第19話 針依との性交

 針依の部屋は真っ白だ。壁紙も化粧台も棚も机もキャビネットも敷き詰められたラグも全てが白。最奥に位置するベッドは脚もシーツも枕も布団もそれらを覆う天蓋もその支えも全てが白だった。

 そして、僕が着せられたバスローブも白だった。

 針依は身を翻し、自身の一糸纏わぬ裸体をベッドに向かって僕に押し付けた。倒れそうになったが、何とか自分の体の芯を意識して腰かけた。

 彼女はすぐさま僕のバスローブを開き、現れた紺色のボクサーパンツを引っ張った。

 僕は自身の肉体をラブドールとみなした。重く堅い男の脚からパンツを取ってやると、針依は現れたものにしゃぶりついた。

 自分の股間で髪を振り乱して揺れる頭を眺めて、異様な光景だと思った。よくもまあこうも自分の快感にならない汚いことを懸命にできるなと不思議で仕方がなかった。しかし、そのような冷めた頭でいられるのも僅かな間だけだった。

 生理的に当然に勃起する男根に、今此処で針依と性行為をしている鹿村大和という存在が己だと強く知らしめられるのだった。

 針依は口を離して唾液とカウパーが混ざった猥雑な液体をべっとりと糸引かせた。口角を極限まで上げて僕を見上げた。

 僕自身――今仕方なく興奮させられた性欲から遠くにある理性的で冷笑的な魂としての僕を悟られなくて、右を向いて長い前髪で表情を隠した。そして、針依と同じく心の底から興奮しているように見せる為、コンドームを拙くも機敏な手付きでパッケージから取り出して男根に着けた。

 手でベッドを叩いて立ち上がると、針依がベッドに四つん這いで飛び乗って、尻を僕に向けて突き出した。さながら芸を仕込まれた犬のようだ。

 荒い息と共に女陰がひくついていた。僕が風呂に入っている間に随分準備をしていたようで、それは愛液をみっともなく垂れ流し、濡れそぼっていた。長い陰毛が股にべったりと貼りついていた。普段はあまり気にも留めない針依の体臭がむわりと立ち昇ってきた気がした。

 いきり立つ男根の熱と眼前の状況を拒絶する脳の冷ややかさの温度差で身が千切れそうな気がした。これから行うことは只のルーティンに他ならないと心中で繰り返した。針依の腰を掴み、女陰に男根を突き立てた。

 双方の快感など求めずにただ単に行為が早く終わることを祈って腰を激しく素早く突き動かす。動きに合わせて針依は小型犬の吠え声のような耳障りな甲高い嬌声を繰り返しあげた。

 客観的に見ればレイプと呼べるような、コミュニケーションも愛も無い性交だ。しかし、憐れにも針依はその行為しか知らない為に馬鹿みたいに悦んでいた。

 女の癖にあばらが浮き出た堅く薄い体に僕は興味を持つことが出来ず、いつものように瞼を下ろして幸福だった頃の思い出に浸る。

 ――晴海。嗚呼、晴海。

 彼女との性交を思い出しながらも、彼女の今を考えずにはいられなかった。

 十一年前のあの事件から一年後、晴海は正気に戻り、閉鎖病棟を出ることになった。刀太郎が彼女を迎えに行ったが、彼女は強く拒絶した。煤谷村とは今後一切関わりたくないと告げたらしい。刀太郎はその願いを叶えることにした。暫く生活に困らない程度の金だけ渡して別れた。

 僕がそのことを知ったのは裏鍛鍛冶屋で働くようになった頃――今から四年前の師走だった。

 最初は彼女の無事を無邪気に一頻り喜んだ。その後に、彼女は煤谷村と共に僕を捨てたことをやっと悟った。

 ――晴海は僕の最後の女だった。

 けれども、僕自身も会いに行こうという欲望はもう湧き上がってはこなかった。

 長い年月と、無くした左目と、心身を蝕み続ける鬱病は僕の彼女に対する愛を完全に過去のものとしてしまっていた。ただ、ただ、僕は生きていくのに精いっぱいだった。この村に押し付けられた役割に時たま唾を吐きながらも、縋りつくことしかできなかった。

 同時に、情けないことに怒りもできなかった。

 何度も晴海が村の男共の太く毛むくじゃらな醜悪な腕に傷付けられる夢を見た。何度も晴海が針依に千枚通しで貫かれる夢を見た。何度も晴海が針依によって狂人と化した米子に傷付けられる夢を見た。

 けれども、僕は加害者達を糾弾する気はもう起こらなかった。長い年月で怒りは勢いを失っていた。晴海自身がそうしている以上、僕もあの惨劇を忘れていくように努めるべきだとも思った。

 寂しさが冷たく皮膚をなぞっていく。

 ――晴海。晴海。

 あの時限りの僕に向けられていた慈愛。もう二度と得ることない温もり。

 来年三月、針依が大学を卒業すれば、僕は彼女と結婚して裏鍛大和となる。裏鍛家で暮らし、裏鍛家や煤谷村の人間に今以上に監視されるだろう。

 こうして、晴海を思い返すことさえできなくなっていくのだろう。

 色褪せていく記憶の中、必死に彼女の柔らかさを思い返す。しかし悲しいことに、僕が想像するこれはきっともう不正確であるのだ。

 針依の骨が大胆に主張する腰を持ち直す。いずれこの堅さしか分からないようになっていくのだ。

 針依が一際大きく声を上げて痙攣した。

 晴海は性交の時は声を潜ませる癖があった。自分の指だのシーツだの僕の肩だのを甘く噛み、吐息に密かに悦楽の声を忍ばせた。いずれその声も完全に針依のそれに搔き消されて思い出せなくなっていくのだろう。

 針依が達した数秒後、男根が精液をコンドームの中に吐き出した。漸く訪れた終わりに安堵しながら、針依から離れた。

 猛烈な疲労が襲い掛かり、ベッドに腰かけた。

 針依は余韻を楽しんでいるのか、ぐにゃぐにゃと身悶えながら僕を見上げた。

「少し眠ったら? 桜刃組は十一時に来るんやろ。十時に起こしてあげるわ」

 針依に背を向ける形でベッド脇の白いキャビネットに置かれた白いフレームのデジタル時計を見ると、八時を示していた。二時間も針依の傍にいたくはなかったが、体は睡眠を求めていた。

「九時になったら起こしてくれ」

 針依の笑い声の混じった返事を聞きながら、時計の横に置かれたウェットティッシュの円柱の白い箱から一枚引き抜いて手を拭った。それをキャビネットの隣の白いゴミ箱に投げ入れた。一度俯いて密かに義眼を取り出し、もう一枚ウェットティッシュをとって包み隠してキャビネットの上に置いた。

 そして、体の右側をベッドにつけて針依に背を向けて急速に眠りに落ちた。

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