第4話 朝の図書室

 学校の正門から百平方メートル程のそれほど広くもない運動場を挟み、その正面には石造りの校舎が建つ。壁は建てられてから長い時を経過し、それを示す風格が上塗られている。土曜日は月に一度午前中の授業がある日が設定されていたが、今日は無い日だった。ただ、図書室だけは夕暮れ前まで開く決まりになっていて、もちろん今日も例外では無かった。陽が南へ登る手前頃、その日の担当であるペトロ先生は、黒光りする大きな鉄のリングにかかったいくつかのの鍵の中から正面玄関の鍵をとり、黒光りした重厚感のある扉の鍵穴に刺した。慣れた手つきで手首を捻ると向こう側にある玄関ホールに響く程の解錠音が響き渡った。


「ありがとうございます」


 やはり一番乗りのヤンがペコリとお辞儀をすると、先生より先にその大きな扉を押し開けて右側の廊下の先にある図書室へ駆け出した。が、図書室の引き戸も鍵がかかっている。ヤンが引き戸の向こう側を眺めるようにしていると、ペトロ先生がゆっくりとやってきた。


「なに、本は逃げやしない」


そう言って微笑んだ先生は引き戸の鍵を開けた。ヤンはまたペコリとお辞儀をし、図書室の電気のスイッチを入れた。先生は手を二、三度振り、反対側にある職員室へ向かった。

ペトロ先生は寡黙な人だった。授業中も余計な話をせずに淡々と授業を行うが、授業以外ではより必要なことしか話さなかった。


 寝坊から覚めたばかりの図書室は日の光があたる埃を舞わせ、棚に並んだ本は今にも動き出さんかのように鎮座している。受付に座る係りの生徒もいない。一日に数本しかバスが来ない停留所のように静かだった。ヤンは電気のスイッチを入れ室内の明かりをつけたなり目的の本棚へ直進した。明かりのついた図書室は見た目だけは普段の装いになったものの、利用者の足音をいつもより大きく響かせた。ヤンは迷わずその本棚から「リンガン村百年史」の中巻を手に取り、本棚から一番近い机に置いて例の記事が載っているページを開いた。


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 二三四八年十月一八日、ヴィンドス鉱業並びにヴィンドス・リンガン鉄道は来年の八月いっぱいで運営する第六区画の採掘規模縮小とユス・バイラン駅の運搬列車の運行を廃止すると共に人員を現在の四割に削減すると発表した。規模縮小と鉄道路線廃止の経緯については表向きにはモータリゼーション等の情勢や経営状況の悪化が理由とのことだったが、社内外では何か別の理由があったのではないかとの憶測が流れていた。そのため、経営者側と労働者側で調停騒ぎにまで発展するほどの悶着があり、その争闘は翌年五月の和解成立まで続いた。その結果、廃止された二三四八年九月1日をもって当時第六区画にいた約四割の人員が別の区画へ異動となり、残りの約六割は一人を除きリンガン村を後にした。


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 ここまでを読んだヤンはなにか引っかかった。なぜ全員ではないのか。それとも別の理由で一人人員が残されたのか。しかし、そこには理由が書かれていない。ただ事実を伝えるに留まった。ヤンは少し胸騒ぎがした。果たしてリリは無事帰ってこられるだろうか。ただ、廃駅まではそんなに時間のかかる場所でもないし、険しい道も皆無なはずだ。その廃駅に入るか入らないかを判断するのはリリ自身だ。リリの判断を信じて待とう。そんなことをヤンは自分に言い聞かせた。


 窓の外は雲一つない晴天で、二重窓の外側にある窓は風により常に揺らしていた。図書室側の木陰の隅に立てられている小さな風車は羽根の状態から使われなくなって久しくなったことがわかる。その風車が止むことのない風に必死に応えようとする。自分はまだ頑張れると言いたいのか、もう風のないところで休ませてくれと言いたいのかはわからない。ただ悲痛な音を、自分を作り出した人間たちに聞かせようとしている。


 百年史の廃駅に関する項目を読み終えたヤンはふと窓越しにその風車の音に気付いた。リリが向かう、自分達も向かうかもしれないその廃駅にはこんな風車がどれくらいあるだろうか。そんな考えが過ぎった後、星でも見えそうなくらい真っ青な空を窓から覗いた。

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