毒林檎 【勇騎視点】

「……はぁ、どこにもいないなぁ〜」


「……どこにもいませんね〜」



 俺と愛鏡ちゃんは潮風の香りと夕暮れの空に包まれた港で、カモメの鳴き声を聞きながら海を眺めていた。


 港町に着くなり早速目撃情報を集めながら町中を彷徨っていたのだが……勇蘭達の発見には未だ至っていない。

 さすがにぶっ通しで探し疲れたという事もあり、今はこうやって波の音を聞きながら少し休憩しているという訳だ。

 そんな中、茜色の空と光輝く綺麗な海を見つめながら……俺はふと、今更ながらにに気がついた。


 ……うーん、あの月の隣に浮かんでるのって……あれってどう見ても『』、だよなぁ。


 異世界ならではの超巨大な大樹の遥か向こうの空に……とてもよく見知った綺麗な青い星が月と共に浮かんでいた。


 なんで異世界から地球が見えるのか? 本当に地球なのか? そう疑問には思ったものの……でも俺はそれを愛鏡ちゃんに聞く事はしない。

 仮にあの星が本当に地球だったとして……だけど俺があの星に戻りたいと願う理由など、もう何も無かったからだ。


 ……父さんの事は少し心配だが、でも俺はもう二度と父さんの重荷にはなりたくない。


 それに今は何よりも勇蘭の事が最優先だ。

 星蘭さんの為に、俺の為に……なんだけど、その勇蘭がどこにもいないんだよなぁ。


「……はぁ。チケット売り場の人の話を聞く限り、まだ船には乗ってない筈なんだけどなぁ……」


「そうですね。まぁ勇騎さん、とりあえず一度食事にして、次は町の端の方まで探して見ましょう?」


「……だなぁ」


 俺達はそのまま重い足取りでご飯屋へと向かった。


 そしてようやく到着といったまさにその時……ふと、どこからともなく可愛らしい動物の鳴き声のようなものが聞こえてきたのだった。


「……ん? 愛鏡ちゃん今何か言った?」


「いいえ、私は何も……」


 一度足を止め、二人してどこぞの号泣会見の議員さんのように耳をすませながら発生源を探してみる。


「グゥゥ……」


 ……すると再び鳴き声のようなものが、今度ははっきりと路地裏の方から聞こえてきた。

 俺と愛鏡ちゃんはアイコンタクトで頷き合い、ゆっくりと慎重に路地裏に入っていく。


 薄暗い細道を進んで行くと、曲がり角に差し掛かり


 その先にーー


 とても見覚えのある、が倒れていた。


「……ちょ、え、ミハルちゃんっ!? ど、どうしたんだ、大丈夫かっ!?」


 俺はすぐさま彼女を抱え起こす。見たところ特に外傷などは見当たらないが……。

 すると俺のその呼びかけによって意識を取り戻したのか、ミハルちゃんの瞳がゆっくりと開いていき……そして一言。



「……お、お腹が……空きました……」



          *



「……ぷはぁ、い、生き返りましたぁ〜」


 俺と愛鏡ちゃんの目の前には、ミハルちゃんの食べ終わった空のお皿が山盛りに積まれている。


「ほんとにありがとうございました。勇騎様達が来てくれなかったら、私きっと全裸の天使様達に連れられて天に召されているところでした」


「……は、はは。いや、ネロとパトラッシュじゃあるまいし。ところでミハルちゃん、さっきの話の続きなんだけど……」


 ボテ腹のミハルちゃんに俺は先ほどまで聞いていた話の続きを促す。


「あ、はい。それで昨日その後なんですけど、私はお父様達と別れて一人部屋で夕食まで眠っていたんです。ですが、お父様がいつまで経っても宿に帰って来なくて……それで心配になった私は筋肉様と手分けしてずっと町中をくまなく探し回ってたんですけど、でも全くどこにも見当たらなくって。それに加えて昨日の夜から何も食べていない事も相まってか急に力が抜けてしまって、それで……」


「それであそこに倒れていた、と……」


「……はい」


 勇蘭の事が余程心配なのか、とても不安そうに語るミハルちゃん。


 ……なるほど。

 つまり筋肉んももしかしたらどこかで倒れてしまってるのかも知れないけど……まぁそれは後回しでいいか。

 問題は勇蘭だけど……ミハルちゃん達や俺達がこれだけ探しても見つからないという事は、もしかしてもうこの町にはいないのか?

 ……いや、それともまたフェゴの時のように敵がなにか能力を使っている、とか?


「……うーん、なぁ愛鏡ちゃん。愛鏡ちゃんはどう思う……って、え、愛鏡ちゃん?」


 意外と頼りになる愛鏡ちゃんに話を振ってみたが……だがその愛鏡ちゃんは何故か怪訝な表情で周囲の空気を嗅いでいた。

 そのまま匂いを嗅ぎながら急に立ち上がり、そして何故かてくてくと店を出て行く。


「え、あ、愛鏡ちゃんっ!? ちょちょ、ちょっと待ってくれよっ!?」


 俺はすぐさま会計を済ませてから、ミハルちゃんと共に愛鏡ちゃんを追いかける。

 愛鏡ちゃんはそのまま何かを辿るようにどんどんと突き進んで行き、そしてでようやく立ち止まった。


「もう、どうしたんだよ愛鏡ちゃん……って、ここはっ……ッ!?」


 ピンク色のライトアップによってド派手に彩られた、まるでとても立派な洋風のお城を模したような建物で……どこからどう見てもまさしくラブホテルが、そこには建っていた。


「……あ、愛鏡ちゃん? あのー、なんで俺達はラブホテルに来てるんでしょうか?」


 愛鏡ちゃんはそのまま鋭い視線でラブホテルを見据えたまま、ようやく俺の疑問に答えてくれる。


「勇騎さん。実は私、こう見えても結構鼻が効くんです」


「……いやまぁ、ケモ耳付いてるし普通にそんな感じには見えるけども……」


「この町に着いてからは、特別何も変な匂いはなかったんですけど……でも途中から急に凄く甘い匂いが漂って来たんです」


「……え? 俺だけに向けて……甘い匂い?」


 そう言われてラブホテルの方へと向けて嗅いでみると……なるほど確かに。何かとても甘美な匂いが漂ってくる。


「ミハルさん、少しいいですか?」


「あ、はい。どうしたんですか、愛鏡様?」


「……貴女の力でこのラブホテル目掛けて、欲しいんです」


 ……ん?

 今なんか、とても物騒な単語が出てきたような気が……。


「はいっ。やってみます!」


「えっ!? 今のでわかったのかミハルちゃん? ちょ、ちょっと、俺にもちゃんと説明……」


 だが、そんな俺の台詞は直ぐに遮られてしまった。



 一瞬にしてハイカラ衣装から蒼い衣装へと変身をげ、次の瞬間にはもう周囲に展開された蒼い盾からレーザービームのようなものをぶっ放してしまったミハルちゃんによって。



 レーザービームはラブホテルのすぐ手前で、まるでA.Tフィールドのようなバリア的なものに勢いよくぶつかり……一瞬にしてひびを入れそのまま爆散させた。


 凄まじい衝撃音と共に土煙が立ち昇り、薄っすらとその背後に見えてきたものは……


「……は、廃墟……?」


 怒涛の展開にただただ呆然とする俺とはうって変わって、愛鏡ちゃんはひたすら冷静にボロボロの廃墟を見据えていた。



「では、行きましょうか」



          ★



 俺達は薄暗い階段を上がっていく。


 一段一段踏みしめる度に甘い匂いはその強さを増していき、少しでも気を抜けばすぐさま頭が麻痺してしまいそうな……強すぎる快感でたっしてしまいそうな……とても強烈な匂いだった。


 そんな甘く澱んだ空気の中を……更に上がっていく。


 ふと……上の方からとても甘ったるく、とても淫らな声が微かに聞こえてくる。またその声に合わせて、まるでベッドが軋むような音さえも響いてきた。


 …………


 物凄く居心地の悪さを感じながらも、俺達は無言で更に上へと足を進める。


 …………


 ……最上階が近づく。


 いつの間にか淫らな声もベッドが軋む音もんでいて、後には俺達の足音だけが廃墟に鳴り響いていた。


 ……も言われぬ緊張感に、俺は喉を鳴らす。



 そして最上階、一番奥の部屋を見据える。


「……とりあえず、まずは俺だけ先に入って中を確認してみるよ」


 愛鏡ちゃん達に小声でそう伝えて、最も匂いが酷いその部屋へと……俺は踏み込んだ。



 明かり一つ付いておらず、割れた窓から射し込む月明かりだけが頼りの空間。


 奥の方には壊れた電化製品やら学習机など様々な物が高く積まれていて、ただ……それらの前に一つだけ、かなり大きめのソファベッドが置かれていた。


 そして……その上には二人の人物が寝そべっていた。


 一人は少女。

 先程までのか、乱れた黒のセーラー服は汗でピッタリと肌に貼り付いている。


 とても艶やかな菫色の髪も激しく乱れており、でも少女はそのままゆっくりと起き上がり、こちらに視線を向け扇情的せんじょうてきに微笑みかけてきた。



「……ふふ。遅かったですね、先生? もう、先生があんまりにも遅いから、だからさっきまで。ふふ♡」



 言いながら少女は自分の隣に寝ている少年の体をゆっくりと指でなぞっていく。



 乱れたワイシャツで、白髪で痩せこけ、虚ろな瞳で天井を仰ぎ見るその少年を……と呼びながら。



 俺はそんな勇蘭の姿を……ただ呆然と見つめる。



「さてと、勇蘭君とはもう充分楽しんだので……私、今度は先生と遊びたいなぁって思ってるんですけどぉ……♡」


 少女はソファベッドの上から降りると、乱れたセーラー服のまま俺の方へと近づいてくる。

 そして、その豊満な胸を俺に押しつけながら……上目遣いでささやくように呟いてきた。



「……ねぇ、先生ぇ? 今から私に、保健体育の授業……教えてくれませんか♡」



「…………」


 ……だけど俺は、勇蘭から視線を外すことなく少女を優しく引き剥がし、冷たく言い放つ。



「……悪いけど、俺に君のは効かないよ」



 一瞬、何を言われたのか理解できなかったのか……彼女は呆けた表情で聞き返してくる。


「……え、先生?」


 だから俺は、より分かりやすく教えてやる。


「多分、君の能力もフェゴに似た感じでさ、どうせでも撒き散らしているんだろうけど……そんなもの、絶対に効かない」


 俺は無表情のまま、少女を置いて勇蘭の元へと向かう。


 そんな俺とは正反対に、酷く動揺した表情を浮かべながら少女は声を荒げた。


「……ど、どうしてですかっ!? ……なんで? だって私の誘惑で落ちない男の人なんて、今まで一人もいなかったんですよっ!? なのにそんな、そんな男の人なんて……絶対にいるはずありませんっ!」


「……それは残念だったね。でも、今の俺のは勇蘭なんだ。……君なんかじゃない」


「……そ、そんな……」


 完全に戦意を失い、膝から崩れ落ちるセーラー服の少女。


 そんな失意の彼女の横を通り抜けて、愛鏡ちゃんだけが部屋に入ってくる。

 多分、ミハルちゃんには見せない方がいいと判断してくれたんだろう。



 星蘭さんの言葉が頭の中に響いてくる。



(……勇騎さん。わたくしと、わたくしともう一つだけ約束して下さい。くれぐれも無茶のないように。それから必ず、必ず勇蘭やミハルさん達と、みんな無事に……ここに帰って来て下さいね)



 俺は、すっかり痩せ細ってしまった勇蘭のその軽い体をそっと抱きしめる。



 星蘭さんの悲しげな表情が浮かぶ。



(わたくしは……わたくしはもうこれ以上、大切な人達を……失いたくないです)



 ……ほんとさ、頼むから。

 もぅ勘弁してくれよ、神様。



「……なぁ、愛鏡ちゃん」


「……はい」


「俺は……星蘭さんは……あと何回、大切なものを失ったらいいんだ?」



 蘭子の笑った顔が浮かぶ。



「あと何回傷つけば、許されるんだ?」



 蘭子との別れの光景が浮かぶ。



「あと何回泣いたら……幸せになれるんだよ……?」



 頬を伝い、自然と涙が零れ落ちていく。

 俺は自分の心が砕けないように、より一層強く、強く勇蘭を抱きしめる。



 俺の心が諦めかけた、その時……



「……勇騎さん。



 愛鏡ちゃんの優しい声が、俺に届いた。


「……え? あ、愛鏡ちゃん、今……なんて……?」


「一つだけ、勇蘭さんを助ける方法があるんです」


 嘘偽りない表情ではっきりと告げてくれる愛鏡ちゃんに、俺はまさにわらをもすがる思いで聞き返す。


「ど、どうすればいいっ!? どうすれば勇蘭を助けられるんだっ!?」


「落ち着いて下さい、勇騎さん。……まず、後ろの彼女ですけど……えーと、そうですね。とりあえずは一旦サキュバスみたいなものだと思って下さい」


「……サキュバスって、あの?」


「はい。ですから勇蘭さんは今、生命力を吸われた為に瀕死の状態になっているという訳です」


「生命力を……」


「ですので、単純に生命力をもう一度勇蘭さんに注ぎ込めば……」


「……っ! 勇蘭は助かるっ!?」


 俺は目の前に落ちて来た希望の光に歓喜する。

 だがそんな俺とは裏腹に、愛鏡ちゃんは晴れない表情のまま説明を続けてくれる。


「……ですが、後ろの彼女からはもう生命力を取り戻す事は出来ないと思います。そして、人間である勇蘭さんに生命力を注ぐ為には……である人間の生命力でなければいけないんです。ですから……」


 そこまで聞けばさすがにもう分かる。

 そう、つまり……


「……つまり、使勇蘭は助かるんだな?」


「はい」


 なるほど。漫画とかでよくあるパターンでとても分かりやすい。


「よし、分かった早速やろう。……って、なぁ愛鏡ちゃん、こういうのってどれくらい注げばいいんだ? 俺もさすがにまだ死ぬわけにはいかないから全部は無理なんだけど。後、注ぐって言っても実際どうやって注げばいいんだ? やり方とか全然わからないんだけど……」


 やる気満々の俺に、面食らったような表情を見せる愛鏡ちゃん。


「い、いいんですか勇騎さん? 自分の生命力を分け与えるという事はつまり、勇騎さんの残りの寿命そのものが減るという事になるんですけど……」


「ん? あぁ、いいよ別に。俺のこの先の何十年かで勇蘭が助かるのなら、全然問題ない」


 そんな俺の即答っぷりに、愛鏡ちゃんは呆れるように微笑んでくれた。


「……ふふ、分かりました。では勇騎さんはとりあえず勇蘭さんに人工呼吸の要領で息を吹き込み続けて下さい。その後ろから私の方で大体半分くらいに調整しながら生命力を送り込んでいきますので」


「了解っ」


 俺は即座に勇蘭を寝かせて……昔、教習所で習った事を思い出しながら準備を進め、そして愛鏡ちゃんは俺の肩に手を置いてスタンバイする。



 ……大丈夫だからな勇蘭、俺が……俺が必ず助けるからっ。



 俺は断固たる決意を胸に、そのまま勇蘭の唇を塞いだ。

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