10話 風邪ひきには甘いプリン




 階段を登ってきて、部屋の扉をコンコンと叩く音が続いた。


「いいよ……」


「桜……大丈夫か?」


「お兄ちゃん……」


 あの旅行の後、私は何となく風邪を長引かせていた。


 なぜ風邪を引いたかと言えば……、あれだけ長い時間を外にいたわけだし。その間私が身に付けていたものと言えば……?


 結果は当然のことだったかもしれないけど。


 しばらくはお店の仕事もしていたけれど、今日の夕方から目眩が酷くなって座り込んだ私に両親から戦力外通告を受けて今に至る。


 きっと、お兄ちゃんが夕食を食べに来たついでに、様子を見に来てくれたに違いない。


「熱出ちゃいました」


 ベッドに入った時には38度あった。普段の平熱が36度に届くかギリギリの私にはかなりきつい。


「なんか食べたか?」


「ううん……」


「食べなきゃ薬も飲めないぞ? なんか持ってきてやるから」


 そう言って、お兄ちゃんは部屋を出ていった。


 机の上の時計を見ると、夜7時だった。


 土曜日、あれから一週間が経っていた。


 夏休みに入ってすぐ、宿題も片付け終わっているからあわてる必要はないのだけど。


 私は昔から先に片付けて後半は遊ぶ珍しいタイプ。


 毎年お盆を過ぎる頃から佐紀の電話攻撃が来るのもお約束になっているし。今年もそうなんだろうなと覚悟だけはしている。



「ほら、こんなものしか口に入らないだろ?」


 お盆をもってお兄ちゃんが戻ってきた。


「ありがとうございます。まだ食べていなかったんですか?」


 私にはプリンを持ってきてくれて、同じお盆にお兄ちゃんの食事も乗っていた。


「仕方ねぇよ。桜が倒れたって聞けばさ」


「えぇ? お父さんそんな言い方したんですか?」


 お兄ちゃんだって、私の風邪の原因は分かっているから、お仕事からも早めに帰ってきているのじゃないかと思う。


「それに、桜を一人で食わせる訳にいかないしな」


「心配かけてごめんなさい」


「いいって。俺が今夜は看病してやる。なんか、明日は臨時でお店もお休みだって?」


「午前中だけですけどね。私はもともとお留守でしたから」


 二人で食べ終えて、私は薬を飲んでベッドに。お兄ちゃんは食器を返しに行くときに部屋を暗くしてくれた。


「用意して戻ってくるから、よく寝てろよ」


「はい。ありがとう……」


 いつもお店の冷蔵庫に入っているプリン。


 今はホイップなどのデコレーションもない状態だったけれど、とても甘く感じた。


 静かになって再びベッドに横になった私はすぐに目を閉じてしまったみたいだった……。





 気が付くと、私はぽつんと一人きり。場所がどこかは分からない。アパートか何かの部屋の中だということしか分からなかった。


 窓からの日差しは、外が晴れているということは教えてくれている。


 でも、ただそれだけ。私がなぜそこにいるのか。どうしたら出ていけるのか。


 日にちが変わっても、私はそこから出られなかった。


 誰にも会えない時間が続く。




 ……幼いころから私は一人が苦手だった。


 一人っ子だということ、両親が店に出ているときは、私は一人で留守番が決まっているようなもの。


 お兄ちゃんが学校から帰ってくるまでの間、一人が寂しくてよく泣いていたことを微かに覚えている。


「お兄ちゃん……会いたいよ……」


 自然に言葉が出た。


 もしかしたら……。お兄ちゃんは結婚して、私のそばから居なくなってしまったのではないか。


 数年後……。いや、明日にだってその可能性はあるんだ。いつまでも私のお兄ちゃんでいてくれるわけじゃない。


「また……ひとりぼっちだよ……」


 それを考えただけで、私の目から涙が止まらなくなった。


「お兄ちゃん……寂しいよぉ……怖いよぉ……お兄ちゃん……」


 現実なのか夢の中なのかの区別がつかない。夜の暗い部屋の中で私は一人泣き続けていた。

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