第4話


「お姫さん、聞こえるかい」

 作業着姿のザナが船倉の扉を叩いた。

「アニキから伝言。補給で陸に下りるって」

「分かりました。ありがとうございます」

 ラトナは顔を上げて和かに頷く。

 するとザナは、指で己の頰を指してみせた。目を瞬くラトナに、少年は意地悪な微笑みで教えた。

「顔、汚れてるぜ」

 ラトナは赤ら顔に手をあてる。右の頰が焦げ茶色の機械油で汚れていた。慌てて、ズボンに挟めていたタオルで顔を拭い、再びザナの前に突き出す。

「ますます広がった。あとでシャワーでも浴びに行けよな」

 ザナは愉快そうに言い、ラトナも笑った。

「それにしても、整備に熱が入り過ぎたんじゃないの。もうじき昼だぜ」

「そうなんですか。つい時間の感覚を失っていましたね」

 ラトナはそう言って、ようやく壁の古時計に目を向けた。旧時代の数え方に倣うと、ちょうど昼飯時の時刻だ。


 不意に微かではあったが、歪な音が響き出した。音の発信源は勿論ラトナの腹だ。

「人に言われるとお腹も空いてきますね」

 ラトナは腹を抑えて恥ずかしげに言う。

「着陸したらさ、なんか飯でも食わせるよ。まあ、缶詰しか無いんだけども」

 そう言うと、ザナはヘビードレスへ再び目を向ける。ドレスは半分近い外装が外されており、操縦席も向きだしになっていた。


「……ドレスの整備も自分でやるの?」

「少しくらいは。出来る事は簡単な掃除や点検、部品交換くらいだけれども」

「それだけでも立派なもんだ。でもよう、アンタお姫様なんだろう。そういうの、家来に全部やらせたら良いのに」

 そのように溢す少年に対して、ラトナ真っ直ぐ相対した。

「そういう方もいます。私も複雑な事は、職人さんや軍の魔法使い……つまりは専門の技師さんに一任します。でもそういう人たちが居ない戦場では、人任せにできないでしょう」

 たしかに。ザナは何度も頷いた。


「だから、自分の道具を最低限でも動かせるよう、術を身につけ、道具は管理しないと。だって最後に困るのは、己自身ですもの」

「良い心掛けだとは思うけど。そういう話を聴くと、姫騎士ってのは大変なんだな」

 ザナの労わるような目つきが、ラトナの胸をきつく締めた。


 本当は怖いし、戦いなどしたくもない。

 だが、一国の姫として生を受けた以上、意思に関係なく課せられた使命が、いつまでも付きまとってくる。

 それでも……。


「……大変だけど、誰かがこの役目を務めなければならないの。それが偶々、私に回ってきただけ。辛いこともあるけど、みんなの命を預かっているんだから、頑張らなくては」

 姫騎士は眉を八の字に曲げ、口元に寂しい微笑みを作った。ザナは何と返して良いか迷い、口の端をきゅっと結んだ。


 ………


 船底のソリが地面に着く感触は、いつまで経っても慣れない。ルインはスロットルを戻して、機関の回転数を落としていった。

「くそったれ」

 ルインは舵輪に頭を載せ、低く呟いた。

 船乗りになったのは成り行きだ。

 揉め事で軍を追い出された水兵が、手っ取り早く金を稼ぐ手段であったから。

 ただそれだけだ。


 ある程度まとまった金が手に入ったら、船も売って引退しよう。そんなことを考えている内に、何年も過ぎてしまった。

 いつまで経っても金は貯まらない。

 代わりに回ってくるのは危ない仕事ばかり。それなのに報酬は二足三文で、肝心の商売道具はオンボロ金食い虫。


 考えれば考えるほど、悪い要素ばかり。いつまでこんな生活が続くのやら。

「……ヘヴィだな」

 ルインは略帽をかぶり直して、深いため息をついた。


「船長さん。ここはどこです?」

 ラトナが操舵室前にやって来て、声を掛けてきた。

「港町から北東に300キロ。ドゥクス領のラコンガン地区。この辺りは風も緩やかで船の着陸にはもってこいでな。おかげで北に飛ぶ前のちょっとした補給基地になっている」


 ラトナの故郷リガーリェは、ここから更に800キロ離れた、峡谷地帯にある。道中には広大なハカタノ塩湖や、天候の変化が激しい山岳地帯が点在している。故に、ここで補給を受ける必要があった。

 過去に無着陸飛行が何度か行われたようだが、ことごとくが失敗している。無事に北部へたどり着けるのは軍の巡航艦ぐらいだ。


「ほれ、あんな風に町から船乗り相手の商人どもがやって来る。んでもって、小さなバザールが開かれるってワケ」

 背の低い草木広がる平野部には、サ・イラ号以外にも大小様々な船が着陸していた。

 そんな彼らの周りには、燃料に資材を積んだ馬車などが集まり、ささやかな賑わいをみせていた。

「まあ!」

 ラトナは晴れやかな顔の前で手を合わせ、はしゃぎ出す。

「早く来てくれないかしら。それとも呼んでみましょうか。信号弾ならありますよ!」

「焦るな。呼ばなくても向こうから勝手にやって来る。クソにたかるハエみてえに……おっと失礼」

 ルインはわざとらしく謝ってみせた。


「ねえ船長さん。ドレスの材料や弾薬は手に入るかしら?」

 当の姫騎士の船乗りの意地悪など意に介していなかった。子どものように目を輝かせ、遠くの光景に胸を躍らせている。

「……さあて。試しに聞いてみな」

 拍子抜けしたルインは、略帽を目深に被って顔を背けた。



 まもなくして、行商隊の一団がやってきた。

 彼らは荷物運搬に適した毛長馬けながうまという馬と豚を掛け合わせたような、毛むくじゃらな動物に、物資を満載した荷馬車を曳かせ、合図の笛を奏でてきた。そしてサ・イラ号の舷側に横付けすると、食事中だったルイン達の返事も待たず、荷物を広げ出した。


「食事中に失礼」

 主人と思しき老爺が、屈強な大男を伴って船に上がってきた。曲がった腰に手をあて、もう片方の手で杖をついている。


「この匂いはトマトか。それとニンニクも少々。ではチーズはどうだい、若い狼」

 シワだらけの赤ら顔は、髭はおろか眉毛さえ抜けていて、口は言葉を発していない間でさえも、絶えずモゴモゴ動いていた。

「まさかとは思うが、ウジ虫入りじゃねえよな。元気そうで何よりだ、フローリン」

 ルインは両腕を広げ、快く老人を出迎えた。


「ちょうどアンタに会いたかったのさ。船のタービンだ。不良品を掴まされて、死に掛けちまってよ」

 ルインは食べかけの缶詰を脇に置き、老人の肩を抱き寄せた。

「カウナに追いつかれそうになった。アシが売りの魚雷艇がだぞ。このままじゃ命がいくつあっても足りねえ」

「ふむん。タービンは高いぞう」

 老人は落ち窪んだ目でルインを見上げる。左右ともに焦点が合っておらず、藪睨みのような格好になっていた。

「必要経費。新しい船を手に入れるまでのツナギになればそれで良い。金次第で何でも用意するのが、フローリン商会だろう。頼む」

「それなら吉報だ、若い狼。ついさっき、近くに墜落した軍用船から、拾ってきたのが一つある。下のテントに……」

 フローリンが言い終わるのも待たずにルインは飛び出して、梯子を滑り降りていった。


「年寄りの話は最後まで聞かんかい」

 などと言うと、フローリンはルインの置いていった缶詰を取り、残っていたスープをすすった。

「やはりチーズが足りないのう」

 一人ごとを呟いたフローリンは、賑やかな甲板に目を向けた。


「お姫さん、はしゃぎ過ぎて落ちるなよ?」

「分かっています。まあ、まあ! 雑貨だけじゃない、武器まであるわ。私のドレスにも載せられるかしら?」

 わいわい話していたのは、褐色肌の少年と、ポンチョを着た長身の女だ。

 少年は知っている。ルインの子分で、名前はザナ。

 もう一人は初めて見る顔だ。おそらく乗船客だろうと見当をつけたフローリンは、ポンチョに描かれた紋様に目をつけた。

 歯車に巻きつく二匹の蛇。

 リガーリェ国守、クワドリガ一族の紋章。


 老人は杖をついて、ラトナのもとへヨタヨタ歩み寄った。

「もし。貴女様は、リガーリェのクワドリガ一族ゆかりの者ですかな?」

 ラトナははしゃぐのを止めてフローリンに向き直る。表情は歳相応の無垢な乙女から、凛とした貴人の相貌に変わっていた。

「はい、そうです。ラトナ・クワドリガ。リガーリェ国守、ティーゲル・クワドリガの娘。今は姫騎士を務めております」

 突然の変わりように、傍のザナは言葉を失い、あぜんとしていた。そんな少年をよそに、フローリンはシワだらけの顔を破顔させた。

「おお、おお。やはりクワドリガ一族。しかもヘビードレスの姫騎士とな。まさか、そのような御仁とお会いできるとは……」

 などと言うと、老人は恭しく頭を垂れた。

「私めはフローリン。フローリン商会の主人でございます。見ての通り脚が悪うもので。このような形でのご挨拶、平にご容赦を」

「顔を上げてください、お爺様。今の私はただの乗客です」

 ラトナは片ひざをついて、老人の目線まで体を低くした。


「先代の姫騎士……つまりは貴女のお祖母様には、大変お世話になったものです。当代随一と謳われたヘビードレス使い、メルカ様。もう久しくお会いできずにおりました。今もご健在で?」

 するとラトナの表情が、一瞬だけ暗くなった。

「祖母は……五年前に亡くなりました。病で。それで私が姫騎士を継いだのです」

 フローリンはラトナの発言を理解するのに、時間を要したらしい。唖然と立ち尽くし、言葉を失った。


「……なんと。左様でございましたか。それは、それは。お悔やみを申し上げます」

 老人は再び頭を下げた後、ラトナを労るように見上げた。

「先ほども申した通り、フローリン商会は先代様にたいへんお世話になりました。今日は心いくまま、商品を見て行ってくださいませ。ヘビードレス用の機械部品も広く揃えております」


 途端にラトナの顔が、また無垢な乙女のものに変わった。

「なんて良いタイミングなのかしら。私のドレス、すっかり壊れてしまっていたの。そうと決まれば、さっそく見に行かなくては!」

「ええ、ええ。そうしてくだされ。先ほどルインにも話したのですが、近くで墜落した船から、色々と引っ張ってきた品があります。その中にもドレスの『飾り』がいくつか……」

 飾りとは、即ちドレス用の武器装備類の事だ。大昔の誰かが、装飾品になぞらえ、それが脈々と語り継がれてきたのだろう。


 それはさておき……。

 老人の話を聞いていたラトナの顔つきがまた変わっていた。今度の表情は疑問一色である。

「お爺様。いま何と仰いました?」

「はあ。ドレスの飾りがいくつか」

「その前」

「近くで墜落した船、ですかな?」

 がしり。姫騎士は大きな手で老人の骨ばった両肩を掴んだ。

「どんな船でした? 船の壊れ具合は? 近くで怪しい物音や気配はしましたか?」

 矢継ぎ早に尋ねるラトナ。

「な、なんじゃらほい? ええと、あの船は軍の輸送船じゃったな。積荷はどれも軍需物資。そ、そういえば。船体の横がひどく焼けておりましたわい。おそらく火砲か何かを食らったのでしょうなあ……」


「どうして早くそれを言わなかったの!?」

 そう言うと、ラトナは血相を変えて舷側へ突っ走る。そして誰かが制止する暇もなく、柵を蹴って、船から飛び降りてしまった。

「……な、なんだあ?」

 置いてけぼりになったザナとフローリンは、唖然と立ち尽くすばかりだった。

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