてやろうか?」

「シェリーまで悪者になる必要はないわよ。放っておきなさい。どうせシェルザールから何らかの処分が出るわ」

「エルがそういうなら」

 それでもシェリーは何故かそわそわしている。

 疲れて寝転がっているだけだから気にしなくていいのにいったい何だろうと思っていると、シェリーはエルが寝ているベッドに乗っかると、膝枕をしてくれた。

 シェリーの太ももはふわふわの体毛に覆われていて柔らかいし、体温で温かい。

 ベッドの固い枕よりもこっちのほうが断然心地いい。

「ありがと、シェリー」

「遊び疲れて寝るとき、母さんがよくしてくれたんだ。ふかふかで気持ちよかったから、きっとエルも気持ちいいだろうなーって思って」

「うん、ふわふわで気持ちいい。しばらくこのままでいさせて」

「うん」

 しばらくの間、お互い無言で、エルはシェリーの膝枕に癒やされ、シェリーはいつもとは逆で優しい笑顔でエルを見下ろしていた。


 どれくらいそうしていたかはわからない。

 ただ、不意にシェリーのお腹がぐぅと鳴ったのをきっかけに、エルがぷっと吹き出し、つられてシェリーも笑い出したので、ひとしきり笑ってからエルは上体を起こした。

「ありがと、シェリー。だいぶ疲れも取れたわ」

「ならよかったー」

 上体を起こしてベッドに腰掛けると、シェリーも同じように体勢を直した。

「シェリーのお腹の音を聞いたら私までお腹が空いてきたわ。晩ご飯まで後どれくらいあるのかしら」

「もう少しだと思うけどなー」

「今日はたくさん歩いたからたくさん食べられそう」

「あたしもー」

「シェリーはいつだって私の倍の量食べるじゃない」

「だっておいしいんだもん」

「そんなに食べるからこんなに成長したのかしら」

「村ではこれくらい普通だよー。だから毎食テーブルの上は料理でいっぱいになるの」

「うわー、食費がすごそうね」

「山は色んなもので溢れてるからねー。食べるものには困らないよー」

「ここでも食べるものには困らないしね。学生寮に入ってよかったわぁ」

「あたしもそう思うー。いくら食べても怒られないしー」

「それでもシェリーって太らないのよねぇ。亜人ってみんなこうなのかしら?」

「どうだろ? あたしは村でも特別大きかったほうだけど、みんな遊んだり、狩りに出掛けたりして太ってる人って見たことないなー」

「食べる分だけ動いてるってことね。でも、シェルザールに来てからはあんまり動いてないはずなのに太らないわよね?」

「そういえばそうだね。なんでだろー?」

 太らない体質なのだろうか。だとしたら羨ましい限りである。

「私も治療院で働いてて、それなりに食べるほうだったけど、全然成長しなかったのよねぇ。弟にもすぐ追い抜かれちゃって姉の威厳が台無しよ」

「でも今日のエル、かっこよかったよー」

「シェリーがいてくれたおかげよ。私ひとりじゃあの人混みを掻き分けるのでさえ苦労したと思うわ」

「そう? だったら嬉しいけど」

「でもホントにシェリーがいてくれて心強かったわ。私、どんくさいからディスペルが間に合わなかったら逃げられなかったかもしれない。でもシェリーに肩車してもらってたから、何かあってもきっとシェリーが何とかしてくれるって思ってた」

「あたしが何とかする前に終わっちゃったけどねー」

「いいのよ。誰もケガしなかったんだから」

「うん、そうだねー」

「まぁでも、最後はとんでもないことに巻き込まれちゃったけど、今日のお出掛けは楽しかったわ。また援助金が入ったら遊びに行きましょう」

「うん! きっと知らないとこがまだまだたくさんあるだろうから探検するの楽しい」

「私もシェリーがいてくれるおかげで迷子にならずにすんで助かってるわ」

「狩りに出掛けて帰れない、なんてことになったら大変だからねー。村の人はだいたいみんな道を覚えるのは得意だよ」

「いいわねぇ。私なんて最初にドリンに着いたとき、迷子になっちゃって、宿に戻るまで何時間もかかっちゃったわ」

「すごいごちゃごちゃしてるもんね、ドリンって。でもそこが楽しい」

「それはわかる。何が出てくるかワクワクするよね」

「うんうん」

 そんな他愛のない話をしていると、今度はエルのお腹がぐぅと鳴った。

「もういいかな?」

「いいと思うよー」

「じゃぁ食堂に行こうか」

「うん」

 エルはベッドから飛び降りて、シェリーは立ち上がって、ベッドから離れると仲良く手を繋いで部屋を出た。

 向かうは食堂。疲れてお腹と背中がくっつきそうな空腹を満たしに廊下を歩いていった。


 夜も更けた頃にも関わらず、シェルザールの学長ラザード・シーマックの学長室には明かりがまだついていた。

 そこへドアがノックされ、羽根ペンを走らせていたラザードはすぐに「入りなさい」と応じた。

「失礼します、学長」

 シェルザールの教師のローブを着た中年の男性が入ってきて、ラザードに1通の手紙を渡した。

「アイオー騎士団からの書状です」

「アイオー騎士団? 何故そんなところから」

「それはなんとも……」

「まぁいい。私が読んでみる」

 書状を裏返すと、封をするための蝋にはアイオー騎士団の紋章が押されており、確かにアイオー騎士団からの書状だとわかる。

 ペーパーナイフを使って書状を開け、中の手紙に目を通したラザードは深々と溜息をついた。

「ど、どうなされたのですか?」

「どうしたもこうしたもない。シェルザールの学生がイシュド魔術学校の学生と街で騒ぎを起こしたらしい」

「なんですって!? それを騎士団が間に入って止めたと?」

「いや、その前に同じシェルザールの学生がケンカを止めて縛り上げたらしい。書面には止めたシェルザールの学生はエル・ギルフォードとシェルタリテ・ルドソン・シャダーと言う学生と言うことだ」

「エル・ギルフォード……。あぁ、知っています。とても大人には見えない小柄な容姿で、いつも背の高い人猫の女性と一緒にいると聞いたことがあります」

「止めたのはまだいい。シェルザールの学生が他の魔術学校の学生と一悶着起こしたと言うだけでも醜聞なのだからな」

「そうですね。ですが、学長は何を気になさっているので?」

「一悶着起こした学生は魔術を使って相手を攻撃しようとしていたらしい。それをディスペルオールを使って無効化したと言うのだ」

「え? あれは闇のマナと風のマナを同時に操らなければ成り立たない魔術のはずですが、それを一介の学生が?」

「そうだ。少なくとも風のマナを組み合わせる範囲魔術は2年生で習う魔術だ。だが、書面にはエル・ギルフォードは今年入学したばかりの1年生だと書いてある」

「まさか、そんな…。1年生はようやく基礎講義を終えて、個別講義に移ったばかりですよ?」

「だから私も唸っておる。習っていないはずの魔術をどうやって覚えたのか。エル・ギルフォードという1年生はどういう学生なのか。--急な話で悪いが、明日までにエル・ギルフォード、シェルタリテ・ルドソン・シャダー、ジャクソン・ニコラウスについて、わかる範囲で調べてきなさい」

「わかりました。ジャクソン・ニコラウスとは?」

「騒ぎを起こした張本人だ。これも1年生らしい」

「わかりました。学生名簿からその3人の素性を調べておきます」

「頼んだ」

「はい」

「下がってよいぞ」

「では失礼します」

 教師はラザードに一礼して学長室を退出していった。

 それを見送ってからラザードはもう一度深々と息を吐いた。

 騒ぎを起こしたジャクソンには何らかの処分を下さなければならないだろうが、エル・ギルフォードとシェルタリテ・ルドソン・シャダーについてはどうすべきか。

 騒ぎを未然に防いだと言うことだけならむしろ褒められて然るべき行動なのだが、それに使った魔術が問題だ。まさか個別講義で範囲魔術を教える教師がいるとは思えないし、そもそも風のマナを使えば範囲魔術まで応用ができると言うことを教える魔術師がいるとは到底思えない。

 そもそも魔力を持った子供が魔術師に師事すると言っても、普通は魔術の基礎までで応用までは教えないし、応用して操るだけの魔術が使えるほどの魔力を持った魔術師となるとそれなりに高い魔力を持っていないといけない。

 このふたりがどういう魔術師に師事したのかはまだわからないが、1年生にして2年生が習う魔術を行使してのけたと言うこと自体が驚きだ。

 場合によっては観察対象にしなければならないだろう。

 ジャクソンという学生があろうことか騒ぎを起こしたと言うだけでも頭が痛いと言うのに、2年生で習う魔術を入学して1ヶ月ちょっとの学生がやってのけたことまで重なると余計に頭が痛い。

 騒ぎを未然に防いだと言うからには、性格的には問題なさそうに思えることだけが唯一の救いだった。

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