第1話

「はぁ……」


 男は紙巻煙草を取り出しながらベンチに座った。

 オイルライターの蓋を跳ね上げ、左手で風除けを作りながらフリント・ホイールを親指で回す。

 煙草に火が点くと、手首のスナップだけで蓋を閉じた。


「人多過ぎ……」


 煙と一緒に不満を吐き出す。

 大学の構内は新歓の時期を迎えていた。

 新入生とサークルへ勧誘する二、三年生でごった返している。

 彼も部活の勧誘をやるべきなのだが、全くやる気がない。

 何より、人混みが嫌いなのだ。

 それに、彼の所属している部活はメジャーではない。

 勧誘した所で、本当に入部する奴はほとんどいないのだ。

 灰皿に煙草の灰を落とす。

 適当に時間を潰して、昼飯でも食って帰る事にした。

 スマホを取り出しSNSを眺め始めると、まだ顔に幼さの残る男が隣に座った。

 その彼も、ベンチに座ると同時に溜息を吐いた。


「疲れたみたいだね」


 目線はスマホに向けたままで話し掛けた。

 話し掛けられた新入生は一度ビクリと身体を強張らせる。


「ハハハ、緊張しないでいいよ、俺は不真面目だから勧誘なんてしない」

「はぁ……」

「しかし、賢いな君。喫煙所に新入生はいない筈だからね。勧誘に話し掛けられる事もない」

「いえ、ちょっと座りたかっただけで……」

「まぁ、空気は悪いけどゆっくりしていきな」


 煙を吐き出している本人が言う事ではない。

 煙草の男が醸し出すまったりとした空気に、新入生も肩の力を抜いた様だった。


「先輩、僕、地方出身なんです」

「へぇ、何処から来たの?」

「広島です」

「広島かぁ、それにしても訛ってないね?」

「練習してきました、馬鹿にされそうな気がして」

「ハハハ、馬鹿にはされないよ。俺だって地方出身なんだし」

「そうなんですか?」

「俺は福岡だよ。同じ高校出身者がいないから不安なんでしょ?」

「はい……」

「一週間もすれば慣れるし、友達も出来る、心配しなくていいよ」

「でも、僕、人と話すのが苦手で……」


 男は煙を吐きながら軽く笑った。


「心配しなさんな。ここは理系のキャンパス、文系とは別だから、女子の比率が極端に少ない。男どももオタクみたいな奴がほとんどだしね」


 煙を吸い込む。


「皆同じ様なもんだ、大丈夫」


 男の笑顔に新入生は安心感を覚えた。


「そうそう、大学の攻略法を教えてあげよう。まず、サークルに入るつもりなら、自分と同じ学科の先輩が複数いる所にしな?過去問とか過去レポ貰えるからね。それと、選択する授業はなるべくクラスメイトと被らせる。これも過去問が手に入りやすくなる方法」

「なるほど……」

「あと、クラスには必ず付属高校からエスカレーター式で上がってきた連中がいる筈。ソイツ等と仲良くしな。縦横の繋がりがあるから有用だ」


 男はそう言って、フィルター近くまで吸った煙草を灰皿で消しながら立ち上がった。


「大変な事もあるだろうけど、大学は楽しんだモン勝ちだぞ、新入生!」


 ニッコリと笑いながらそう言い残した男は喫煙所を後にした。

 怖そうな見た目だったが、滅茶苦茶良い人だったと新入生は男の後ろ姿を見ながら思った。


りゅう氏、ちゃんと勧誘してる?」


 喫煙所から部室に戻った男を見るなり、別の男が疑いの目を送ってきた。

 龍 聡太そうた、煙草を吸っていた男の名だ。

 ちなみに、話し掛けてきたのは藤原ふじわら 秀樹ひでき

 二人はクラスメイトで、同じ部活に所属している。


「やってるやってる」

「喫煙所でサボってたでしょうが!」

「何故バレたし!」

「煙草の匂いがしてんだよ!真面目に勧誘しろ!」


 部室の中にいる他のメンバーが笑う。


「入りたい奴が入ればいいじゃん?来る者拒まず、去る者追わずだ」


 龍はそう言いながら、部室内に設置された小型の冷蔵庫を開ける。

 中には数本の缶チューハイが冷やされていた。


「チューハイばっかだな……」

「今から飲むの?」


 近くに座っていた女子が龍に聞いてくる。

 彼女は山下やました 真紀まき、龍や藤原と同じ学年の紅一点だ。


「まさか。マキちゃんは飲む?」


 そう言って適当に手にした缶チューハイを山下へ差し出す龍。

 山下はブンブンと首を横に振った。


「酒を出すな!新入生来たらどうすんだ!」

「そん時は、飲ませればいいんじゃない?」

「そんな部活があるか!!」


 部室内が笑い声に包まれる。

 缶チューハイは冷蔵庫に戻した龍は、20センチ程しか開いていない窓のサッシに腰掛けた。


「だいたい、こんな部活に入りたがる奴なんているの?」

「所属してる人間が言う事じゃないな」

「だって、どう考えても変人でしょ、天文だぜ?」


 そう、龍達が所属しているのは天文部。

 サークルではなく部活だ、既に半世紀近い歴史がある。


「あのぉ~、チラシを見て来たんですけど……」


 新入生数人が開けっ放しになっているドアから顔を覗かせた。


「君達!気は確かか!天文部に来るなんて!」


 龍が声を上げる。


「折角来たのに追い返すな!」


 藤原の叫びが部室棟に響き渡った。

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