第26話 スープ ①―①

 惜しくも第一位は逃したものの。

 大衆食堂『りぃ~ね』が王都料理文化祭で二位に入った。


 昨夜は営業がはじまると、店内は大騒ぎだった。

 ノブユキが知らない歌をお客が斉唱する始末。リーネから聞いたが、スープン王国の国歌らしい。なお、それどころじゃないということで、リーネは後夜祭の催し物である大食い大会に出ることはなかった。

 リーネの目標が叶って、ノブユキは思わず嬉し涙を流しそうになった。彼女の目標は、自分の目標でもあったのだから。


 そんな喧騒が収まった翌日のこと。



「僕は納得がいかない!」


 ――誰?

 ひとりの青年がまだ開店前だというのに、堂々とした足取りで店内へ入ってきた。すこし茶色っぽい髪の毛。力のありそうな体つき。ジャイアントにしては小柄すぎるから、ヒューマンで間違いないはず。しかし、彼から放たれるなにかに、ノブユキは圧倒されてしまった。顔や態度が単純に凜々しいだけではない。


「開店前なのですが、どちらさまでしょう?」


 リーネがまず応対する。

 仕込みの途中だった厨房から抜け出し、フロアに向かったのだ。

 ノブユキはと言うと仕込みをしつつ、耳だけは会話を捕らえていた。


「僕を知らない……だと?」

「ええ」

「さてはお嬢さん、王都に店を出して日が浅いのですね?」

「まだ12年くらいですね」

「……充分な時間を過ごしているじゃないか。なぜ僕を知らないんだ」

「エルフは寿命が長いので、おそらくヒューマンのあなたとは体感時間がずれているのかと」

「ぐぬっ」


 青年は痛いところを突かれたとばかりに、胸を押さえた。

 そして続ける。


「なら僕から語らせていただきましょう」


 語っちゃうんだ……。

 ノブユキは仕込みの手を止めず、器用に突っ込んだ。


「何を隠そう、この僕こそ、今回の王都料理文化祭で第一位だった店舗の料理長さ」

「ああ、すごいですね」

「お嬢さんはリアクションが薄いですね……。仮にも僕と張り合ったというのに」

「いえ、すごいのはわたしではなく、うちの料理長ですから」

「そこだ!」


 青年は、ずびしっと指をリーネに突きつける。

 仕込みを終えたノブユキは、その様子をこっそり厨房からのぞき見ていた。

 この会話の流れ……嫌な予感しかしない。うちの料理長、というところに反応している。つまりはノブユキのことだ。


「なぜライスカレーで勝負をしてこなかった!」

「うちの料理長いわく、『様々なお肉や野菜とカレールーを加えてじっくりコトコト煮込んだご飯』を出す店舗からお客さまを奪うための戦略とのことでして。いけませんか?」

「僕はこの店舗の出す、『様々なお肉や野菜とカレールーを加えてじっくりコトコト煮込んだご飯』のウワサを聞きつけて、第一位連続4期のために血の滲むような思いで食らいついたのだ……。同じ土俵で正々堂々と勝負をつけようとしてね!」


 思ったよりも熱血漢だな、とノブユキは青年に対して感じた。

 ライスカレーを捨て駒にして、麻婆豆腐で勝負に出たことを、卑怯とまで言わない辺りに好感を持てる。

 イケメンじゃありませんか。

 などと考えていると。


「貴君はどう思う? 同じ料理人としてね!」


 青年の熱いまなざしは、厨房からフロアに顔だけ出していたノブユキに向けられていた。


「えーっと、俺に言ってます?」

「ここの料理長は1年ほど前にぶらりとやってきた男性だと聞いていたからね」


 はい、それ俺のことですね。

 ノブユキは観念して青年の元まで歩み寄った。

 ……身長は同じくらいなのに、やっぱり威圧感がすごかった。決して不快ではなく人として尊敬してしまうような感じだ。


「では貴君は僕のライバルというわけだ。名は? 僕はバイスだ」

「あ。ノブユキです。ノブユキ=コウノです」

「ではノブユキ。よろしく」

「ああ、はい。こちらこそ」


 片手を差し出され、自然な流れで握手してしまった。

 イケメンすごい。あこがれる。


「本題に入ろう、ノブユキ。僕と真剣な料理勝負をしてくれないか?」

「な、なぜ?」

「僕は……祭りの結果では勝ったが、料理人としては貴君に負けたと思っていてね。リベンジマッチをさせてもらいたいのさ」

「ええー、祭りの結果がすべてでしょう。バイス……さんは俺よりも上ですって」


 ノブユキは呼び捨てにすることを、ためらって、さんづけにしてしまう。

 彼は舌戦になっても強そうだ。


「いや、ノブユキのほうが優れている。昨日の夜、どさくさに紛れてこちらのお店で食べさせてもらったのだ……。美味かった。僕の作った『様々なお肉や野菜とカレールーを加えてじっくりコトコト煮込んだご飯』よりもね」

「お客の舌は正直ですよ。お客を信じましょうよ」

「いいや。お客様は僕の店舗が三期連続で一位になっていたからひいき目にしていたんだ。こちらの店舗――大衆食堂『りぃ~ね』のほうが美味い」

「そうですかね」

「そうだよ」

「……」


 ノブユキが黙ってしまうと。

 すぐ傍で事の成り行きを見守っていたリーネが会話に参加してきた。


「ノブユキくん、受けましょう」

「ちょ、リーネさん何を!?」

「いいから、わたしに任せてちょうだい」

「……嫌な予感しかしないんですが」

「しっ!」


 リーネはバイスに向き直り。

 告げた。


「バイスさんでしたね。いいでしょう。その勝負ですがお受けいたします」

「おお、本当か? しかし見たところお嬢さんは給仕では? 勝手に決めてしまってよろしいのですか?」

「わたしがこのお店の支配人よ。誰にも文句は言わせないわ」

「なんと、そうだったのですか。それは失礼しましたお嬢『様』」


 ノブユキは、俺に発言権はないんだな、とあきらめることにした。

 リーネに拾われ、リーネに育てられ、リーネに救われてきたのだ。もう彼女は母親にも匹敵する存在と言っていい。彼女には逆らえない。


「勝負をするにあたってひとつ条件があるわ!」

「なんでしょう、お嬢様?」

「うちのお店なんだけど、今は27人くらいのお客さんしか入らないからわたし一人でもやっていけているのだけれど。さすがに目抜き通りの大きな店舗に移るとなると給仕が足りないの」

「ははあ、読めました。うちから戦力を出せということでしょうか?」

「ふっ、さすが第一位の男ね。察しがいいわ。そのとおりよ」

「いいでしょう。もし僕が負けた場合は、うちの店舗からそちらに出向させます」

「あら、そちらの支配人に確認を取らなくてもいいのかしら?」

「僕が全権代理人ですからね。問題ありませんよ」

「ふーん。で、ノブユキくんが負けた場合はどうすればいいのかしら?」


 勝負の条件がまとまりつつあるところで。

 リーネの発言に、バイスはぴたりと会話を止めた。

 あごに手を乗せて、考える仕草をする。


「別に何も」

「えっ」

「僕の望みは、ノブユキとの真剣な勝負です。その他は必要ありません」

「あ、あら。そう……」


 リーネは意外そうな表情をした。

 ノブユキに至ってはもう感動の域にある。いったいなんなんだ、このイケメンは。もしこれが物語のなかだとしたら、自分などモブであるような錯覚に陥る。彼こそが正統派の主人公として引っ張っていくべき。それほど、清涼感のあふれる青年なのだから、腰が引けてしまう。


 バイスは、ノブユキに熱い視線を送りながら語り。ノブユキは、まぶしいものから目を背けたくなる気持ちを抑えつつ、答える。


「ではノブユキ。料理勝負をしよう」

「と言っても……場所や審査はどうするんですか?」

「む。そこまでは決めていなかった。ここまですんなり行くとも思っていなかったのでな」

「まあ、普通は決まりませんよ」


 リーネという起爆剤があってこそ、いきなり成り立ったのだ。

 バイスも多少は動揺をしているようだ。


 悩む青年が二人。小さくガッツポーズを取っているお姉さんが一人。

 そんな硬直が続く店内に…………。



「邪魔するぞい。緊急事態じゃ」



 入り口からドランがいきなり現われて、そして告げた。


「密偵が捕まった……が、どうにも雲行きが怪しい。小僧よ、力を貸せ」

「急にどうしたんですか? それになぜ俺なんです?」

「前に話したじゃろう。不穏な動きがある、と」

「言ってましたっけ?」


 王都料理文化祭のことで、ノブユキの頭はいっぱいいっぱいだったのだ。忘れても無理はない。


「ええい、ライスカレーを食べに来た際に忠告したじゃろうが!」

「……ああ、思い出しました」

「うむ。アデルドは単純に密偵を探しておったようじゃが、儂にはどうしても不安が拭えなくての。独自に調査を続けていたのじゃ。小僧よ、おぬしの魔法でしか救えぬ事態になるやもしれぬ」

「料理を召喚して、食べた人に希望を与えればいいんですよね?」

「おおむね間違ってはおらぬが……秘めたる力のなんたるかは、まだわかっておらんようじゃな」

「どこぞのお爺さんが教えてくれませんからね」

「自分で気づくものじゃ、どあほうめが」


 ノブユキがドランと話をしていると、バイスも間に入ってきた。


「ドラン殿、ご高名はかねがね。ご健在でなによりです」

「バイスか。うむ、そちも研鑽を怠ってはおらんかったようじゃの。ノブユキの作る麻婆豆腐……『ひき肉や調味料や香辛料で味と匂いを楽しむ豆腐の煮込み』と言ったほうがよいか。負けず、第一位の座を守るとはあっぱれじゃ」

「はっ、ありがとうございます」

「して、なにゆえ、そちがこの店におるのじゃ? まだ開店前じゃろう?」


 バイスは、ノブユキと料理勝負することになった経緯を、ドランに説明した。


「……なるほどの。そちも巻き込まれるやもしれぬぞ」

「と、おっしゃいますと?」

「密偵への拷問じゃ」

「ああ……他国の間者をスプーン料理漬けにして、我が国の色に染め上げるという」

「うむ。物理的な侵害が廃された代わりに、精神的な汚染が密偵への罰じゃからな」

「その役、第一位である僕に回ってくる可能性が高いですね」

「王都で最も美味い料理を出すのじゃからな……。それにそちは王家とも交流があるじゃろう?」


 そこでじゃ!

 とドランは言葉を切り、ノブユキに向き直った。


「ノブユキよ、おぬしとバイスの料理勝負じゃが。儂が国王に取り計らうゆえ、御前試合として行うのじゃ」

「なぜに? ま、まさか。俺も拷問に参加しろとでも言うんじゃないでしょうね? イヤですよ、俺。拷問なんて。まして、料理を使って人を苦しめるとか、お断りですって」

「ええい、察しの悪いやつじゃな。おぬしの魔法属性を忘れたか!」


 希望。

 それがノブユキが使う料理魔法の根源と思われる要因。


「国を相手に希望とやらを発揮しろ、と?」

「そうじゃ」

「無茶な……そもそも希望ってのが何なのかもわかってないんですよ?」

「そのまま放置すれば戦にもなりかねんぞ? おぬしの大切な場所や人、物が壊されてもよいのか?」


 ノブユキは、迷いに迷った末。


「あー、はいはいわかりました! やるだけやってみます!」

「うむ。それでよい」


 ドランは視線をバイスに向ける。


「バイスよ。そちも御前試合で構わぬか? 拷問の場となってしまうやもしれぬが」

「僕はノブユキと真剣な勝負ができればそれでいいです。できればお題は同じものがよいのですが、よろしいでしょうかドラン殿」

「そのくらいはなんとかしよう。すまぬな、前途有望な若者を二人も巻き込んでしもうて」

「いえ、僕のことならお気になさらず!」


 ――巻き込まれていい迷惑だよ!

 と思っていたが、ノブユキは口に出せないでいた。


「ふぁ~あ。むずかしいお話は終わったの? 爺さま」

「リーネよ……。おんしは第二位になった自覚をもっと持っておくれ」



 ノブユキにとってまったく眼中になかった青年によるライバル宣言。

 そして、料理勝負の決定。

 さらには密偵の拷問をどうにかしろ、という難題。


 考えることが多すぎて、頭がどうにかなってしまいそうなノブユキだった……。

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