第14話



 それからサ・イラ号は武装船から離れた後、リガーリェの地を目指した。

「国境には守備隊の砦があります。まずはそこに報せなければ。もっと急いで、船長さん」

「これでも目一杯やっているんだっての!」

 サ・イラ号は白い排煙を上げ、地平線に沿って弾丸のように進んでいた。


「見えた。前方に砦の目印だ」

 見張り台からマルダーが声を掛ける。

「じきに境界線代わりの旗が見えて来る。そいつを目指しておくれ、船乗り!」


 操舵室が一挙に慌ただしくなる中、アルプは操舵室の床にじっと蹲っていた。

「なあ、族長さんよ。暇なら部屋に戻っちゃくれねえか?」

 ルインが声を掛けるも、アルプからの応答は無い。


「おい!?」

「待って、船長さん」

 ラトナが止める。彼女はそっとアルプの横に膝をつき、そっと耳を傾けた。

「……獣。猛り怒る獣達の声……まさか!」

 突如アルプが勢いよく上体を起こした。

「愚か者ぉ!」

 よほどの激情に駆られているのか、顔を覆い隠した布を自ら脱ぎ捨てた。

 露わになったのは、ラトナよりも若い娘の青白い細面だった。


「もうやめてくれ。こんな馬鹿げたことを続けたら、シュイクはまた滅んでしまうぞ!」

 そんな彼女が、ますます顔を真っ青にさせて、感情的に喚き出す。突然のことに操舵室の面々は言葉を失ってしまった。


 そこへ……。

「見張り台から操舵室。ヤバい事になっている。船乗り、高度を上げろ。今すぐに!」

 マルダーの切迫した声。反射的にルインは舵を起こして高度を上げた。

 湿地帯と平野の境にある長い稜線を越えると、国境の砦が見えてきた。


 峡谷の間に鉄と白石で築き上げられた砦。今はそのあちこちから火の手が上がり、暁色の空は黒煙に覆われていた。

「ああ……ああっ!?」

 ラトナが顔を手で覆い、悲鳴をあげた。


「下に獣が多数。みんな武装している!」

 マルダーの報告を受けて、一同は眼下に目を向けた。

 彼女の言う通りだった。蛇腹状の丸い背中に人と火砲を載せた四足歩行の獣、その後方には、大量のダソクが隊列を組んで砦を目指している。


「なんて事。これではまるで戦争だわ!」

 ラトナは窓に張り付き、悲鳴混じりにさけぶ。

「まるでじゃねえ、モノホンの戦争よ」

 そこまで言うと、ルインはシュイクの族長を睨んだ。


「随分とヤンチャしてくれるじゃねぇか、オタクらの仲間はよ」

「こんな……こんな事になるなんて。こうなって欲しくなかったから……我は……」

 少女はその場に泣き崩れた。

 わんわん泣く少女にもはや族長の尊厳はない。ルインは舌打ち一つした後、ラトナに尋ねた。


「それでどうする、姫さん?」

 姫騎士の回答は早かった。幾度も戦に参加した彼女だからこそ、故郷の危機には迅速だった。

「先程の船が、強行偵察のつもりで獣と兵を前に出したのでしょうか。何にせよ、彼らはリガーリェの国境を侵した。然るべき報いは受けてもらいます」

「おいおい。コイツは堪らねえなぁ」

 姫騎士の真剣な言葉を聞いたルインは、人目もはばからず、ニヤリと笑った。

「そうこなくっちゃな、大将!」


 姫騎士は背筋を正して指示を出す。

「これより砦を越えて郷に戻ります。今頃はお父様達が迎撃の準備をしている筈、そこに合流し、態勢を整えます」

 彼女は指示を出すと、風のように見張り台へ飛び移った。


 死の臭いを乗せて戦の風がやって来る。

 姫騎士は己が感情を殺し、愚直に真正面から風と向き合った。

「とんでもない事になっちまったね」

 マルダーの隻眼が憂いに満ちていた。

「……ええ。ですが、悲観しているばかりではダメ。今は前に進みます。マルダー、信号銃を」

 ラトナは信号銃を受け取ると、腰のポーチから緑色の弾丸を取り出した。


 抗戦中の砦が段々と大きくなってくる。それに伴って、風に乗って硝煙や怒号が、船にも届いてきた。

 マルダーから借りた信号銃を上空に向け、発砲する。

 笛のような高音を響かせながら、信号弾は砦の上で破裂。

 緑と青の光を四方に散らせた。


「みなさん、すぐに戻ってきます。だからどうか……それまで耐えて!」

 サ・イラ号が光の下を飛び、戦闘の続く砦を通過していく。

 抗戦する兵士達が頭上を飛び越すサ・イラ号に武器を掲げて、喊声を挙げてみせた。ラトナは険しい顔で彼らに向け、拳を掲げて応える。


「……緑と青。時間稼ぎの死守命令」

 マルダーは後方に遠ざかる砦を、悲痛な目で見送った。

 ラトナは拳を下ろすと、力なく見張り台にもたれかかった。手で顔を覆い、肩で喘ぐように息をしている。

 堪えているのだ、涙を。


「郷の民を死地に向かわせる。誰だって嫌さ。だが、アンタはそれをやらなくちゃならん。アタマを張るってのはそういう事さね」

 魔女は無理やりラトナを引き起こした。


「ええ……ええ、分かっています」

 姫騎士は赤らんだ目を吊り上げ、表情を引き締めた。

「ここで止まっているワケにはいかない」


 ………


 郷に戻ると、傷だらけの大鎧に身を固めたティーゲルと家臣団が出撃準備を整えていた。

 船着場には彼らが乗り込む為の旧式揚陸艇が横付けされて、出撃を待ち侘びている。

「お父様あぁ!」

 そこにサ・イラ号が着陸した。

 着陸を待てないラトナとアルプが先に飛び降り、ティーゲルに駆け寄った。


 二人が迅る気持ちを抑えて事情を伝えると、案の定、郷の戦士達は激しく動揺した。


「狼狽えるでない!」

 ティーゲルの一喝で、家臣達は鎮り返る。

「此度の戦、つまりはシュイク族の内紛が原因であると?」

「左様。三の氏族の裏切り者共は、針路上の勢力を見境なく攻撃し、進行を続けている。ケルクの街で味方の多くを失い、余裕を無くしているのだ。どこに向かっているのかはまだ分からんが、とにかく止めなければ、ますます被害が増える」

 戦意を取り戻したアルプは、波立つ感情を抑えてティーゲルに話す。剥いだ布は戻さず、今は少女の素顔を曝け出していた。


「何と。それは何としても避けねばならぬ。このリガーリェは自治区ではあるが、実際はドゥクスによって存在を安堵された属領も同然。連中はシュイクが怨念を晴らさんと、領内に攻め入ったと受け取やもしれぬ」

 白髪のお化けこと、家臣団のフンメル老が言う。侵略という言葉が出た途端、アルプの顔から血の気が引いた。


「我らは無益な戦いをしない! 平原の民に悔恨あれど、自ら戦端を開くような所業は、掟で禁じられている!」

「アルプ族長はそう考えているかもだが、事情を知らないドゥクスの側は、アンタの思いなんざ汲み取っちゃくれないよ。申し訳ないが、この瞬間も攻められているアタシらも、お宅らの主義主張に耳を傾けている余裕なんて、無いんだよね」

 隻眼の魔女がヒヤリとした口調で言う。アルプは蒼白な顔で黙り込んだ。


 魔女は肩をすくめて、話題を振り直した。

「……まあ今は、迫ってくる連中をどうやって追い返すのかを優先しようじゃない。難しい議論は後でも沢山できる」

「その通り。こうしている間にも、仲間が時を稼いでいる。一刻も早く砦に向かわねば」

 ヘッツァーが同調した。


「しかし、後続には武装船も控えておるのだろう。無策という訳にもいくまい」

 家臣の一人が不安を口にする。

「意な事を。来た順に撃破すれば良い」

「だが船を墜とそうにも、砲も槍も足りぬ」

「ドレスもだ。若の遠征で殆ど引き払っておる」

 一同がやいのやいのと話していると、

「船は我に任せて欲しい」

 アルプが口を開いた。打ちのめされた少女の面影は、見る影も無い。


「……少しでも良い。地面に近づけて貰えたら、我が何とかしてみせる」

「近づけるってもどうするんだ、お嬢ちゃん。みんなで縄付けて引っ張ろうっての?」

 家臣団の若者が皮肉混じりに尋ねる。


「手ならある」

 船上で傍観を決めていたルインが、不意に声をあげた。好奇の視線が集まる中、船乗りは自信たっぷりに話し出した。

「あの船は商船か何かに、無理やり武装を後付けした代物だ。無理な改造が祟って、大した出力を稼げていない。なんせ、ケルクからすぐに追いつけたんだからな」

「つまり?」

 怪訝な顔を浮かべるラトナに、ルインは説明を続ける。


「動力部を狙う。特に機関室がある船尾側。この際、舵でもスクリューでも良い。とにかく船の心臓に負担を掛けてやるの。そうすりゃあ、高度は保てなくなる」


「ふうむ」

「やってみる価値はあるか」

 家臣団がどよめき立つ。


「……となれば、船の死角から狙う必要がある。通過する所を死角から襲うのだ。フンメル老、その役目は其方に任せる」

「畏まりましたあ!」

 白髪のお化けは一礼するや、具足を鳴らして駆けいった。

「お爺、勝手に走るな。船はこっち!」

「あの調子だと武器庫に向かったな。みんなで手分けして、使える槍と弾を運び出そう」

 老人の後を部下達が追い掛けていく。


「お父様。どうか私も、爺やの部隊に加えてくださいまし」

 ラトナが名乗り出る。

 しかしティーゲルは目を閉じて、首を左右に振った。

「お父様、なぜ……」

 食い下がろうとする娘に父は厳かに言った。

「早とちりをするでない。其方にはまず、準備が必要なのだ。ついて参れ」


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