第9話 verrückt



 聖カロリング帝国第一騎士団副団長ヘルマンはその熊のような凶悪な見た目に反してかなりの常識人です。見た目通り戦闘能力も高いですが、それ以上に指揮能力があり、さらに書類仕事が得意だと自負しています。平民からの成り上がり組であり、真面目一辺倒な性格故に上司からの信頼も厚いです。一代限りの名誉男爵の地位も授与されていて、騎士団長の地位も確実視されている、立志伝中の人物といえば彼を指すでしょう。



 そんな真面目で苦労してきた男だけに、今日はかなり緊張していました。



「大丈夫ですよ、そんなに緊張しなくても」



 そんなヘルマンにそう声をかけたのはパトリックです。公爵家の人物でありながら一般魔法兵として入団し、若くして魔法戦闘団副団長に成り上がった、身分も実力も兼ね備えた男です。十歳の年の差がありながらも妙に気が合い、時々酒を飲み交わす友人です。



 今いるのは帝都にあるザクセン公爵家の別宅です。もっと言えば、その客間です。ヘルマンは公爵にアンジェリークの件で呼び出されました。



「しかしだな……公爵閣下だぞ?」


「僕の父ですよ。非公式の場でうるさく言う人じゃないですから」



 そういってパトリックは笑いますが、ヘルマンの緊張は全く解けませんでした。ザクセン公爵家は良識派と名高い一族ではありますが、ヘルマンからしたら雲上人です。帝国成立からずっと王家に続く第二位の地位を維持し続けてきたような大貴族です。機嫌を損なってここまで上り詰めた努力が無駄になったらという考えがどうしても抜けません。



 ヘルマンが深呼吸をして落ち着こうとしていると、応接室の扉がノックされました。



「ザクセン公爵閣下がお見えになられました」


「わかった。入れてくれ」



 パトリックが返事をすると扉が開かれ、公爵が入ってきました。ヘルマンが凄い勢いで立ち上がり胸に手を当て腰をやや折る動作、敬礼をします。



「楽にしてくれ」



 苦笑い気味に公爵が言うと、ヘルマンが不動の姿勢を取りました。



「今回は非公式の場だ。もっと楽にしてくれ。娘の話を聞きにきたのだしな」


「ヘルマン、これを」



 パトリックがヘルマンにワイングラスを差し出してきました。



「今日は非番でしょう? たまには早くから飲んでも良いじゃないですか」


「いや、それは」


「飲んで落ち着いて下さい」



 パトリックが無理矢理押しつけてきたグラスを持つと、公爵もヘルマンを見て頷きます。



「ワインなしでは私も話せるとは思えん。君も飲みたまえ」



 ええい、ままよとヘルマンは一気に飲み干しました。



「いいワインでしょう?」


「……今は味なんかわからんよ」


「我が領の名産品なんですがね」



 パトリックは笑いながら自分のグラスについだワインを一口飲みました。優雅に味わうように飲んだパトリックは公爵とヘルマンに座るように促し、自身も椅子に座ります。



「さて、じゃあ我が父上に何故妹がああなったのか詳しく聞きましょうか」



 パトリックが険吞な眼光で公爵を睨みました。パトリックが最後にアンジェリークを見たのは半年ほど前です。その時は特に変わりなく、可愛らしい完璧な公爵令嬢でした。愛する末妹が殺人鬼の如き形相で狂ったような叫び声を上げながら騎士に襲いかかる存在になり果てたのですから、パトリックの腸は煮えくり返っていました。父はなぜ見過ごしたのかと。



 公爵はワインをグラスに注いで一口飲み、小さくため息をつきました。



「分からんよ」


「分からんって!」


「落ち着け」



 怒りの形相で立ち上がったパトリックをヘルマンがなだめます。そしてさらにワインを呷り、公爵を見やります。



「何か切っ掛けは無かったんですか?」


「切っ掛け? 切っ掛けか。ああなった理由は分からなくてもああなった時なら分かっている」



 公爵はワインをグイッと飲み干します。そして大きくため息をつくと話し始めました。



「四ヶ月ほど前か。アンジェリークが倒れたという事を聞いてな」


「倒れた!?」


「いや、たいしたことはない。夜遅くまで本を読みすぎて、それで調子を悪くしたらしい。倒れたと言うよりも眠ったと言うべきだが、あの子がそんな姿を見せるのはかなり珍しいからな、少々尾ビレがついたようだ」



 年頃の娘がそこまで隙を見せないのは異常じゃないかとヘルマンは思いましたが、パトリックも当たり前のように頷いているのを見てそれが貴族の普通なのかとカルチャーショックを受けました。故郷の村の思い出にある少女達とは余りにも違います。



 貴族の令嬢は基本しっかり躾を受けるため隙は少ないですが、アンジェリークのように完璧などと言われるほどに隙が無いのは異常ではあります。



「その後、目を覚ましたアンジェリークが部屋に来てな、夜更かし程度で倒れるなんてザクセン家の娘として情けないから剣を習いたいと言い出したんだ」


「それで、剣を習わせたと」


「その時は読んだ本に影響されただけだと思ったからな。そういう年頃でもある。そういう少年達が今年もたくさん来ただろう?」


「ああ……」


「そしたらその翌日に木剣片手に黒の森まで一人で走って行ったのだが」



 パトリックとヘルマンがワインを吹き出しました。



「あの時は肝が冷えたよ」


「肝が冷えたですむ話ではないでしょうが……」



 ワインを呷る公爵にパトリックが噴いたワインを拭いながら言いました。



「衛兵は何をしていたのですか?」


「止めようとしたがすり抜けられたそうだ。あの体格で素早く動かれたら止めるのは難しいだろう。その日、黒の森の砦を攻略して誘拐されていた女性達を救い出してきた」


「……無茶苦茶ですね」



 ヘルマンの苦みを感じる感想に公爵は頷きました。



「無茶苦茶だ。血みどろの格好のまま笑顔で寄ってくる娘を見てどうしたらいいのか分からなくなったよ」


「……祓魔師には相談したのですか」


「ああ、何も取り憑いていない。二度確認したから間違いない」



 公爵がワインを呷ります。公爵の顔が赤みを帯びてきました。



「その後は、冒険者ギルドに登録して黒の森の賞金首を狩っていた。凄いぞ、ザクセンからブルヒアルト辺りまでの治安が改善されるほどに狩ったからな。ギルドでは首狩り貴族と呼ばれていたよ」


「首狩り貴族……凄い渾名ですね」



 ギルドに顔を出すたびに生首を持ってくる点と物腰の上品さから首狩り貴族と名付けられました。ギルド一番のヤベー奴として有名で、横暴な冒険者ですら道を譲り、勧誘熱心な冒険者クランすら声をかけませんでした。



「ゲルトは数百年に一度の天才と言っていたよ。触発されたゲルトが鍛錬を再開するぐらいだ」


「鬼のゲルトがですか……」



 帝国随一の武門であるザクセン公爵領の騎士隊の教導官であったゲルトは帝国騎士団の間でも有名でした。合同演習を行うこともあったためヘルマンは何度も話したことがありました。



 パトリックがワインを呷ります。あの可愛らしい妹の変異を受け止めるには酔う必要がありました。



「……貴方とアンジェ、戦ったらどっちが勝ちますか?」


「俺だな」



 ヘルマンは当然とばかりに即答しました。



「俺は重装騎士だ。木剣同士なら攻撃が軽すぎて通じないし、正式装備でやったとしたら尚更だ。もっとも、まだ奥の手でも隠していない限りだが」



 ヘルマンの発言で場の空気が重くなりました。アンジェリークの全貌が掴めていないと全員が気付いたのです。



「……まあ、アンジェの変異が父上の責任ではないのは認めましょう。しかし、なぜ採用試験に来るのであれば事前に連絡をくれなかったのですか」


「試験日の六日前に試験を受けたいと言われてな……まさか今回の試験を受けるつもりだとは思わんよ」


「……馬を潰しながら来たんですか?」


「だったら分かりやすいんだがな……ここに来るまでに馬を潰す勢いで走る者は確認されていなかった」



 父子揃って頭を抱えました。険しい山と森をまっすぐ突き抜けてきた等とは思いません。普通であればどう考えてもそっちの方が時間が掛かります。アンジェリークの未知が目に見える形で現れました。



「嫌な予感がしますが、後で確認しておきましょうか」


「ああ、頼むよ。ところで、娘は騎士団ではどう扱うつもりだ?」


「……アンジェリークは特殊すぎてどうすればいいのか迷っているんです。初めてのケースですから」



 公爵の眉が不愉快そうに寄ります。どのような形にせよ、公の組織に所属した際は公爵家としての立場を利用しない、させないと言うのがザクセン家の家訓なのです。子供達には甘いところのある公爵ですが、公爵らしい厳しさも持ち合わせているのです。



「入団させるのであればパトリックと同じように全くの新人として扱って欲しいのだが。騎士団に入隊したいと言った以上、男と同じように扱われるのも当然だ」


「女が入ってきたら分けるのは通常通りの措置です。そして、新人達と実力が違いすぎて一緒に扱えません。戦闘力はすでに騎士の基準は超えていますし騎士の礼儀作法も完璧、一般教養も同様です。軽い研修を終えれば今すぐ騎士として任せられるものを新人と同じ扱いはできません。ごく希にそういう者は現れるので基本的には彼らと同じ扱いです」



 それがどういう者かというと地方から逃げてきた騎士です。政治闘争のせいだったり見てはならぬものを見てしまったりだとかで逃げてきた騎士が体以外全てを捨てて帝国直属の騎士としてやり直すことが希にあるのです。貴族から逃げ切ることなどまず無理なため希なのです。



「アンジェリークの問題は戦法の特殊性です。彼女を通常の部隊で扱うのは無理です。下手に入れればあの強い個性が失われて体格の劣等性だけが強調されかねません」



 軍隊というのは均一な戦力というものを好みます。もちろん、個人差は存在するので、体格と筋力のあるヘルマンは重装騎士、乗馬の得意な者は騎乗騎士、体格の劣るものは軽装騎士、という具合に適性で役割を分担するのです。



 アンジェリークの場合は軽装騎士というにも体が小さすぎ、しかも徹底した速度重視、それも彼女個人ぐらいしか扱えない能力をフル活用しての戦法です。下手に防具を着せるよりも動きやすい服装にした方が逆に安全という特殊具合です。



 当然、彼女一人で動くなどさせられるはずもなく、部隊の運用計画を立てているヘルマンには頭の痛い問題でした。



「……それならば考えがあるぞ。帝都の警邏を主任務とすればいい」


「警邏ですか……お話を聞く限り強くなりたがっているように思える彼女が言うことを聞くでしょうか」


「理解出来ない存在のように思えるが、あの子はちゃんと話は聞く。論で説明すれば納得するだろうし、餌も用意してやれば良い」


「餌ですか?」


「ああ、教会から祓魔師のローザを出向させてバディにすれば喜んで警邏をする。私が交渉をするから君はバディを前提で手筈を整えてくれれば良い」



 教会の貴重な戦力である祓魔師を出向させるのは難しいように思えますが、公爵には手札はいくつもありました。他の領地にローザが行くときにはアンジェリークを護衛として使って言いといえば頷くでしょう。将来有望な祓魔師の守りに騎士がつくのは教会としても安心できるからです。アンジェリークとローザが頻繁に手紙のやりとりをしているのも優位に働くでしょう。



「ローザというと、俺に怯まなかったあの娘ですか」


「……確か、アンジェも親しそうにしていた神官がいたような……模擬戦の衝撃が強すぎてあんまり記憶にないのですが」


「あの娘は秘密も知っているからちょうど良い」



 秘密? とヘルマンとパトリックが公爵を見ます。



「アンジェリークは妖精と契約を結んでいる。それに気付いたのがローザだ」



 ヘルマンとパトリックが顔を見合わせます。唐突に出てきた伝説上の存在に二人の理解は追いつきませんでした。



 パトリックは暫く考え込むように視線を彷徨わせた後、グラスに入ったワインを一気に飲み干しました。



「……ヘルマンに怯まない逸材なら、アンジェリークを任せられますね」



 パトリックは理解を諦めました。



「……騎士団としても有能な治癒士が近くにいるのは大変有り難いです」



 ヘルマンも理解を諦めました。



 後日、騎士団への出向の話を聞いたローザは、生まれて初めて汚いスラングを呟きました。

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