005

 コンコン。


 ふと、窓を叩く音にリャンリーは眠っていないが閉じていた眼を開け、ベッドから起き上がると窓に近寄り遮光カーテンを開く。

 そこには久方ぶりに見る男、この国に長く根付いている吸血鬼の始祖、母衣弦月(ほろげんげつ)が居た。

 人外めいた美貌、深い藍色の腰まである長髪はそのままだが、流れ落ちてくる前髪を止める為なのか髪留めが美しく施されており、若干アシンメトリーの前髪はわずかに左側が長く、覗き込めば吸い込まれそうな濃い藍色から薄い藍色へ変わっていくグラデーションの瞳はしっかりと笑みを浮かべてリャンリーを見てきている。

 わざわざ窓を叩かずとも、弦月であれば鍵開けも、それこそ窓ガラスをすり抜けることぐらい容易く出来るだろうにわざわざこうしてリャンリーの許可を取るような行動が憎たらしいと思えてならない。

 鍵を開け、窓を開けると音もなくスルリと寝室に入ってきた弦月にリャンリーは窓を開けたまま視線を向ける。

 如何に弦月が美しかろうとも、リャンリーが如何に美しいものが好きであろうとも祖父やそのほか美しい存在を見慣れているリャンリーが弦月に心を動かされる事は無い。


「ご用件はなんでしょうか、弦月様」

「なに、今回は我が血族の末端が迷惑をかけているだろう。その挨拶だな」


 こういった行動は別に今回が特別ではない為、リャンリーは「そうですか」とだけ返す。

 この国の、というよりも母衣弦月を始祖とする吸血鬼の血族は総じて太陽光に弱く、血が薄まればその影響は出ないのだが、血が濃くなれば濃くなるほど太陽光は致命傷となるのだ。

 多少皮膚をさらすだけであれば爛れるだけで済むし、超回復の力ですぐに回復するのだが、太陽光の下に一定時間晒して過ごせば焼け爛れて死んでしまう。


「久方ぶりにこの国に来たというのに、もう少し楽しんでいけばよいのではないか?」

「例えば?」

「そなたは太陽光の下でも平気で活動できる。その見目相応しく若者らしく振舞ってみてはどうだ」

「それが必要なのでしたらそういたしますわ」


 丁寧な口調ながらも早く帰って欲しいという想いを隠しもしないリャンリーに弦月は面白そうに笑う。


「流石はシャングルが溺愛する孫だ。俺の事をそんな風に蔑ろに扱う純血の吸血鬼は少ない」

「貴方を喜ばせるためにわたくしは存在しているわけではございませんわ」

「はっはっは」


 上機嫌に笑う弦月にリャンリーはため息を吐き出すと座るものがないからか、勝手にベッドに座ってしまった弦月を見る。


「それで、本来の目的はなんでしょうか」

「おぬしの顔を見に来たのは嘘ではないのだがな。そうだな、狩人がうろついているようでな、気を付けろという忠告をしに来たのだ」

「そんなこと程度でわざわざ貴方ほどの大物が?」


 リャンリーの言葉に弦月は口の端を持ち上げて笑う。


「シャングルの溺愛する孫が俺の縄張りで何かあれば、それこそ吸血鬼同士の戦争が起きかねんからな」

「お爺様はそのようなことをなさいませんよ。ハンターに対しては全面戦争を仕掛けるかもしれませんけれどもね」

「そなたはシャングルから向けられている愛情を自覚するべきだな。両親を失ったそなたは今ではシャングルの数少ない溺愛を向ける対象だ」

「ルーリュシャ達も居りますでしょう」

「まあ、そうだがな。それでもそなたは特別だろう? バートリ一族の姫君。本来なら他の吸血鬼一族の直系に嫁に出されるのが通例であるのに、あまりにも溺愛されて血族内から婿を取ることになったぐらいだものな」

「それは、真っ先にわたくしを嫁に貰いたいと名乗りを上げたにも関わらず、お爺様にあっさりと却下されたことを恨んでいらっしゃるのでしょうか?」

「どうだろうなあ?」


 読めない笑みを浮かべた弦月を冷めた目で見たリャンリーはベッドに近づくとそのまま弦月の膝の上に乗り上げる。

 その行動に慣れたように弦月はリャンリーの腰に手を当てて後ろに倒れないようにする。


「その気もないのに爺を煽る悪い娘だな」

「わたくしに手を出せば、ハンターにわたくしが何かされるよりもわたくしの血族と全面戦争になるのではないでしょうか?」

「わかっていながら煽るのか」


 リャンリーの腰に手をあてながらくつくつと笑う弦月を見てリャンリーも口の端を持ち上げて笑みを浮かべると、腰にあてられている弦月の手の抵抗を気にした様子もなく膝の上から降りる。


「しかし、最近の女人の服は随分と手触りがよいのだな」

「これですか? ジェラピケというブランドものなのですが、今回のターゲットと一緒に買い物に行ったんですよ。古城で着ているドレスなどと比べてとても楽ですわ」

「あのドレス姿のそなたも美しかったし、我が国の装束、着物を纏うそなたも美しいと思うのだがな」

「お褒めの言葉ありがとうございます」


 リャンリーはそう言うと弦月の隣に背筋を伸ばして座る。

 そのベッドには長いリャンリーの髪が広がり、先ほど近づいた時も香った髪に塗り込まれた香油の香りがわずかに香る。


「そう言えば、婚約者との仲は良好か?」

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