第27話 必要な儀式

………

………


 その時優は、懐かしい違和感の中にいた。小さい頃。改編の日に浴びた光の波動。その波が通り抜けた際に感じた、自身が作り変えられるような感覚。

 気がつくと、いつの間にか体が軽くなっていた。どれくらい気を失っていたのだろうか。早く動かないと、魔獣が来る。焦る気持ちとは裏腹に、体がうまく動いてくれない。

 代わりに、ぼやけていた視覚と聴覚がまずは戻ってくる。

 聞こえたのは、自分を呼ぶ声。


 「優さん、優さん」


 シアの声だ。聞くものを安心させる、優しい呼びかけ。

 線を結んだ視界が、優を見下ろすシアを捉える。雨が止んだとはいえ、ぬかるんだ地面に座っているらしい彼女。これでは、泥だらけにならないようにと妙な意地を張った優の努力がいらないものだったようだ。

 外傷はなさそうだが、その顔は目元が腫れている。自分を心配して、泣いてくれたのだろうか。優の心が締め付けられる。彼女を、というよりは誰かを泣かせてしまうのは格好悪い。情けなく地面に転がっている場合ではなかった。

 動くようになってきた四肢に力を込め、身を起こす。


 「体は大丈夫そうですか?」


 そうして起き上がった優に対し、心配そうに聞いてくるシア。彼女に促される形で優は手足が動くこと、痛みも無いことを確認する。気を失う直前、自分の体からは明らかにしてはいけない音がしていた。それにしては体が驚くほど軽いと思う。

 魔力も少しだけ戻っている。これなら少なくとも内地までは、迷惑をかけずに済みそうだと判断し、


 「はい。すみません。ご心配をおかけしました。魔獣は――」


 安全を確認しようとした優を、シアがそっと抱きしめた。


 「生きていてくれて、ありがとうございます」

 「シアさん?! どういう……」

 「シア様が権能を使ってあなたを助けたんですよ」


 困惑する優に答えたのは、三船美鈴。続いて木野みどりが興奮した様子で状況を説明する。


 「すごかったんだよ! こう、白くて、ぶわーって」


 彼女の説明になっていない説明に、優の混乱は加速する。それでも、シアが優を助けた。それだけはわかった。


 つまり、優がやることは1つ。恥ずかしさもあってそっとシアを引き離した彼は、


 「助けてくれて、ありがとうございました」


 感謝の言葉を言う。その言葉にシアも微笑んで見せた。

 雲間から顔を出した太陽が優たちのいる森を照らす。落ちた雫は光を曲げて、逆さまの世界と七色の色彩を映して地面に落ちるのだった。



 新たな魔獣が来る前に、〈身体強化〉を使って優たちは無事、学校の運動場まで引き返すことが出来ていた。

 時刻はもうすぐ夕暮れ。昼ごはんを抜いた優のお腹が、内地に戻った安心感で鳴く。


 「兄さん!」

 「優!」


 優を見つけた天と春樹が彼の無事に安堵し駆け寄る。

 三船と木野は、運動場に座っていた首里朱音を見つけ彼女のもとに駆けて行った。一時、魔力の使い過ぎで気を失っていた首里も、魔力が少し回復して目を覚ますことが出来ていた。


 「神代さん、春樹さんも無事でよかった……」


 優の背後で、シアも2人の無事を喜ぶ。


 「シアさんも無事そうで良かった! あの白い魔法、権能だよな?」

 「あ、えっと……」


 自分が招いたかもしれない事態。後ろめたさが、まだシアの中にある。

 それでも、シアには手ごたえがあった。自身の権能が、人々の役に立ったと。何よりも優の命を救えた。その事実が少しずつシアに、自信という温もりをくれる。


 「兄さんを連れて来てくれて、ありがとう、シアさん」


 権能を使う時。いつか仲良くなってみたいと思い浮かんだ天も、シアにお礼を告げてくれる。

 その言葉を今は素直に受け取ろう。


 「はい、私でもお役に立つことができそうです」


 恥ずかしさと、ほんの少しの誇らしさを込めて言ったシアに、


 「――2つ……ううん。1つでいいや。聞きたいことがあるんだけど、いい?」

 「えっ?! は、はい」


 笑顔で聞いてくる天。なんとなく、その語気に何らかの覚悟を感じ、居住まいを正す。


 「――どうして最初に権能を使わなかったの? 魔獣、殺せたんでしょ? もっと早く使っていれば、もっと多くの人を助けられたのに。きっとみんなも思ってるよ?」


 そう言って天の目線の先をシアも見る。そこには友人を失って下を向く学生、戦闘で負傷して寝転がったまま動けない学生が大勢いる。


 「えっと、それは……」


 糾弾するでもない、単なる質問の口調。投げかけた問いにしかし、シアは口ごもるしかない。遅かれ早かれ、いつかはこうなるだろうとシアもわかっていた。

 権能を使えなかった理由はシア自身分かっている。しかし、それを彼らの前で口にする勇気がない。

 そんなシアの内面を天は遠慮なく言い当てる。


 「簡単な話、だよね? 権能が使えるシアさんに覚悟、勇気、意志。どれか……どれも、足りなかった。だから大勢の人が死んだ。違う?」

 「――っ」


 気づけば運動場にいる同級生たちがシアたちを見ている。天の質問にシアがどう答えるのか。注目している。

 否定するのは簡単だ。使わなかったのではなく、使えなかったのだと。仕方なかったと。そう言えば言い逃れすることもできる。しかし――

 シアは天の問いに大きく首を振る。大きく息を吸って、覚悟を決める。


 「……そ、その通り、です。神代さんの言う通り、いつでも権能を使うことはできました。ただ私に、覚悟が足りなかっただけでしたっ!」


 その場にいる人々に聞こえるように、言い切って見せる。でも、恐怖で目は開けられない。きっと待っているのは非難の嵐。お前のせいで。そう糾弾されることだろう。

 それでも、シアは自らの責任に嘘をつきたくなかった。すべての責任を背負う自分を格好いいといってくれた人がいる。シアの運命を変えたといってもいい人物だ。

 たとえ今の答えで彼が自分を見放そうとも、シアは自分自身の想いを大切にすると決めたのだ。後悔なんてするものか。

 静寂。

 吹き抜ける風の音だけがシアの耳に響く。


 「あれ、私の想定と違う……?!」


 最初に聞こえたのは焦る天の小さな声だった。


 「……え?」

 「シアさん、なんで、うんって言っちゃうかな?!」


 今度こそ小声でシアを糾弾する天。どうやら彼女は、シアが否定する、もしくは何も言わないと思っていたようだ。


 「シアさん、それに天も」


 学生たちが見守る中。シアのセルメンバーであり、天の兄でもある優が2人の間に割って入る。


 「兄さん、邪魔しないで。今、シアさんを問い詰めてるところだから――ぁ痛っ!」


 乱入した自分を睨む天に、優は優しく手刀をかます。


 「悪者になろうとするな。今回も前回も。誰も悪くない。しいて言うなら、魔獣が悪い。それだけだ」

 「――そんなこと、私だってわかってる。みんなだって、シアさんが悪くないってわかってるから黙ってるんだと思う。……でもっ!」


 珍しく本気で何かを言おうとする天に、優も耳を傾ける。


 「友達が、好きな人が死んだんだよ? 魔獣のせいって言っても、復讐のチャンスはもう無い。やりきれない想いも残るはず! その怒りの行き先は、さっきの質問と一緒にシアさんに行くかもしれない!」


 天からすれば、シアがそうした人々の非難に耐えられる人物ではないと思っている。


 「だったら私が受け止める! 私なら、大丈夫だから! だからシアさんを責めて、悪くないって思ってもらってから、逆にそれを責めた私が……」


 と、ようやく天は冷静になったようだ。そこまで言ってしまってはもうこの作戦に意味は無い。

 優が思うに天は天才で、なんでもできてしまう。誰かのために。それを苦も無く体現する妹は、優の最も尊敬する人物だ。

 でもそれゆえに、自分の痛みにとても鈍い。それは天にとって数少ない短所であると優は思っている。恐らく当人は自己犠牲とすら思っていないはずだ。当然のこと、直感に従ったまでだと、こともなく言うことだろう。


 「兄さんのせいだ。これから、どうしよう。どうやって――」


 どうやって学生たちの負の感情を鎮めようか。考えているだろう天。こういう時だけは、兄らしく振舞える。昔からそうしてきたように、頭をなでて落ち着いてもらおうと、優が行動するより早く。


 「天さんっ!」


 言いかけた天をシアが抱きしめた。


 「シアさん?! 苦しい……んだけど」

 「そうならそうと、言ってください! 分からないじゃないですかっ!」

 「言ったら意味が無い……ほんとに苦しい……」


 抱きしめるシアの腕を叩いて、限界を伝える天。ようやくシアも天を解放した。


 「私なら、大丈夫です。もう、覚悟は決めていました。……だから、あまり私を舐めないでください」

 「舐めないでくださいって……ほんとに、何があったの……?」


 天が外地演習前に抱いていたイメージとは大きく異なり、力強く笑ったシア。その変化に天は困惑せざるを得ない。

 一方、優としては数少ない、格好良い兄として振舞うチャンスを奪われた形になってしまった。


 「……天。みんなそれぞれ思うところはあると思う。俺も今日の朝挨拶してくれたクラスメイトの友達1人が死んだ。もっと親しい人が死んだ人たちもいる。それでも特派員の道を選んだ以上、俺も、死んだ人も。多分みんなも。ある程度は覚悟していたはずだ」


 そう言った優の言葉に、


 「そいつの言う通りだ! 俺のケガは俺のもんだ! 勝手に背負うな!」


 足を木の板で固定している男子学生が声を上げる。それに続くように、


 「そうです、悪いのは魔獣ですよ!」

 「だからシアさんも、天ちゃんも、悪くない! 友達とか抜きにして、本気でそう思う!」

 「俺達を舐めるな! ……でも、心配してくれてありがとうな!」

 「魔獣をたおしてくれて、ありがとうー!」


 賛同し、擁護する声が広がって行く。やがて、そもそもしょぼくれているからこんなことになったという話になり、どうして生き残ったことを喜ばないのかという声が上がり始める。それはそうだと思った学生たちが、1人、また1人と増えていく。

 前を向こうとする彼らの前には、悪者などいない。


 大切な人を失った悲しみや怒り。生き残った喜び。そうれらの想いは全て、魔法を強化する糧になる。生き残った人々が魔獣に立ち向かう際に、強力な武器となって還元されるのだ。

 むしろ、生き残ったからこそ。糧にしなくてはならない。

 どの想いも、魔法を使うと武器になるのであれば。優は周囲の人々も含めて、“楽しい”や“嬉しい”といったプラスの感情を糧にしてほしいと思う。


 「今はみんなで生き残れたことを喜びましょう。天も、シアさんも。な、春樹」


 終始黙っていた春樹。こういう時、彼が真っ先に動くと思っていた優だったが、


 「おう。そうだな! いいこと言うな、優!」


 そう笑った彼に違和感を覚えることになる。しかし、その小さな引っ掛かりは、


 「はい……はいっ!」

 「……兄さん、ちょっとだけ、格好いいじゃん」


 シアの笑顔と、天の“格好いい”という言葉によって優の中から消えてしまう。代わりに優は最初、天がシアに2つ質問しようとしていたことを思いした。


 「そう言えば天、シアさんにもう1つ何か聞こうとしてなかったか?」

 「あー、それは大丈夫。多分、わかったから」

 「そうか。ならいいが……」




 優の問いに答えた天の目は、かけられる感謝の言葉に困惑しているシアの様子を映している。

 あの時、天が聞こうとしていたのは、どうして優を最初の権能の対象としたのか。

兄の死を願ったのか。

 しかし、よく考えると。先週の女子会や今朝の反応などから見て、シアが優を殺そうとしたとは思えない。

 そして先週は、怖くて使わなかったという権能。それを使わせるほどの心境の変化をもたらしたのは、間違いなく兄だ。それほどまでに、シアの中で兄の存在が大きかったと言える。


 と、なると。

 無意識かどうかは不明だが、権能を使う時に優を想像、もしくは気にしていたと思われる、その理由は……。

 天の中で導かれる答えは1つしかない。

 そして、それを当人の前で聞くのは、無粋というものだった。


 『そうか。ならいいが……』


 そう答える兄は気づいていないだろう。優自身が思っている以上に大きな影響を、シアという1人の女性に与えたのだということ。

 天は思う。人は理屈ではなく、感情で動くのだ。例え今回出た犠牲がシアのせいではないと理屈では分かっていても、それに各々の感情がついてくるのかは別の話。

 シアに感謝を告げる学生たちの背後には、沈痛な表情で下を向いたままの学生たちも少なからずいる。今回は天人であるシアが天の予想を超えたせいで失敗に終わったが、やりきれない彼らの暗い感情を昇華・発散させる、ある種の儀式は必ず必要になる。

 天は兄のように、理想に生きることはできない。けれども、そんな自分だからこそ、理屈っぽいくせに理想家の兄を支えられてきたとも思っている。

 特派員になるという兄の理想を叶えるべく。今後について、天は静かに思考を巡らせていた。


 波乱が続いた9期生外地演習。今回は死者6名、重軽傷を多数出す結果となった。その内訳の多くは魔獣との戦闘ではなく、爆発の衝撃によっての死傷者だった。仕方ないとはいえその原因となった攻撃をした進藤がA級からの降格処分、居合わせた教員たちにも厳しい事情聴取と始末書提出が行なわれることになる。

 それでも、9期生の多くが魔獣との戦闘を経験し、特派員として大きな経験を積むことが出来たのだった。


………

●次回予告(あらすじ)

 シアの権能の効力に驚きつつも、寮に帰った優。周囲の目、守るべきものを失った彼は1人シャワーを浴びながら、格好悪さを露呈していた。

(読了目安/4分)

………

※みんなの前ではなるべく”格好良く”。でも、ふと一人になった時。優は……。なおシアが天を名前呼びしたのは作者の意図したものです。

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