第18話 鵲鏡

  星華せいか戴烏冠式たいうかんしきが決まって早くも一月が過ぎた。下働きから高官までもが宮廷内を忙しなく駆けずり回っている中、優雅な足取りで目的地へと向かう人物が一人いた。周りでちょこまか動くものには一切目もくれずただ一点を見つめるその瞳には、揺らぐことがない明確な意志が宿っているように見える。


 (私は、このまま何もせずにいるわけにはいかない......。)


星華の側近達は皆いい人達だ。これは星華の人選が良かったと言えよう。ただ、まだ鵲鏡さくきょうに比べると経験が浅い。それゆえにまだまだ詰めが甘いところがある。それを補うのが自分の役目だと、ここ最近の鵲鏡はそう思っている。彼は一月の間、彼らがどのように虹王こうおうという立場に即く星華様を支えるのか、ただ黙って見守ってきた。


 だが、もうそれも時間切れだった。若い側近達はかいがいしく働いているが、たった一つ忘れていることがある。しばらく歩いて彼が立ち止まった場所は兵部尚書の執務室前。彼は大きく息を吸い、背筋をぴんと張った。


「失礼致します。虹姫こうき筆頭侍官、鵲鏡でございます。」

「入りなさい。」


流れるような動作でへやに入った鵲鏡は、その流れのまま最上級の跪拝の形をとった。


「それで、用件はなんだ。」

仕事の手を止めることなく目線だけで兵部尚書、翔信しょうしんは鵲鏡にこう問うた。相手を見定めるようなその目線は鋭く、穏やかなはずなのに蛇に噛まれるような心地さえする。


しかし鵲鏡は余裕のあるように目元を和らげ、口元には笑みさえ浮かべていた。


「此度の戴烏冠式につきましてお願いがございます。兵部所属の武官を、我が主の臨時の護衛に貸していただきとうございます。」

「ほう。それは虹姫様からの要請か?」

「いえ。私の独断でございます。」

「来るなら我が養女むすめが来るだろうと思っていたが......。まさか、気づいていないのか?」

「大方間違いはないと。」

「はぁ。は少し危機感が薄い。だが、これほどまでとは。不甲斐ない。」

「..................。」


「ところで其方、私のよく知るある人物によく似ているのだが......。」

じとりと睨むように細められた瞳の眼光に、鵲鏡は言い逃れを許されなかった。瞳を伏せ少し俯くと、目元には長い睫毛の影が落ちる。そんな彼のひとつひとつの動作や表情はいちいち艶かしい。


「......ふふふ。さすが翔信ですね。私をここまで追いつめられる御方はそういないですよ。」


通称『鬼軍曹』を相手に笑みを浮かべられる人物もまた。それは現在考えられる中ではただ一人—。


「ははっ。ははははははっ。やはり生きておられたかー!」

「何か悪い事でも?」

「いいや、やはりな。お前がで死ぬはずがないと思っとったわ。」


翔信には珍しいどこか安堵した表情に鵲鏡ことりん月雪げっせつは、ばつの悪そうな顔を少しばかり緩ませた。


「まぁ事情は後で聞くこととして、お前の妹は知ってるのか?」

「いいえ。知らせているはずがないじゃないですか。誰も知りませんよ、翔信以外は。......しかし、霜晏そうあんにはいずれ気づかれそうですかね。」

「霜晏か。確かにあいつは鋭いとこがあるからな。だがしかし、お前の演技力には度肝を抜かれるな。尚書達を、なにより実の父親までもを欺いているとは。」


翔信の感心しきった声色に月雪は苦い笑みを浮かべた。


「あの人は父親らしくないですからね。」


月雪が母親以外で唯一心を許す人物である翔信はどこか客観的な彼の心情を正確に読み取った。


「すまん。余計な事を言ってしまったようだ。..........いいだろう。お前が言うんだ。星華様に何か起こる事は確実だろう。」

「一応、ですよ。ありがとうございます。」


翔信は昔と何ら変わりのないように見える彼の無表情の中に少し温かみがあるように思えた。


(孤独なお前を変えたのは、きっと............、)


彼のちょっとした変化が、翔信には何よりも嬉しかった。月雪にとって翔信が特別であるように翔信にもまた、月雪は特別な存在なのだ。



 先見の明を持ち、容姿にも優れた聡明なる虹星国第一公子、竜月雪は觜鵲鏡として今も生きている。現在は公子という立場を失ったものの、自らの妹を一番側で支えられる筆頭侍官としていられることを彼は幸せに思っていた。

 たとえ彼女に『お兄様』と呼んでもらえなくとも、世界で一番大切な妹を守ることが鵲鏡の使命であり、誇りだ。


 

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