Epizoda 3 ノヴァーチェク 1
「こどもたちを
殊勝な願いに、男が無言でこどもに近づいた。
「感謝します。
今更ながらの感謝のことばに、男の片眉が持ち上がった。
しばらく進んだところに物置のような丸太小屋がある。そこがセーフハウスであるらしかった。
「香草の類も仕舞っているので大丈夫だとは思うのですが」
小さく開けた扉から中を伺う。
注意深く確認したのちに、素早く中に入り、こどもたちを隅の寝藁に横たえた。
周囲を男が見回している間に、神父が棚を漁る。
「切れていなかったようだ」
独り言ちながら、大きめの籠から取り出したのは、液体の入った瓶だった。
「聖水です」
振り向きざま説明する神父に、
「なるほど」
と、相槌を打つ。
小屋を出ると、聖水を小屋の周りに振りまく。
「これでここは大丈夫でしょう」
残るは、後始末ですね−−−と続けること神父に、
「聖職者殿だけでも大丈夫では?」
男のことばに、
「乗りかかった船ではありませんか」
神父が云ったとき、遠く起き上がろうとする
過たず獲物を捕らえた手応えがあった。
歩く屍が倒れたのを確認したのち片方の肩を竦め、投げた
呪詛のようなぞろりと不快感をもたらす呻き声、腐った肉と濁った体液、それに蛆がこぼれ落ちる。
「不快な」
男の眉間にはくっきりとした皺が刻まれている。似た体験を幾度となくしようとも、慣れることなどできないでいた。
「そう仰るものではありませんよ」
どの口がそれを云う−−−と云わんばかりの神父の変貌である。
十字を切りながら、
「ヴェイメーヌ オトクサ、スィン ア ドゥク スヴァティ。アメン」
アーメンと神父が辺り一帯に残った聖水を撒き散らす。
ぐずぐずと悲鳴をあげて
「残りはお願いいたします」
起き上がろうとしては
「
回収し手にしたままだった
「人使いが荒いですよ。聖職者殿」
言い退けざま踊るようにして屠ってゆく。
それを見た神父が、
「
と、吐き捨てるように叫んだのにちろりと一瞥を投げかけ男は軽く笑った。
*****
「ラドミール・ヴェチュカ・ジーパさまご到着でございます」
車輪がたてる大きな音と、馬の嘶き、御者の馬を御す声。少し遅れて交代要員であるもうひとりの御者が大声で告げた内容に、プリュミスル公爵家別館の玄関前が騒がしくなる。
別館の扉が大きく開かれ、ひとりの少年を招き入れた。
歳の頃は十歳前後だろうか、茶色の巻き髪に青い瞳の利発そうな少年である。
「さぞやお疲れのことでございましょう。お部屋にご案内いたします」
出迎えた別館の執事が野暮ったい時代遅れの外套を脱がすのに物慣れぬさまをみせる。その下に着込んだ一式も時代遅れではあったが、出迎えの召使たちが表情を動かすことはない。皆この少年の立ち位置を理解しているからである。
今、プリュミスル公爵家本館は沈鬱な空気に閉ざされている。
なぜなら−−−
「坊や」
沈鬱な空気をものともせず、喜色を露わに館の奥から現れた別館の女主人、オルドリシュ・アンブロジョヴァは、場の空気に落ち着かず視線を彷徨わせるラドミールを抱き寄せた。
「お父さまの命に逆らうことができずあなたを手放してしまったわたくしを許して」
呆然としたラドミールの鼻腔を脂粉のあまったるい匂いが満たした。
ラドミールは自分を包み込む温かさに瞠目する。
ヴァフ男爵家嫡男として育てられながらどこかよそよそしかった父母と弟妹たちを思い出す。
あの日、ヴァフの領主館を突然訪れた身なりの良い男と対面し語られたことで、彼はようやく家族の、特に両親のよそよそしさを理解したのだ。
それからは慌ただしく迎えの馬車に乗せられて一路プリュミスル領へと向かうことになった。
その馬車の中で己の未来に思いを馳せていた彼に、使いの者−−−公爵邸別館の第二執事だと云う男は、現在の公爵家の状況と彼の立場とを教えてくれたのだった。
曰く。
今、現公爵が怪我を負い生死の淵を彷徨っているのだと。場合によっては、彼が爵位を継ぐ可能性があるのだと云うのである。
それは、己を田舎の貧乏男爵家の長子だとばかり思っていた彼にとって、信じられないことであった。
何より、彼を待ち受けているだろう実の母親との対面が、彼の心を期待と不安とに高鳴らせたのだ。
そのため、ラドミールは別館の第二執事だと云う男の視線に気づいてはいなかった。
男の、異物を見るような蔑みの視線に。
***** 蛇足 *****
乗りかかった船 = テン、ルエナ ムジ ムシ ブド プロート、セブネ ポトピト ルビにできなかったのでこちらで。
「ヴェイメーヌ オトクサ、スィン ア ドゥク スヴァティ。アメン」 = 父と子と聖霊のみ名において。アーメン。
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