第11話 魔獣

………

………


 雨が強くなってきた。


 「まず確認です。シアさんの〈創造〉で俺たちを囲む檻を作って、助けが来るまで時間を稼ぐことはできませんか?」


 〈身体強化〉を使って、シアを引き上げた優は、まず彼女に籠城作戦が出来ないか提案する。天人の魔力があれば、魔獣の攻撃をしのぐことが出来る、強固な檻を作ることが出来るはずだ。

そんな優の作戦に、シアは一考してから答える。


 「〈探査〉で見た魔獣の大きさであれば、30秒程度は持つかと思います。ですが、破壊された後は……」


 魔獣の襲撃を防げないと、暗に伝える。自分以外のマナを直接操作できないという魔法の性質上、地面に埋まった檻を作ることは、特定の天人にしかできない。そして、シアにその能力はない。となると、檻を空中に作り、加速して落として地面に埋める必要があった。


 魔獣がまだ到達しておらず、事前準備ができる今ならそれもできる。しかし、ひとたび檻が破壊されれば、彼らはその隙に人というご馳走にまっしぐら。新たに檻を作って埋める時間はない。

 それに檻に閉じこもるということは、子供や負傷者がいるここに魔獣を近づけるということ。何か不測の事態があっても、対応することが出来なくなる。30秒で助けが来るかわからないし、檻が破壊される可能性も残る。

 結局、優とシア。現状、2人が取った作戦は籠城ではなく、足止めだった。


 先に小屋の残骸から降りる優。

 どれくらい時間が稼げるだろう。魔獣が現れてから少し経つが、まだ、進藤が助けに来る様子はない。ひょっとすると、他のところにも魔獣が出現しているのだろうか。これが授業ということはさすがにないと、優は思いたかった。


 不安定な瓦礫が崩れないよう、慎重にシアが小屋から降りてきて優の右横に立つ。それと時を同じくして、ヌチャヌチャとぬかるんだ地面を踏む足音が聞こえてきた。

 そうして、木の影から大型犬ほどの大きさの生物が姿を現す。魔獣。複数の生物を無理矢理つないだような見た目をした、異形の生物。


 この魔獣はどうやら、イノシシを素体としているようだ。とはいえ、もうほとんど原型は無い。特徴的なのは頭。3頭分あるイノシシの頭の鼻先が時計の2時、6時、10時方向を向いてついている。鼻と口が3つ、口からのぞく鋭い牙が6つ、しかし、目だけは各顔に1つずつ、計3つが逆三角形を描く形でついていた。

 体は茶色い毛でおおわれ、背中には歪に変形した虫の羽のようなものが1本だけ生え、時折、震える。獣臭よりも、どちらかと言えば夏に放置した肉のような生臭い臭気を放っていた。


 魔獣については、人一倍学んでいる優。彼らは、自分が持っていたマナと食事などを通じて取り込んだマナが影響し合い、体が変化していると考えられている。今、優が対峙しているのは少なくともイノシシを2頭以上と、何かしらの昆虫を食べたイノシシが、魔獣化したものということ。

 生物として歪な魔獣からは常にマナが放出されており、極度の飢餓状態だと分かっている。その不足したマナを補うために、マナを豊富に含む人を襲って、食べているのだった。

 なお、魔獣は五感に加えて常に放出されているマナで、周囲の状況や人の存在を察知する。春樹や子供たちを小屋に残してきたのも、気休めでしかない。


 「直に見ると、相当だな」


 気持ち悪い。直接対面した魔獣に対する、優の素直な感想だった。小学校の頃に1度、加えて、映像などで魔獣の一例は見たことはあった。しかし、分裂した個体を除いて、同じような魔獣はいても、まったく同じ魔獣はいない。恐らくこれから何度も、魔獣への嫌悪感を抱くことになる。優としてはこの生理的嫌悪感に早く慣れたいものだった。


 テレビで見ていた猛獣と、野生でばったり出くわしたような。捕食者である彼らに対して、本能が逃げ出そうとする。その本能的反射を必死でこらえ、優は魔獣と相対する。〈身体強化〉を使って、全身を強化。臨戦態勢を取る。

 倒すのではなく、時間を稼ぐ。そのためにはマナをできる限り温存しつつ、長期戦を見越す必要があった。そのためには、助けが来ているのか、それが何人なのか、魔獣がどこにいるのかなど、全体の状況を知る必要があった。


 「シアさん。広めに〈探査〉をして、他に魔獣がいるのか、助けが来ているかを見てくれませんか?」


 魔力的に、優にはできない広範囲の〈探査〉。しかし、天人であるシアならば可能だろう。優の頼みに頷いたシアは黄金色のマナとなるべく反発しないよう、慎重に白いマナを広げた。

 優は魔獣に注目しておく。シアの〈探査〉を見ても、魔獣はまだ動かない。警戒しているのだろうか。それとも、もう1体いたはずの魔獣と合流しようとしているのか。


 「遠くにまだ学生が数組、います。境界線に近い方から彼らを回収している人がいるようですね。進藤先生でしょうか。魔獣は合わせて6体。近くにいるもう1体の魔獣は、この魔獣の背後に隠れています」


 シアが、得ている情報を手早く優に伝える。

 優の予想通り、他にも魔獣が湧いているようだ。彼女の報告を聞きながら、優は脳内に全体図を想像する。


 「学生たちは内地に避難しているようです。ただ、先ほどから何度も〈探査〉と〈誘導〉を使っている学生は動いていません。その人物めがけて、先ほど小屋を破壊したと思われる魔獣1体が、その……。2つの人間の反応と一緒に移動しています」


 シアが言い淀んだのはそれがジョンと幸助だと容易に予想できたから。一方、優も最初の〈探査〉でそれは分かっている。彼が気にしたのはむしろ、家族のことだった。


 「天のところか……。さすがにあいつでも、魔獣は厳しいかもな」


 魔獣はマナを多く持っているエサを求める。ここにいる天人のシアも、魔力持ちである天も、彼らにとってはご馳走だろう。幸いなことに天は境界線付近にいる。いざとなれば内地に逃げるだろう。

 魔獣を警戒しながら考える優。


 と、そんな彼にシアから恐る恐るといった様子で問いかけがあった。


 「天って……もしかして、神代さんのことですか?」

 「はい。神代天。マナの色からして、間違いないと思います。シアさん、もしかして、天の知り合いですか? ……シアさん?」


 クラスメイトだ。そう答えることも忘れて、シアは絶望していた。優が天を呼び捨てにしたこと。なぜかマナの色を知っていること。そんな疑問は、浮かばない。

 神代天。つい先ほど、授業中困っていたシアを助けてくれた人物。シアが、彼女となら啓示を乗り越えられるかもと思った、不思議な少女。

 自分と少しでも関わったせいで、彼女も魔獣に襲われるというのか。シアの中でくすぶっていた自責の念が、さらに大きくなる。

 そもそも、少し考えればわかることだ。境界線から200m以上離れたこの場所まで届く〈探査〉と〈誘導〉。それを長時間使用できる量のマナを保有する人など限られている。そして、天が魔力持ちであることをシアは知っていたはずだった。なのに――。


 思考がまとまらず、無意識に魔法が機能しなくなる。

 シアを包んでいた白いマナの膜――〈身体強化〉が解除され、無防備をさらす。

 魔獣という捕食者を前にして、それはあまりに大きな隙となった。


 「――シアさん!」

 「あっ……!」


 弾丸のような魔獣の突進がシアに向かっていた。すぐに魔法を使用しようにも、混乱した頭ではイメージが間に合わない。〈身体強化〉が無い今の状態で魔獣の突進などもらえば、吹き飛ぶどころか体に穴が開くことになる。せめて心臓だけでも守ろうと反射的に左にステップし、身をひねるのがシアの精いっぱいだった。

 そうしてさらされたシアの右半身を、魔獣が吹き飛ばす――寸前。


 重いもの同士がぶつかる鈍い音とともに見えない衝撃を受け、魔獣の突進が、シアから見て少しだけ右に逸れる。シアが身をひねっていたこともあって、運動着にしていた中学時代のジャージの前部をかすめ、魔獣が通り過ぎて行った。


 「ギリギリ、間に合った」


 優がシアの無事を確認する。〈魔弾〉の魔法を使って、魔獣の突進を逸らしたのだ。

 〈魔弾〉は凝集したマナの塊を打ち出すシンプルな魔法。隙をさらしていたシアをとっさに助けるには、シアか魔獣に弾を当てる必要があった。シアが優から見て手前にステップしたため、その背後から、魔獣に〈魔弾〉を当てる選択をしたのだった。


 「魔獣は……!」


 シアをかすめて行った魔獣はすぐに着地し、転身して、こちらの様子を伺っている。特段、ダメージを受けた様子はない。


 「すみません……!」


 すぐに〈身体強化〉をし直して、臨戦態勢を取り戻すシア。ようやく少し落ち着いて、謝罪よりもすることがあったと思い出す。


 「助かりました。ありがとうございます。魔法、ですか?」


 状況から見て、優が魔法を使ったのだと察したシア。しかし、魔法を使った際に現れるマナの発光が見られなかった。武芸の達人には“気”なるものを放つ人間がいるとシアは本で読んだことがあるが、優はとてもそうは見えない。

 となると、優は無色のマナを持っているということだろうとシアは予想していた。


 「はい、〈魔弾〉を。一応、倒すつもりだったんですが……。俺の魔法だと、倒すのは無理そうです」


 優が魔獣の方を狙ったのは、他にもいくつか理由があった。シアに全力で魔法を当てて吹き飛ばすことへの抵抗感。加えて、倒すことが出来るかもという、一縷の可能性に賭けてみたのだ。

 魔獣との直接的な戦闘はこれが初めて。魔法をきちんと使うことができれば、倒せずともダメージを負わせることはできると思っていた。しかし実際は、たいしてダメージを与えられた様子はなく、どうにか魔獣の突進を逸らした程度。


 しかも、とっさの判断だったとはいえ、助けが来るまでの持久戦の中、遠距離の魔法を使ってしまった。ただでさえ魔力が低い優のマナが、ごっそりと減っている。

 さらに、先ほどのシアの情報が確かなら。今、目視している突進してきた魔獣と、突進前にその魔獣の後ろに姿を隠していた魔獣。2体の魔獣に前後を挟まれてしまっていることが予想された。


 「シアさんの魔法なら、倒せそうですか?」


 一般人の優では無理だが、天人ならどうか。ザスタや天の〈探査〉もそうだが、魔力が高い人たちが使う魔法は、一般人のそれと一線を画する。想像した現象を具現化する際に込められるマナの密度が違うらしい。他にも、マナの色によっても得意な魔法があると言われている。


 「魔獣との戦闘は初めてなので、正直、わかりません。ですが、ダメージを与える程度であれば可能だと思います」


 助けが来るまでの持久戦だが、一応、倒すことはできるかもしれない。とは言え、発光しながら迫ってくるマナの塊に、魔獣もそう簡単には当たってくれない。

 奇襲をしようにも、マナを常に放出している彼らは、〈探査〉や〈身体強化〉を常時使用しているに等しい。つまり、周囲の変化に敏感ということ。先ほどのように攻撃に意識が向いていたりしない限り、人が魔法を使用する際に放出されるマナを感じ取り、避けられてしまう。

 近接戦闘では魔獣の高い身体能力を、遠距離戦闘では彼らの鋭い勘を攻略する必要がある。

 遠距離攻撃でも天人であるシアの攻撃ですら数発当てなければならないとするなら。


 「本当に厄介だな……」


 人が魔獣退治に苦戦するわけだった。


………

●次回予告(あらすじ)

 可能性を探るために、優はシアに〈魔弾〉を使ってみて欲しいとお願いする。優自身も彼女が確実に魔法を当てられる状況を作ろうと試行錯誤し、ようやくその時が来る。打ち出される白いマナの塊。それはその場にいる全員にとって希望の光になる。

(※読了目安/9分)

………

※作者はクトゥルフ神話を知ってしまっているので、魔獣の容姿などはそこからインスピレーションをもらっています。

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