ep2.ラズベリーリコッタマフィン①

 昼ごろから天気が崩れてくるでしょう、と、朝家を出る前にテレビで見た天気予報のお姉さんは言っていたが、そんな気配は露ほどもなく空はからりと晴れていた。夕方にずれこんだのかもしれない。いずれにしても、天気予報ははずれた。

 そよ吹く風と柔らかな陽射しをぬくぬくと浴びて心地よい気分に浸りながら、購買で買ったサンドイッチを食べ、ペットボトルのお茶を飲む。ときどき近くで上がる女生徒の疳高かんだかい笑い声や間延びした鴉の鳴き声でさえも、今日はよいBGMだ。

 気持ちのよい陽気だったので、僕は中庭で昼食をとることにしたのだった。

「何見てんの」

 サンドイッチを食べながらスマホを眺めていると、横から高森がそう声をかけてくる。訂正。僕と高森は、中庭で昼食をとることにした。

 最近僕は、学校でも高森と過ごすことが増えていた。高森は休み時間になれば僕の席まで来て臆面もなくがんがん話しかけてくるし、昼食は当然のようについてくるし、放課後は僕の家に来るので帰りも一緒だ。そのへんはもう僕も諦めた。まあ、嫌ではないし。

 昼食のあとは決まって読書をしている僕が珍しくスマホを見ていたので、興味が湧いたのだろう。読みさしの文庫本も持ってきてはいるが、ベンチに置いたままだった。

 僕は高森にも見えるように、持っていたスマホの画面を高森のほうへ傾けた。高森が少し僕の傍に寄って、画面を覗きこむ。亜麻色の髪が僕の眼前できらきらと陽の光に照らされていた。

「マフィンの移動販売?」

 高森はゆっくりと画面内に表示された文字を読み上げる。

 僕が見ていたのはこの市内を回るマフィンの移動販売の情報だった。おいしいと評判で最近SNSを中心に話題になっているのだが、店舗を構えておらず現状キッチンカーの移動販売のみのため、いつどこで買えるのかもわからないのだ。自由気儘な店主なのか、決まった曜日や場所に来るのではなく、日によってあちこちを転々としている。神出鬼没なのだ。

 店舗の公式ページもないから、こうして不特定多数のSNSをチェックして情報を得るしかない。店主は機械にも疎いのかもしれない。

 マフィンはいわゆるプレーンやチョコチップのようなオーソドックスなものもあるが、オレンジピールをふんだんに使用してさらに表面にもオレンジスライスを贅沢に載せたものや、ココア生地にバナナチップを合わせたもの、ホイップなどで派手なデコレーションを施したものなど豊富な種類があり、むしろ独創的で見た目に華やかなそちらのほうがメインとも言えた。SNSでも、可愛いしおいしい、という感想が多い。

 神出鬼没とはいえ市内を中心に回っているようなので、この付近に来る望みもあると思うのだが。直近ではどこで目撃されたのか、次はどのあたりに来るのが濃厚か、最近僕はこまめにチェックして情報を割りだしているところだった。

「織部って、そういう俗っぽいのに興味あったんだ」

 僕の説明を聞いた高森はツナマヨネーズのおにぎりを頬張りながら言った。僕の熱弁に対してあまりに反応が薄い。自分から訊いてきたくせに。そもそも僕のこと何だと思ってんだ。甘いものは好きだし俗っぽいものにも人並みに興味はある。霞食って生きてんじゃないんだぞ。

「お昼の組み合わせが壊滅的なやつにとやかく言われたくないな」

「返しがキレキレだな」

 高森はおにぎりを食べ終え、飲み物をひと口含んで笑った。飲んでいるのはいちごミルクだ。

「これは、食べたいものと飲みたいものを特に考えずに買ったらこうなったんだ。おれも今ちょっと後悔してる」

「後先を考えないやつだな。ご愁傷様」

「そこまで言われるとは思わなかった」

 高森はふっと息を吐き、いちごミルクのパックを脇に置いた。それからきゅっと口を引き結んで、スマホをいじる僕のほうをじっと見つめる。薄緑色の目。

「……何だよ」

 僕は引き続きキッチンカーの情報を調べていたのだが、高森のその視線に居心地の悪さを覚えてぶっきらぼうに訊ねる。高森は少し間を置いて考えるそぶりをしてから、おもむろに口を開いた。

「いや、あのさ。おれたちそろそろいいと思うんだけど」

 そう言って僕の反応を窺う。僕には高森の言うことにちっとも見当がつかなかった。おれたち? もちろん僕と高森のことなのだろう。じゃあ、そろそろいいって?

「何が?」

 高森は制服のズボンのポケットからすっと自分のスマホを取りだした。

「連絡先、交換しない?」

 真剣な口調で言う。

「……学校で逢ってるしそのあとうちにも来るだろ。わりと僕の家に入り浸ってるじゃないか」

「だから、そろそろいい距離感じゃないかって言ってるんだけど」

 たしかにその事実だけを聞けば、僕と高森は親密と言える間柄ではあるのだろう。それでも僕は高森と連絡先の交換をしていなかった。高森は今までそれを切りださなかったし、もちろん僕から提案するわけもない。そもそも連絡先を交換しようという考えすら僕にはなかった。僕にとってスマホは誰かと連絡を取る手段ではなく、情報を調べる便利なツールだ。高森のほうは、タイミングを計っていただけだったのだろう。

「必要性を感じない」

「でも、火急に連絡が必要になるときがあるかもしれないだろ?」

「いや。ないだろう」

 僕はすぐさま首を振った。ばっさりと切り捨てる僕の態度に、高森は納得のいかない様子でちょっと恨めしげに僕を見た。

「ないとも言いきれないと思うけどな……。おれと連絡先交換するの、そんなに嫌?」

「別に高森に限った話じゃない」

「じゃあ、何をそんなに渋ってるの」

 高森が疑問に思うのももっともだとは思う。しかしあまり説明したいものでもなかった。僕はちらりと高森に視線を向けた。食い入るように僕を見ていて、どうにも引き下がりそうにもない。

 僕は小さく溜息をついた。ぼそっと呟く。

「……だって、四六時中行動を把握されたくないし」

 高森は一瞬虚を突かれたようにぽかんとなった。それから深く眉根を寄せて、わけがわからないという顔をする。

「そんなメンヘラみたいなことしないけど。織部ってほんと面白いな」

 今度は僕が高森にばっさりと切り捨てられる番だった。ぐっと言葉に詰まる。何だ、面白いって。ちっとも面白くなんかないし、僕は至って真剣だ。

 憮然とした表情で高森を睨みつける。高森は戸惑ったように何度か目をしばたたいた。

「まあ、無理にとは言わないけど」

 僕の不機嫌を感じとったのか、小さくそう言って引き下がり、スマホをズボンのポケットにしまった。それから前を向き、飲みさしのいちごミルクのパックを手に取って飲みはじめた。飲みながら、つまらなそうにぼんやりと中庭を行き交う生徒を眺めている。口に咥えたストローを舌で少し弄ぶ。

 どっ、と女生徒の疳高い笑い声がまた近くで上がった。僕たちと同じように中庭で昼食をとっている数人のグループだ。互いのスマホの画面を見せ合いながら、何か楽しげにお喋りに興じている。漏れ聞こえてくる会話の内容から察するに、今期やっているドラマの話題のようだ。好きな俳優が出演しているようで、頻りとやばい、やばい、と繰り返していた。いったい何がそんなにやばいというのか。そもそもどういう種類の「やばい」なのだろう。

 話が白熱し、声量がどんどん大きくなってくる。先ほどまで心地のよいBGMだったそれが、今は何だかひどく煩わしく感じた。

 中庭で昼食をとっているほかのグループもさすがに目に余るのか、何ごとかとちらちらと彼女たちを見ている。そんななか、高森は一人無反応だった。相変わらずつまらなそうな表情で前方を見つめている。いちごミルクはとっくに飲み終わっている様子だが、空のパックを持ってずっとストローを口に咥えたままだ。ふてくされているのか、落ちこんでいるのか。どちらにせよ、間違いなく先ほどの僕の返しが原因だろう。

 僕は全身のむずむずとした感覚に少し身を捩った。何なんだ。これじゃあまるで、僕が悪いみたいじゃないか。批判されるようなことは何もしていない。連絡先の交換を受けるのも断るのも僕の自由だ。そうじゃないのか。……僕が悪いのか?

 ああ、もう。

「……わかったよ」

 しょうがなくそう言うと、高森はゆっくりと顔をこちらに向けて不思議そうに僕を見た。僕は持っていたスマホをその鼻先に突きだした。

「ほら」

 それだけ言う。

 高森は理解が追いついていない様子で、僕の顔と突きだされた手元を怪訝そうに見比べた。僕は姿勢を崩さず、ただ黙っていた。僕からは絶対に連絡先を交換しようとは言ってやらない。

 それからややあって、高森はようやくさっきの話の続きだと思い至ったようだ。ふっと息を吐いて小さく笑った。

「ほらって、何だよ。変なの」

 ズボンにしまったスマホをもう一度取りだす。家族以外皆無と言っていい僕の連絡先リストに高森の連絡先が追加される。その場でスタンプのひとつでも送ってくるかと思いきや、高森は「ありがと」と嬉しそうに言うとそのままスマホをポケットに戻した。

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