ep5.檸檬飴④

「織部、部活入る?」

 佐宗と別れ、校門を出たところで高森にそう訊ねられる。いつもよりも下校時間が遅いため、空はだいぶ暮れかけていた。それだけで何だか一気に気分が沈む。加えて全身のだるさもある。肩にかけた通学鞄のずっしりとした重みも相俟って、歩みは遅い。高森はまだ僕ほど疲れている感じはなかったが、歩む速度は緩やかだった。歩幅を僕に合わせてくれているのかもしれなかった。

「僕が部活動をやるように見えるのか?」

「いや、見えないな。特に運動部でアクティブに動きまわってる姿なんてまったく想像つかない」

「……何かいろいろと引っかかる物言いだけど、実際そうだな」

 高森はおかしそうにくつくつ笑った。僕は肺に溜まっていた空気をすべて吐きだすように、大きく長い溜息をついた。

「取り敢えず、体験入部が無事に終わってよかった」

 言葉にすると何だか本当に体が軽やかになった気がする。

「そうだな」

「実際は一時間かそこいらくらいだったけど、何時間も拘束されてた気分だ」

「拘束って言いかたが織部らしいな」

 高森はそれから思いだしたように鞄をごそごそとあさりはじめた。飴の包みを引っ張りだしてくる。それを僕のほうに差しだした。

「食べる?」

 僕は高森の手からそれを受け取った。檸檬味の飴だ。前にも同じシチュエーションがあったなと思いながら飴を受け取ったのだが、味まで同じだった。

「これ、前に母さんがあげたやつか?」

「同じやつだけど、さすがに貰ったやつは食べちゃったよ。それはおれが新しく買ったやつ。おいしかったから。でもなかなか売ってなくて、見つけるのに苦労した」

「そうなのか? 母さんは近所のスーパーで買ってたと思うけどな。確か山ほど置いてあった」

「うちのほうにはなかったんだ。入荷する商品がちょっとずつ違うのかもな」

 包みを開いて飴玉を口に放りながら、僕はふうんと相槌を打った。ほのかな酸っぱさがわずかに舌を刺激する。僕の母親が買ったものを高森にあげ、それを気に入ってまた高森が買う。こうやって何か伝播していくのが何だか不思議な縁に思う。

「それで、高森はどうするんだ。部活に入るのか?」

 高森も飴玉の包みを開くと口に含んだ。カラコロと飴玉を口のなかで転がす。ゆるゆると首を振った。

「入んない」

 それは半ば予想していた返答ではあった。

 高森は僕と違ってあからさまに態度に出すことはないが、佐宗の話に最初から興味がないのだろうことは見ていてわかった。佐宗の顔を立てるために一応は見学したまでだろう。本来、高森はそういう気遣いをする性格なのだ。僕といるときはなぜだか無遠慮なことが多く、そのことをつい忘れがちだが。

 それから狐先輩ともあまり気が合わなそうに思う。悪い先輩ではなかったが、こればかりはしかたがないだろう。

「高森もスポーツ系は苦手なのか?」

 高森が入部しない理由に半ばの予測をつけながらも、僕はあえて少し違うことを訊ねた。高森は飴玉を口のなかで転がしながら、少し唇を尖らせた。

「まあ、おれもスポーツはそこまで得意なわけじゃないけど。でもいちばんの理由はそこじゃなくて」

「何だよ」

「だって部活に入ったら、放課後織部んちに行けなくなっちゃうから」

 その返答に僕は思わず面食らう。

 先ほど僕もちらりと同じようなことを考えはした。もしも部活に入ったとしたら、高森が僕の家に来ることはなくなる。ただ高森の口からも改めてその話が出てくるとは思っていなかったし、それがいちばんの理由であるというのはなおさらだった。

 単純に、部活動が億劫だとか、先輩との折り合いの問題ではないのか。

「……別に部活で一緒に過ごすのも放課後うちに来るのも似たようなものじゃないのか」

「織部、部活入らないんじゃなかったの」

「入らないけど」

「じゃあ、前提からしておかしいじゃないか。それに部活で一緒になるのと放課後織部んちに行くのとではずいぶん違うよ」

「どこが」

「おれは、織部の家で織部とゆっくり過ごすのが気に入ってるんだよ。織部の家で気儘に勉強したり、何かくだらないことをだらだら話したり、そういうのが好きなんだ。自分の家で勉強するより捗るし、あとエンゼルフィッシュの様子だって気になるし。部活に入ったら、そういうの全部できなくなっちゃうだろ。それが嫌なんだ」

「……ふうん、」

「気のない相槌だな」

 高森は苦笑する。僕の態度が、高森の話にまるで興味がないように映ったのだろう。

 だが僕が生返事だったのはけっして高森の話がどうでもよかったわけではなかった。僕は少し、違うことを考えていたのだ。

「……高森は、僕と二人でいて平気なのか」

 ふいにそんな言葉が口を突く。言ってしまってから、言わなければよかったとすぐに後悔した。高森相手に僕はいったい何を口走っているのだろう。変なことを訊いた。

「……平気って、何。どういう意味?」

 高森は案の定、怪訝そうに眉間に皺を寄せて僕を見てきた。

 僕はためらった。ついうっかり口を突いて出てきてしまったものの、この話はできればもう掘り下げたくなかった。だが僕から切りだした手前、そうもいかないのだろう。

 しょうがなく、口を開く。

「……気まずくなったりとか、」

「ならないよ。なってたらこんなにずっと一緒にいないだろ」

「それはまあ、そうなんだろうけど」

「織部、どうかした? 何か変じゃない?」

「……別に何も変なことはないけど」

 僕は高森の問いを否定した。そうしてこのままここで強引に話を終わらせてしまいたかったのだが、高森はそれでは納得しなかった。

「何もないことないだろ。何かあったから、いきなりそんな話してきたんじゃないの」

 執拗な追及に閉口する。こいつふだんは冴えるくらいに空気を読むくせに、何でこういうときに限って引き下がらないんだ。

「……佐宗は、僕と二人だと話しづらそうにしてたから」

 観念して、僕はそう答える。

 佐宗の、僕と高森に対するあきらかに異なる態度が先ほどからしこりのようになって引っかかり、僕を苛んでいた。こんなことが気にかかるようになるなんて、僕もおかしい。

「そんなの、まだあんまり話したことがないからただ慣れてないだけじゃないのか」

「でも、だいたいみんなそんな感じだろう。佐宗に限らない」

「おれは違うけど」

 高森は即座に僕の言葉を否定する。

「おれは織部と一緒にいて気まずいと思ったことはないし、話しづらくもないよ。それじゃだめなの」

「だめってことはないけど」

「……けど?」

 僕は黙った。自分のなかでもやもやと渦巻いているこの感情をどういうふうに形容すればいいのかがわからない。歯切れの悪い僕の返答に、高森はしばらく唇を噛んで僕の顔を眺めていた。

「おれ、織部とは抜群に相性がいいと思ってるんだけどな」

 それからふいに、少しおどけた調子で笑ってそう口にする。

「おれほど織部と相性いいやつ、ほかにいないと思うんだ。絶対に骨抜きにする自信がある」

「……言ってろ」

 冗談とも本気ともつかない高森のいつもの調子に、僕はあきれ声で返す。高森なりに場の空気を取り繕おうと気を遣った結果なのかもしれなかった。

「でも高森は、僕だけじゃなくて佐宗とだって楽しそうに話してたろう」

 それから少し、やり返してやろうという気持ちが僕のなかで湧いてくる。いつもいつも振りまわされてばかりも癪だ。

「それなら案外、僕よりも佐宗のほうが相性がよかったりするんじゃないのか。よすぎて、やみつきになるかもしれないぞ」

 とたんに高森の顔から笑みが消えた。すっ、と真顔になって、ほんの少し機嫌が悪そうに眉根を寄せる。その反応は予想外だったため、僕は戸惑った。唾を飲みこむと、体の内側からごくんと異様に大きな音が響いた。

 自分からこういう話をするのはかまわないくせに、僕から言われるのは好まないのだろうか。何だか少し理不尽だ。

「……そりゃ、佐宗とも話くらいはするけど」

 高森が口を開く。

 声にも少し機嫌の悪さが滲みでている。高森がこんなふうに不機嫌をあらわにするのは珍しい。いつも捉えどころがない感じで飄々としているし、僕と違って感情のコントロールはうまいはずだ。

 よけいなことを言うとまた高森の神経を逆撫でしそうで、僕はただじっと黙って高森の言葉を聞いていた。

 高森は一度俯き、感情を落ち着けるようにふうっと息を吐いた。それから顔を上げて僕を見る。薄緑色の目がゆらゆらと揺れている。

「おれは、織部がいいんだよ。佐宗じゃなくて」

 ゆっくりと、そう続けた。

 背骨の中心をぞくぞくとした感覚が一瞬で駆け抜けていき、体じゅうに広がった。寒いわけでもないのに、全身がぶるりと震える。酸欠のように頭がくらくらした。

 僕がいい。僕が。高森のその言葉はけっして僕を不快にはしなかった。今のは、そういう種類の感覚ではなかった。じゃあ何なのかと言われれば、わからない。ただ正体不明のぞくぞくがどうしようもなく僕の全身を駆け巡っている。

「飴、」

「ん?」

「飴、もう一個くれないか」

 僕はわざと話題を変えた。そうやってそのぞくぞくを飲みこんで、正体を探るのを保留した。

「何個でも食べたらいいよ」

 高森もべつだん僕に対して何かを言うことはなかった。わざとらしく急に話題を変えたことを咎めもしない。こういうとき、高森は無言で僕を赦すのだ。きっと僕はそれもわかっていた。

 高森は鞄から檸檬飴の入った袋を取りだすと、笑って僕のほうに差しだす。機嫌はもう直っているようだった。僕は高森が差しだした袋のなかに手を入れると、指先に触れた飴の包みをひとつつまみとった。

 包装紙を開いて飴玉を口に放る。檸檬味の飴は先ほど口にしたときよりもことさらに酸っぱく感じて、僕の舌をぴりぴりと痺れさせた。まるで毒を飲んだ気分だ。

 痺れた舌の根を、奥歯で甘く噛む。舌を噛み切ったわけではないだろうが、わずかに血の味が混じって感じる。

 高森も袋から包みをひとつ取りだすと、包装紙を開いて僕と同じように口に放った。毒のような飴玉は、高森の舌も痺れさせるのだろうか。僕はじっと高森の様子を観察していたが、もちろん高森は平然としていた。

「……今日はどうする。遅くなったけど、少しうちに寄ってくか? 母さんが帰ってくるまでには、まだもう少し時間があるだろうし」

 さすがに今日はもうこのまま解散だろうと思っていたが、気が変わる。痺れた舌のまま高森にそう訊ねると、高森は嬉しそうに顔をほころばせた。こくりと頷く。

「じゃあ、エンゼルフィッシュの様子だけ見てく」

「ずいぶん気に入ってるんだな、熱帯魚」

「うん。懐いてて可愛い」

「じゃあ、餌やりをやったらいい」

「いいの?」

「やりすぎるなよ」

「わかってるよ」

 そんなふうに会話を続けながら、僕と高森は並んでゆるゆると駅まで歩いた。

 ぞくぞくはまだ僕の腹の底でくすぶっていた。高森に気取られないよう、僕はそれを飴玉と一緒に深く飲みこんだ。

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