弓チョコの世界観(エッセイ)

弓チョコ

世界について

さて。


まずは一番大きな枠から行こうと思います。


「世界は数学でできており、人の社会は国語(言語)で回っている」


とは、私の中学の時の数学の先生の言葉です。これ気に入っています。

この世は全て数学で表すことができます。今座っている椅子の重さ。大きさ。角度。値段。いつも使っているパソコンには夥しい程の数字が使われています。毎日職場へ向かう距離。歩数。時間。地球の大きさ。宇宙の広さ。全部数学が関わっています。

当たり前ですが、改めて言われると確かに。そう思いません?

数学を学ぶ、極めるということは世界について数字という視点から学んでいるということになります。


そして。人は社会で生きています。特別な少数の例を除けば全員がそうでしょう。少なくともこのエッセイのページを開ける方は100%人の社会で暮らしていると断言できますね。こじつけや屁理屈はさておき。

人は言語という画期的な文明の利器を発明したことにより、コミュニケーション能力を格段に向上させました。お互いに共有されている『意味』を使い分けて、自分の意思表示を行うのです。名前も言語。挨拶も言語。書類も言語。地図を見ても言語。数字を表すのも言語。


『国語』と『算数』は、全ての原点、大元、黒幕なんです。一番大事な教科という訳ですね。理科や社会などはそれらの派生なのです。理科の実験、化学反応は数字や計算を使いますし、地理や経済も数字を使って調べたりします。そしてそれらは全て、文字を使って行っています。


で、今回はその内『世界』について。

今、ささっとグーグルで調べました。


【世界】

・存在する事物・現象の総体。

「現実―ばかりでなく可能―も考えて」

・宇宙。

・地球全体。そこにある人間社会。万国。

・同類のものの集まり。その範囲。

「歌舞伎(かぶき)の―」


いくつか意味があるんですね。『全部』『一部』どちらの意味もあるのはちょっと面白いですよね。

web小説投稿者としては、身近な使い方はやはり『異世界』ですね。この場合の意味としては『宇宙』が近いのではないでしょうか。『異世界』に対して『地球』といった表現をよく見る気がします。『別の惑星』という感覚ですね。それが一番分かりやすいと思います。


対して『一部』として使う場合、それは『社会』のことを指す場合が多いように思います。人が集まって世界が生まれる。なんだかロマンチックですね。






――


「それはおかしいですね。世界は世界です。『異なる』というのは、何かと比べて違っているということ。この場合、違っているのは『貴方の話』か『貴方の国』です。今まで見逃してきましたが、私達の生まれ故郷であるキルシュトルテ領を『異なる世界』呼ばわりをするのは、些か失礼ではないでしょうか」


ファルカ・キルシュトルテ

『地方領主の娘は、転移してきた男に興味がある。』

第二章【ハルト・ストーンブリッジ】より

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