第3話琴 和葉

「ゴホッゴホッはぁ…はっゴホッゴホッ」


 息を整えようと深呼吸をすると、すかさず砂埃が気道に入り、再び咳が出る。

 はぁ…はぁ…

 でも━━━━━━━━━━━━━━━

 今はそれどころでは無い。

 もっと…こんな咳を整えるよりも、もっと大事な事があるじゃないか!!

 俺はそう思い、自分で自分を鼓舞する。

 早く…早くしないと…!

 俺は咳しか出ない、このクソッタレな気道を無理やり整えて。

 いや、整ったと体に錯覚させて。


「和葉!和葉!!」


 愛する妹の名を呼んだ。

 衝撃で大分飛ばされてしまったが、恐らくーー。


「くっ…クソ!」


 俺は寝室であろう場所の瓦礫を、妹の名前を、ただでさえ砂埃で痛い気管支をこれでもかと痛めつける様に大声で呼びながら。


「和葉!和葉!!!」


 言いながら俺は、木の破片やら鉄やらで凶器と化した家の残骸を素手でどける。

 その際木のささくれが手に深く刺さり、爪の間にのめり込む。

 だが俺は、そんな痛みなどは溢れ出るアドレナリンによって感じていないかのように、必死に瓦礫をどけ続けた。


「はは…嘘だ…嘘だ…和葉…和葉…!」



 俺はそうであって欲しいとーーきっとこれは夢なんだと、タチの悪い夢なんだと。そんな期待を込めて、俺は尚も、震える声で瓦礫を掘り続ける。


「はぁ…はぁ…」


 ダメだ…もう…手の骨が見えて…。


 俺は自分の手に赤く滲むーーいや、吹き出る血肉の隙間から垣間見える白い物を見て、心が壊れそうになる。


「ダメだよ…和葉…まだ…まだ俺は…お前に何もしてやれて無いのに………」


(ねぇお兄ちゃん、今日はすっごく贅沢な夕食だね!)


 たった数時間前の、天使のような和葉の笑顔が脳裏に浮かぶ。


「くっ…!絶対に、絶対に助けてやるからな!それで…こんな家引っ越して…それで…もっと良い家を買って…それで、前の家の方が良かったとか、そんな事を言い合って…」


 ガラガラガラ…


 俺は止まらないーー涙でぐしゃぐしゃの顔もそのままに、目の前の瓦礫の山を掘り続ける。


 …すると。


「!和葉!」


 コンクリートのーー恐らく家の壁の一部であろう物の下に、小さく幼い右手がはみ出していた。


「ゔうぅっ…!」


 俺はさらに溢れてくる涙を、殴る様に拭ってから。


「もう…もう大丈夫だ…。お兄ちゃんが助けてやるからな…今ーー」


 ふと、妹のーー和葉の右手を握り引っ張り出そうとした途端、力がふっと抜け、その場に尻もちを着いた。


「え…?」


 いや、力が抜けたのでは無い。

 そんな事、分かっていたのに…せっかくーー分かっていない振りをしたのに…。



 だってーーもとより腕は、繋がっていなかったのだから。



「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!!!!」



 俺は冷たくなった和葉の右腕を抱きしめる。


「うそだ…うそだ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!」


 嘘だ…と。そうであって欲しいように、そうであって欲しい様に…。

 俺は無慈悲にも、妹の右腕を抱きしめながら叫ぶ。


「なんで…なんで和葉がこんな目に会わなきゃ行けないんだよ…!和葉は…母親の顔も見ないうちに育って…父親の自殺する所も見て…それでも!和葉はいつも…あの天使のような笑顔を絶やさずに頑張って来たのに…なんで…っ」


 なんでーーなんでこんなに苦しい思いをして生きてきた和葉が、こんな目に合わないといけないのか。

 本当に…なんで、俺じゃないんだろうか…。


 そんな考えが、もう帰らない人となった事を肯定するように、無意識に頭に広がる。

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