第4話 黒猫ちゃんと妖精王

 時は少しだけ遡り、前日に普段は絶対に着ないようなドレスを着て隣の領地に挨拶に行ったアミナスは、やはり幼き頃のアリスと同じように熱を出して寝込んでいた。


 見る夢は全部悪夢で、ドレスを着た大量のゴリラがアミナスを捕まえようと追いかけてくるのだ。


 そんな夢の中に突然一匹の黒猫が姿を現した。黒猫はゴリラに追いかけられるアミナスに同情したのか、ついてこいと言わんばかりにアミナスの先を走る。アミナスはその黒猫を必死になって追いかけた。


「まってぇ……猫ちゃぁぁん……」


 どうにか猫を捕まえようと手を伸ばしても、猫には全く追いつけない。


「何だろ? 猫の夢見てるのかな?」


 うなされているアミナスを心配そうにベッド脇で見守っていたのはノエルだ。


 アミナスがまさか夢の中でドレスゴリラに追いかけられているなんて考えもせず、アミナスの寝言に首を傾げた。


 空を切るアミナスの手を掴んだノエルが心配そうにアミナスの顔を覗き込んだその時、突然アミナスの重いパンチがノエルの腹に炸裂した。


「!? ごほっ!」

「ノエル様!?」

「だ、大丈夫ですか?!」

「だ、だいじょう……ごほっ!」


 そう言ってよろよろと起き上がったノエルがアミナスを見ると、アミナスは目を閉じたままベッドから起き上がり、徐に窓に向かって猛ダッシュし始めた。


「ちょ、アミナス!? どこ行くの!」


 ノエルが手を伸ばして捕まえようとすると、アミナスはその手をスルリと躱して窓枠に手をかける。


「カイ! ロープを!」

「はい!」


 レオとカイが急いでアミナス緊縛セットの中からロープを取り出してアミナスに近づこうとしたその時、突然アミナスが振り返って二人に襲い掛かった。


「二人とも! 頭は守って!」


 意識が無い時のアミナスのパンチの殺傷能力はノエルもよく知っている。思わず叫んだノエルの声を聞いて二人は揃って頭を庇ったのだが――。


「っ!」

「ぐっ!」


 あえなく双子はノエルと同じようにお腹にもろにパンチを食らってその場に崩れ落ちてしまった。


 その隙にアミナスはさっさと窓を開けて一目散に外に飛び出して行ってしまう。


 一体アミナスに何が起こったのかさっぱり分からない三人は、とりあえず這ってキッチンに行き、うどんを作っていたアリスとミアに事情を説明したのだった。


 

 一方アミナスはまだ夢の中に居た。


「猫ちゃぁぁん……どこ行くの~~」


 無我夢中でひたすら猫を追いかけ夢の中で大冒険を繰り広げるアミナスは、すっかり勇者の気分だった。


 そしてまるで猫に誘導されるように辿り着いたのはどこかの洞穴である。その中央の祭壇のような所にずっと追いかけてきた黒猫が目を細めて座っていた。


「猫ちゃぁぁん」

『アミナス、よく来たな。どれ、そろそろ目を覚ませ。我まで殴られては敵わん』


 猫はそう言って一声低く鳴いた。


 その途端、アミナスはパチリと目を開けて辺りをキョロキョロと見渡す。


「!?」


 ここは一体どこだ!? またやってしまったのか!


 秋になると何故か無性にお腹が減って夜中にフラフラと屋敷を抜け出してしまっていたが、秋ではないのに屋敷を抜け出してしまったのは初めてである。


 焦ってきょろきょろするアミナスの目の前には一匹の黒猫が居た。その猫を見てアミナスはさっきまでの夢を思い出す。


 そうだ、自分はこの猫を追ってここまで来たのだと言う事を。


 しかしこんな所まで勝手に来てしまって、確実に両親に叱られる案件である。


「えっとー……帰ってもいい?」

「待て。我の話を聞け」

「猫ちゃんが喋った! バセット語森バージョンじゃない!」

「……何だそれは。まぁいい。アリスの娘だ。よく分からんのは致し方ないな。それより我をあいつから匿え」

「どういう事? 猫ちゃん、誰かに追われてるの?」


 順応力が異様に高いのもアリス譲りのアミナスは、とりあえず猫の前に座りこんだ。気づけばあんなにも辛かった熱もすっかり引いている。


「うむ。我は妖精王の名を継ぐものだ。訳あって今はこの姿をしているが、我は命を狙われているのだ」

「命を!? なんで? 何か悪い事したの? 晩御飯のつまみ食いとか?」


 アミナスが命の危機を感じる時、それは悪い事をした時のノアのお仕置きと、晩御飯をつまみ食いした時のアリスのお仕置きである。


 アミナスの疑問に妖精王、もとい黒猫は呆れたように器用に半眼になってアミナスを睨む。


「そんなしょうもない事ではない。これは戦争だ。世界の一大事だ。分かるか? 全ての生き物が、いや、むしろこの星自体が危機に晒されているんだ」

「……もしかして難しい話が始まる?」


 勉強はすこぶる苦手なアミナスだ。あまり難しい話をされてもアミナスには理解出来ない。そういうのは出来れば兄のノエルにしてほしい。もしくはノアに。


「何となくだがお前の言いたい事が手に取るように分かるな。しかしアリス達は駄目だ。あいつはアリス達を知っている。我の魔力が戻らん以上、この状態の我が見つかる訳にはいかんのだ」

「でも私が聞いても多分分かんないよ。兄さま達になら教えてもいい?」

「ああ。お前にこれをやろう。妖精手帳だ。これを使って仲間の子供達を集めろ。そこで話をする」


 黒猫、もとい妖精王はそう言ってアミナスに虹色の手帳を差し出してきた。一体どこにこの手帳を隠し持っていたのかは謎である。


 それを受け取ったアミナスはコクリと頷いて黒猫を抱き上げた。


「とりあえず一緒に行こ。見つかったら危ないんでしょ?」

「ああ。ちなみに我はフィッシュよりチキン派だ。食事は肉にしてくれ」

「……分かった。残飯でいいよね?」


 肉はアミナスの好物でもある。多少とは言え食いぶちが増えて自分の分が減るのではないかと思案してしまうアミナスの小狡さはノア譲りだ。


 それを聞いて妖精王が尻尾と背中の毛を逆立てて言い返そうとしたその時、洞窟の入り口の方からアリスのあの珍妙な歌が聞こえてきた。


「ヤバ! 母さまだ! クロ、猫の振りしてて!」

「クロ!? もっと他に何か高貴な名前が――」


 あるだろう⁉ と言い切る前にアリスがドカドカとやって来て、アミナスを見つけるなりゲンコツを落とす。


「アミナス! 良かった! もう、どこ行ったのかと思った! このバカチン!!」

「ご、ごめんなさい、母さま、父さま、キリ」

「ニャ、ニャ~ン」

「ん? どうしたの、その猫」

「何かね、拾ったの。匿えって言うから連れて帰ってもいい?」


 アミナスがそう言って黒猫をアリスに見せると、アリスはじっと黒猫の目を覗き込んだ。そんなアリスの反応に黒猫はそっと視線を逸らせる。


「いいよ! もううちの子だ! でもこの子バセット語話せないんだね。でもアミナスにはこの子の声が聞こえるの?」

「う、うん! ふっしぎだな~! 何でかな~? すっごい熱出たからかなぁ~?」


 アミナスもアリスと同じように嘘がドヘタである。目が泳ぐし少し早口になるのだが、そこは流石アリスだ。


「そっか! なるほどね! じゃあこの子のお世話はアミナスがしてあげてね。私には声聞こえないみたいだから」

「わ、分かった。ありがと、母さま」

「……」


 思わずホッと胸を撫でおろしたアミナスを見てノアがちらりとキリを見た。するとキリも小さく頷いている。アミナスの下手くそな嘘ではこの二人は騙せない。


「アミナス、一つだけ聞いてもいい?」

「な、なぁに? 父さま」

「その子、危険ではないんだよね?」

「え!? う、うん! 当然だよ!」

「……ふぅん。まぁ何にしても無事で良かった。さ、帰ろう。ちゃんとノエルとレオとカイに謝るんだよ」


 殴られた挙句逃げられたと言ってノエルと双子たちは酷く落ち込んでいた。あまりにも可哀相である。


「……うん。兄さま達、怒ってない……?」


 この世で一番怖いのは両親だが、それと同じぐらいノエル達に嫌われるのも怖いアミナスだ。


 しょんぼりと項垂れたアミナスをノアは抱き上げて言った。


「怒ってないよ。凄く心配してる。だからもう帰ろうね。あ、これはキリが持ってて」


 ノアはそう言ってアミナスの腕の中で目を細める黒猫の首根っこを捕まえて乱暴にキリの腕の中に押し込んだ。


 イマイチこの猫の事が信用出来ない。アミナスは何か嘘をついている。それはきっとこの猫に関する事なのだろう。


 何よりもたとえ猫であろうと可愛い娘の腕の中でぬくぬくと目を細めるのは許せない。そしてこの猫は多分オス猫だ。ノアの勘がそう告げているから間違いない。


 こうして四人は洞窟を出るとアミナスはノアが背負い、ルンルンはアリスが背負って崖を上った。


 ふと見上げると、そこには心配そうにこちらを見下ろすノエルとレオとカイが居る。


「兄さま~! レオ~! カイ~! ぎゃん!」


 崖を登りきるとアミナスは三人に喜び勇んで駆け寄った。ところが、盛大にレオにゲンコツを食らう。


「あなたは一体どうなってるんですか!? せめて病気の間ぐらい大人しく出来ませんか!?」

「あと、汚れるのでくっつかないでください」

「酷い! カイが酷い!」

「アミナス、喜ぶ前に何か皆に言う事あるんじゃない?」


 ニッコリ笑ったノエルを見てアミナスは思い出したように三人に頭を下げた。


「迷惑と心配かけてごめんなさい……」

「うん。元気になったら領地の人達にも謝りに行こうね。僕もついて行ってあげるから」

「……うん。分かった」

「はい、良い子。じゃ、おうち帰ろ」


 そう言って差し出したノエルの手をアミナスはしっかりと握って四人は屋敷に向かって歩き出した。その後をキリの腕から飛び降りた黒猫が追いかけて行く。


 置いてけぼりをくらったアリスとノアとキリはそれぞれ顔を見合わせた。


「あれ? 両親ここに居るのに?」

「最早誰が親か分かりませんね」

「懐かしいけどね、あの光景。それじゃ僕達も戻ろっか」


 そんな四人の後ろ姿を見てノアが言うと、隣でアリスとキリが笑みを浮かべて頷く。


「それにしてもあの猫……一体何なんだろう……」


 ポツリと呟いたノアの声はアリスにもキリにも届かなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る