第18話 熱


 しばらくして、ウィニングはマリベルが追ってきていないことに気づいた。

 不思議に思って戻っていたウィニングに、マリベルは小さな声で告げる。


「鬼ごっこは……終了です」


「え? でもまだ、普段より走っていませんが……」


「終了です」


 マリベルは真剣な面持ちで言った。


「ウィニング様。大事なお話があります」


 いつになく真面目な空気に、ウィニングは落ち着いて首を縦に振った。

 マリベルは、真っ直ぐウィニングを見据えて語る。


「ウィニング様には努力する才能があります。型に嵌まらない思考力と、目的を達成するための執念……これは掛け替えのない才能です」


 マリベルは、ウィニングの能力をそう定義していた。

 規格外の能力は、規格外の思考力と執念によって生まれていると。


「きっとその才能を使えば、貴方は走ること以外にも色んなことを習得できるでしょう。走ることほど極められるかは分かりませんが……どの分野に進もうと、同世代の中では抜きん出た成果を挙げることが可能です」


 無言で相槌を打つウィニングに、マリベルは続ける。


「そうなりたいとは思いませんか? ほんの少し、走ることから目を背けて、他のことを真剣に学べば……きっと今よりも多くの評価が得られますよ?」


 マリベルは問いかける。

 しかしウィニングはいつも通りの暢気な様子で、


「うーん……すみません。あんまり興味ないです」


 そんなウィニングの回答を、マリベルは想像力が不足していると判断する。


「ウィニング様にはまだ難しい話かもしれませんが、人は歳を重ねるにつれて、比較・・の目がつきまといます」


 強く――実感の込められた言葉だった。

 万年二位。永遠の二番手。ずっとある人物と比較され続けてきたからこそ、マリベルは真摯に語る。


「それは時に、悪意となって胸を抉ってきます。人と違うことを理由に排斥されることもあります。……ですから、自分のやりたいことを堪えて周りの評判を優先するのは、妥協・・ではないんです。自衛・・なんです。決して恥ずかしいことではありません」


 そっと、優しく諭すように、マリベルは語った。

 自分のことを大切に思っているなら、こういう生き方もあるんだとマリベルは伝えたかった。


 そして、それこそがウィニングの父フィンドの願いだった。

 フィンドはウィニングの紋章が三級であることから、魔法使いとしての出世は厳しいと判断している。同時に、その聡明な思考力があれば優れた領主になるはずだとも考えている。


 マリベルは、フィンドの考えもよく理解していた。

 ウィニングが真剣に、領主になるための努力を続ければ……きっと将来は名君になるだろう。

 その生き様は、今の生き様と比れば格段に周りから評価されるはずだ。ウィニングにとって、最も安定した人生になるに違いない。


 しかしウィニングは――首を縦には振らなかった。


「周りの目は大事ですね。俺も一応、貴族だから分かります」


 マリベルの意見を、ウィニングは理解して答えた。

 子供らしからぬ聡明さをウィニングは発揮する。


「でも、こればっかりは……どうしようもないんですよ」


 強い感情を、ウィニングは吐露する。

 ウィニングは自分の胸に手を添えて語った。


「このあたり……胸の中心に、でっかいものがあるんです。俺はそれを無視して生きることができない」


 その胸の中心にあるのは、きっと熱だとマリベルは感じた。

 走るという名の熱だ。


 夢とも希望ともロマンとも捉えられるその感情は、ずっとウィニングの胸と――瞳で燃えている。

 ウィニングが走っている時、その瞳には常に激しい炎が灯っていた。


「俺は多分、走るために生きているんです。だから俺の命は――走ることに捧げます」


 ウィニングの瞳が、キラキラと燃えている。


 マリベルは、ごう、と強い熱風を浴びたような錯覚に陥った。

 それは子供が本来持つはずのない、命懸けの覚悟だった。


 マリベルは知らない。

 ウィニングには前世の記憶があることを。


 マリベルは知らない。

 前世で足が動かなかったウィニングにとって、この二度目の人生は走るために在る・・・・・・・と本気で考えていることを――。


 ウィニングは口を開く。


 その熱を帯びた目で、今度は何を告げるのか。

 マリベルは耳を傾けた――。




「――マリベル先生にも、そういうものはないですか?」




 マリベルは、頭を強く殴られたかのような衝撃を受けた。

 果たして自分には、ウィニングと同じ熱があるのか。


 考えなくても分かる。

 自分に、その熱はない。


 しかし――エマは同じことを言っていた。


『私は、魔法を極めるために生きている』


 学生だった頃。

 エマはそのような言葉を口にした。


 あの時の、自分とエマの問答を思い出しながら……マリベルはゆっくり口を開く。


「ウィニング様。…………貴方は、何のために走るんですか?」


 その問いにウィニングは目を丸くした。


「そんなの――好きだからに決まってます!」


 屈託のない表情でウィニングは告げた。

 マリベルの脳裏に、エマとの問答が蘇る。


『エマ。貴女は何のために、魔法を極めるの?』


『そんなの、好きだからに決まってるでしょ』


 目の前にいるウィニングが、一瞬だけエマに見える。

 その瞬間マリベルは悟った。


 先程、どうしても追いつけないウィニングに対して抱いた感情。

 その正体はやはり――。


 ――適わない。


 かつて競い合ったエマ=インパクトは才能の塊だった。

 才能の塊なのに努力もするから、もう敵うはずなんてなかった。


 しかし目の前にいる少年……ウィニングはどうだ?

 最終的にマリベルは、ウィニングには努力の才能があると判断した。だが努力に関しては、自分も引けを取っていないという自信がある。特に積み重ねた時間は明らかに自分に分があるはずだ。


 なのに、マリベルはこの少年に敵わないと感じていた。

 それは何故だ?


 ――本当に才能か?


 この敵わないという感覚は、本当にウィニングの才能に感じたものなのだろうか?

 もし違うのだとしたら……エマに対しても同じではないか?


 自分はもしかして……才能でエマに負けたわけじゃないのか?


 目の前の少年は、マリベルにはない何かがあった。

 エマにもきっとその何かがあった。


 答えを知りたい。

 この少年の行く末を見届ければ、マリベルは自分に欠けているものを見つけられそうな気がした。


 きっとこの少年は――エマ=インパクトのように、劇的な成長を遂げることになるだろう。


 今では世界最強と呼ばれるエマのように。

 この少年も、いつか世界中に認められて新たな異名を冠するかもしれない。


 その可能性は、決して潰えてはならないものだ。


 この少年は――自由に駆け抜けるべきだ。


「……ウィニング様。急用ができましたので、今日はここまでにしておきましょう」


「急用?」


 訊き返すウィニングに、マリベルは頷いた。


「貴方の父親と、大事なお話があります」




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