(2)


『では、行ってくる』


 そう言って父親が村の鍛冶師たち数人と刀を納品するために旅立った夜のことだった。

 椿は夢心地の中、やけに外が賑やかだと思っていた。

 いつもは真夜中ともなると、シンと静まり返っている屋敷内。

 故に、椿は初め、夢を見ているのかと思っていた。

 夢の中で何かが騒がしい。何を騒いでいるのかは分からないが、妙に胸騒ぎがして不安に苛まれた。

 それでも目は開かない。開けてはいけないと思っていた。

 誰もいない一人部屋。体を丸めて眠れ眠れと自分に言い聞かせる。

 そうしていれば、悪い夢など見ないままに終われるとでも言わんばかりに。

 だが、この日は違った。

「椿!」

 悲鳴のような母親の声によって、容赦なく椿の眠りは打ち破られた。

「かか様?!」

 弾かれたように目を開けて上体を起こしかけるも、それより早く椿は母親に抱きかかえられた。

 直後、椿は聞いた。悲鳴や怒鳴り声を。金属が打ち合わされる音を。屋敷が破壊される音を。

「母上!」

 次に聞いたのは、普段の陽気さなど欠片も見当たらない切迫した表情の次男。

 母親の肩越しに廊下へと続く開け放たれた入り口を見やれば、そこには目の覚めるような鮮やかな空色に輝く刀身の刀を手にした次男の姿があった。

 それだけで、ただならぬことが起きていると椿は察した。

 刹那にして恐怖が椿を襲い、椿は力の限り母親にしがみついた。

「一体何が起きたのですか?」

「【妖刀使い】たちだ!」

 吐き捨てるように、次男は椿の聞き知らぬ単語を口にした。

 だが、母親は意味を知っていたらしく、

「何故?」

 と、絶望的な声を上げ、

「とにかく隠れて。内側からこの札を貼って、絶対に声を上げないで。そうすれば【妖刀】たちには見つけられない」

 言いながら次男は懐から取り出した数枚の札を母親に押し付けた。

「あいつらにも渡してある。だから、母上たちも急いで!」

 と促したときだった。

「兄さま!」

 椿は目に飛び込んできた存在に対して声を上げていた。

 一言で言い表すならば【獣人】。山犬の頭を持った人型の生き物。

 もちろん、そんなものが本来存在しているわけがない。

 見た瞬間、椿は察した。それが【妖】と呼ばれる類の存在だということを。

 それが、次男を見つけるなり背後から襲い掛かったのだ。

 椿は次男がそのまま殺されてしまうかと思い、目を見張った。

 危険を知らせる声は発せられたが、後が続かなかった。それでも、

「【沈根しずね)】!」

 次男は振り返ることなく、名前と思しきものを叫んだ時、それは起きた。

《はいよ、相棒》

 やけに軽い口調と共に、これまで見たことのない青い衣を纏った少年がどこからともなく現れると、真っ向から妖に飛び込んで行き、右手を一線。妖を上下に分断。それが致命傷になったのか、妖は断末魔の叫びを挙げて塵と化して消え去った。

「??????」

 何が何だか分からなかった。

「さ、早く! ここは俺たちが守るから! 他のメンツも戦える連中は皆、屋敷と村に散って応戦してる。だから、立ち回りしやすいようにさっさと隠れててくれ!」

「気を付けるのよ!」

「任せろ!」

 悲痛な思いを込めて母親が声を掛ければ、次男はにやりと笑って力強く受け答え、その背後で、白目の部分が全くない、縦に虹彩が裂けた《沈根》もにやりと笑った。

 一体あれは何なのか? どこから出て来たのか? 何故誰も気にしないのか。

 問いたいことは沢山あった。

 戦えるメンツとは誰なのか。妖刀使いとは? 村中にそれらが現れた理由は?

 だが何よりも、

「兄さま!」

「大丈夫だ。母上の言うこと聞いて、目をしっかり閉じて耳を塞いでろ。すぐに迎えに行ってやるから」

 それが、次男の最期の姿となるとは椿は思いもしなかった。

 いや、これまでにない胸騒ぎを覚えていた椿は予感だけは抱いていた。

 離れてはいけないと。一人にしてはいけないと。

 それでも、

「さ、行って!」

 再三促された母親が、意を決したように廊下に出て走り出せば、椿はただ見送ることしか出来なかった。

 その目には、怒涛の勢いで襲い来る異形の者たち――妖をたった二人で迎え撃つ姿が映っていた。

「かか様、あれは? アレは何なのですか?」

「妖です」

「何故いきなり妖が現れたのですか?」

「解りません。これまで一度としてこの村に妖が――妖刀使いたちが襲って来たことはありませんでした」

 動揺する自分を落ち着かせようとでもしているのか、走りながら答える母親。

「その妖刀使いとは何なのですか?」

 だが、その問い掛けにはすぐに答えは返って来なかった。

 顔を見なくとも椿には伝わっていた。

 母親が逡巡していることに。

 それでも、

「妖刀使いとは――」

「母上! お早く!」

 目的地で待ち構えている姉たちの声が椿の背に掛かる。

 その声に紛れるかのように、母親は答えた。

「【刀】を核として生まれた妖を顕現させ、使役できる者たちのことを言います」

「え?」

「そしてもう一つ。この村で――いえ。八刀匠と呼ばれる刀匠たちが作り出す、対妖用の武器。妖の力を付与させたものを【白刀はくとう】と呼びますが、妖そのものを刀に封じた【妖刀】と呼ばれる物を真に扱える者のことも言い表します」

「早く、早く」

 辿り着いたのは、壁の突き当り。そのまま角を折れれば御神刀の間があるが、姉たちはその突き当りの壁を開けて待ち構えていた。

(刀を核として生まれた妖をけんげん? 妖そのものが封じ込められた刀? それを操れるものたちが妖刀使いで、刀に妖を封じ込めたり、妖の力を付与した武器を作っているのがとと様たち?)

 初めて知ることばかりだった。

 故に椿は思った。

 これはやはり夢なのだと。

 そう思った方が、筋が通ると。

 確かに次男は言っていた。自分たちが作っている刀のおかげで、妖を退治することが出来ると。

 だが、その刀を持つ者たちが村を、屋敷を襲っているという意味が分からなかった。

 何故、人々の安全な生活を守るための刀を使うものたちが、その力を使って襲って来るのか。

感謝をするなら話は解かる。それが何故?

 これまで、一度としてこのようなことはなかったという。

 これまでも、父親たちが納品するために村を留守にしたことは何度もある。

 それでも、こんな騒ぎが起きたことはない。

 だからこそ、こんな恐ろしいことは夢でなければいけないと。

「良いですか? 声を出してはいけませんよ?」

 狭い室内に女四人が入り、壁の扉を閉めて札を貼ると、母親は最後の忠告をした。

 室内は完全な闇に包まれていた。

 ドッドッドッドと聞こえる鼓動は誰のものか。

 誰もが息を潜めていた。

 異様な圧迫感と緊張感。

 これは夢だと、椿は自分自身に言い聞かせることしか出来なかった。

 震えているのが自分なのか母親なのか。姉たちなのか。

 早く終わればいいと思っていた。

 早く目が覚めればいいと。

 ギュッと目を瞑り、夢の延長線上だと思い込むその耳に、聞こえて来たのは外の音。

「片っ端から集めろ! 一本たりとも残すな! 全て手に入れた後は二度と作れぬように村も工房も破壊し尽くせ! そうすればオレたちの邪魔をする力を削ぐことが出来るぞ!」

「おい、見ろよ。こんなにあったぞ【揺り籠刀】」

(ゆりかごとう?)

 またも聞こえて来た聞き覚えのない単語に、疑問符を浮かべる椿を抱きしめる母親の腕が、体が、強張った。

「こりゃいい。先に運び出しておけ。上手く行けば仲間を増やせる」

 その言葉に、母親の呼吸が速まった。

 嫌な予感しかなかった。

【揺り籠刀】というものが何なのかは解らない。解らないが、この村にとって重要なことだということだけは解った。奪われてはならないものだということが解った。

(とと様たちが一生懸命に作った刀が奪われてしまう!)

 それは阻止しなければならないことだと椿は思った。

 だが、動こうとする椿を母親はしっかりと抱きしめた。

 反射的に口を開こうとする椿の後頭部を引き寄せ、母親の胸元に顔を押し付ける。

 呼吸が出来ないほどに強く。強く。

 誰もが息を止めていた。

 外から聞こえる話し声が大きかったから。

 すぐ傍に、扉一つ隔てたそこに、侵入者たちがいることを嫌でも感じ取れたから。

 走り回る音がした。勝ち誇る声がした。

 屋敷が荒らされていた。

 兄がどうなったのかが気になった。

 村がどうなっているのか気になった。

 最悪の事態だけは思い浮かべたくはなかった。

 大丈夫だと思いたかった。

 だが、頭に浮かぶのは最悪の事態だけ。

 悲鳴が聞こえて来るようだった。泣き声が聞こえて来るようだった。

 次男の無残な死にざまが浮かんで来るようだった。

 ゾッとした。

 鼓動が速まり、体が震える。

 早く終われ終われと。目が覚めろと念じたその時。

「後はここか」

 聞こえて来た声に、椿は冷水を浴びせられたかのように体を強張らせた。

 何故かは解らない。解らないが、心臓を鷲掴みにされたような息苦しさと恐怖に襲われた。

(ダメです、ダメです、ダメです!)

 何がダメなのか自分でも分からないままに、強い衝動に駆られる。

 駄目だと。それは駄目だと。今すぐ止めなければならないと。

 全身がざわついていた。

 今すぐにでも動かなければいけないと思っていた。

 そして聞いた。

「これがこの村の御神刀か。随分と厳重に封じられてるじゃねぇか」

 その瞬間。椿は初めて、言いつけを破った。

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