13 なぜここに?

 空っぽの石を見つめ祈るでもなく、ソラリスは考えていた。


(あれから五年以上経つのか。早いような……長かったような)


 成長するにつれ、当時はわからなかったシオンの苦悩の一端が見えるようになった。


 守り育まれる時を過ぎた王子には、課せられる責任がある。果たさなければならない務めがある。それが自分の望みかわからなくても、演じなければならない役割がある。


 王室の流儀というのはつまり、思考停止の方法なのかもしれない。血族を遠ざけ他人のように振る舞って、他人のように距離を取って、守っているのだ。自分と、もしかしたら、相手の心を。


 レムと二人で会話をしたのは五年前のあれが最後だ。一年前、決闘の直前までは、出来るだけ話す機会を持たないでいた。わかってしまったからだ。自分もきっといつか、あの人みたいに怪物に飲まれ「どうかして」しまうのだろうと。


 ——どっちでもいい。


 シオンが最後にそう言った理由が理解できたのは、レムに挑もうと決めた直後だ。


 死にたいと思ったことはない。けれど、どっちでもいいなとふと思った。勝っても負けてもどちらでもいい。どちらも自分の望みではないから。


(自分の望み……俺の望み、か。今更な気もするけど)


 ミューの——王子ではない自由な体になってなお、王宮に戻ることしか考えなかった自分だ。見えない枷は今もしっかり手足についている。


(それでも……何となく今は、あるような気もしてるんだよなぁ)


 そこで冷えた体が震えた。小さなくしゃみが口からもれる。相変わらず寒い。


(……たとえば、ミューがこんな寒い思いをしないでよくなりますように、とかさ)


 我ながら規模の小さい望みに笑った、その時だった。


「そんなところにうずくまって、どうしたんだい? お嬢さん」

「うわぁああぁ⁉︎」


 背後からかけられたのんきな声に、ソラリスは唐突に現実に呼び戻された。誰だと思う間もなく、肩に乾いた布が乗る。


「ずぶ濡れじゃないか。汚れてて悪いがこれを」

「え? あぁ、りがとうございま……⁉︎」


 背後から外套を被せてきた声の主の手首に光る腕輪を見たソラリスは、はっと顔を上げて振り返った。そこに立つ男を呆然と呼ぶ。


「兄上……?」

「………………ん?」


 不思議そうに首を傾げるレムの様子で失言に気付いた。必死に言い訳を募る。


「いえ、その……ソラリス様の、兄上でいらっしゃるかと……」

「なるほど。一座の者なら顔を見たこともあるかもしれないな」


 勝手に納得してくれた様子に、ひとまずはほっとする。

 ほっとしたと同時に疑問を抱く。鷹揚に振る舞う様子はいつもの兄だが、その姿が何やらおかしい。


「……失礼ですが、あの……何でそんなにボロボロ……じゃなくてズタボロ……じゃなくって、お怪我を?」


 余計な会話はしない方がいいと理解しながらも、おそるおそる尋ねる。とても流せなかったのだ。


 今のレムは尋常じゃなくボロボロだった。被せられた外套も、謙遜でなく土で汚れている。流血こそしていないものの髪も服も同じように汚れており、服の中見はおそらく打身だらけだろうと察せられた。土に叩きつけられ転がされたとしか思えない有様だったのだ。


「あぁ、ちょっと虫の居所が悪かったみたいでね。……後ろ暗いところがあるからかもしれないが、話もしようとしないから困る」

「…………えぇ?」


 まるで女との痴話喧嘩のようなことをさらりと告げられ、困惑に眉が寄る。例えそうにしろ、王にならんとする世継ぎの王子を念入りに土に転がす女性がいるのだろうか。素直に怖い。


「まぁ俺のことは置いといて、話を戻そう。君はどうした、ずぶ濡れで」

「いえ、まぁ、私のことも置いておいていただいて構わないというか……その……し、失礼します!」


 意外な場所で意外な人物に意外なことを聞いたせいでにわかに混乱したソラリスは、我ながら不審な言動で頭を下げて逃げようとする。しかし、レムはその腕を掴んで止めた。


「ソラリス」

「……っ⁉︎」


 唐突に名前を呼ばれて心臓が跳ねる。


(まさかこの人、気付いて——)


 握られた腕に冷たい汗が浮く。

 ソラリスの焦りに頓着せず、レムはにこりと微笑んで言った。


「君はソラリスの……友人、みたいなものなのかな?」

「え? えぇと、はい……そう、です……?」


 何かの暗喩なのかとも思ったが、慌てていたせいもあって素直に頷く。


「そうか。それなら力になってやってくれ。……今のあの子は少々頼りないからな」


 腕から離れた手が、そのままぽんと頭に置かれる。


「………………」

 なんと答えていいか分からず、無言で頭を下げたソラリスは、小走りで裏庭を去る。


 そもそもの疑問にたどり着いたのは、宿場に戻った後だった。


「……そういえば、なんであの人、俺んちの庭にいたんだろう」


 疑問に答えるものはなく、ずぶ濡れの姿を認めた双子が何があったと騒ぎながら駆け寄ってくるまで、ただぼんやりと、今来た道を眺めていた。

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