第4話

「飲み会? しかもユタカも? 何で今日なの? 急じゃない?」


 廊下ですれ違ったアンゼリカの突然の申し出に、サザは訝しげに眉を寄せた。急な話だからサザが引っかかるのも仕方ない。王子とサザに時間をずらして声をかけていることを悟られない為に前触れなく誘ったのだ。サザと王子の今夜の予定が空いていることは既に確認済みである。

 王子は昼以降は夜まで予定が一杯の筈だから、会って時間を確認し合うことは出来無い筈だ。今カズラが王子に声をかけに行っているだろう。


「あたし達、結局王子とサザと揃って食事したこと無いなあと思って! 親友の旦那さんだからそろそろもちゃんと話してみたいなって」


「うーん、まあ、確かにそっかあ……」


 サザは考え込む風に人差し指を顎に当てて目線を上にやった。


「今日はリヒトは校外学習で王都トイヴォの外れの教会までお泊まりに行っちゃうから丁度いいかも。でも、そういえばユタカっていつもお茶かジュースばっかりでお酒飲んでるとこ見たことないや。弱いらしいし。大丈夫かなあ」


「やっぱりね」


「やっぱり?」


「や、こっちの話よ」


 アンゼリカの応答に何かを感じたらしいサザの表情が険しくなった。


「ちょっとアンゼリカ! もしかして何か変なこと考えてるんじゃ……⁉」


 サザが表情を険しくしてアンゼリカに詰め寄る。アンゼリカは動じずに笑顔のままで続ける。


「まっさか! 大体、王子とサザが一緒にいるなら変なことしようがないじゃない」


「ん……それもそっか。じゃ九時ね。今日ユタカと一緒に仕事する誰かに言ってもらうように伝えとくよ」


「あ、大丈夫! カズラが王子には伝えておいてくれるから!」


「そうなの?……分かった」


 サザが首を傾げてから頷いた。ここで王子とサザを呼んだ時間が違うことに気づかれては全てが水の泡になる。


「サーリさんに軽食を頼んだわ。広めの来賓用の客室を一つ借りたから、そこに来てくれれば大丈夫よ。酒や食べ物は私たちが準備するから何も持ってこなくていいから」


「わあ、サーリさんのおつまみ楽しみだな! じゃまた九時ね」


 サザは表情を一転させて嬉しそうにそう言うと、手を振って足速に去っていった。アンゼリカは手を振り返しながら、心の中でガッツポーズをした。


 —


「準備ばっちりね」


「いよいよだな」


 その日の夜七時、イスパハル城の来賓用の客室でカズラとアンゼリカは頷き合った。作戦通り、王子には七時、サザには九時と伝えてある。そろそろ王子が来る筈だ。


 広い客室は二部屋が連なった豪勢な作りだ。寝室に当たる部屋にはキングサイズの豪華な天蓋付きベッドが鎮座しており、隣の応接部屋にはすずらんの象嵌細工が施されたダイニングテーブルが備え付けられられている。王子が一緒だと言ったら難なく借りることができた。

 二人はサーリに頼んで作ってもらった小皿料理と酒瓶をテーブルに並べて王子を待っていた。サーリは牛モツのトマト煮込みやマッシュポテト、ミートボールなどの料理を少しずつ作ってくれた。冷めても美味しい酒場料理はサーリの真骨頂である。

 葡萄酒は十二瓶用意した。これだけあれば十分だろう。


 その時部屋のドアがノックされた。アンゼリカとカズラは顔を見合わせて頷き合うと、素早くドアを開けると、そこには王子が立っていた。


「お疲れ様、準備させて悪いね」


 王子は会釈しながら部屋に入ってきた。今日は公務だったらしく、通常の群青色の軍服ではなく、王族のみが着用できる白い軍服を着ていた。眩しい。

 こうして改めて至近距離で見ると、背が高いことに驚く。背の低いサザは王子と並ぶとその身長差が際立つことを気にしているのだが、先日の調査の結果では、世間的にはその身長差が可愛いと捉えられているようだ。アンゼリカは何となく悔しかったのでそれはサザには教えてやらないことに決めた。

 

「いえいえ! 王子はどうぞ、こっちに座ってくださいね!」


 アンゼリカがにこにこしながらダイニングテーブルの椅子を引くと、王子は会釈して腰掛けた。カズラとアンゼリカも席に着く。


 四人がけのテーブルにカズラとアンゼリカが並んで座り、二人に向かい合う様に王子とサザが座る格好である。もちろん今はサザの席は空いている。王子はカズラとアンゼリカを交互に見て笑顔で言った。


「昼間から今日の夜がすごく楽しみだったんだ。わざわざ企画してくれてありがとう」


 その瞬間、アンゼリカの胸がちくりと痛んだ。


(あれっ? これは、罪悪感……?)


 無理やり忘れたはずの王子の前情報が呼び起こされる。直接本人を目の前にすると感じる罪悪感が桁違いだということをアンゼリカは知らなかった。


「いえいえ、こちらこそ」


 アンゼリカはそう答えながら横目でカズラをちらりと見ると、頬に汗が光っていた。アンゼリカと同じことを感じているようだ。

 そんな二人の胸の内を知らない王子は話を続ける。


「サザはまだ来てないのか? 仕事が長引いてるのかな」


「ええ。遅れるかもしれないから先に始めてていいよと言ってました」


「そうなんだ……じゃあ、時間も限られてるし始めてようか?」


 そう言うなり王子は酒瓶を持って、カズラとアンゼリカの杯に葡萄酒を注いでくれた。酒が弱いとは思えない、慣れた動作だ。きっと上下関係の厳しい軍の中に長年いれば、こういうことは散々仕込まれるのだろう。


 二人は王子に酒を注いでもらった申し訳なさにおずおずと杯を受け取ると、乾杯をして口を付けた。


「おれはあんまり酒は飲めないんだけど、明日はおれもサザも珍しく休みだから少しなら大丈夫そうなんだ。本当にいい日を選んでくれて助かったよ」


「それは、良かったです」


 カズラが若干引き攣った笑顔で王子に返す。


「それに、二人も忙しいのに、おれとサザのこと考えてわざわざこの会を開いてくれたんだよな。本当に頭が上がらないよ」


 その言葉にさっきよりも鋭さを増した痛みがアンゼリカの胸を突いた。

 まずい。普通に感謝されている。


(あたしってこんなに良心あったの……?)


 何とか笑顔をキープしながらアンゼリカは、込み上げた良心を気合いでねじ伏せた。ここで王子のペースに呑まれたら任務は失敗する。

 まさかアンゼリカがそんなことを考えているとは知らない王子は葡萄酒をに口を付けると、眉を寄せて少しだけ寂しそうに笑った。


「王子になったらやっぱり、前まで仲良かった人でも少し距離を置かれるからさ。仕方無いんだけど、おれは本当に何も変わってないのに」


「そうだったんですね……」


 調査の結果、完璧な王子様だと思っていた王子の意外な吐露に、アンゼリカとカズラはやや俯いて顔を見合わせた。

 完璧な人なんているはずがない、という当たり前のことを、この人のエピソード一つ一つの破壊力に気を取られて忘れてしまっていた。でも、そういう所も含めてこの人はきっと皆に愛されているだということは痛いほど分かる。王子は話を続けた。


「だから、二人がこうやって自然に飲み会に誘ってくれたからおれは本当に嬉しかったんだ。サザもきっと楽しみにしているだろうな」


 王子はそう言うと顔を上げて、屈託の無い笑顔を見せた。その時、今までにない痛みがアンゼリカの胸を貫いた。


(ううっ……今までで一番の罪悪感!)


 アンゼリカは笑顔だけは崩さない様に注意しつつ、思わず自分の胸に手を当てた。もう一度ちらりと横目に見たカズラは最早無表情で、心の中に沸き起こった後悔が漏れ出していた。


「王子、すみません。本当は……!」


 そこで、良心の呵責に耐えられなくなったらしいカズラがいきなり立ち上がって何かを言いかけたのでアンゼリカが笑顔のまま、テーブルの下でカズラの足を思いっきり踏んだ。

 カズラはうっ、と小さく呻くとこめかみを引き攣らせ口籠り、横目でこちらを見た。


 アンゼリカは『ここまで来て日和ひよってんじゃないわよ』という念を存分に込めた笑顔でカズラを見つめた。その意図を察して諦めたらしいカズラはごくりと唾を飲んで、姿勢良く椅子に座り直した。


「『本当は?』? 本当は、何か予定があったのか? 大丈夫?」


 ユタカが焦った様子でカズラに聞き返したのでアンゼリカが慌てて言葉を繋ぐ。


「いえ、そうじゃ無いんです! まさか本当に王子に来てもらえると思っていなかったのでカズラは恐縮してるんです!」


「いや、そんなこと気にしないでくれ。おれだって自分が王子だって未だに信じられないんだから」


 アンゼリカの言葉にユタカはほっとした様に笑みを見せた。別の意味でほっとしたアンゼリカもその笑顔に答える。危うく全てが無に帰す所だった。


(絶対に王子とサザの(自主規制)のこと、聞き出すわ。やると決めた任務は、絶対にやり通す。それがあたしの暗殺者としての矜持だから)


 アンゼリカは鼻でゆっくりと深呼吸すると、正面のユタカに向かってもう一度、にっこりと微笑みを深めた。

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