第15話 お忍び



 ツィーエ家大爆発は帝都を揺るがす大事件となりました。火薬やガスが当たり前の現代日本ですら建物一つ爆発すれば大事件ですから、火薬もガスも当たり前ではないこの世界ではそれはそれは大騒ぎになりました。普段寄りつくことのない騎士達がスラムに駆けつけ、そのあとから魔法戦闘団がやってきて現場検証を行いました。この世界で爆発と言えば魔法、なので魔法戦闘団が出張ってくるのです。



 見たとおりの大爆発、なれど火の痕跡が殆ど無し。これだけ大爆発が起きるような魔法の痕跡も無し。検証結果に全員が首を傾げました。



 そしてその夜、ヘルマンからパトリックにだけ大爆発の真実が伝えられました。パトリックは二回ほど聞き直したところで現実を受け止め、頭を抱えました。なんせ、妹が聞いたことも見たこともない魔法を使って事件を起こしているのですから当然でしょう。



 翌日にでも妹を呼び出すことを決意したパトリックは、真実はパトリック、アンジェリーク、ヘルマン、ローザの四人で隠し通すことにしました。ブルヒアルト侯爵から最近の公爵の様子が書かれた手紙が送られてきたからです。これ以上負担はかけられないと思いました。



 妹を呼び出したパトリックは再度頭を抱えることになりました。館を吹っ飛ばした魔法が原因です。ただの未知の魔法ならともかく、六元素の一つである水をさらに二つに分解するという行程が入っているのが問題でした。ちなみに、アンジェリークは黒の森で見つけて持ち帰らなかったボロボロでページの欠けた古い魔導書に書いてあった魔法だと答えました。



 六元素論は矛盾が見つかっていたのでそれが否定されるのは問題ないのですが、それは検証と実験の末に確認されるべきであって古い魔術書に書いてあったよで否定されてしまったら魔法界、いえ世界は大混乱に陥るでしょう。現代で例えるなら、古代文明の遺産に素粒子の基本相互作用に五つ目の力が書いてあってその理論を使ったら原子炉並の出力を出す永久機関ができたよといきなり発表されたぐらいの衝撃です。



 そして、魔法バカのアンジェリークがその魔法を研究している様子がない事にパトリックは驚きました。理由を聞けば現状の魔法と概念が違い過ぎる、魔法を使えない人間が魔道具を手本に別種の魔道具を作るようなものと言われて納得しました。そんなことするぐらいならあるかどうかは不明でももっと状態の良い同じ魔導書を探した方がよっぽどマシでしょう。一つはあったのですから二つ目があっても不思議じゃありません。



 落ち着いた所で魔法に関しては機密ということになりました。アンジェリークも現状、水を二つに分けるぐらいしかできない魔法の使い道もないからと頷きました。



 兄との会合後、ヘルマンからアンジェリークに翌日の休暇が言い渡されました。原因としては帰還してからもブツブツと祈りを捧げるローザが心配されたことと、今までの休暇の日、アンジェリークがごく普通に休暇を楽しんでいたとローザから報告があったのが理由です。仕事よりも休暇に勤しんでもらった方が問題を起こさないと思ったのです。



 というわけでアンジェリークは休暇を貰いました。いつも通りぱっちりと目覚めたアンジェリークはいつも通りローザのベッドを確認、ローザはすでにおらずベッドもキチンと整頓されていて驚きました。教会に朝早くから行くとは聞いていたので居ないことには驚きませんが、大分疲れていた様子だったのにキチンと起きることができたことと、アンジェリークを起こすことなくベッドを畳んでいる事には驚きました。教会での集団生活で物音を立てずに行動するコツでも掴んだのでしょう。



 納得したアンジェリークはベッドを畳んで部屋の扉を開けました。部屋の前ではアンジェリーク付きのメイドであるクララが待ち構えており、クララは失礼しますと言って中に入りました。最初は身支度は自分でやると抵抗していましたが、やっている間ずーっと後ろに立ち続けるクララにアンジェリークが折れました。クララにやらせるのは公爵が嫌な顔をしそうですが、自分の稼いだ金で雇うといえば納得はするでしょう。



「急のお休みですが、ご予定はあるのですか?」


「特にないからお店でも見て回ろうかなって思ってるよ」


「……お嬢様はお休みは訓練とかなさらないのですね」



 意外そうにクララは言いました。騎士団に入団してから、休みの日は常にどこかへ遊びにでかけているのです。剣術に熱心なアンジェリークが急な休みの日でも出かけようとするのはかなり意外でした。



「ずっと鍛錬ばかり続ければ伸びるわけじゃないし、体を鍛えたり剣を振り回したりだけが鍛錬じゃないからね」


「そういうわりには屋敷に居た頃は毎日のように黒の森に向かわれていましたが」


「テンションがハイになってたんだよ」



 二人は喋りつつもテキパキと身支度をこなしていきます。クララ任せではなくアンジェリークも一緒に行うので身支度は公爵令嬢として異例の早さでしょう。



「じゃ、いってきます」


「はい、お気を付けて」



 ちょっと良いところのお嬢さんといった装いに白鞘の太刀という不釣り合いな装いでアンジェリークは出発しました。



 宿舎を出ると訓練場の方から猿叫のような叫び声が聞こえてきます。これは実際に猿叫であり、アンジェリークが教えたものです。



 入団試験で教官二人を沈めたアンジェリークの剣術は騎士団で大きな話題になりました。特に現場を見ていた新人達は殆どが憧れを抱きました。確かにクソヤベー奴でしたが、それでも小柄な、女の子と言うべき少女が騎士を真正面から打ち倒したのです。



 そんな新人達を知っていたヘルマンはアンジェリークと遭わせたく無かったのですが、色々違えど新人同士がゆえに流石にそういう訳にもいかず交流することになりました。その際、公爵令嬢ゆえのコミュ力が発揮された結果、アンジェリークは剣術を教えることになったのです。前世は剣術の指導を仕事としていたことと、元々薬丸自顕流が習得しやすく作られていることもあってあっという間に騎士団新人の間に広まりました。一撃必殺、相手の盾ごと叩き斬るような強力な攻撃は新人達、十代半ばの少年達の中二心を強く刺激したのです。



 訓練場から響く猿叫にヘルマンは最初は頭を抱えましたが、実戦的で強力な剣術なのは間違いなかったため最終的には受け入れられました。



 猿叫に懐かしさを覚えながらアンジェリークは街へと出かけていきました。



 アンジェリークはとりあえず木細工屋を回ることにしました。目的は太刀の拵えを白鞘からまともなもの、せめて仕込み杖にしようと思ったからです。白鞘とは保存用のための、人間で例えれば寝間着のようなものなのです。まあ、柄が目釘全てでしっかり固定されていたり滑り止め加工がなされていたりと刀を振り回すことを前提とした作りだったので今まで使ってきましたが、アンジェリーク的にはちゃんとした拵えのほうが好みなのでどうにかしたいと考えているのです。



 ですが、白鞘は木剣と偽装できるので便利と言えば便利なのです。実用性の高さと帝国における太刀の希少性が原因でずるずると使い続けています。今日もきっと何の成果もでないのだろうなぁと思いつつも木細工屋を目指しました。デザインは大切なのです。



 大国である聖カロリング帝国の帝都なだけあって街はかなり広大です。木細工屋と一言で言っても貴族用から低所得者向けまでかなりの数が存在します。ぶっちゃけ、太刀は今のままでも問題ないので確実に好みのものが作れそうな木細工屋を見つけるまで年単位の時間をかけてでものんびり探すつもりでいました。



 なので、木細工屋を目指すと言いつつも興味を引く物があればフラフラと他の店を覗きます。どこぞのお嬢様にしか見えないため何処へ行っても邪険に扱われることはありません、場違いじゃないのと言う目で見られることはありますが。



 そんな感じに、ひまな休日を謳歌していると、アンジェリークの目に見知った顔が一瞬映りました。場所は中所得者から低所得者辺りが住む界隈、その見知った顔ではあまりにも場違いな場所です。



 見つけたからと言って声をかける義務はありませんが、一応確認のために声をかけることにしました。



「こんなところで何をされているんですか? 皇子」



 アンジェリークが後ろから声をかけると、驚いたように彼は振り返りました。色黒の肌に銀河のような銀髪、将来良い男間違いなしといえるほど整った容姿をした、月光のような瞳が印象的なアンジェリークと同年代の少年。聖カロリング帝国皇太子、ルーファス・カロリングです。



 皇子とアンジェリークは家を通じて知り合っています。王族とそれに近しい公爵の同い年の子供なのだから当然と言えば当然でしょう。



「……お前こそなんでこんなところにいるのだ、アンジェリーク」


「私は買い物です。皇子こそなんでこんなところに? お忍びで来てるのは分かってますけど、なんで来たんですか?」


「昨日、街で騒ぎがあっただろう? それで街が心配になってな……」



 それを聞いたアンジェリークはこれ見よがしにため息をつきました。皇子がムッとしたようにアンジェリークを睨みます。



「皇子がお忍びで街に出たところで何も変わらないでしょうに、というかそんな中で皇子が怪我したら大問題ですよ」


「民が心配で居ても立っても居られなくなったのだ」


「その気持ちは立派ですけどね。だったら貴方のすべきことは情報収集です。まず、どのような騒ぎなのか知っていますか?」


「……スラムで屋敷一つが吹き飛ぶ爆発があったと聞いている」


「ええ、正確にはスラムに拠点のあるマフィア、ツィーエ家の本拠地が爆発しました。爆発の原因は不明で、現在も魔法戦闘団が調査中です」



 すらすらと答えるアンジェリークに皇子は目を丸くします。



「よく知っているな」


「兄が副団長ですから」



 知っているのは吹き飛ばした本人だからです。皇子も目の前の公爵令嬢が吹き飛ばしたなどとは露程も思わないでしょう。



「皇子なんですから、騎士団や魔法戦闘団に問い合わせればそのぐらいは教えてもらえるでしょう。そしてどうにかしたいと思ったら、支援や治安対策を提案するべきです。それは皇子のような立場のある人間にしかできません」


「……なるほど、私には私にしかできないことをするべきか」



 皇子は素直に頷きました。皇子という立場で育てられて人からの言葉を素直に受け止められる辺りまっすぐ育っているのでしょう。



「まあ、皇子はまだ子供ですから、民が心配で居ても立っても居られないという気持ちが大切です」


「子供とか同い年のお前に言われたくないんだが……」


「私は大人ですよ。なぜなら、自分でお金を稼いでいますからね」



 皇子は驚いたように目を見開きました。アンジェリークと同い年、十四歳頃の平民の子がお金を稼ぐのは珍しいことではないですが、それが貴族であれば話は別です。ちゃんとした貴族になるべく教育を施されるためです。魔法学園を卒業して一人前が一般的です。



「今日はそのお金でお買い物です。自分で稼いだお金なので自分の好きにできるのですよ」



 自慢げなアンジェリークを皇子は羨ましそうに見つめます。早く大人になりたいと思うお年頃です。



 ちなみに、アンジェリークの稼いだお金とは大半が黒の森の賞金首の懸賞金であり、その金額は懸賞金を出しているザクセン家の金庫番が呻いて胃を押させる金額に達しています。報奨金は一年で一人か二人を想定していたのです。まあ、アンジェリークは懸賞金の管理をザクセン家に丸投げているため問題にはなっていませんが。



「私の自慢はともかくとして、本当に危ないですよ。お忍びだからって道案内ぐらいは付けましょうよ」


「危なくないだろう? 外ならともかく街中だぞ。それに今まで危険な目にあったことなどない」



 そりゃそうでしょうよとアンジェリークは半目になりました。皇子に接近するアンジェリークに鋭い視線を向ける男がいたのです。アレは間違いなく護衛でしょう、しかも皇子に知らされていなさそうです。



「街中だって危ないですよ。悪い人だっているんですから。特に今の皇子みたいに明らかに場違いに良い服着ていれば目立ってしょうがないです」


「……そんなに目立っているか?」


「王城周りの貴族地区ならともかく、この辺りだと服が良すぎてあからさまに良いところのお坊ちゃんそのものです。下手したら誘拐されますよ」



 皇子の服装は平民が平時に着るには良い服過ぎます。大商人が見栄を張るにしては明らかに着慣れすぎています。手を出したらヤバイ相手だと分かりそうなものですが、そんなことを気にする人間が人さらいなどするわけありません。



 皇子は口をへの字に曲げて自身の服を確認しています。溶け込んでいるように思っていたのでしょうが、現実は残酷です。



「……随分と詳しいんだな」


「仕事で必要でしたからね。皇子はよくお忍びで街にでられるのですか?」


「ああ、平民の暮らしを知りたくてな。公式に行くとなると私の為にセッティングされてしまって素の姿が見られないんだ。まあ、お忍びで出かけても見て回るくらいしかできないんだが……」



 そうですか、とアンジェリークは考え込みます。皇子に関するアンジェリークの印象は実はとても良かったりします。考え足らずで向こう見ずなのは年齢的に仕方がありませんし、民を慈しみ民を知ろうと心がけるのは良いことです。素直なところも良いでしょう。為政者としてはまっすぐすぎますし良心的すぎますが、そこは成長するでしょうし、最悪部下がフォローできる範囲です。



 で、あるならば少しだけ手を貸しても良いかなと思いました。そして、ついでに利用しようとも思ったのです。



「じゃあ、ちょうどお昼時ですしどこか近くのお店で食事でもしませんか? お金は私が出しますし」


「……いいのか?」


「ええ、大した金額でもないので」


「分かった、頼む」



 頼まれたアンジェリークは皇子を引き連れて歩き出しました。そしてまず向かったのは一人の男の前です。



「おじさん、この辺りで美味しいお店ってないですか?」


「うぇ? あ、っと、ここの通りをまっすぐ行ったところにあるラーツケラーって店が評判だけど……」


「ありがとうございます」



 男は、お礼を述べると皇子の手を引いて去って行ったアンジェリークを呆然と見送っていました。ちなみに、この男はアンジェリークが皇子に近付いたときに鋭い視線を向けた男です。二人が見えなくなりそうになったところで慌てて追いかけました。



「アンジェリーク」


「なんでしょうか?」



 いきなり皇子に名前を呼ばれたアンジェリークは振り返ります。皇子は怪訝な視線をアンジェリークに向けています。



「お前、前にあったときと性格が変わってないか?」


「あの時は王城で私は公爵令嬢として、つまり公の場でしたから。今はプライベートです」


「つまり、今が素だということか?」


「そう思ってもらえば良いですよ。ちなみに、お忍びの時は皇子を皇子として扱わないのでそのつもりで」


「ふむ……それで構わん」



 皇子は少し嬉しそうに頷きました。

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