ep3.ポークジンジャー②

 食事ができあがると、僕と母親はいつもどおり定位置に座った。定位置は、キッチン寄りの二席に向かい合わせだ。高森はというと、僕の横の席に着いた。ここはふだんから空いている席だった。父親が一緒に食事をするときは母親の横の席に座る。だから僕は両親と一緒の場合、二人からの視線に晒されながら食事をとることになる。もっとも父親は平日ほぼ不在なのでそれは休日に限った話で、言ってみればそこも空席のようなものだ。休日にしてみても突然の出勤などがあり、毎回必ず三人揃っているというわけでもなかった。

 高森はふだんはだいたい両親と揃って三人で夕食をとるのだと、さっき待っているあいだに話していた。

 いつも二人きりの夕食の席に高森が加わっているのは何だか不思議な光景だった。少し夢うつつのような気分がする。生姜焼きと茄子の味噌汁、胡麻ドレッシングをかけた野菜サラダとひじきの小鉢が食卓に並ぶ。箸は客用にしまってあった新しいものを下ろした。

「ご飯、おかわりあるから遠慮なく言ってね」

 白米を多めに盛った茶碗を高森に渡しながら母親が言う。茶碗も食器棚の奥から引っ張りだしてきたものだった。白地に紺色の唐草模様が入った、少し地味めの茶碗だ。来客用に五客揃えてあるうちのひとつだった。高森は礼を言って両手でそれを受け取った。

 食事のあいだじゅう母親はいつになく上機嫌で、饒舌だった。高森は母親の話を何でも楽しそうに笑顔で聞いて、常に相槌を打っていた。母親にしてみても話していて張り合いがあるのだろう。

 僕は母親の話をいつも話半分にしか聞いていないし、目線もほとんど合わせない。見かねた母親が話を中断して「今の聞いてた?」と訊ねてくることもしょっちゅうだった。そのたびに僕はまた適当な返事をする。おそらくこのへんが物足りない所以だろうか。

 母親は僕が趣味で熱帯魚を育てていることや、このあいだまで飼っていたネオンテトラがいつの間にかすべて死んでしまったのだという話をした。

「五匹くらいいたんだけどね。何かこう、一匹ずつちっちゃいボトルに入れてて。ああいうインテリアみたいにするの流行ってるの? それがみるみる減っちゃってねえ。元気そうに見えたのに、みんな病気だったのかな。小さい魚って弱いの?」

 そう言って僕のほうを見る。

「……別に、そんなことはないけど」

 生姜焼きを食べながら、僕は答える。

「ちっちゃくてきれいで可愛かったんだけどねえ」

「そう」

「真咲、あれはもう飼わないの?」

「しばらくはいい」

「今いるのは水槽のやつ一匹きりで。……あれは何ていうんだっけ?」

「エンゼルフィッシュ」

「そうそう、それ」

 高森はその話も終始笑顔で聞いていた。合間にへえ、そうなんですね、などと興味深そうに相槌を打ってきて実に白々しい。高森はその一連の出来事の当事者の一人なわけだが。

 水槽のなかのエンゼルフィッシュは今日も変わらず悠々と泳いでいた。今日、僕の家にやってきてエンゼルフィッシュにフードを与えたのも高森だ。

「それにしても、真咲にこんな仲良しの友達がいたなんて知らなかった」

 感慨深そうに母親が言う。箸を置き、少しとろんとした目で僕と高森を見た。高森は母親の言葉に無言で微笑を返した。「仲良しの友達」を否定も肯定もしない。

 僕たちは自然と馬が合って仲良くなったわけではなく、正確には高森が強引に僕の家に上がりこんで、なし崩し的に現在に至る。母親が思っているような関係とは言いがたい。

 だが僕も黙っていた。高森が僕にとってどういう存在であるのか、実のところ僕にもまだはっきりとはわかっていなかった。友達、と言われればそうなのだろうし、そこを否定するつもりはなかった。ただ、それでは僕のなかで「友達」とはどういうものなのかと問われると、たちまちわからなくなる。高森はクラスのほかの連中とはほんの少しだけ異なる存在、というのがきっと今の僕に言えるすべてだ。

 母親がご飯のおかわりを高森に勧め、高森が礼を言って茶碗を差しだした。

「どれくらい食べる?」

「半分くらいでお願いします」

 母親が茶碗半分のご飯をよそい、高森がそれを受け取る。箸を持つとていねいな所作で生姜焼きを食べ、味噌汁を啜った。僕はちらりと横目でその様子を眺め、少し見入った。

 学校で昼食を食べるとき、高森はたいてい購買でおにぎりやサンドイッチを買っている。弁当を食べることがないため、箸を使っているところを見る機会が今までなかった。箸の持ちかたから、口元に運ぶ一連の所作のひとつひとつが洗練されていて美しく、小さいころからきちんと教えこまれたのだろうという印象があった。これは僕の知らない高森の一面だ。

 生姜焼きを口に運ぶ高森の様子を、母親がじっと見守るように眺めていた。視線に気がついた高森が顔を上げ、母親に向かってにこりと笑いかける。

「おいしいです、ポークジンジャー」

「そう。そう。気に入ってもらえたみたいでよかった、ポークジンジャー」

 少しはしゃいだ様子で母親が言う。それから二人は顔を見合わせてふふっと笑った。

 生姜焼きだろ、と笑いあう二人の横で肉を頬張りながら僕は思う。茶碗が空になったのでご飯をおかわりしたかったが、母親が高森にばかりかまけているので僕は席を立つと自分で釜からごはんをよそった。

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