序章 魔導師、帰還する

4話 目覚めた先

 気がつくとそこは見知った場所だった。乱雑に積まれた本の山。床に散らばった魔道具。間違いない。ここは俺が修行時代に過ごした時計塔の屋根裏部屋だ。戻って来れたんだ!

 さて問題は今がいつで俺はどうなったかだ。視線を巡らせると近くに姿見があった。あれで確認するか。しかしそこに映し出されていたものは人間ではなくキャビネットの上にちょこんと置かれた一体のぬいぐるみだった。


(う、嘘だろ!?まさかあれが俺だっていうのかっ!!?)


 不安は的中した。自信作とはこういうことだったのか!悪い冗談だ。

 しかし悲観するのはまだ早い。魔法で元の姿に戻ればいいんだ。だが肝心の魔力を感じない。それに身体が動かない。声も出せない。


(くそっ誰か!誰かいないかっ!?)


 声にならない声を上げる。無駄だ。鍵のかかったこの部屋に人がいるわけない。

 そのはずだった。


『誰だ?』


 部屋の中から声がした。いや違う、今のはテレパシーだ!声がした方。机の下から一人の少女がのそりと出てきた。腰まで伸びたまっさらな髪。吊り上がった大きな瞳。輝くような美貌を持つ少女だった。見たことない娘だがこの眼差しにはどこか見覚えがあった。


(えっと、君は)


 くぅ〜


 おい。出てきて早々腹を鳴らすな。


「ちょっと待ってね」


 すると少女は四つん這いになり近くにあったこんもりと盛り上がるコートを捲り上げた。


(んんっ!?)


 中から出てきたのはなんと大きな卵の殻だった。そして少女は殻を一口大に割るとためらうことなくぼりぼりと食べ始めた。


「もぐもぐ、んくんく……ふぅ。セオドア。あなたも食べる?」


 てお前かよ。名前を呼ばれてようやく合点が入った。いらないからどうぞ好きなだけ召し上がってくれ。


(生きていたのかエリュレイアス。まさか人間にもなれるなんてな)

 

 この少女は紛れもなくかつての宿敵である災厄龍だった。確かにあの時は魔力を使い果たしただけで息の根までは止めてなかったからな。というか俺の姿にはノーコメントかよ。


「うん。でも負けたのは事実。それに魔力切れで死んだも同然だった。だから一度卵に戻って回復するのを待ってた」


 なるほどな。やはりお前は特別な存在だ。そんな珍妙なことができるドラゴンは他にいない。


(しかしなんでまた人間の姿なんだ?)


「…………面白そうだったから?」


 なんだよそれ。


(こう言ってはなんだがお前がそうなったのは俺が原因だろう。恨んだりはしてないのか?)


「ううん全然。むしろやられちゃったから使命も何もかも無くなったんだ。これでもう誰も傷つけなくて済むよ。でも回復に結構時間かかっちゃったな。多分何年かはここにいたと思う」


(そうか。ん?)

 

 何年かだと?どうやら状況はすこぶる悪いようだ。一刻も早く魔力を取り戻してここを出る必要がある。


(なぁそれならお前の力で俺を元の姿に戻してくれないか?)


「うーん無理かな」


(なっ、どうして!?)


「だって私人間が使う魔法なんて知らないから。言ったでしょ?私にできるのは破壊することだけだって」


(くっ!今からでも遅くないっ。ここにある本を読んで勉強してくれ!!)


「なんだかまた眠くなってきた。あ、お腹も空いてきたかも」


(おいいぃ!!?)


 言ってエリュレイアスは卵の殻を掴むとのそのそと机の下の巣に戻ろうとする。まずい!このままでは一生ぬいぐるみの姿のまま埃に埋もれてくだけの人生を送らなければならなくなる!!それは絶対に嫌だ!なんとか、なんとかしなければっ!!

 そこで不意に机の上に開きっぱなしになっていたある魔法指南書が目にとまった。確かあれは。


(そうだ!俺と使い魔の契約をしてくれ!そうすれば魔力を共有できるはずだ!!)


「…………それってどうするの?」


(魔法指南書を媒介に対価を払うことで魔法陣を呼び出せる。そして呪文を唱えれば契約成立だ)


「対価って例えばどんなの?」


(お互いの貴重品とか身体の一部とか)


「私何も持ってないよ。それに身体の一部って具体的には?」


(血液とか……いやなんでもない)


 痛みを伴う対価は強力な契約を結べるが反面リスクもある。そもそもぬいぐるみの身体に血は通っていないだろう。綿で代用?通るかそれ?


「ふーん。他にはないの?」


(後は誓い立ての儀くらいか)


「なにそれ」


(口づけのことだ。しかしそれも生きた肉体を持つ者同士で成立するものであって)


「ん、じゃあいくよ」


(え?て、いやおいちょっと待てストップ!ストップ!!?)


 澱みのない動きでひょいと抱えられたところで慌てて静止する。


「?なにか間違ってた?」


 間違いだらけだ、馬鹿!以前ならともかく今のお前は人間の姿なんだ。だったら人間らしく振る舞ってもらいたいものだ。


(俺だって今はぬいぐるみだが元人間だ。気安く交わしていいもんじゃない。本当に信頼できる相手であるとか交渉の材料として条件付けする時に仕方なくとかでない限りはな)


「信頼……条件……」


 仕方ない。俺も少し取り乱しすぎた。ここは落ち着いてよく考える必要がある。幸いここには数多くの魔導書や魔道具が揃っている。それらから魔力を調達できないか試してからでも遅くはないはずだ。


「…………分かった。セオドア?」


(ん?なんだエリュレイアス)


「エリー」


(は?)


「私のことを今度からそう呼んでくれるならしてあげていいよ。それが条件ってことで」


(な、なにを言って…………)


「ダメ?あ、それじゃ私の先生になってよ。この世界のこと、魔法のこと、そして人間たちのこと、たくさん教えてほしい」


 それは条件として成り立っていない。お前がそこまでする理由にはならないと思うのだが。


「私だってずっとこの世界を守るために戦ってきたんだ。これからはこの世界のことをもっと知りたい。私を倒したセオドアなら信じられる。それに自分の気持ちに素直になれって言ってくれたよね?」


 真っ直ぐにこちらを見つめながらそう告げる。言いたいことは理解できる。しかしだからこそお前のその純粋さを利用するようで複雑な思いになるんだ。

 だがしかし、背に腹は代えられないのもまた事実だった。


(…………魔法指南書は机の上だ。持ってきてくれ、エリー)


「!!うん、分かった」


 言われた通りに指南書を持ってくるエリー。それを床に置かせる。そして見下ろすような形で彼女に抱きかかえられた俺は意を決して呪文を唱えた。


(…………ふぅ、よし!"我は魔法使いセオドア・マクシミリアン!今日この時この儀式を持って、災厄龍エリュレイアスと主従の契約を交わす!")


 では頼んだぞと目で合図を送る。待ってましたと言わんばかりに顔を近づけてくるエリー。契約成立だ。やがて眩い光と共に足元に魔法陣が出現。と同時にお互いの腕に主従契約の印が浮かび上がる。


 徐々に色めき立つ身体。印を通してエリーの魔力が俺に流れ込んでくるのを感じる。


(…………んんっ、いよおしっ!!!」


 即座に身体操作の魔法で身動きが取れるようになった俺は景気付けとばかりに扉目掛けて衝撃魔法を撃ち放った。ドガアァァアンと派手な爆発音を上げながら木っ端微塵に弾け飛ぶ。


「スーハースーハー。ふ、ふふははは!ようやく、ようやく魔力が戻った!!感謝するぞエリー!!」


「セオドア、なんだが楽しそう」


「おっと!今の俺たちは主人マスターと使いファミリアの関係だ。だから俺のことはマスターと呼んでくれ!いいなっ!!?」


「は、はい。マスター?」


「よしっ!待っていろよ愛しのコレクションたち!!ふはははは!アスタリア大陸よ!俺は戻ってきたっ!!」


 浮遊魔法で身体を浮かせ廊下に躍り出る。目指すは展望デッキだ。一刻も早く故郷の空気を味わいたかった。正確には俺は転生者ではあるが前世の記憶は曖昧だ。それならば数百年間過ごした異世界こちら故郷ふるさとと思ってもなんら不自然ではないはずだ。

 差し当たってやらなければならないことは荒れた大地の再生と傷ついた生き物たちの保護だ。エリーの話から察するにおそらくあれから数年あるいは数十年は経過しているかもしれないが、未だに戦いの爪痕は残っているはずである。ここから屋敷までは目と鼻の先だ。帰還報告する前に元の姿に戻る必要もあるな。

 

 これからやるべきことを整理しながら展望デッキの扉を開け放つ。しかしそこで唖然とする。下には街があるはずだ。だというのに今目の前には一面の花畑が広がっている。


「は?え、なに?」


 あり得ない光景に困惑しながらもしやと思い時計塔の文字盤を見上げた。ここのは年代も分かるように細工されている。何度も計算をし直し驚愕の事実に愕然となった。


「嘘だろ?」


「マスター。どうかした?」


「…………三百年経ってる」


「えっ」



「ここは俺たちがいた時代から三百年後の未来だってことだよ」



 

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