14話 雨の観覧車




「お前ら、俺の妹になにしてんだ!」


 目をつぶっていた私の背後から、突然聞きなれた声で怒号が響いた。


「お兄ちゃん……。どうして……」


 お兄ちゃんは私が転んだこと以外は無事だと分かったみたいだ。


「怪我させやがったな? どうオトシマエつけてやっか」


 ボキボキと手を鳴らしながらジロリとグループを睨み付ける。その怒りのこもったオーラは半端じゃない。これまでの場数と迫力の格が違いすぎる。


 彼らは部が悪いと直ぐに悟ると、その場から走って逃げていった。そのあとを駆けつけた警備員が追いかけていく。


「桜!」


「桜ちゃん!」


 二人がそばに駆け寄ってくる。


「ダメです。私に構ったら駄目ですよ」


「怪我してるじゃないか」


 ベンチに座らされてもなお首を横に振り続ける私に、お兄ちゃんはスカートの裾を少し持ち上げて、私の膝を確かめた。


「よかった。軽い擦り傷だ」


「秀一さん、これで」


 桃葉さんがティッシュペーパーを濡らして持ってきてくれた。


「しみても我慢しろよ?」


「うん」


 両足の膝を丁寧に拭いてくれて、絆創膏を貼ってくれた。


「じゃあ、私はこれで。またね」


「あぁ、今日はありがとうな」


「ううん。桜ちゃん、あとは秀一さんをよろしくね」


「えっ? でも……」


 桃葉さんはそれだけ言い残すと、一人で出口に歩いていき、その姿をお兄ちゃんは暫く見つめていた。




「桜……。やっぱりついてきたんだな?」


「ごめんなさい……」


 お兄ちゃんが私の手をとって立ち上がらせる。


「せっかくだ。ちょっと付き合えよ」


「はい」


 売店でソフトクリームを買ってくれた。お兄ちゃんはコーヒーを持って、向かい側に座る。


「怪我は平気か?」


「はい」


「どうしてもっと早く呼ばなかった? 奴らがどういう連中か分かってんだろ?」


「はい。でも、呼ぶわけにはいきませんでした。こんなことになって……本当にごめんなさい」


 せっかくの二人の時間を、私のせいで台無しにしてしまった。


「ついに雨か……」


「えっ……、傘持ってきませんでした」


「午後から雨って言ってただろ?」


 この数日はテレビも全然見ていなかったっけ。


「桃葉さんは……」


「持ってるって言ってた。そんな間抜けなことを言ってるのは桜だけだぞ?」


「そっか……。情けないなぁ……私……」


 夕立の雨で、続々と家族連れから帰っていく。


 残っているのは天候に関係ない二人連れがほとんどだ。それでも屋外施設が多いここでは、それほど残らないだろう。


「桜、乗り物券が残ってるから、ちょっと付き合ってくれないか」


 二人で1本の傘に入って、観覧車に向かう。雨でお客さんも減ったおかげで、前後のゴンドラは誰もいなかった。


「いつまで下を向いてるんだよ。いつもの桜に戻ってくれよ」


「はい……」


 だって、お兄ちゃんの人生を変えてしまったかもしれないのに、いつもどおりなんて、出来ない。


「仕方ないな。左手を貸してくれ」


 差し出した手を持って、お兄ちゃんはポケットから取り出した物を私の薬指にはめた。


「えっ? お兄ちゃん……?」


 左手の薬指には、シルバーの指輪。でも、この指に着けるって特別な意味……。


「桜、分かったか? この間の熱出した時に計らせてもらったんだ。それは桜のだ。本物の指輪はもう少し待っていてくれ」


 覚悟を決めて、お兄ちゃんの顔を見た。


「ようやく顔を上げてくれたな……。桜、待たせて悪かった。こんな俺でよかったら……、付き合ってくれないか」


 自然と両方の目から、涙がこぼれ落ちた。


「私で……いいんですか……?」


「桜じゃなくちゃ……、ダメなんだ。頼む、俺の彼女になってくれ」


 お兄ちゃんの真っ直ぐな視線を受ける。


 長い時間が経った気がした。


「……いいよ。ううん……、お願い……します」


 私は、ようやく居場所を見つけることができた気がした。

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