第2話【問題用務員とメイド化】

 まあお茶だけで腹が膨れるかって言ったら別問題である。



「腹減った……」



 ユフィーリアは空っぽになった紅茶のカップを揺らしながら、執務机に額をぶつける。ちょっと痛かった。


 空きっ腹に紅茶など半端なものを入れたのが間違いだった。用務員室にまともなお茶請けは学院長から巻き上げた茶菓子以外になく、購買部へ行こうにも現在は食堂にて懇親会が開かれている最中なので店主もお招きされている頃合いだろう。

 そんな訳で問題児どもはひもじい思いをしなければならないのである。1000回目の入学式をぶち壊したツケが回ってきた形だ。別に後悔なんてしていないが。


 空腹のあまり魂が口から抜け出ているエドワードは、



「お腹減ったよぉ。何でお茶請けを誰も買ってないのよぉ」


「それはお前が全部食っちまったからじゃねえか!!」


「ぎゃーッ!?」



 ユフィーリアは雪の結晶が刻まれた煙管キセルを一振りして魔法を発動させ、エドワードの上に大量の魔導書をドサドサと落とす。こんなもので彼を痛めつけることなど出来ないだろうが、用務員室のお茶請けを食い尽くしたせめてもの罰だ。

 そもそも彼は、懇親会用の食事2000人分を全て平らげているのだ。その上で「お腹減った」と訴えてくるのは、もう大食いだけでは済まないような気がする。


 雪の結晶が刻まれた煙管を咥えたユフィーリアは、



「よし分かった、お前ら着替えろ。飯食いに行くぞ」


「何すんの!?」



 面白さの気配を察知したらしいハルアが、琥珀色の瞳をキラッキラと輝かせながら言う。


 それはもちろん、懇親会に忍び込むのだ。

 ただ正面突破を挑んでも、タダで食事が出てくる訳がない。問題児であるユフィーリアたちは懇親会に出入り禁止が言い渡されているので、正攻法で行けば確実に説教コースである。


 なので、懇親会に潜り込む為の衣装に着替える必要があるのだ。



「お前ら、メイドさんは好きか?」



 ユフィーリアが魔法で手元に転送したものは、黒いワンピースと純白のエプロンドレスが特徴的な可愛らしい衣装――メイド服だった。



 ☆



 そんな訳で、問題児のお色直しタイムである。



「髪の毛って三つ編みの方がいいか?」


「剃刀ってどこよぉ。俺ちゃん、臑毛を剃りたいんだけどぉ」


「着たよ!! 似合う!?」


「ハルちゃん、それは舞踏会用のドレスなのヨ♪ 着替えていらっしゃイ♪」



 男も女も関係なく、懇親会へ潜入する為にメイド服へお着替えの真っ最中である。女性であるユフィーリアやアイゼルネと違って、明らかにメイド服が似合わない筋骨隆々とした強面のエドワードさえノリノリでメイド服を着用している。ちゃんとホワイトブリムまで用意して、可愛らしいメイドさんに大変身を遂げていた。

 ちなみにこのメイド服、ユフィーリアが手ずから作ったものだ。この前、生徒から取り上げた漫画でメイドさんがあられもない姿を披露していたのに感銘を受け、被服室を勝手に占拠した挙句、布地も大量に拝借して制作した。我ながら会心の出来である。


 ユフィーリアは自慢の綺麗な銀髪を器用に三つ編みにし、ちゃんと伊達眼鏡も装備する。生足を出すことに抵抗があるので、メイド服の形式は長いスカートが特徴の古式ゆかしいものを選んだ。スカートの裾は膝下どころか足首まで届かん勢いだ。



「ふっふっふ、完璧だな」



 姿見で自分の姿を確認し、完璧なメイド姿を披露するユフィーリアはくるんとその場で1回転。ひらりとスカートが舞う。



「どうよ、このアタシの完璧なメイド姿は。可愛くねえか?」


「ユーリ、俺ちゃんは今それどころじゃないのぉ」



 ぞーりぞーりと臑毛すねげを剃りながら、エドワードが言う。


 彼が身につけているメイド服は、スカートの丈がかなり短いものだ。鍛えられた足を惜しげもなく晒し、純白の長靴下が太腿まで覆う仕様になっている。

 現在、床に座った状態で臑毛を剃っているものだから、短いスカートから見えてはいけないアレが見えちゃっていた。具体的に言えば男性用の下着である。ちゃんとハート柄の可愛いものがしっかりと見えていた。


 ぼうぼうに生い茂った臑毛を剃り、真っ白な長靴下を装備して靴下留めでズレ落ちを防止。自慢の筋肉をメイド服に押し込んだ影響で、鍛えられた胸元は見事にパツパツである。

 これにて筋肉質な強面メイドちゃんの爆誕だ。やべえ絵面である。



「どうよぉ、俺ちゃんのメイド姿はぁ」


「うん、顔が怖い」


「いつものことだねぇ」



 顔が怖い以外は、まあ立派なメイドである。今にも制服のボタンが弾け飛びそうだが、そこはご愛嬌だ。



「…………あの、これは一体何を?」


「え、メイドさんになってんだよ」



 嬉々としてメイド服に着替えていく問題児たちについていけない様子のショウに、ユフィーリアは自信満々に言い放つ。



「懇親会の会場に給仕として潜入して、どさくさに紛れて飯を盗み食いするんだよ。可愛いメイドさんだから許されるだろ」


「可愛いどころでは済まない人もいるのだが、それは」


「そこはほら、愛嬌で補えばいいんだよ」



 ケラケラと軽い調子で笑い飛ばすユフィーリア。意外と物をはっきり言う少年である、面白い奴だ。



「ほらショウ坊、お前のメイド服」


「え、あの」



 ユフィーリアは魔法で衣装箪笥に眠るメイド服を転送させ、ショウに手渡してやる。

 彼に渡したメイド服の形式は、ユフィーリアと同じく古式ゆかしいメイド服だ。スカートはくるぶしまで届くほど長く、露出は極めて少なく設計されている。清楚さと可愛らしさが同居した衣装は、ショウによく似合うだろう。女装初心者にもうってつけだ。


 押し付けられたメイド服に視線を落とすショウは、



「でも、あの、俺には似合わないと思う。あの、みんなのように顔が整ってる訳じゃないし……」


「何言ってんだ、ショウ坊」



 自分の顔に自信がない様子のショウに、ユフィーリアは堂々とした口調で言い放つ。



「お前は十分に可愛いんだから自信を持て。アタシが保証してやる」


「でもあの、ほら、髪の毛とか」



 ショウは自分の髪の毛を摘んで示す。


 彼の髪は適当に切られた影響なのか、非常にボサボサだ。加えて艶もなく髪の状態は最悪と言ってもいい。

 試しに髪の毛を撫でてみると、見た目は最悪だがなかなか柔らかい手触りである。ちゃんと手入れをすれば絹糸のような上質な髪となるだろう。虐待を受けていても髪の毛の状態はギリギリ修正できる範疇だった。


 ユフィーリアは「これぐらいなら直せるぞ」と言い、



「ほら座った座った」


「え、あの」



 ショウを事務椅子に座らせて、ユフィーリアは浴室から緑色の瓶を転送させる。貝殻の形が特徴で、髪の長い女性らしき絵が描かれたラベルが貼られている。

 ユフィーリアが調合した毛髪修復剤である。この薬液を塗り込むだけで雑に切られた髪も元通りに修復できる優れものだ。残念ながら艶までは取り戻せないが、それは追々でもいいだろう。


 ガッチガチに緊張気味なショウの肩をさすり、ユフィーリアは「大丈夫だぞ」と言う。



「ただ少し怖いけど」


「怖いのか!?」


「そりゃいきなり髪の毛がズルッと生えてくれば怖いだろ」



 貝殻型の瓶を手に取ったユフィーリアは、中身の液体をショウの頭頂部に振りかける。薬品が馴染むように揉み込んでやれば、ショウがくすぐったそうに肩を揺らした。

 こればかりは我慢である。彼の髪の毛を綺麗に修復する為に必要な工程なのだ、くすぐったかろうが冷たかろうが我慢が大事である。


 薬品が馴染んだことを確認して、ユフィーリアはショウの髪を掴む。



「ひゃッ」



 すると、ショウが甲高い声を上げてユフィーリアの手を振り払った。



「どうした、ショウ坊。痛かったか?」


「いや、あの……」



 恥ずかしそうに首元を押さえるショウは、ユフィーリアへと振り返って小声で訴えてくる。



「少し……冷たくて」


「ああ、悪いな。身体に冷気が溜まりやすい体質なんだ」



 ユフィーリアはそう言って、雪の結晶が刻まれた煙管を咥える。深く吸い込んで吐き出せば、真っ白な煙が用務員室に漂った。その匂いは、まるでミントを想起させる清涼感のある香りである。



「昔から氷の魔法が得意でな、馬鹿みたいに使ってたら冷気が溜まりやすい厄介な体質になってたんだよ」


「そ、そうなのか」


「この煙管で身体に溜まった冷気を吸い上げなきゃ、指先から凍りついちまうからな。さっきのは冷気が溜まってたから冷たかったんだろ」



 ユフィーリアはショウに手のひらを差し出して、



「この程度なら平気か?」


「あ、ああ。ちょっとひんやりするぐらいだ……」


「よし、じゃあ続けるぞ」



 ユフィーリアは改めてショウの髪を掴む。鷲掴みにしたショウの髪を思い切り引っ張れば、ずるりと彼の黒い髪が伸びた。


 自然に伸びるとか、元の長さまで時間を戻すとかではない。何かの手品のようにショウの髪が急激に伸びたのは、もはや魔法ではなく衝撃映像でしかない。

 時間を戻して修復するなど他にも色々と方法はあるのだが、身体に負担をかけない修復方法はこの衝撃映像みたいな手法が最適なのだ。呪いをかけた訳でもないので安心してほしい。


 いきなり髪を引っ張られた上に伸ばされたショウは、



「え、え? 伸びた?」


「おう、伸びた伸びた。このぐらいの長さでいいか?」



 ちょうどいいところで手を離したユフィーリアは、ショウの髪の長さを確認する。


 肩口でバッサリと切られていた彼の髪は、腰の位置まで伸びていた。しっかりとサラサラの髪である。洗髪剤の広告に使えそうだ。

 ショウも伸びた自分の髪の毛を確認し、毛先を指に巻いてくるくると弄る。彼の指先に巻かれた髪はするりと解け、癖1つ残らなかった。


 ユフィーリアはショウの顔を覗き込み、



「長すぎなら切るぞ」


「いや、この長さがいい」



 ショウは伸びた自分の黒髪を撫でながら、



「元々この長さだったんだ。それを叔母に無理やり切られて……」


「そっか。じゃあ、もう無理やり切られることはねえな」



 ポンとショウの小さな頭を撫でてやり、ユフィーリアは言う。



「よし、これで可愛いメイドさんになれるな?」


「その話、まだ有効だったのか……」


「当たり前だろ。魔女に二言はないんだよ」



 ユフィーリアは事務椅子に座らせていたショウを立たせると、背中を押してやる。



「ハル、ショウ坊の着替えを手伝ってやれ」


「あいあい!!」



 すでにミニスカメイド服に着替え終わったハルアは、ショウの傷が目立つ手を取って「こっち!!」と案内しようとする。

 そうだ、彼の手は煙草の火による火傷を繰り返して悲惨なことになっている。頬も腫れたままだし、傷だらけの身体で他人の前に出すのは可哀想である。


 ユフィーリアはショウを呼び止め、



「ショウ坊」


「?」


「これを持ってけ」



 ユフィーリアがショウヘ手渡したのは、小さな壷だった。


 手のひらに収まる程度の陶器製の壷で、表面には可愛らしく花柄が描かれている。蓋を開ければふわりと花の香りが鼻孔を掠めた。

 壷の中身は乳液のような白いドロッとした液体で、指先で触れれば肌に素早く馴染む。化粧品の類に見える。


 壷を受け取って首を傾げるショウに、ユフィーリアは彼の手を指差す。



「火傷と痣。それで消えるから、見えない部分はハルに塗ってもらえ」



 親族からの虐待は、彼の心に深い傷を負わせた。

 それを忘れさせるには、まず虐待の痕跡から消すのが1番だ。心の奥深くに根を張った虐待の記憶は消えないだろうが、これからはたくさん楽しいことや面白いことをして記憶を風化するのを待とう。


 壷を軽く握りしめたショウは、



「ありがとう、ユフィーリア」



 小さくお礼を告げて、ショウはハルアに手を引かれて用務員室の隣の部屋へ連行された。


 さて、彼は一体どんな可愛いメイドに変身するのか楽しみである。

 雪の結晶が特徴の煙管を咥えたユフィーリアは、ショウの着替えが終わるのを静かに待つことにした。

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