ep5.檸檬飴②

 佐宗はバスケ部だった。

 まあ僕にとっては対象のスポーツがサッカーであれ野球であれバスケであれ、何ら変わりはないのだが。

 放課後の体育館からは、そこここから活気のある声が響いてきていた。今日はバスケ部とバドミントン部で体育館を二分して使用しているようだ。ステージに近い側をバスケ部が使用し、後ろ側でバドミントン部が練習をしている。

 体育館は体育会系のすべての部活が使用するには圧倒的にスペースが足りないので、日によってローテーションが組まれていた。バスケ部とバドミントン部のほかにバレー部もこのローテーションに加わっている。体育館が使えない部は校庭やほかの空いている場所を利用するか、その日は基礎トレーニングを重点的に行っているという。

 高森は、佐宗の誘いを断らなかった。

 最終的に入部は断るのかもしれないが、一応は見学して佐宗の顔立てはするつもりなのだろう。僕はそれすらも億劫で最初からきっぱり断る気でいたのだが、結果的に高森に付き合ったかたちになる。

 もちろん高森が佐宗の誘いに応じたからといって、何も僕まで一緒に行く必要はなかった。佐宗は僕たちをセットのようにして扱っているきらいがあるので、高森だけでなく僕にも声をかけたのだろう。もちろん、見学する人数は多いほうがいいという理由もあるに違いない。

 だからといって常に二人一緒に行動する必要はないのだから、僕はやめておく、とひと言言えばそれですむ。だが隣から食い入るような高森の視線を感じて、僕はそれを振りきれなかった。とにかく目力がすごく、見つめられた場所に穴があくのではないかとすら思った。こいつ何で僕に対してときどきこういう感じになるんだ。

 一応見学だけはする、と佐宗に向かって答えると、高森は効果音が聞こえてきそうなほどあからさまに表情を明るくした。

 僕と高森は体育館の隅に並んで座り、バスケの練習をする佐宗たちの様子をぼんやりと眺めていた。最初は少し見学をしているよう言われたのだ。あとで練習に参加する予定になっているので、ジャージには着替えている。

 ジャージはベースが紺で、サイドに入ったラインが学年ごとに異なっている仕様だった。僕たち一年生は緑色のラインだ。二年生が青、三年生が赤だ。上履きのゴム部分などもそれで統一されていた。三年間で一巡する。

 部活に勤しむ生徒のなかには佐宗のほかにも同じクラスの見知った顔が何人かあった。いずれも僕はほとんど話したことがない。ただクラスメイトとして顔を知っているだけだ。バスケ部に所属していることは知らなかった。高森はきっと彼らともそれなりに話したことがあるのだろうし、バスケ部であることも知っていたかもしれない。

 みな、教室で見ているのとは違う活気に満ちあふれた明るい表情でバスケに打ち込んでいた。部活動を心底楽しんでいるふうだ。少なくとも僕にはそう見えた。

 僕と高森は膝を抱えて座りながらそれをずっと眺めている。高森は先ほどから黙り込んでいて、何を考えているのかわからない。

 佐宗に連れられて僕と高森がくだんの先輩に挨拶をしたとき、先輩は糸のような目を精一杯大きくして、「ああ」と無遠慮に高森を指差した。それからさすがにその態度はまずかったと思い直したのか、すぐにすっと指を下ろしてその後は何ごともなかったかのように振る舞っていた。

 高森のことを「知っている」ということだったのだろう。「見かけたことがある」と言い換えてもいいかもしれない。高森は取り立ててそれには反応しなかった。表情もいっさい変わらない。

 先輩は僕たち二人に部活動の内容について説明をはじめた。ジャージのラインは赤だ。今年最後の部活なこともあって、新入部員の勧誘にひときわ熱心なのかもしれない。おそらくこの人が部長なのだろう。

 今日、僕たちのほかに見学者はいなかった。それは予想していたとおりだったので、驚きはない。なにぶん入学してから日も経って、中途半端な時期だ。僕たちのように特別な事情でもない限り、もうとっくに入部先を決めて部活動にせっせと励んでいるか、さもなくば帰宅部を貫いているかだろう。

 顧問は今席をはずしていて、あとから様子を見にくるのだと説明された。僕はバスケ部の顧問教諭が誰なのかも把握していない。

 くだんの先輩は真横にすっと線を引いたような糸目をしていて、髪の毛の先はあちこちバラバラの方向に散らばっていた。よく言えば無造作ヘアというやつだが、おそらくはほとんど寝癖だろう。顎がしゅっと細く、背はひょろりと縦に長い。高いというよりは長いと形容したほうがしっくりくる体型だった。

 狐のような印象の先輩だなと僕は思った。

 それからもう僕のなかで彼は狐先輩になった。苗字は最初に名乗っていたが、興味がないのでもう忘れた。どうせ今日限りの付き合いだ。入部はしないので、今後関わり合いになることはないだろう。

 最初は少し見学してもらって、それからあとでちょっと練習に参加してみて。狐先輩はそれだけ説明をすると、ひょろひょろと長い体を揺らして小走りに部員の元に戻っていった。

 どうせ入部はしないのだから無意味な行為であるのに、何だか滑稽だ。他人事のようにそんなことを思う。僕と高森は顔を見合わせて、練習している部員の邪魔にならないようどちらからともなく体育館の隅にひっそり座った。

 他人が練習をしている風景をただ眺めているだけというのは少々退屈だ。僕は手持ち無沙汰に感じて、ジャージの上着のファスナーを上げたり下げたりする。ジャリジャリと小気味よい音がした。しばらく無心になってその遊びに興じた。

「暇だな」

 やがてそれにも飽きて、僕は隣に座る高森に話しかけてみる。高森からの返事はなかった。膝を限界まで体に引き寄せてきつく抱えて座り込んだまま、じっと前を向いていて、僕の声が聞こえなかったのか、それともあえて答えないのかはわからない。

 僕は高森の返答を待ったが、答えがないのならそれでもいいかと思い、前に向き直ってそのまま黙った。ジャージの上着のファスナーを襟元まで上げて、立てた襟に顎をうずめる。僕も取り立てて何かを期待して高森に話しかけたわけではなかった。

 運動靴を履いた踵を床につけて立て、爪先をぱたぱたと動かしてリズムを取る。意外に熱中して、僕は今度はしばらくその遊びに興じていた。

 佐宗が華麗なドリブルを披露している様子をぼんやりと眺めているところで、隣で高森が身じろぎ、ゆっくりとこちらを向いた気配があった。

「そうだな」

 僕が声をかけてからずいぶんと間が空きすぎていて、それがさっきの問いかけに対する返答であることにしばらく気がつかなかった。

 隣を向くと高森と目が合った。僕の顔を見返してふっと薄く笑う。それから高森のほうから喋りだした。

「やることがなさすぎてぼんやりしちゃうな」

「……あとで練習に参加するまで、しばらくはこんな感じかもな。眠くなりそうだ」

「うん。それにしても佐宗はさすがにうまいな。ボールってあんなふうな動きするもんなんだな」

「生き生きしてるよな。佐宗も、ボールも」

「でも織部が佐宗の誘いを断らなかったのはちょっと意外だったな。絶対、やめておくって言うと思ってた」

「途中までは言おうとしてたけどな。お前が何か訴えるような目でさんざん僕のこと見てくるからだ」

「あれ、おれに気を遣ってくれたんだ」

「僕だって気くらい遣える」

「最初話しかけたときは、それだけで邪険にされたのにな」

「あれは高森がエロい本読んでるのかとか訊いてくるからだろう。何だこいつとしか思わなかった」

「あれくらい言わないと関心持ってもらえないかと思って」

 そうだとしたら、悪手だ。

 はっきり言ってあれのせいで僕の高森への最初の印象は最悪だった。

 まあ何だかんだあって高森は放課後僕の家に入り浸るようになり、学校でも話すようになり、今はこうして並んで一緒に部活動の見学までしているのだが。

 もしもこのまま部活に入ったら、高森が放課後僕の家に来ることもなくなるのだろうか。ふと思う。僕が黙り込み、会話はやんだ。

 そこで佐宗が練習を抜けて、狐先輩と連れ立って僕たちのほうへやってきた。これから少し練習に参加してみないかという。

 狐先輩は僕たち二人の顔を交互に見ながら話をしていたが、佐宗はというと体の向きがあきらかに高森に寄っていて、僕のほうはときおりしか見ていない。僕は狐先輩が話すのを聞きながら、視界に映った佐宗の厚みのある背中をぼんやりと眺めていた。

 ただ佐宗も、何も意地悪でそうしているわけではないのだろう。きっと無意識だ。ほとんど話をしたことのない僕よりも、高森のほうが断然話しやすい。人当たりもずっといい。狐先輩は僕のことをよく知らないし、同じように高森のことも知らない。だから僕たちを平等に、同等に扱う。

 佐宗が高森に向かって何ごとか話しかけ、高森も笑顔でそれに応じた。それから高森は、僕に同意を求めてくる。

「いいよね、織部」

 そう言われて僕は頷いたが、二人がいったい何の話をしていたのか実のところ少しも聞いてはいなかった。まったく別のことに注意が向いていた。そのため佐宗の言葉は、取り立てて何の意味もない音としてただ僕の耳元を緩く撫でていっただけだった。

 僕が考えていたのは高森のことで、佐宗とも、狐先輩とも、もちろん僕ともそつなく会話をこなす高森は、人付き合いがうまく、中学のころは何かしらがあってうまくいかなかったのかもしれないが、そうだとしてもそのほうがまれなのであって、言うなれば誰とでも円滑にやっていける能力があるわけで、どういうつもりか僕にばかりかまってくるが、つまり僕じゃなくてもいいのだろうと思うのだ。

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