第2話-3 ヒュドラ狩り

一体何のつもりだろうか、アトラスの考えがまるで分からない。


 病院の階段をさらに上がり、突き当りの空き病室に潜んだところで僕は忍び声で尋ねた。


「ちょっ、何してるんだよ!?」


「あの男から匂いがしたの」


「匂い?」


「そう、ヒュドラの毒の匂い」


ヒュドラ。聞いたことのない名前だが、この状況からそいつが新たなテラスであるということは理解できた。そして、あそこに瀬里奈と出炉を残していることも。


*  *  *


 布令が出ていった病室では出炉と瀬里奈がぽかんと口を開き、呆けたようになる。


 「トイレかな?」


 「チビりそうだったんだろ」


 ぶっきらぼうに吐き捨てた出炉はベッドに座り込むと、「とにかくこれで大丈夫だよな……」と小声でつぶやいた。


「ん、なんか言った?」


「あっいや、間に合ったのか大丈夫かなって」

 

「すごい急いでたもんね」

 

 瀬里奈が廊下を覗こうとドアまで歩いていく。すると、行く手を塞ぐように医師と看護師が集まってきた。その奥、廊下からは何か地面にこすれる音が聞こえてくる。


「すまねぇな、許してくれ。助かるためなんだ」


 背後から出炉の声が聞こえてくると同時に、入口の集団が左右にはける。

 

 彼女の前に現れたのは巨大な蛇の頭。


「ひっ」


 逃げる暇も与えず一直線に飛びかかってくる。今度こそ自分は助からない、そう思った瞬間。


「アトラス!!」


 褐色の女性が叫び声を上げながらそいつに殴りかかった。


 その姿は間違いなく先日の巨人だが、明らかに小さい。それでも、天井すれすれの巨体から繰り出される拳は十分な威力を誇っていた。


 衝撃で怯んだ蛇の頭は、するすると引っ込んでいく。それを見た周囲の人々は騒ぎながら、何か焦るように瀬里奈に掴みかかってきた。


*  *  *


 ヒュドラが引いていき、看護師らは瀬里奈に向かっていく。間違いない。狙われているのは彼女だ。


 僕は彼女を抱きかかえると、その場から抜け出そうと人混みをかき分けた。


 だがその間、アトラスはしきりに「ヒュドラを追いかけなさい」と命令してくる。それに対し思わず「黙れ!」と返しながら、廊下を駆け抜けていった。


必死に階段を上っていると、突然変身が解除される。力が抜けていくなか、なんとか瀬里奈を落とさないよう力を振り絞りながら一番近い病室へと転がり込んだ。


並んでいる簡易ベッドに彼女を庇うように背中から突っ込む。衝撃で一瞬息が止まり、痛みが走る。


すぐにその痛みをかき消すような疲労感が溢れてきた。そのまま仰向けになりながら呼吸を整える。瀬里奈もしばらく僕の腕の中で震えていたが、ハッとして少し頬を赤く染めながら立ち上がった。


「えーっと、ケガはない?」


「あ……だ、大丈夫。ありがと」


「そっか、よかった」


 不安にさせないよう彼女には優しく微笑んだが、身体の中では怒りが収まらなかった。左手で腕輪を強く握り締める。


 そうこうしているうちに、追手が階段を駆けのぼる音が聞こえてきた。僕たちは一番奥のベッドの下へ潜り込み、息を潜める。慌ただしく部屋に入ってきた2、3人の看護師たちは、入口近くのベッドから順番に、下を懐中電灯で照らしはじめた。


 このままだと時間の問題、どうしようかと焦っていると、自分たちの上で何かが動くのが分かった。入院中の患者だろうか、何もしないでくれと祈る。


「奴らはすでに逃げました」

 

 聞き覚えのある声の主は、そう言って看護師たちが部屋から出ていくのを見計らうと、こちらを覗き込んでくる。


「もう大丈夫ですよ」


 見覚えのある顔、包帯姿のレイアだった。


「レ、レイア!無事だったのか」


「はい、この前のキメラ襲撃の際に怪我を負ってしまって」


「キメラ?」


 レイアの答えに、瀬里奈が聞き返す。


「あの巨大な怪物のことだよ。でもよかった、無事だったんだね」


 安心したのもつかの間、レイアは頭を押さえる。


「ごめんなさい、実は記憶を失ってしまって。少しずつは取り戻しているのですが」


「なるほど、じゃあ僕たちのことも覚えていないってことか」


「はい、そうです」


 キメラの攻撃は過去に経験したことのない規模のもの。そんな想定外の事態に対しても、未来建設小隊の隊員は立ち向かった。もし僕が最初から力を使えていたら、もっと多くの人の命を救えたのかもしれない。


 だが、今でも女神の力は自由に使えない。辛うじて変身のタイミングや普段の行動の主導権はこちらが握っているが、彼女に身体を半分乗っ取られているようなもの。これからもこの腕輪に振り回されるというのなら……。


「ちょっと様子見てくるね」


 危ないと呼びかけられるが、「やることがあるから」と作り笑いをしながら部屋を出た。


*  *  *


「記憶がなくても、今この病院で何が起きているのかは分かるんじゃない?」


 瀬里奈の問いかけに、レイアはゆっくり頷いた。


「ええ、この病院はヒュドラに支配されているんです」


「ヒュドラ?あの蛇みたいなやつ?」


「はい。ここにいる人々はそのヒュドラに毒を盛られました。そしてヒュドラは彼らにある提案をしたのです、新たな人間を連れ来させ生贄にする代わりにお前らを生かしてやる、と」


「まさか出炉が連絡してきたのって……」


 信じたくはないが、幼馴染への不信感が募る。


*  *  *


 僕は腕を抑えながら、廊下を速足で進む。


「どうしたの、急に私を握り締めて。いきなり変身はするし……。今日はもう30秒位しか活動できないんだよ?しかも上手く同調してなかったから中途半端だった」


 アトラスの抗議が聞こえてくるが、無視しながらトイレに駆け込んだ。


 奥の個室で僕は腕輪を見つめながら言った。


「さっきはどう責任をとるつもりだったの?」


 アトラスはよく分かっていないような声で「何が?」と言った。まるで何も気にならないかのような様子である。


「瀬里奈のことだよ!もしあそこでヒュドラを追っていたら、彼女はどうなっていたんだよ!」


「どうなったも何も、最初から囮のつもりだったし」


「……どういうこと?」


 その時僕は、彼女はあくまで神であり、人間ではないのだと悟った。


「ヒュドラってよく遅延性の毒を使って脅迫するんだ、新しい餌を連れて来れば助けてやるって。この病院の人々もそうやって脅されてるんだと思う」


 冷静に答える彼女とは対照的に、僕は全身がどんどん熱くなってくる。


「じゃあ出炉が瀬里奈を呼び出したのは」


「自分が助かるためだね。いや~人間って醜いなあ」


 それを聞いて、出炉への失望よりもアトラスがそれを伝えず瀬里奈を騙していたことに怒りを覚える。


「なんで言ってくれなかったの?」


「だって必要ないじゃん、そっちの方が都合良いし」


 彼女に悪びれる様子は一切なく、むしろ当然のことをしたかのように振舞っている。


「アトラスは人間に対して何も思わないの?可哀想とか、助けてあげたいとか」


「あーなるほど、そういうことか。君はそんなことを心配してたのね」


 彼女はようやく僕の怒りの理由が分かったようだ。


「特に何も思わないよ。だってただの人間だよ?逆に聞くけど、君はアリに対して何かを思っているのかい?」


 なんとなく分かっていたが、実際に聞くと唖然とする。神と人間の価値基準ゆえなのだろう。前に進むきっかけをくれた存在として親近感を覚えた僕が間違っていたようだ。


 僕はズボンの腰部分に挟めていた包丁を取り出し、胸に突き刺そうとする。アトラスは「何をしているの!?」と慌てたような声を出し、腕の動きを止めた。だが僕が力を込めると、少しずつ刃先が自分の胸に近づいていく。


「ちょ待って、あなたが死んだら私も消えるんだけど?」


「そんなのアトラスの身勝手じゃないか!誰かを見捨てるくらいなら、僕も死ぬ」


「は、はぁ!?テラスのせいでさらに多くの人間が死ぬかもしれないのよ?」


「僕は……みんなを守りたいんだ」


 力を込めながら放った言葉は、小さくふわふわとしていた。だけど、それはしっかりと彼女に伝わったらしい。


「はぁ……分かりましたよ、分かりました。守ればいいんでしょ、人間のこと」


 僕は包丁を下ろす。

 

「……テラスに協力する人間でも?」


「うん」


 間髪なく答えた僕に対し、彼女は呆れたような声を上げた。


「君を追放した奴なんだよ?別に助ける義理はないじゃん」


「それでも構わない。彼を救いたいんだ、勇者として」


 アトラスは大きくため息をつき「分かった」と一言だけ発した。ただ、やはり不満気にぶつくさと小言で文句を言っている。


僕がトイレの個室から飛び出していこうとした時である。


「あ、開かない……」


そこでアトラスは呟く。


「鍵かけてあるからね」


「……」


「……」


「行こうッ!」


何事も無かったかのようにトイレを飛び出した。



【あいさつ文】

 お世話になっております。やまだしんじです。

 ここまで読んでくださりありがとうございました。よろしければ、作品のフォローや↓の☆☆☆を★★★にする、または応援レビューなどをしてくださると大変うれしいです。執筆のモチベーションにもつながります。

 これからもよろしくお願いいたします。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る