第37話 原作破壊

 休憩中、マリアンネは窓の外を気にするようにチラチラと見ていました。


「どうしました?」

「いえ……なんであんなに叫んでるのかなと思いまして……」


 窓の外からは元気よく奇声が聞こえてきます。ミコトは兄伝いで知ってはいましたが、前世も今世も全く剣に関わってこなかったマリアンネはさっぱり理解出来ませんでした。


「あれは猿叫です」

「猿叫?」

「示現流や薬丸自顕流で攻撃の際に発する気合いみたいなものですね」

「……アンジェ様が教えたのですか?」


 ジゲンリュウ、ヤクマルジゲンリュウと言ったあからさまに日本語めいた名称からマリアンネは推察しました。


「私が積極的に教えたわけじゃないですけどね。騎士団の入団試験の時に蜻蛉の構えからの振り下ろしで教官を倒したんですが、それを新入り達に教えてくれと乞われたのが切っ掛けで騎士団に広まったんです。それを皇子が学んだんですよ」


 座りながら手本を見せつつアンジェリークは答えました。


「よく知らないんですが、日本の剣術ですよね? この国の剣で大丈夫なんですか? 刀は特殊な斬り方をするって聞いたことがあるんですけど」

「直剣用に多少は変えてますけど大丈夫です。幕末で活躍した実績のある剣術なんで今じゃベテランも一緒にやってるぐらいですよ」


 マリアンネは渋い顔をして目を瞑りました。ゲームとのズレが思っている以上のようで先が不安になったのです。騎士団が強くなったのであれば良いズレではあるのですが、変わった原因がアンジェリークというのが少々恐ろしいのです。


「……そういえば、ターニャという女騎士はいませんでしたか?」

「私の後輩ですね。ゲームに出てくるんですか?」

「そうです。ゲームは追放されてザクセン領に帰る途中で始まります。ゲームのマリアンネは婚約破棄に憤慨してアンジェリークと共に学園を自主退園しています」

「取り巻きじゃなくてガチの親友だったわけですか……『星流』しか知らないと驚きますねそれ」

「『道先』は貴族らしいアンジェリークじゃなくて素のアンジェリークが描かれてますから、初プレイはかなり衝撃的でしたよ。で、その途中で魔王軍が復活してそれに伴い増えた魔物に二人の乗る馬車が襲われるのですが、そこに偶然ターニャが居合わせるのです」

「……学園からザクセンに帰る途中でターニャと偶然? 女騎士は基本的に帝都ですから変ですねそれ」

「それはターニャが騎士を辞めて冒険者へと戻っているからです」

「ターニャが騎士を辞める? 考えられません。ありえませんね」


 アンジェリークは断言しました。元々騎士に憧れて入団して、今ではメキメキと才能を伸ばしてベテランに肩を並べる実力の持ち主です。本人も騎士に誇りを持ち仕事も基本楽しんでいたので辞めるとは到底考えられません。


「ゲームでは貴族に良いようにされる騎士団に幻滅し、さらに貴族に無理矢理抱かれそうになったから辞めてます」

「あ~……ありましたねぇ、それ。口説き文句が気持ち悪かったからぶん殴ってやりました。ターニャは今も元気に騎士をしていますよ」

「そうですか……いやまぁ、ターニャ……さんとしてはそっちの方がいいんでしょうが」


 マリアンネは頭を抱えました。序盤でターニャと出会うのはゲームとしてはかなり重要です。なんせ、魔法が使えるだけで戦いなどしたことがない御令嬢二人しかいないわけですから。しかし、そもそもそうなる原因である皇子とミコトが今のアンジェリークを追放するなどということが考えられません。もはや完全にゲームとはかけ離れています。


「私の中の情報と今の現状が全く違うのでいくつか質問をさせて下さい。帝都の貴族はかなり腐っていて、騎士は逆らえない状態のはずなんですがその辺りはどうなってますか?」

「ん~、私が入団した辺りは騎士団の立場はかなり弱かったですけど、皇命が発令されてからは大分改善しましたね」

「皇命……そういえば父からチラッと聞いた覚えがあります。帝都にしか関わりのない内容だったと聞いてます」

「そうですね。スラムのマフィアの屋敷が吹き飛んだのでその原因が判明するまで騎士団の権限が強化されて今も続いています。吹っ飛ばしたのは私なんですが」

「えぇ……ていうかそれで原因分かってないんですか?」

「そりゃ、私が吹っ飛ばしましたとは正直に言えませんし。ちなみに、爆発も水魔法の応用で水素と酸素を生成してそれに雷魔法を当てたのが原因です。なので爆発規模のわりにあまりにも魔力の反応が薄すぎるから原因がわからないらしいです」

「……確かに、水を生成できるなら水素と酸素を生成できても不思議じゃないですね。水分子になってないだけで中身は同じですし」


 全くそんな発想に至らなかったマリアンネは目から鱗と呟きました。ミコトもそうですが、ゲームのイメージがあるためそこからかけ離れた魔法に思考が向かなかったのです。


「悪徳貴族は気持ちよくぶん殴ってたらいつの間にか減ってました」

「気持ちよくぶん殴ってたんですか……」

「悪いことしてる奴らですからね、遠慮なく殴れます。日本だと相手が悪くても殴ったら捕まりますし殴れなかったんですよね」

「日本じゃ殴る機会すらなかったでしょ……」

「少し前のめりになって睨むだけで頭下げられたからな」


 殴る前に相手が全面降伏するのが常でした。二の腕に刀傷もついていたため夏場は特に降伏が早かったです。


「学園に来る前に騎士団の新入りに同じことしたら顔真っ赤にしてた」

「やめてあげなさいよ」

「あ~、はい。とにかく悪徳貴族は減ったんですね?」

「減りましたよ。殴る名分がなくなってきたからどこかに遠征にでもいこうかとも思ってたぐらいですし」

「……ゲームで帝都が堕ちた原因として貴族の腐敗による機能不全があったのですが、それは大丈夫そうですね。騎士団も持ち直しているようですし、帝都が堕ちる時も被害が減りそうです」

「帝都が堕ちる前提で話をしてますけど、私としては帝都が堕ちることが信じられないんですが」

「そう言われましても……かなりの軍勢が帝都に襲来するみたいですし……」

「皇帝は逃げ出せたみたいですけど、本当に大軍団が攻めてきたみたいな描写でしたよね」

「大軍団ねぇ……帝都は立地は悪いですけどしっかりとした城壁はあるので万単位で攻められても簡単には堕ちませんよ。周辺の領地から援軍も駆けつけるでしょうし」


 ゲームでしか知らないマリアンネ、ミコトと実際の騎士団を知っているアンジェリークではその辺りの摺り合わせが上手く行きません。特に二人とも軍事に詳しくないこともあってアンジェリークに反論しようにもできませんし、アンジェリークもそれは分かっているので対策の練りようがなくて困るのです。


「たとえ魔物はどうにかできても魔王は無理です。帝都を掌握するときは不死身なので」

「えっ? 私その設定知らないんですけど」

「『星流』では特に何もなかった魔王の設定が『道先』ではかなり掘り下げられてるんですよ。ん~……まず魔王というのは古代文明を滅ぼした存在です。そしてそれを復活させたのがゲームでは教団と呼ばれていた組織になります。教団の目的は教会に成り代わることです。魔王は人々にその存在を知られることで様々な力を発揮します。教団は帝国の各地に信者を配置して魔王の噂を流すことで人々に認知を促して魔王を強化しました。それが『星流』で主人公達が魔王の事を当然のように知っていた理由で、力の一端です」


 マリアンネが端的に説明していきます。彼女にとっては十何年も前のゲームの設定を端的に説明出来る辺り頭の良さが覗えます。


「どうやって教団は教会と入れ替わるつもりだったんですか?」

「魔王が暫く君臨した後に自らの手で倒すことで教会の権威を砕いて成り代わる予定だったみたいです」

「条件付きで不死身で、その条件を潰したのが『道先』のアンジェリーク達と言うことですか?」

「そうなります。具体的に言うと、教団本部で行われていた儀式を潰したんです。それが『道先』の最終ステージですね」


 マリアンネとミコトの会話をアンジェリークは頷きながら聞きます。アンジェリークも前世では多少なりともゲームで遊んだことはあるので概ね内容も理解出来ます。理解出来るからこそ言いました。


「その教団本部は今は何もないんですね」

「……はい」

「ああ、貴族ならそれくらい調べられますか」

「ゲームでも設定資料集でも今の時期教団本部がどこで何をしているなんて載ってなかったので全く教団の動きが読めないんです。なので教団は魔王復活の前後ぐらいでしか無理ですね。儀式も詳しい設定がなかったので移動しながらできるかもしれませんし」

「ところで、教団っていうぐらいですしシンボルマークとかあるんですよね。キリストの十字架とかユダヤ教の六芒星みたいな」

「えっと……エルダーサインみたいなやつですね」

「エルダーサイン?」


 アンジェリークが首を捻るとミコトがメモ紙に歪んだ五芒星の中央に目のようなマークのついた印を書きました。


「これがエルダーサイン。クトゥルフ神話、ええっとなんて言ったら良いかな……クトゥルフ神話って呼ばれてる沢山の作家が関わった作品群があるんだけど、それに出てくるシンボルマークがエルダーサイン。結構有名だしクトゥルフ神話は基本的に誰もが好き勝手に扱って良いような状態だからモチーフにする作品は結構多いんだよ。多分、教団もその一種だと思う」

「帝都でこれに似た首飾りを持つ連中と遭遇したことがあります」

「えっ!?」


 マリアンネが驚いて立ち上がりました。


「男二人でスラムで女性を攫おうとしていました。その時ついうっかり一人の頭を吹き飛ばしたのですが、そしたら片方が化け物になりました。ぶっ殺したら元の人間に戻りましたが」

「いくつか聞きたいけど、まずついうっかり頭を吹っ飛ばしたって何?」


 ミコトは端的すぎて意味の分からない説明の中でも特に意味の分からない部分を取りあえず聞きました。


「その事件のちょっと前に電磁力で投げナイフを加速させる魔法を思いついてな。一応テストはしていたんだが、全力で投げるのが初めてだったんだよ。拳銃弾並の速度でナイフが頭に命中した結果だ。ナイフの方が重量があるからな」

「魔法でレールガン作るなよ……」

「レールガンじゃない、コイルガンだ。レールガンは文字通りレールが必要だがコイルガンはいらん」

「そんなことはどうでもいいよ」


 一人だけ知識チートをやらかしている元兄にミコトは思いっきり溜息をつきました。実際はミコトも知識チートをしているのですが、本人に自覚はありません。


「化け物をぶっ殺したと言うことはその場に祓魔師がいたのですか?」

「いえ、私とターニャで警邏している時に遭遇したので祓魔師はいませんでしたよ」

「……祓魔師無しで殺したんですか? 一応、可能ですけどすぐに回復するから厳しいと思うんですけど」

「回復する前に死ぬまで刻めばいいだけです。ターニャは頭吹き飛ばした奴の心臓を突いて殺してました」

「ゲームでは祓魔師がいなければ撃退はほぼ不可能だったんですけどね」


 一ターンで全回復する上にHPも高めという敵でした。祓魔師で弱点を突いて自動回復を止めてから殴るのが一般的な攻略です。何もなしに倒し切るには相当なレベルと装備が必要でした。

 先ほどのコイルガンでもそうでしたが、目の前のアンジェリークはゲームの枠組みを軽々と超えていく規格外であると、マリアンネは改めて認識しました。そして、規格外ゆえに原作とのズレが大きすぎて把握するのに時間が必要だとも理解しました。今日だけで全て把握するのは無理でしょう。

 いつの間にか奇声も聞こえなくなっています。仕方がない、とマリアンネは正直したくなかった決断をしました。


「とりあえず、私達は前世の知識を活用して魔王と教団をどうにかする、というのが共通目的で宜しいですか?」

「それで構わないかと」

「それと、原作とのズレが大きすぎるのでもっとお話を伺いたいので私もこの、教室の集まり? に参加しても宜しいですか?」

「もちろん歓迎します。部活とか同好会のノリで立ち上げた集まりですからね」

「……兄ちゃん、そんなつもりで教室占領したのかよ」


 ミコトは呆れました。まさかそんな理由で教室を占拠していたとは誰も思っていませんでした。暴挙に頭を悩ませた先生方はキレ散らかすことでしょう。


「事件の始まりまでは学園で有望な仲間を集める方向でいいですか? 少なくとも攻略対象は使えますし、そうでない者にも使える人がいるかもしれません」

「その辺りはお任せします。私は分からないので。鍛えるんなら皇子主導で鍛えさせた方がいいでしょうからそれとなく伝えておきます」

「後は……各自鍛えるとかですかね?」

「私は魔法の研究でもして全体の底上げでも狙いますか」

「これ以上先生方の頭を狂わせるのはやめてあげてよ」


 前世の科学知識で生み出された魔法は既存の魔法とはあまりにも違いすぎる、というか全体的にパワーアップしているために魔法学の教師陣は躁鬱状態になっていました。魔法学園というだけあって帝国の魔法第一人者の集まりだったがゆえに、アンジェリークの理解不能なのに優れた魔法に脳が破壊されてしまったのです。

 魔法の話題を出されたマリアンネは一つ思い出しました。必ず聞かねばとは思っていたのですが、色々ありすぎて忘れていたのです。


「そういえば、ローザさんですけど、祓魔師の方ですよね?」

「はい。私と会ったころは祓魔師と名乗っていましたし、というか今でも祓魔師ですよ」

「じゃあ、何故治癒術の伝道者みたいになってるんですか?」


 ローザは学園内でも有名人です。それはアンジェリーク絡みだけではなく、学園のあるハメスファール領内を纏める枢機卿が治癒術の指導を求めて学園を訪れたことが主な理由です。それ故にローザは治癒術士なのだと学園の生徒達は噂していました。


「ちょっとローザに現代の解剖学等の知識を教えながら斬ったり折ったりした人間の治癒をさせてたら治癒術がとんでもないことになりまして、それを教科書としてローザが纏めた結果が今の状況になります」

「分かりました。では今日中にゲームの登場キャラとどれだけ知り合ったのか、そして彼らに何をして今彼らが何をしているのか詳しくレポートに纏めて明日にでも提出してください」

「いや、私ゲームの登場キャラとかわからないんですけど」

「コイツキャラ濃いなと思った奴の話を纏めれば良いから。ゲームに出てきそうぐらいは分かりますよね?」


 有無を言わさないマリアンネの強い圧にアンジェリークは戸惑いつつも頷き、そこで今日は解散となりました。

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